名言・格言

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名言格言 ・・・名言(7)日本、この国の基礎を作った聖徳太子は一体何者? 2008/09/09 

★☆ 名言(7)☆★ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆★

和をもって貴しとなす。

★☆ ・・・・・・・・・ ( 聖徳太子 574-622) ・・・・・・・・☆★
             < 日本の国の基礎を作った飛鳥時代の皇族 >
                      
これは、十七条憲法第一条の始まりの言葉です。
聖徳太子(厩戸皇子)は、今から1400年前に生まれた人ですから、その人物像にもいろいろと謎に包まれたことが語られています。
また、聖徳太子の存在自体疑問視する人も少なからずいるようです。
こんなときは、いろいろな資料にプラスして、波動振動測定と潜在意識から見た分析で推測の角度を少し変えて真実に迫ることも面白いかもしれません。

日本の国の基礎を作った聖徳太子のことですから、私も少し歴史的なことを調べてみました。
今回、初めてこのブログの記事も長くなりますが、聖徳太子を語るにおいてはそれくらい大事なことが多いということになります。
これで聖徳太子の見方や理解も変わるかもしれません。

もちろん、いろいろな説はありますが、深い意識的な観点からみた分析方法も、私の捉え方の一つとして受け入れられてもいいと思っていますが。
早速、聖徳太子の波動振動測定の結果です。
とは言っても、聖徳太子の写真はありませんので、「三経義疏」(さんぎょうぎしょ)の中の一つ、太子の真筆とされている「法華義疏」という書跡から測定してみました。

驚きです。1400年も前の書跡にこれほどの強力な振動が感じられるとは。
まず、わかりやすく説明すると、意識振動レベルはガンジーとほとんど似ています。
この2人の振動レベルはサハスラーラを中心に純粋さにおいても本当によく似ていますが、ただその振動の方向性が違います。

ガンジーは、振動がドンドン奥の方向に無限に広がって行くという感じです。
私の意識も後ろ側に強く引っ張られる感じです。
そして、聖徳太子の振動を少し詳しく表現すると、振動が中心、例えると球の中心部分で強く振動しているといった感じです。
それは澄んだ振動音で純粋なキレイな音になって感じて来ます。

この測定結果ではっきりしたことは、このような意識振動の人は聖者クラスの人だということです。
この「法華義疏」を書いた人が聖徳太子であるかどうかは別としても、間違いなくこのような聖者クラスの人が政治に関わっていたということになります。
はたして、この時代聖徳太子以外にそのような人物がいたでしょうか、いたとすればその人物の名前は誰か浮かぶでしょうか。

次に、十七条憲法について分析してみましょう。
これは、一応聖徳太子が作ったものとされています。とりあえずそのようにしておきます。
この憲法は、誰のために作ったかというと、官僚や役人達のために作ったものです。

その他にもさまざまな目的も含んでいます。
外国の脅威から国を守るため、天皇を中心とした中央集権国家体制を作るため、地方の大小多くの豪族を天皇を中心とした秩序の下に置くため、その他。

ほとんどの人は、歴史上の天才レベルの人たちの話を知っていると思います。
では、聖徳太子の才能についてはどう考えることが出来るでしょうか。

天才なんでしょうか。
まず、19歳で摂政に就任、30歳で十七条憲法を作り、その前の年に「冠位十二階」を制定しました。
このようなことをするにも、太子は儒教や仏教にとどまらず、幅広く海外の諸学問を吸収していたとなっています。

何より学問の深さが、単なる知識としての蓄積でなくそれを十分に生かしたとなっていますが、それが才能とか天才というだけで納得出来るものでしょうか。
これらのことは太子が20代の時に行なったものです。
十七条憲法は、読んでみればわかると思いますが、表面だけで理解すれば、それは官僚のために作ったものだろうとなります。
(憲法十七条 現代語訳 で検索。 短い文章ですので目を通してみてください)

「和をもって貴しとなす」は、「調和であって」とか「バランス意識をもって」という意味です。
特に、「バランス意識をもって」という意味で解釈する方が、太子の思いに近づくことができるでしょう。
「中庸」、仏教の教えにもあるように、太子は意識全体を見つめそれが人間意識のすべての基礎となるように、広く、そして時代の遠くまで見つめてさまざまな改革と国の発展のために、これを第一に取り入れ根付かせようと努力したのです。

