不思議体験分析

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不思議体験分析~憑依、低級波動障害、前世意識障害・・ 2014/02/22

昨日、サイト「無限振動パワーの世界」のブログに、実際にあった憑依の動画からかなり詳しく波動測定した結果を載せているので、興味のある人はこちらから。
私が憑依と闘った体験談は次回書くとして、今回ももう少し憑依について説明しておきたい。

精神世界や宗教に関わっている人は、この世界とは関係のない一般人に比べ憑依霊に狙われやすいのである。
憑依とか憑依霊といっても、ほとんどの人はそれが何であるか、その正体や持っている力など、本当に何も知らないといっていいだろう。
幽霊やお化け、その印象や思い込みと重なって、何も知らない見えもしない分、憑依という言葉を聞くだけでも人は恐怖を感じるものである。

憑依霊というのは当然人の目に見えるものではないが、私は憑依霊というものを大体把握している。
当然、その力や憑依する方法や憑依する人とのやりとりまで大体は分かっている。
人間意識が分かれば、その人間に取り憑きたくて仕方ない憑依の手の内も読めるものである。

憑依霊と無意識に、または気持ちの中でも同調しなければ、憑依されることはないのである。
遊び半分でも、こっくりさんや肝試しなどで心霊スポットに行くことは止めたほうがいい。
その後で、「何かの霊を連れて来てる」とか「なかなかイヤな感じが離れていかない」ということを言う人もいる。

これはどういうことだろうか、本当のことは何なんだろうか。
どんなことにしても始めが大事なので、憑依に関連することをいろいろ説明してみたい。
夏になると、テレビで心霊や憑依を扱った番組を放送することもあるので、あなたも一度は見たことがあるだろう。

たとえ、それが本物の憑依現象であっても、テレビで放送できるものは大して怖いレベルではないのである。
本当のことを知らないので、ほとんどは勘違い思い込みといったものが多いだろう。
その勘違い思い込みといったものも含め、憑依と思われているいろいろな波動障害を考えてみたい。

先ず、本当の憑依からであるが、憑依現象は憑霊が原因というしかない。
本質的憑依霊の正体も説明出来るが、それは深い霊的知識が必要なのでそれを説明すると、逆に疑念が湧いてくることもあるので憑依霊までにする。
憑依霊にもその世界の能力があるのでランク付けも出来るのである。
人に幽霊や動物霊などを見せるイタズラレベルの憑依霊から、動画から波動測定をしたアンネリーゼ・ミシェルに憑いた強力な憑依霊もある。

ポルターガイスト現象も、そのほとんどは憑依霊の仕業だろう。
特に憑依や憑依霊については、その存在の証拠となるものは無いが、それでも憑依霊は存在するのは間違いないのである。
次に、憑依と間違いやすいのが、低級波動である。
この低級波動が、いつの間にか人の潜在意識に定着することがある。

潜在意識からこの低級波動がいつも顕在意識に湧き上がって来るので、自分とは違う意識に絶えず違和感と苦痛を感じるようになるのである。
これが長い間続くと、やはり憑依されているのでは、と疑いたくなるだろう。
憑依霊なのかそれとも低級波動なのか、この見極めはほとんどの人には難しいだろう。

ただ、潜在意識が低級波動によって苦しめられるより、憑依された方が比較にならないくらい大変なことになるのである。
潜在意識に低級波動が入った場合は、この波動は比較的早く消滅させていけるものである。

では、憑依の場合はどうか。
一生つきまとって離れないと思っていい。
もちろん、憑依レベルにもよるが、強力な力を持つ憑依霊になると、来世まで憑依霊とつながれる場合もあるのである。
憑依霊は意識で生きているのであって、低級波動は単なる残留思念といっていい。

残留思念とは、その場に残った波動、人の思い感情の波動が物に浸透した結果である。
そこに入っている波動は、人の敏感な意識や直感や霊感などで感じられるのである。
私は、どんな物も波動測定をしてその質、レベルを見極めているのである。
この世の物はすべて測定可能、波動の無い物はないのでそれは当然可能となる。

普通残留思念が問題になるのは、ほとんど低級波動である。
低級波動として残るのは、犯罪現場、自殺現場、苦痛が充満している場など、人の憎しみ、恨み、復讐心、殺意といった思いや人間性を失った感情などである。
ネガティブ波動というのは、このような感じを含んでいるのである。
ネガティブ意識の人は、このような波動を放っているということになる。

このような低級波動は、弱い心や弱った体、疲れ切った心身の人に入り込みやすいので、このような状態の時は波動の悪いところに近寄らないことである。
もう一つの波動障害は、憑依でも低級波動でもなく、自分自身が原因となることである。
それは、前世意識の引き継ぎで、憑依でも低級波動でも先祖に関することでも、また動物霊にしても全部自分の思い込み、信じ込んでいることで、それは妄想レベルが多い。

今生に持ち越して、前世の記憶をよく覚えているという人はいない。
しかし、潜在意識よりもっと深い無意識にはその記憶は残っているのである。
その無意識から、何となくでも前世の自分の感じに気づいている人もいるだろう。
ただ確信がないので、はっきりそう思えないだけなのである。
前世レベルでかなりの苦痛や恐怖にさらされていた期間が長ければ、無意識にその記憶は残っているだろうし、当然その意識を引き継ぐことも考えられる。