普通なら、自分自身の意識を知ることさえ大変なのに、国全体の未来まで考えて次々といろいろな政策を実行して行くということは、それも20代で行なったということは、単なる天才という域を超えるものです。
天才というのは、ある専門分野でずば抜けて秀でている人を指しますが、それが出来たとしてもいくつかの分野に限られてきます。

当時の最高の学問を受け入れそのすべてを徹底的に咀嚼したとしても、時間的制限を考えた場合、全体的深い人間意識的な面の理解まではけっして到達出来るものではないのです。
意識というのは、知識では把握出来るのものではないのです。
こう考えると、太子が天才であるだけでは、幅広くそれも先見の目を持って見通すまでには至らないのです。

意識を意識で把握する限度の拡大のレベルが天才以上でなくては出来ないことなんです。
しかし、それを聖徳太子はやり遂げたのです。
私の言いたいことは、太子はそれが出来る意識構えをすでに持っていたということです。

それは、天才クラスではなく、聖者クラスでなければ出来ないことなんです。
このことは、潜在意識レベル以上の見方をしなければ解らないことですが、本当のことです。
ですから、あまりにも人間離れしているので、聖徳太子の非実在説まで出てくるのです。

この世的な考えから見て行けば、そう思いたくなるのもわからなくもありませんが。
聖者というのは、天才というレベルではないのですから、それが何であるか知らない人はそれ以上のことは考えられないということになります。
聖者は、高度な悟りに達したレベルで、この世の意識を越えた理解(悟り)、超越的な意識状態なんです。

いつもニコニコしている、手から何か出す不思議なことをする、いつも瞑想している、土の中に何日いても平気、聖者はこのようなことに時間を使わないのです。
真の聖者は厳しいのです。いつも人類のために働いて忙しいのです。
聖徳太子の十七条憲法は、ポジティブ意識による理想の政治を目指したものです。

当時のことですから、おそらく太子も官僚が出来るとは思っていなかったはずです。
しかし、その十七条憲法に流れている本質は、日本の未来の個人的意識の目標となるものを残したものだと思います。
現代にも当てはまりますが、当時でいえば官僚がポジティブ意識でしっかり政治をやって行けば、その下の庶民の意識も変わるということを目指したものです。

現代でいえば、国会議員が子供や青少年の教育問題をどうのこうの考えているより、自分たちの政治意識姿勢をしっかり見せ付けた方がもっとわかりやすいだろうということです。
国会議員がいつもいつも保身と我欲にまみれた問題を起こしながら、謝ることも知らない。

そんな政治家は単なる政治の仕事に就いている政治屋さんなんです。
こんな人に、太子の十七条憲法をどう思うか聞いて見たいですね。
おそらく、「そんなきれい事や理想じゃ政治は出来ないよ」と一蹴するでしょう。
私たちは、こんな人を対象に腹を立てている必要はないのです。

自分自身を高めてポジティブ意識の自分になって行けばいいだけです。
十七条憲法をもう一度読んで見てください。
そのほとんどは、ポジティブ意識、バランス意識、調和意識です。
バランス意識と言っても、ネガティブポジティブのバランスではなくポジティブ意識から見たバランス意識、余裕の意識、親切・愛に満ちた意識ということです。

聖徳太子は、このバランス意識を教え、長い眼で日本人の意識に植えつけようとしたのです。
太子はこのバランス意識で、神の国日本にあって、仏教も積極的に取り入れ、この二つを見事にぶつかり合うことなく融合させたのです。
「神道」と、仏教の真理をしっかり奥深くから完全知悉していなければ出来ないことです。

現代の日本人は、神社、お寺、教会とうまく使い分け、あまりにも柔軟に受け入れすぎて、少し曖昧、勝手都合のよさも目立ちます。
しかし、本当のことを知れば、日本人はどこの国よりもポジティブ意識に早くなれる国民だと、私は思っています。
ただ、視点が悪い、そのポイントもずれているというだけです。

もうすこし、自分というものを自覚出来ればです。
そして世に流されることを良しとするのではなく、それこそそれに対して不安を感じるようになれば、自分を取り巻くものが何であるかをはっきり気づくようになると思います。
多くの人は、何か裏の力に、うまく乗せられ流されているということに気づいていません。

ここでは、そのようなことは書けませんが、今の世の中をじっくり観察すれば何か、「これでいいのか」ということを感じることが出来るのではないでしょうか。
日本は、特殊な目的を持った国なのでしょうか。
聖徳太子をはじめ、大事なときにはすばらしい人達(聖者)の力を感じます。