先祖供養が気になる人、動物霊が憑いていると思っている人は、今生まで引き継ぐような何かに苦しんでいたのかもしれない。
ただ、動物霊を使った悪さは、憑依霊も使うことがあるのでその見極めが必要となる。
詳しく話すとかなりの文量になるので、このくらいにしておきたい。

限界あるこの世のことであるから、今あるものから考え推測するだけでこのような見えないことに対しても、何か手を打つ方法も分かることがある。
この見極めは、波動測定があることでより明確になり、判断もしやすくなるのである。

不思議体験分析~憑依の実体は何か、そしてその力は・・・ 2014/02/12

今回から「憑依」に関係することを、体験も入れていろいろ話してみたい。
もう随分前になるが、悪魔系オカルト映画がブームになった時代があった。
映画を見たことのない人でも、「エクソシスト」という名前は聞いたことがあるだろう。
この映画に出てくる少女に憑いたのが、「悪魔」とか「憑依」というものである。

ただ実際にあのようなことになるのかというと、いくら悪魔に憑かれたとしてもそれは映画の中の世界だろう。
憑依のレベルによっても変わるが、人相はかなり醜くなるのは間違いないだろう。
「エクソシスト」というのは、悪魔が憑いた人の悪魔祓いをするキリスト教の司祭、要するに「悪魔祓い」を職務とする司祭ということである。

エクソシストは、日本語では「祓魔師」(ふつまし)と呼ばれ「悪魔を祓う人」という意味だが、別に宗教に関係していなくても「悪魔祓い」は出来るのである。
これから「憑依」についていろいろ話していくが、おそらくあなたにとって初めて知ることばかりだと思う。

憑依やこのような類いのことに関しては、疑問はいっぱいあるだろう。
怖がっていても意味がない、大事なことは注意だ、その注意の仕方も教えていきたい。
まず最初にはっきりさせておきたいことは、「憑依」はあるのかどうか、である。

その答えは・・、「憑依」はある。
「憑依」の正体は、この話の流れの中で出て来ると思うが、一番重要なところは詳しく説明しないつもりだ。

「憑依」について、あまり詳しくなっても逆にそれが気になってばかりいては困るので、必要なことだけを話すので、それでも充分だと思う。

「憑依」というのは、肉体の持たない意識体だと考えていい。
そのレベルは、ちょっとしたいたずらレベルから最高は映画「エクソシスト」レベルになるが、それ以上もある。
ただ日本では、映画「エクソシスト」のような憑依はほとんどないと思っている。

たとえあっても、一般的な人には無関係だと思っていいだろう。
もし私が、映画「エクソシスト」のような憑依を相手にすることがあるなら、相当な意識の準備をするだろう。
映画に出て来る司祭で勝てるなら、私は負けるわけがないと確信している。
それにしても、このようなものは低級でつまらないことだ。

「憑依」の意識はネガティブで、それぞれの憑依にも力の段階があるのである。
「憑依」は、姿は見えないが人間的に近い意識を持っている。
肉体が無いので、その点どこにでも行けるし自由である。
「憑依」は、人間の深い意識までは分かるかどうかだが、人の心はスグ把握出来る能力はある。

人間心に近い部分では、「憑依」の情報収集力には人はかなわない。
実際には、悪魔的段階でない限り、「憑依」はそれほど怖がる必要もないものだ。
「憑依」は、見えないもの、幽霊的なものなどを怖がる人の意識を利用しているだけだ。

私は、「憑依」のことは本当にいろいろなことを知っているので、そのような人がいればじっくり「憑依」を分析して対処している。
こんな程度の「憑依」には、負ける気は全くしないし怖くもないのである。
「憑依」が何より一番苦手なもの、勝てないものは何か・・
それは、神である。

神まで行かなくても、真理でもいい。
真理まで行かなくても、高級振動でもいい。
「憑依」が何よりも怖いのが、神、高級霊で、これには絶対勝てない。
人間も同じだが。
「憑依」の内的質といって、それは根本意識みたいなものになるが、それはこうである。

アメとムチによる恐喝と欺し、それを内的な感じの中で狡猾に仕掛けてくるのである。
卑怯で、あの手この手で、どこまでもしつこく、四六時中まとわりついて来る。
もし、一度「憑依」されてしまえば、普通は一生その人から離れないのである。
この、「憑依」レベルと本当に共通しているのが、超ネガティブ人間である。

ネガティブ意識というものの中心はこれだと思って間違いない。
超ネガティブ人間も、「憑依」も、大して変わらないかもしれない。
本当に怖いのは、「憑依」より超ネガティブ人間なのかもしれないが、一般の人は本質的なことを知らないので、「憑依」と聞いただけで怖がるものだ。
このどちらも、神意識には絶対勝てない、それはどんな人間にも言えるが・・

霊的法則や神の法則については何も知らない人がほとんどだが、憑依や悪魔や超ネガティブ人間よりも本当に怖いことは、霊的法則や神の法則に反することなのである。
だから私は、霊的法則、神の法則に従って生きているのである。
そうすることが、一番安全ということになるのであって、他に何かすることもない。

霊的法則、神の法則から来る意識力が、「憑依」をはじき返すだけなのである。
「憑依」されている人は、波動測定でもわかるのである。
脳の中に、「洗脳、憑依」の波動集中ポイントがある。
そのポイントは、「憑依」にとって、とても大事な意味のあるところなのである。