日本だけじゃありませんね、世界各国にも大事なときには聖者方が人としてすばらしい働きをしてくれているんです。
聖者だからといって超能力を使って何かをするということはないのです。
人間が出来ること、自分もみんなと同じ人間として、人間の中で最高な方法を実行して行くだけです。

自分は聖者だからみんなとは違うなんていうことを見せ付けることは何の意味もないのです。
聖者は、行動を通して人間に気づいてもらおうと人間レベルで働くのです。 
感謝です!
うそつき、詐欺師、低級レベル人間だけが、そのような言葉で人をだますのです。

私は波動振動測定でこれからも聖者クラスの人を見つけようと思っています。
私の波動振動測定の基準は、これまで会った、触れた聖者方の振動です。
その他、霊的最高レベルの振動を基準としています。 
これがこの世の最高根本意識です。
どんな人も、聖者であっても根本意識振動はあります。

嬉しいことに悪は見破りやすいです。
この根本意識振動はどんなにがんばっても、芝居を打っても、一時的にもその意識になることは出来ないのです。
当然ですね、最高意識がどんな振動であるかも知らないのに、その意識の皮をかぶることは出来ませんよね。

この世で、こんな真実はどこを探してもないでしょう。
聖者であっても、この世の人の中で働く場合、みんなが思うきれい事ばかりではないのです。
私が過去のある人物を取り上げてその人は聖者クラスだといっても、その人物を批判する人もいるでしょう。

根本意識は、誰もが知っている表向きの人柄とは違うこともあります。
誰だって、自分のすべてをありのままに出して生きている人はほとんどいないでしょう。
みんな、本当の自分を隠したいものです。
ほとんどの人は、毎日自分の仮面を磨くことに忙しいのです。

自分の意識をポジティブ意識にして行けば、仮面自体に気を使うこともなくなりますよ。
私はすべての物事を潜在意識、ポジティブ意識で見ています。
人の考えや意見などは参考にする程度で、ほとんど影響されることはありません。

また、潜在意識、ポジティブ意識で見た方が答が早く得られるものです。
日ごろから慣れることです。そしていいクセをつけることです。
いい波動、振動、ポジティブ意識に触れていくことで自然に自分の意識も慣れて行くのです。
結論として、聖徳太子が実在していたかどうかはそれほど問題ではないのです。

確かに、そのようなすばらしい人物が日本、国民のためにいたことは間違いないということですし、いつも人々のためだけに働くのです。
聖徳太子のしたことすべてを、何人かのすばらしい才能を持った人が協議して行なったということも考えることは出来ます。
しかし、このようなことは複数の意見ではスムーズに運ばないものなんです。

政治の世界を見ればよくわかると思います。
断固たる実行は、いつも絶対的確信を持った一人の人間がいればいいのです。
現代ではそれも難しくなって来ていますが、歴史を見ればこのことにも気づくはずです。
話はまだまだ尽きないのですが、聖者のことですから結局「真理の方向」になるだけです。


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コメント

金子先生こんばんは! (mayu)
2008-09-10 23:22:51
金子先生こんばんは!
いつもご指導ありがとうございます☆
前回のセッションの後はたくさんの気付きがありました。
聖徳太子の意識の話も興味深いですね♪
前回のセッションでついにぐずぐずから卒業して、これから着々とポジティブ方向に進んで行きますので、先生どうぞたくさんのポジティブ意識を私に教えてください。
次回のセッションを楽しみにしています!

mayuさん、こんばんは。 金子(F・H・S ) 
2008-09-11 22:02:29
mayuさん、こんばんは。
あなたから、「ついにぐずぐずから卒業」の「卒業」という言葉が出た
ということは、相当自分に自信が出て来たということですよね。
では、次回から私もそのつもりでやって行きます。
これからは、次の段階を目指した意識の鍛え方が始まります。
意識の分析判断が中心になって行きますので、ボォーとならないように!
それをクリア出来れば、心はいつも青空の下で生きて行けます。
さらに良くなるために、がんばりましょう!

名言格言 ・・・名言(6)植村直己を冒険へと駆り立てた熱い夢のエネルギー 2008/08/18

★☆ 名言(6))☆★ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆★

あきらめないこと。どんな事態に直面してもあきらめないこと。
結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない。

★☆ ・・・・・・・ ( 植村 直己 1941-1984? )・・・・・・☆★
         < 登山家 冒険家 五大大陸の最高峰を制覇 >
                      
「それだけのことだったのかもしれない」、さらりと出たこの言葉の中に成功、成就の大基本が含まれていますね。
やはり何事も「千里の道も一歩から」、そして積み重ねということですね。
この言葉を「冒険家だから当然だろう」、と思わないで、あきらめないという言葉の中にも冷静さという大事な意識力も感じて欲しいと思います。

「あきらめる」という言葉の中にも積極消極の2面があります。
これをうまく使わなければ、あとに残るダメージの大きさにも違いが出て来ます。
ここをいかに見極めるかが、次なる段階、前進の道につながるかどうかの分かれ道なのです。

そのときにジタバタ動揺しているようでは、大事なポイントを見逃してしまうでしょう。
冷静に先を読み、そして今一番何をすべきかを見つめ、一つ一つ超えて行くことがまずやるべきことなんです。
積極的に行くか、それとも抑えるか、どちらもポジティブでもあり、またネガティブにもなるのです。

このどちらを選択するかは、もちろんそのときでなければわかりません。
また、今言えるはっきりとした答えもありません。
人が勝手にいいように話す言葉にも躍らされてはいけません。
根拠のない言葉を信じたり、かっこいい言葉を思い出したりして、その気になってはいけないのです。

もし、そういう場面に直面したなら、真剣に考えて自分なりの答えを出すしかないのです。
積極的であろうが消極的であろうが、それは後でどうにもなることなんです。
積極的にやって失敗すればバカと言われるかもしれませんし、逆に消極的になってもうまく行けば冷静理性的とほめられるかもしれません。

この反対もありです。
あまり表面上の言葉の意味に惑わされず、日ごろから物事をしっかり判断できる読みや視点の切り替えををつける訓練や注意力をつけておくことです。
私自身にしても、自分の性格について若い頃から思っていたことがあります。
自分の良いところは、あきらめがいいことで、また悪いところはなかなかあきらめられないところでした。 

また、逆に、
自分の悪いところは、あきらめが良過ぎることで、また良いところはしぶとくあきらめないところでもありました。
人間、みんなこんなところがあるのではないでしょうか。
はっきりとした境界線などないのですから、意識の自在性を養いましょう。

この他にも、大事なことをマヒさせるようなかっこいい言葉の使い方もいっぱいありますから、その気にならないように冷静にその両面をしっかり考えてみましょう。
願望実現や成功法則などで言われている言葉も、その裏をしっかり考えることが出来ればいい勉強になるでしょう。

何もこのようなものがすべてダメだということではなく、見る角度を変えれば冷静さが磨かれますよ、ということです。
植村直己の意識波動測定です。
いろいろ検索して写真を探してみましたが、防寒具で身を固めた写真が多いですね。

その中で、ようやくポスターになっている普段着の写真を見つけ、それを大きくしてモニタ上で波動測定してみました。
意識測定は、その人の深い思いとか根本意識を読んで行きますので、普段周りの人が感じている性質とは違うと感じることもあるかもしれません。
人は、本当の自分の思いや自分自身そのものは、絶対に出さない人に気づかれないようにしようとするのが普通で多いと思います。

それが自分を支配している意識で、潜在意識とか根本意識にある本当の自分自身です。
私の人物波動測定も、ここの意識を読んで行きます、というか私の意識体で感じるのです。
モニタ上の写真からの波動測定であっても、その感じる波動振動は、本質とはそんなに大きくズレたり間違うということはないのです。

彼の写真から感じたことをそのまま書いてみます。
まず、胸の中全体に強いエネルギーを感じたと思ったら、すぐに上半身の体の中全体にすごい勢いでそのエネルギーが広がって行きました。
そのエネルギーの感じは、夢、希望そのもので、その感じはすばらしく心地のいいものです。

じっとその感じのままでいると、今度はその波動エネルギーの中に熱を感じて来るのです。
彼の思い、夢は熱いのです。 彼の根本意識はそれでいっぱいだったんです。
熱い夢と希望を意識で感じる、これは彼についてどんな言葉をもって説明されるより、彼そのものを感じるものです。

また、今回の意識波動測定で新しい発見を得ることが出来ました。
彼の意識の感じを私の意識で直接感じたとき、私は驚きました。
思いに、意識に、熱を感じる、それが広がって行く。
こういうことは、これまでの測定ではこのようなことは一度も無かったのです。
そして、そのまま集中していると、私の体も熱くなって来るのです。

今回は、心も、言葉も、何か寂しい感じがしました。
物足りない、意識で感じればズバリそのもの、ウソも何もないその人そのものなんです。
彼のこの熱い夢の感じ、エネルギーを感じることが出来れば、誰でも感動すると思います。