はっきり言って、ここを完全に押さえてしまえば、その人を支配でき乗っ取れるのである。
このポイントの波動の強さのレベルと他のネガティブ波動の状態で、憑依の度合いを見るのである。
このポイントは、外に漏れることは大変危険なので、私は今後絶対誰にも言うことはない。

波動測定して分かることだが、霊視や予言的なことをしている人の中には、このポイントに波動の集中がある人がいる。
それを通して、「憑依」から時々いろいろな情報をもらっているのだろう。
これについても、この先の話の流れで、それがどういうことかが分かるだろう。
「憑依」については、これまで触れることもなかったが、これからの時代は気を付けた方がいいので、少し詳しく話すつもりになったのである。

ずっと前になるが、ちょっとそろそろ注意した方がいいだろうと書いたのが、「波動洗脳」といった内容である。
「波動洗脳」も大事なネガティブ誘導である。
その先は、「憑依」と悪魔レベルが支配する世界である。
だから、その脳内ポイントは、「洗脳、憑依」の集中ポイントとなるのである。

不思議体験分析~不思議体験の彼方に「一体感」が・・ 2014/01/29

私の不思議体験のすべてを順番に分析を入れて書いていこうと思ったが、それが大して意味のあることだと感じなくなってしまった。
もう一つ、大事なことを別なカテゴリーに書いていこうと思ったが、これもこのカテゴリーの中で不思議体験と関連づけて説明していこうと思う。
不思議体験のすべてではなく、本当に大事なところをピックアップして説明していきたい。

今回は私の最新の体験について、次回は現実に起こった憑依についての話を予定してい
る。
不思議体験は、意識レベルによって体験する質の段階がある。
それは、不思議体験、神秘体験、霊体験ということを言って来た。
不思議体験は、その体験談を聞いても普通に誰もが感じる不思議といったものである。

その体験自体も、普通よりははっきりとした自覚はあるが、まだほんの少しだけモヤがかかったような感じがする。
神秘体験になると、不思議感というよりその中にいるときは神秘の空気を感じるのである。
当然、空気などはないが、神秘の振動を感じるということになる。

神秘の振動というのは、そこにいる自分の意識が無限意識を感じていられるといってもいいかもしれない。
それは、イメージ的に無限を浮かべてみるのとはまるで違うものなのである。
やはり、神秘振動を感じるということは、神の世界、霊の世界に触れているのかもしれない。

体験を通しながら、このような霊的世界の感じに慣れていく段階なのかもしれない。
ただの不思議体験は、魂からの神世界の示唆であったり意識を向けさせる誘導だと思っている。
ただの不思議体験といっても、簡単に体験出来るものでもないが。

その人の意識準備に沿って、必ずこのような段階の流れで体験していくものと思っている。
次に、霊体験であるが、これは不思議というよりは超感動レベルとか超至福レベルといったほうがいいだろう。
それを表現出来る言葉はこの世には無い。

完全に意識が違うのだから当然である。
それでも、まだその雰囲気や内容的なことは、少しは伝わるものと思っている。
私が以前書いた「歓迎の光の門」という世界が、霊体験を言葉にしたものである。
霊体験はこれだけでは無いが、その世界のことを言うとこうなる。

人がインスピレーションで得られる大感動を、その世界では全意識で感じていられるのである。
この世で感じるインスピレーションの感じはそれほど長く持続しないが、霊体験の中はずっとそれである。
ここまでがこれまで私が説明して来た不思議体験の種類である。

最初は何も知らないところから意識の勉強を始めて30年近くの間に体験して来た不思議の段階は、その形に違いがあっても通る道は誰もが同じだろうと思っている。
霊体験は、「歓迎の光の門」に呼ばれるところから、その中に入ったところまで説明して来た。

私の意識的感じでは、その世界は霊界の一番外、入り口のような気がしていた。
何故なら、本当に一度だけ瞬間的に霊界の中に意識が触れたときがあったからである。
その時のことは、そのままのことを書いたが、言葉に出来ないくらい絶対的感じだった。

私はその世界こそが、その中の意識こそが神だとずっと自分の一番奥に置き、聖なるものとして大事にしていた。
霊体験は、神の中(霊の中)に入ることである。
それであっても、まだ霊界の入り口だと思うが。
ここまで言うには、それ以上の霊界の中に入った体験という神意識の体験が必要になる。

誰も今の段階の自分の意識は現時点では分からないのであって、それ以上の体験や知恵が付いて始めてこれまでの経験がまとめられるものである。
人の意識の成長から進化の段階を知るというのは、この方法でしかないのである。
真理、霊意識への進化の過程を知ることは大変なことである。

普通の意識の勉強や修行で、自分の意識の進化段階を知ることが出来る人は、本当に少ないと思っている。
私は、それを数多くの不思議体験を通して、それこそ段階を通って知ることが出来た。
数が多いこと、種類による段階がはっきりしていること、それを土台にすべてを自分に説明出来ること、どれも必要不可欠なことになる。

今私は、これまでの不思議体験のすべては、必要のないものになってしまった。
体験以外の意識勉強のすべても、必要のないものになってしまった。
これはどういうことかと言うと、分かれば何も要らない勉強も努力も・・、ということである。
私は30年以上も努力して来たが、とうとう目標も目的も一切無くなった。

これほど幸せなことはない。
到達とは何か、それをどう知るか、到達したことを知る何かがあるのか・・
その答えはただ一つ、それは「一体感」で分かる。
それは、霊界の入り口の神の中(霊の中)に入ることではない。
霊界の中の意識が一体感で、それが完全に意識出来れば「到達」「解脱」である。

こんな話は、今のあなたには関係ないことかもしれないが、この先耳にすることもない話だと思うので覚えておくといいだろう。
一体感とはどういう感じか、その感じをこの世的に表現してみよう。
内から外から神が沸いてくる、降って来る、それが神だと分かることだ。
何の祈りも、集中も同調も要らない。

何も要らない、そのままでそれが「一体感」だ。
一体感で真の愛がわかり、永遠も一体であることがわかるだろう。
この内容についての話は、3次元意識とまったく別な意識なので今回だけの話にしたい。

不思議体験分析~「瞬間」、この時間をどう理解しどう使うか! 2014/01/07

前回は、私が初めて体験した不思議を書いたが、次の不思議体験は小6の時になる。
この時は2つの不思議を体験した。
一つは「UFO目撃」、もう一つは以前このブログに掲載した「瞬間移動」である。

生命意識に生きる(16)~私の不思議体験から、「瞬間移動」の検証
「瞬間移動」の不思議体験は、「UFO目撃」から3ヶ月後になる。
まず、「UFO目撃」の体験から話してみたい。
この日は快晴の正午過ぎで、母と買い物に行く途中で歩いている時だった。
もちろん母もUFOを目撃したが、最初に気づいたのは私だった。

歩いている時、フト何かに引っ張られる感じで歩いている方向の空を見上げた。
グッドタイミングで、ちょうど見上げた方向の上空にUFOが目に飛び込んで来た。
当時は、UFOという言葉はなく「空飛ぶ円盤」といっていた。
おそらく漫画本からだと思うが、「空飛ぶ円盤」のことは知っていた。

UFOが目に飛び込んで来た時、私は大きな声で空を指差し「空飛ぶ円盤だ!」と叫んだ。
私は「空飛ぶ円盤」に意識のすべてが向いていたので、母がその時どういう言葉をいったかは覚えていない。
ただ後で一言「これは誰も信じないから人に言っちゃダメよ」といわれたことは覚えている。

そのUFOは、猛スピードで飛んでいたが、その形や色はかなり鮮明に見えていた。
オレンジ色の発光体で楕円形、目の前から左方向に向かって猛スピードで飛んで行った。
時間にして7秒くらい、空から消えて見えなくなるまでしっかり見ていた。

あのスピードはすごかった、飛ぶというより空を突き刺していくような感じだった。
しかも音を一切発しないで、オレンジ色の発光も初めて見た色できれいだった。
今から約50年前になるのでUFOといっても、今の時代のように撮影出来るくらい目撃数も多くはなかった。

以前、波動測定で撮影された200枚のUFO写真と宇宙人といわれる画像なども調べてみたが、本物だろうと思えたのは3パーセントくらいだった。
近くで撮影されたものやはっきりと形が見えるものは、すべて偽物だった。
この体験は偶然ではなく、北海道の田舎で私がフト感じたことで真昼間にオレンジ発光で私にUFOを見せてくれた、と今もそう思っている。

そして、その3ヵ月後に「瞬間移動」を体験したのである。
当時は、不思議体験という言葉も知らなかったので、この体験も何がなんだかといったもので、ただ分からない不思議なことという思いだけだった。
「瞬間移動」については、以前掲載した記事を読んでもらえば分かると思うので、今回はこの体験による別な気づきについて話してみたい。

私の不思議体験はたくさんあるが、それを何かの気のせいとか思い込みだと思う人もいるかもしれない。
しかし、私の不思議体験の数からみれば、何かの気のせいとか思い込みというより、「統合失調症」にしてしまえばいいのに、と思うのだが。
そうであっても、別に私には関係ないことで、私は自分の不思議神秘体験からたくさんのヒントを得、それを分析し意識的工夫をしながら次の不思議体験へとつないで来た。

「瞬間移動」の体験は、私が何度かヒーリングで瞬間(奇跡的)に治った例と関連させて分析しているくらい重要な体験なのである。
何が重要かというと、この「瞬間」の智恵が霊的能力開眼のヒントになるからである。
ポイントは「瞬間」、「瞬間」は時間であるが「意識の時間」である。

「瞬間」という中に、神のあらゆる力を発揮する秘密があるのである。
私はずっと、そして今もこの「瞬間」の意識を探究しているのである。
私がこのようなことを知ったのも、この「瞬間」という意識に集中して、何ヶ月も継続集中で潜在意識から無意識へと意識のシフトが出来たからである。
誰にも聞く人がいない、どこにもやり方など書いていないことをやるには、真剣に見つめ研究し工夫し、あとはやり通すしかないのである。

真剣にやれば、たとえそれが失敗したとしても大きなヒントを得られるのである。
だから本当の失敗などはない、といつもその気持ちで向かっていくのである。
よく「いつまでやれば・・、どのくらいやれば出来るようになるの?」と聞く人がいる。

本当に真剣にやりたい、それを自分のものにしたいと思うなら答えは一つだ。
「出来るまでやるしかない!」、これが答えだ。
それはどんなことにも言えるはずだ。
それで終わりではない、その後も次から次へと壁はあるのだから「そんな考えでグズグズしているな!」と言いたくなるのである。