もう一つ彼の波動の中で感じたものがあります。
それは、この熱い広がりのずっと奥の方で感じたものですが、それは一つの意識の塊です。
その固定した意識の感じから分析すると、「慎重」という言葉の感じがしました。

その慎重は固定された感じで、ふらつきや動揺するものではありません。
その固定された慎重は、冒険家には絶対必要な冷静さにつながるものかもしれません。
あまりにも差のあるこの2つの意識の極端さも面白いですね。
意識で見る彼のホロスコープも出して解読してみました。

ホロスコープにも、この意識の極端さは強力に出ています。
両方とも意識で見るものですから、彼の意識分析ついては本当に合っていると思います。
人一番夢もでっかいが、その反面冒険に出る前は、人一倍慎重な面で彼は葛藤していたかもしれません。

でも、植村直己は自分の根本意識である熱い夢の方がはるかに大きく勢いがあるのですから、結局はどんどん冒険に出ることに駆り立てられるのです。
彼は、マッキンリーで消息を絶って帰らぬ人となりましたが、私はここで彼の夢の熱さの先にある何かときっと出会えたんだと信じていたいですね。
植村直己は、表向きは冒険家という肩書きを持っていますが、実は自己探求者だと思います。


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コメント

先生♪ご無沙汰しています。 (セッキー)
2008-08-23 23:55:45
先生♪ご無沙汰しています。
毎日がジェットコースターに乗っているような生活を送っていますが、常に毎日が”意識”を高めるための”選択”が大切なのだと感じました。
『日ごろから物事をしっかり判断できる読みや視点の切り替えををつける訓練や注意力』
少しづつ芽生え始めましたが、まだ元気がないようなので、目をかけてあげています♪家族で少しハプニング~があってそちらには今は行けませんが、僕が家族の太陽になって頑張れる意識力つけていきます。

セッキーさん、お久しぶりですね。 金子(F・H・S)
2008-08-25 13:05:37
セッキーさん、お久しぶりですね。
あなたはまだ若いから、しばらくはデータ集めです。
いろいろなことが出て来ることは大変なことだと思いますが、どんなこともあなたの意識力を高めるために役立ちます。
難しいかもしれませんが、生きた材料と真剣に向き合いましょう。
死んだ何かを相手にするのではなく、「旬」を相手にしてください。
意識の勉強は、本を読んでいるだけではダメです。
日常、仕事の中が最高の訓練であり勉強になります。
これがわかれば、意識力の本当の意味もわかってきます。
また、たくさんの質問を用意して来てください。

名言格言 ・・・名言(5)もう一度人々のために戻ってくる偉大なる魂 マザー・テレサ 2008/08/06

★☆ 名言(5)☆★ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆★

(1) 自分のことへの思い煩いでいっぱいだと、他人のことを考えるひまが
     なくなってしまいます。
(2) 愛されることより愛することを。理解されることよりは理解することを。

★☆ ・・・・・( マザー・テレサ 1910-1997 )・・・・・・・☆★
        < 修道会「神の愛の宣教者会」の創立者 >

マザー・テレサのことは、今ここでその偉業を並べる必要もないと思います。
彼女も内からの霊性である「信じる力」による自分の使命を、貧しい人々のために自分の今生の働きとして遂行した人です。
今回は、マザー・テレサのたくさんの名言から2つを載せてみました。
この2つの言葉は、心の深い部分で密接に関わっています。

(2)の言葉は、並べ変えた方がしっくり来ると思います。
「理解されることよりは理解することを。愛されることより愛することを。」
では、潜在意識レベルでこの言葉の意味を説明してみたいと思います。
人は、いつも悩みや心のゴタゴタで心の中がふらつき定まっていないと、自分のことで頭がいっぱいになり人の事などは考えていられなくなります。

自分のこともスッキリさせられないでどうして人のことまで。
誰でもこんな状態になった経験はあると思います。
自分のことで精一杯状態では、何をするにもまったく余裕などありません。
冷静に落ち着いた人から見れば、話もまともに出来ない人と思われているかもしれません。

自分のことで精一杯の人は、自分以外のことなど遠く意識的な距離があることにもほとんど気づいていません。
他人のことを考えるヒマがないというのは、言葉でも態度でも、その他ちょっとしたことにも鈍感になり注意力も欠けてきます。
相手のことを思いやるとか少しでも理解しようとか、わかろうという気持ちも持てないというのも流れから言えば当然だと思います。