一つ一つの不思議体験を捉えて、その粗探しに一生懸命な人もたまにいるが、実に虚しくて寂しい人生に感じてしまう。
こんなことはどうでもいいことに過ぎないことだが、とにかくこの言葉だけは強調したいので、あなたも本当によく考えてみて欲しいと思う。
「真剣にやれば、たとえそれが失敗したとしても大きなヒントを得られる」
話は少し違う方向に進んでしまったが、もう50年も前の「瞬間移動」の体験だが、しかしその重要なポイントは今でもはっきり覚えている。

今でも魂(神)の力に触れるために、「瞬間」の意識のあり方を見つめているのである。
精神世界の本をたくさん読んでどんなに知識を集めても、大して力にはならない。
自分の意識を実践的に動かし体験をしていくことが、何かがよく分かるのである。

私にとって不思議体験の多さは本当に大きな力になっている。
それをただ不思議だ、で終わらせないで絶えず研究し次の集中へ生かして来た。
その結果が今の自分の意識で、その自分の体験でいろいろな話をし、形にして来た。
全部とはいわないが、ほとんどがオリジナルといってもいいかもしれない。

私にとって、不思議体験がなければ神秘の門は開かれなかった。
だから、これからも不思議体験が得られるように自らを創っていかなければならない。
体験は自動的だが、その後の内容分析と次につなげる何かを見つけることは、そう簡単なものではなかった。

本当に、意識(魂・神)の世界を漂い求め続けて来た人生だったと言えるかもしれない。
しかし今は、ここまで来ればもう大丈夫だという確信がある。
私にとっては、この世的な精神世界も宗教もその他の霊的考えもまったく関係ない。

そんな世界に生きてはいないし、本当のことは何か、それも知った。
このブログでは、私の過去の不思議体験のことを分析して書いているが、今度新しいカテゴリーを用意して時々大事なポイントを書いていこうと考えている。
その内容も、すべて私の体験と研究から知ったことになる。

不思議体験分析~声なき声、意識で感じる声! 2013/12/09

私の最初の不思議体験は小学3年だったが、そのときは不思議ということには気づいていなかった。
不思議という言葉も知らなかったが、それより恐怖の方が強く印象に入ってしまった。
この体験に不思議を感じたのは、ずっと後になってからである。

この体験は、HP「生命のヒーリング」の下段にある自己紹介の【私が探究してきた意識の道】に載せている。
どのような内容かというと、「自分ではない別な声」に誘導されたという体験になる。
「自分ではない別な声」といっても、明らかに他人の声というものでもない。

まるで自分と一体となっている感じで、私がつぶやいた言葉に応答するのである。
それは耳を通して聞こえてくるものではなく、意識で感じるものである。
そのときは、初めていうより子供だったので、こんなことに不思議を感じているより、一生懸命考えていたんだろうと思っている。

それにしても、宇宙に出るとか自分(人間)の寿命を見るといったことまで、けっこうスムーズに誘導されたという感じだ。
宇宙に出て、そこから地球を見るといったこともどこで覚えたのか、当時はまだ宇宙のことも知っていたとも思えないので、これも不思議に思う。
これらのことは、前世意識の引継ぎということを知った時に納得した。

昨年は、他人の声が何人も聞こえるといった体験を長い間していたが、小3の時の不思議の声はこれとはまったく違うものだった。
他人の声がはっきり聞こえてくる体験をした人もいるかもしれないが、それについてもいつか分析したことを話そうと思う。
何も怖がるようなものではないので、安心していい。

「自分ではない別な声」は、小学3年の時だけの体験ではなく、インスピレーションをもらう時など私は何度か体験しているのである。
その声について分析してみると、その声はまったく知らない人の声ではなく自分の声といってもいいくらい、その声に驚くような反応は起きない。
自分の声といってもいいのだが、それでも自分の思いや考えから出て来るものでもない。

何故なら、自分でも思っていないようなことが突然出て来るからである。
また、姿は見えないが、明らかに誰かが私の前や後ろにいるといった体験もある。
そのときは、私ははっきりと相手がどんなレベルの人物かはわかっていた。
どちらの体験の時の声でも、私は「誰なの、何の声?」といった思いは出たことがない。

いつの間にか、その声の内容に反応して真剣に考えて答えているのだ。
答えるとすぐ次の言葉が来る。
それで、また考える・・、この繰り返しをする。
小学3年の時は恐怖に終わったが、それ以外の体験ではすべて大きな気づきになった。

このような何の恐怖も湧かないで自然に対話が出来る相手は、私は自分の魂だと思っている。
この感じも、私が10年くらい前に無意識に集中した頃から変化してきた。
瞑想ではないが、瞑想の雰囲気の中で軽く意識を自分に向けていると、いつの間にか言葉がどんどん出て来るのである。

このブログを書く時は、このような感じで集中すると、ブログの内容がどんどん勝手に出て来るのである。
ときどき、そのような方法をとっている。
そのときメモを取ると言葉が途切れてしまうので、ただ聞いているだけである。
メモや録音でも取れればいいのだが、どちらも途切れるので出来ない。

その内容のままはとても書けないが、終わったあと自分でもすばらしいとエネルギーを感じるくらいの内容である。
この時の内容は、真理そのものが降ってくる感じなので、とても心地いいのである。
意識の中で、勝手に何かについて聞かせてくれるといった感じである。

では、その声の聞き方について触れてみたい。
「声を聞く」といっても、どのような集中またはどこに集中したらいいのかわからないという人もいるだろう。
これもすぐに出来ないので、ずっと訓練をして行かなければならない。
どのくらい訓練するかどうかは、あなた次第である。

ずっと普通にやっていればいいだけで、あきらめるとそれで終わりなだけである。
「声を聞く」という時の集中は、耳でもなく頭のどこかに集中することでもない。
「声を聞くぞ」「聞き逃さないぞ」といった思いを完全に捨て、ただ静かにして体の内側に耳を当てて黙って待つといった感じである。

「体の内側に耳を当てる」という感じを知ってもらいたい。
そして、出来るだけ静かにして、自分の知りたいことや考えようとしていたことに心を開くようにするのである。
心を開くのは、言葉が入って来やすくするためであって、言葉をはっきり聞けるように心の雑音を一切無くしておくように「静か」を保つのである。

瞑想に似ていると思うかもしれないが、本当の瞑想はこういうやり方はしないのである。
「自分に素直になる」ことが大事で、余計な考えは一切邪魔なだけである。
このような声も聞いたことがある。
それは、この意識勉強に入る半年前のことである。

これは人生の新たな出発の示唆するもので、睡眠中に意識が霊界らしい世界に入った時の体験である。
これもそのうち説明するので、とりあえず簡単にまとめてみる。
私の目の前にあった山が崩れ、その先にずっと続く一本の道が見えたとき、天から「道が開けた!」という言葉が轟いたのである。

その半年後、この意識の世界に入ってここまでやって来たのである。
こんな感じで、有難いことに私は子供のころから毎年何かの不思議体験をして来ている。
不思議体験を分析するとこうなる。
この世界では説明出来ない内的感じプラス気づきとなる。

内的感じというのは、絶対的にすばらしい感じのことである。
たとえば、「幸せ感」と人が感じて言うことの元、またはその根本にある感じとなる。
不思議体験からさらに神秘、霊的体験へと進むと、霊界や神の存在は確信に変わり、気づきもさらにレベルアップした段階のものとなる。

一般レベルでは、霊的体験というとオカルトや低級霊現象しか思わないのは仕方ないが、真理側から見たら非常につまらない世界である。
私も何も知らない時は、テレビや人の話で自己暗示をかけてしまったが、その不要な恐怖心もたくさんの不思議体験で解明できた。
現在の私の意識は、長い間の不思議体験の分析で神秘霊的体験を通って出来上がったものである。

私はいろいろ研究し、冷静に分析し、またその結果を工夫して次の意識進化へと向けて来た。
結果は満足するものだった。
あなたにも言えるが、自分が絶対的確信を持てるなら自己満足で充分だ。

不思議体験分析~不思議を体験出来る意識を創っていこう! 2013/11/26

今回は、これまでの私の不思議体験をすべて振り返って、今感じていることをまとめてみたいと思う。
ほとんどの人は、一度は不思議体験的なことを味わってみたいという願望があると思う。
人は一生に一度くらいは、何らかの不思議体験なるものをしていると私は思っている。

ズバリ当たった直感でも、不思議体験でいいのではないか、道ばたに咲いている小さな花を見たときに感じた特別な内的感覚も不思議体験でいいのではないかと思っている。
私の考えで不思議体験を定義すると、この世の常識では考えられないこと、五感に関係しないところで感じる特殊な内的感じ、科学でも説明がつかないものとなる。

不思議体験の種類も様々ですが、その中でも奇跡的なことは不思議というしかない。
また、不思議や神秘体験などを否定する人は、私は霊性が低いと見ている。
このような人は、1,2回の不思議体験話なら、鼻で笑いながら聞かれるかもしれない。

もし10回くらいの不思議体験ならどうだろう、頭が大丈夫かと思われるかもしれない。
しかし、私のような不思議体験がすべて合わせて100以上あるなら、どう思うのだろうかという興味もある。
不思議の世界も広く、いろいろな人の体験談を読んでも本当にいろいろな種類がある。

私自身も、不思議体験、次に神秘体験、そして霊的体験といった順に体験をして来ているので、限度はあるがその内容もかなり詳しく説明出来ると思っている。
私の不思議体験が始まったのは、小学3年生の頃である。
それから現在まで続いているのであるが、これからは本格的な霊的体験に入っていく。

霊的体験は私にとっては不思議体験ではなく、霊的実質体験になる。
それは、この世意識からみれば、霊法則の世界とか霊的原理の世界になる。
この世とはまったく違う世界になるが、これまでの体験と意識訓練はその世界に入るた
めの準備だったかもしれない。

結局、不思議体験にもその人のための意味があり、大事なヒントを含んでいるのである。
これから不思議体験の分析を行っていくのだが、その目的は不思議体験の少ない人であっても、意識拡大の一つとして少しでも潜在意識を変化させるためである。

不思議体験をしていないから中々理解が進まないとか、良いレベルには行かないのではないかと考えている人に、決してそうではないと言いたいのである。
いずれ、何らかの不思議体験が出来るような潜在意識を準備出来ればと思っている。
では、これまでの私の不思議体験を振り返ってみて、心から納得していることを話してみたい。

まず、不思議や神秘的体験をたくさんしたからといって、超能力的な力を得るということはない、ということである。
ここを勘違いすると、安易にそのような体験が出来る方法を求めるようになるだろう。
私の体験から言うと、すべての不思議体験は驚きともう一つ別な発見だった。

このもう一つの別な発見が、不思議体験のもっとも大事なポイントになる。
それは程度の差はあれ、神側(霊的)からのエネルギーに触れるということである。
このエネルギーの表現はいろいろあるが、それが次の段階に向かうための大きなヒントになるのである。