またこれとは逆に、自分自身いつも戸惑っていながら、人には異常に気を使う人もいます。
これも別な見方からすれば、相手のことを理解しわかってあげるという気持ちから離れています。 
一見人のことを理解しているように見えますが、自分自身の意識的弱さがそのような行動をさせているだけなんです。

自己犠牲精神だけでは自分の意識向上はありえません。
自分自身、冷静に相手のことを見る余裕がなければ、自分は節穴意識となります。
意識的にいろいろと深いことを知って実践して行けば、このようなことはなくなります。

自分に余裕が出来れば、相手の言葉、しぐさ、行動、などからいろいろなことが分って来るものなんです。
もし、相手のことを理解してあげられたら、そして自然にやさしい態度で接することが出来るようになったら、それこそあなたの中からやさしさ、親切、愛の波動が出て行くでしょう。

自分の意識を知ることによって、相手のことも理解出来るようになるのです。
これが対人関係をスムーズに乗り越えていく基本です。
自分を理解して欲しい、の前に、自分を知り人の意識を知ることの努力です。
自分をわかって欲しいと望むのも理解出来ますが、やはりお互いに理解し合おうとするほうが気持ちも通じます。

理解し合うことはなくても、あなたが余裕で相手のことをわかればいいだけかもしれません。
では、愛されることを望むということはどうでしょうか。
愛されることばかり望む人は、いつもその度合いが気になり、また相手の愛で自分の感情も変化させるようになるでしょう。

人の愛を見てその度合いで動くのではなく、まず人を愛せる自分になることです。
人に表現した愛情は、自分の内からくる誠実な愛の表現でなくてはなりません。
相手がどのように反応しようと、また期待した反応が得られなくても自分の心から出て来た愛は本物なんです。

「愛の表現」とは、自分にどのくらい愛があるか、強いかがはっきり解るということです。
それは人の評価で決められるものではなく、自分だけがわかるものなんです。
「愛」は人の愛でその本質がわかるのではないのです。
マザー・テレサは、「愛」と自分の愛を完全に知っていた人です。

マザー・テレサやこの世界に使命を持って生まれやり遂げた人の言葉には、このような「愛」が含まれています。
名言の深い意味を探る時は、このことも頭に入れて考えてみてはどうでしょうか。
ネット検索から、マザー・テレサの写真による意識振動測定と分析です。

サハスラーラの意識振動は、高級意識の表現で間違ってもネガティブな人にはありません。
マザー・テレサの意識振動は聖者クラスのサハスラーラ振動からの広がりがあります。
そのサハスラーラ振動音は柔らかく美しく心地いい純粋性を感じます。

しかし、ただ一つだけ、胸のあたりに一点の曇りがあるのが気になります。
意識分析の見方からすれば胸のあたりにある曇りは、それは霊的なものではなく物的レベルのものになります。
「エエェ!マザー・テレサに物的な何かネガティブがあるの!?」となりますが。

一体これは何を意味するのでしょうか。
波動振動測定と霊的推測でマザー・テレサの意識を読んで見たいと思います。
物的レベルというのは、この世の何かに対する未練や執着を意味します。
彼女の晩年、それも80歳過ぎてから心臓病や頚椎骨折やマラリヤにかかるなど、健康状態はかなり悪化していました。

私がマザー・テレサの意識的な胸の曇りについて霊的意識による同調推測をした結果、彼女の思いが感じられました。
マザー・テレサほどの人が、この世に対する未練執着が単なる物やお金や、また名誉などというものであるわけはありませんし、また絶対ないでしょう。
この世的な彼女の胸の曇りは、人々をもっと幸せにしたい、平和の世の中にしたいという強い使命感から来るものです。

彼女は、自分の健康の問題もあったかもしれませんが、老いていくなかで完全に自分の仕事、働きをやり遂げたなどとは思っていなかったはずです。
どうにも出来ない人間の一生というその限定限界が、彼女自らの使命に対する自己達成感の結果的不満となっていたと推測します。
私はどうしてもこのように無意識的なところで感じるのです。

本来なら、マザー・テレサは、この世に2度と生まれ変わることのない意識レベルです。
しかし、マザー・テレサはもう1度この世に生まれ変わって来ます。
自分の強い意志で、やり残したことを完全にやり遂げるために、また使命をもってこの地球に生まれて来ます。