このヒントをもっともっと深く理解し完全に分かるために、いろいろと工夫しながら前進していくのである。
結局努力しなければならないのであって、体験だけでうっとりしていればそのすばらしい感じも、次第に薄れて行ってしまうのである。
不思議体験はともかく、素晴らしいパワーに触れた体験をしている人もけっこういると思うが、それをさらに高めていくための工夫の仕方が分からない人は多いだろう。

このような段階に入ると、もはや思考は役に立たず意識で動くという世界になる。
この説明にしても、意識の勉強をしていないとピンと来ないかもしれない。
不思議、神秘体験も、意識の段階が上がると共に高度になっていくのである。
単なる普通の不思議体験レベルは、霊的気づきの示唆や導きに過ぎないと思っていい。

霊的気づきの示唆や導きだから、私はポジティブ意識の人は、人生の中で一度はこのような体験をしているはずと思っているが、それに気づいているかどうかだ。
私が小学3年の頃に初めて触れた不思議な世界を一応不思議体験と言っているが、このことは私は長い間不思議な体験だとは思っていなかった。

本格的に不思議体験が始まったのは、一段階目が小学6年の頃の瞬間移動で、第2段階目が20歳頃に読んだ「荘子」の意識(思想)に触れた時だった。
このことは、HPの読み物にある「潜裡眼」やこのブログの中でも書いたと思う。
今だから、不思議体験も分析出来るが、最初から分かっていたわけではない。

中には、どうしても解明も推測も出来ない不思議もある。
実際に不思議体験をしていない人でも、この分析内容をよく理解して行けば、不思議体験というものが遠い縁の無いものという感じも無くなっていくだろうと考えている。
ただ、不思議体験だけは、「それはいつ体験できる?」ということは誰もわからないし、また言えることでもないのである。

不思議体験やそのような感じに触れるには、やはりいつも内的側に意識を向けていた方が触れやすくなるのは当然である。
とにかく、何らかのきっかけでも、このような感じに触れていくことである。
そして、それから次に大事なことは、それをもっと深く知りたいという探求の気持ちを継続させていくことである。

潜在意識に受け皿がないと、送る側も送れないのである。
送る側というのは、あなた自身の魂のことである。
あなたが受け取る不思議レベルは、神側(魂)とあなたの回路(意識)で決まる。
これも私の経験上、はっきりそう言えるのである。

準備の無い意識に、高いレベルの不思議が来ても定着しないのである。

不思議体験分析~これが、生きた潜在意識の勉強になる! 2013/11/11 

今回から、子供の頃から今でも続いている私の不思議体験について、その内容を分析しながら説明していこうと考えている。
これまでにもこのブログの中で、この体験のいくつかは説明して来たが、もう少し詳しく不思議体験の中身の分析を交えながら説明していきたい。
こうすると潜在意識が理解しやすくなるので、あなたの意識も拡大していくだろう。

ここまでの私の人生を振り返って見ると、普通とは違う面白いことに気づく。
私の不思議体験の数は本当に多いので、今では忘れているものもけっこうある。
私は、ごく一般的なこの世を生きる人生と別にもう一つ、不思議な意識の世界という二つの人生を生きて来た。
現在集中している世界はこの世とはまったく別な世界であるから、これからも不思議体験は続いていくだろう。

不思議体験と言っているが、これも数多くの体験をしていると本当にいろいろな種類があり、分類もできるのである。
まず、不思議体験といった感じのものは長い間続いた、またそのような体験は今もある。
そのレベルが上がると、不思議体験というより神秘体験に変わって来る。

これは、あくまで意識レベルで受ける感じだが、それから霊的体験に移動していく。
すべての体験がこのような分け方できっちり線を引けるものではないが、やはり意識の向上に従って内容も変化するということである。
不思議体験が続いていた頃は、ただ不思議だという感じだけだったが、意識レベルが上がると真理、霊界、根源神といったことを意識する体験が多くなっていく。

これらのことは、私は「魂の援助」という言葉で説明している。
何故なら、私がここまで来れたのは、このような体験による導きがあったからで、一度も間違った道や迷いの道に入ることなく真っ直ぐに来れたからである。
この世の人間意識の限界を完全に知ったという意味で、今私は本当に大満足しているということも、これまでに何度か書いて来た。

少しでも、多くの人がこういったことにも気づいてもらいたいと思っている。
この内容を詳しく書くと、多くの質問と大反発が来る可能性もあるので書こうとは思わないが、不思議体験分析を書いていけば何か大事なことに気づけるかも知れない。
一般の人は、この世と自分のネガティブの中に生きていながら、私が本当のことを言うと理解不足のせいで、私がネガティブな見方しか出来ないと思うのである。

本当のことを知る機会があっても、それをしっかり受け止める意識的能力が無いばかりに、その基本も身につけられない、また大きく意識成長することも逃がすのである。
それが不安恐怖の壁で、それは無知な意識の中にしか存在しないものなのだが・・

こういった話は、大多数の人にとっては今不必要なことネガティブなこと、そしてわざわざ不愉快にさせられる話となるのである。
本物、本当に正しいことをいつまで、どこまで遠ざけて行くのだろうか。
徹底的に遠ざけたと思って安心していても、それはずっと自分の中にあるのに・・