人々の真の幸せと、人類の平和のために!
ただそれだけのために、今マザー・テレサはもう地上のどこかに生まれているでしょう。

名言格言 ・・・名言(4)超集中力人間! アインシュタイン 2008/07/13

★☆ 名言(4)☆★ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆★

人間の邪悪な心を変えるより、プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい。

★☆ ・・・・・・( アインシュタイン 1879-1955 )・・・・・☆★
         <ドイツ出身の理論物理学者>
                      
今回は、「相対性理論」で有名なアインシュタインの言葉です。
この言葉は、この世で一番難しい問題は何かについて言っています。
「邪悪な心」イコールネガティブな意識です。
この心が人間の意識から外せないために、過去の歴史は戦いの繰り返しでした。
今はどうにか平和な状態ですから、このチャンスに自分のネガティブ意識を少しでも外しておきたいものです。

アインシュタインは、次のようなことも言っています。 
「無限なものは二つあります。宇宙と人間の愚かさ。前者については断言できませんが」宇宙は無限だとは断言できないというより、宇宙は有限です。
また、人間の愚かさも有限、というより狭い無智な限定観念から抜け出せないためです。

アインシュタインは知っていたのでしょう。
人間の愚かさ(無智・ネガティブ)は無限イコールそのくらい深いということを。
科学文明は驚異的に発達しました。
確かに20世紀そして現在もそうですが、その急速な発達は目を見張るものがあります。

では、人間の意識はどうでしょうか。
ここ10年くらいで、ようやく精神世界に関することも多くの人に受け入れられるようになって来ましたが、それでもまだまだでしょう。
逆に今は、その種類の多さに何が本当か混乱しているかもしれません。
善いものに触れていても、内的に混乱しているようでは、これもネガティブです。

アインシュタインが言っているように、人のネガティブ意識を変えるということはかなり難しいということになります。
人間はそのネガティブから抜けだし、浄化した意識になるためだけに輪廻転生を繰り返しているのです。
物的で狭小な輪廻転生の世界を超えた意識の自由な世界が永遠に続いているのです。

アインシュタインが残した言葉はたくさんありますが、いつかこのたくさんの言葉を潜在意識的に分析してみたいという興味もあります。
やはりいい発想は、ポジティブで自由な意識からですね。
私たちは、他人の邪悪な心まで変えることは出来ません。
一人一人が自分のネガティブ性に気づき、ポジティブな自分に変えて行くことによって、他の人にいい影響を与えられるだけです。

社会が、誰かがいつか何とかしてくれる、これではいつまでたっても自分を良くしていくことは出来ません。
他人のネガティブがどうのこうのでなく、まず自分自身から良くなることです。
良くなるというのはポジティブ意識になって行くことです。
現在の社会情勢や今後の世界的に予測のつかない変動を考えると、自分自身が強くならないと益々苦しくなるかもしれません。

話が少しそれましたが、アインシュタインは邪悪な心よりプルトニウムの性質を変えることのほうがやさしいと言っています。
ネガティブ意識は根が深いので、本当に真剣に自分と向き合わないといけません。
アインシュタインは、人間のこういった面まで深く感じていたのでしょう。

確かに大変かもしれませんが、でも決してその方法が無いわけではありません。
私は今まで書いてきた読み物の中で、心は物に近いという意味で説明したこともあります。 
それはどういうことかと言いますと、霊的側から見れば、心はネガティブの影響を一番強く受けるから、という意味です。

この世、物欲、心がネガティブの生きられる世界ということです。
アインシュタインの相対性理論に、「空間が歪む」という説明がありますが、人間の心の場もネガティブで歪んでいますね。
せめてネガティブブラックホールに吸い込まれないように注意です。
私は今「第三の目の世界」というサイトを作成中で秋ごろにはアップしようと考えています。

そこでは、いろいろな人の意識振動分析を載せて行くつもりですが、このブログの名言の中でもこの分析を載せてあとでリンクしようと考えています。
そのサイトでは、名言の潜在意識的解説はありませんので、ちょうどいいかもしれません。
いろいろなものの分析がありますので、相当面白い不思議な世界になると思います。

アインシュタインの意識振動分析です。
分析資料は、ネット検索で探した写真2枚と自筆の文章の写真1枚です。
本人の写真から感じたことです。
まずいきなり胸の中に強力に押し寄せて来る波動を感じ、それがすぐに頭部まで上がって広がリ、その感じは強力に残ります。

その感じは強力な波動で、しかもなかなか気持ちがいい、ポジティブ意識です。
頭部での感じは、アジナに強力に集中があり、またそこから額の辺りの全体に強力な波動としてその場を占めています。
2枚目の写真は、彼がこちらを向いて黒板に何かを書いている写真ですが、これを見たあと、私はまた初めての意識振動の感じを得ました。