不思議体験は、意識勉強の仕方や集中の訓練によって、いずれは何らかの形で体験出来るものなのである。
ただし、これは私の経験で言えることだが、いきなり秘密的な内容の体験が出来るということはない。
物事には順序があるように、不思議体験を理解するにも、それを受け止め分析できる意識能力も当然関係してくる。

では、不思議体験をすることで自分の何が変わるのだろうか。
やはりここが一番知りたいところかも知れない。
不思議体験をすると、すごい霊的能力がつくとか潜在能力が発揮出来るようになると思っている人が大半だと思う。
しかし、それはほとんど無い、といっていいだろう。

このところは、しっかり考え受け止めてもらわないと誤解を生んでしまう。
不思議体験はあくまでヒントだ。
そのヒントを分析し、いかにこれからの自分に生かし発展させて行けるかがカギだ。
そのためにもしっかりとした、本当に潜在意識や真理を知悉した意識が必要となる。

これも段階によるのでそれを説明するのも複雑になるが、大体はこう思っていいだろう。
インスピレーションも、それを受けた瞬間の感じは不思議体験のレベルだ。
この意識勉強におけるインスピレーションは、私はけっこう受けて来た方だが、それでもその後がとても大事だった。

インスピレーションを受けたというだけでは、それまでだろう。
「不思議を体験したい!」そう切望するのは分かるが、まずその体験を生かせる知識や知恵を知っておくのは大事かもしれない。
不思議体験といっても、本当にいろいろな種類があるので、それがどのようなものであるか、まずこれからしていく話から慣れてもらうしかない。

次回から話していく私の不思議体験は、その時感じたこと、思ったこと、そして今それをどのように分析しているかを説明していくつもりだ。
その感じを知ることで、すぐに不思議体験をしなくても意識の受け入れ体制が少しは出来ていくだろうと考えている。
次に、私が不思議体験をして行く中で一番良かったと思っていることを話してみたい。

それは、早くから意識の深い部分に焦点を当てることが出来たということになる。
やはり、子供のころからの不思議体験がずっと続いていたからというのは大きい。
体験による意識的感じもあるが、やはりその世界の分析が一番意識向上の役に立った。

こう考えると、まだ不思議体験はなくても、この意識を知ることだけでも見つめる意識にも幅が出て来るはずである。
ここで、私が自分が人より一番自慢出来ると思っていることを初めて書いてみたい。
それは、今言っている不思議体験の数でもなく、潜在能力でもなく、今出来ていることでもない。

誰に何と言われようと、自分も心底認めている自慢出来ることとは、「工夫力」である。
「なぁ~んだ」といったレベルで、そんなものかとがっかりしたかもしれない。
しかし私は、この「意識の工夫力」で、誰にも聞かずに一人でここまで来れたのである。

体験による「意識の工夫力」についても、いつか話したいと思っている。
意識・・、意識を知って意識を動かすということを知らなければ・・
不思議体験は、ずばりこのところを教えてくれたと思っている。
だから、その体験の意識を分析すれば、何か次なるヒントを得られるはずだ。
私が、潜在意識だけでなく無意識の世界にも、意外にスムーズに入って行けたのも不思議体験のおかげだと思っている。

この段階でも、私は「意識の工夫力」を生かしてうまくいった。
私の意識の勉強の仕方は、今ある宗教や精神世界とはかなり違うと思っている。
でも、意識の勉強も大たいはこれで終わったのだから、別に何も言うことも無い。
過去も、今も、これからもずっと私は意識の世界を生きて行く。

当然だが、人間・・、だけでなくこの世のこともほとんどが意識で説明出来るのである。
意識で読む、私は特殊な方法で未来を読むが、それは予言とかいうものでない。
未来は人間が創るもの、・・その土台となるのは過去、そして今の人間意識以外のものが無いのであるから、それほど大きく読み間違うことはない。

真に意識を理解出来ると、それは自由を知ることにつながる。
私のたくさんの不思議体験は、すべて次なる意識の世界の研究材料として来た。
その内容を疑うのもいいが、冷静に受け止める人は意識向上が早くなるだろう。
意味の無い自分の考えに固執し、それをいつまでも大事にしているようでは、求めるものがどんどん遠のくだけだ。

私がこう言えるのは、そのような観念世界には生きていない、終わったからである。
もちろん、自分が認める意識の世界のことで言っている。
これまでの意識の勉強を土台に、さらに次なる意識の世界を目指していって欲しい。

もっともっと意識の世界を知って行けば、こんなに楽しい世界は無いと感じるだろう。
知らないことがどんどん分かって、その流れで自分自身が益々解放されていくことを実感出来るのである。


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コメント

昨日はセッションありがとうございました。 (moon)
2013-11-18 18:06:52
昨日はセッションありがとうございました。
今回は自分なりに気付きがあってからのセッション という気分でしたが
受けて帰ってからの自分の顔の変化見て、脱帽しました。
あと本日びっくりしたのは捻挫の足が痛まなかった事です。
セッションと生命エネルギーカード 両方のおかげですね ありがとうございます。
しんどくてもこの訓練と勉強に向かうモチベーションは こういう不思議な結果の実感ですね。

moonさん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2013-11-18 21:39:48
moonさん、ありがとうございます。
意識的にも、肉体的にも、良い変化はさらなる向上への情熱にエネルギーを注入してくれます。
勉強と気づきは、この良い変化を実感するためのものです。
こうやって、意識の勉強を面白くしていくのです。
すべてを理解し、生み出す力を知っていくのが、面白くないわけがありませんよね。
また、がんばって行きましょう。