私自身、サハスラーラからいつも振動音を感じていますが、アジナから振動を感じたのはこの写真を見た今が初めてです。
アジナの振動は日本でもすばらしい人はいますが、アインシュタインはそれ以上で凄いというしかありません。
アジナは、顕在意識の集中点です。

ここから振動音を発するということは、今まで私は考えたことがありませんでした。
また一つ、凄いことを覚えた、得した気持ちです。
その感じに同調していると、頭の中がすっきりしてきます。
このまま、頭が良くなって行けば最高なんですが、疲れた時はこの写真に同調してみますか。

日本でこのアジナ集中で最高の人は、またいつか話すことがあるかもしれません。
とにかくアインシュタインの思考は、例えば10面体のミラーがあるとすれば、それが外に反射しているのではなく自分のアジナに全部同時に集中させる思考が出来るということです。

これは、アインシュタインが言ったのではなく私がそう感じただけです。
アジナに集中する振動の交差を感じると、このような表現になります。
次は、彼自筆の文章ですが、この写真からも今言った同じアインシュタインの意識振動を感じます。
同じような意識振動が入っているのですから、間違いなくアインシュタインのものです。

意識振動からみれば、どんな偽物もすぐばれてしまうものです。
この潜在意識振動分析を使えば、本当にいろいろな世界が広がって来ます。
これから先いろいろなことがわかって行くと、物事を見る基準も大きく変わって行くかも知れません。

名言格言 ・・・名言(3)女性聖者?フローレンス・ナイチンゲール 2008/06/30

★☆ 名言(3)☆★ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆★

進歩し続けない限りは、後退していることになるのです。        
目標を高く掲げなさい。

★☆ ・・・( フローレンス・ナイチンゲール 1820-1910 )・・☆★
      <イタリア生まれのイギリスの看護師。近代看護教育の生みの親>

ナイチンゲールは富裕な家庭に生まれながら、自ら厳しい仕事を選択し、それに自分の人生のすべてをかけた人です。
その功績は、多くの人々に大きな感動と希望を与えました。
彼女は自ら志願して看護婦団を組織して戦場(クリミア戦争)におもむき、傷ついた兵士の看護にあたったのです。

彼女は、当時の戦場での働きぶりから「クリミアの天使」とも呼ばれました。
看護師を「白衣の天使」と呼ばれるようになったのも、すべてナイチンゲールの働きに由来しているようです。
ナイチンゲールの潜在意識に焦点を当てて見ると、相当強い意志の持ち主で、それはとても女性的とは言えません。

何か霊的な強い信念で固められ、「絶対意識」それを通せるものを持っていた人です。
検索で彼女の写真と直筆の手紙を発見したので、ついついその波動測定したくなりました。
ナイチンゲールの意識的振動は、聖者クラスのものです。

サハスラーラから聖者意識に共通の方向に広がる彼女の意識振動は、少しレベルが高いというものではありません。
手紙から感じる意識振動は、アジナ(下垂体)の集中力がとても強く、ハート、自分の思いを強く言葉に込めて書いていく性格と感じました。
この振動からもかなりの集中力の持ち主であったことがわかります。

その集中力の振動は、奥のサハスラーラと関連して、2つの振動レベルは相当高いものです。
ガンジーと同じで、このような意識振動がある人は、生まれながら今生での自分の働きが決まっている感じがします。
守られているんですね、危険が迫っていても。

最後まで自分の任務を通して行き、そして完遂するという霊的な使命みたいものを感じます。
その時代背景を考えても、また女性であるということでも、、余計すごい!と感じます。
彼女は、生涯を通して前向きに努力と挑戦を重ねて行きました。

結婚もあきらめてまで人のために奉仕する生き方は、多くの人はもちろんですが、特に女性の方はかなり勇気付けられてきたと思います。
今回の名言は、ナイチンゲールの思いがよく浸透していると思いました。
おそらく看護師を目指した頃から、いやもっと幼い頃から、本人はすでにこのような意識は強く感じていたと思います。

「進歩し続けない限りは、後退していることになるのです。」
人が見落としがちなちょっとしたネガティブな落とし穴を言っています。
ある目標に達したとき、これでいい、少し休もうとしてそのままのんびりした生き方をしてしまうことを注意しています。
成長し続けない限り、達したレベルの状態を維持して行けるということはありえません。

それは見えませんが、感じることも出来ませんが、時間と共に後退していることなんです。
筋肉も鍛えないでいると、どんどん弱って行くのと同じです。
脳も意識も働かせないと、必要のない回路はどんどん閉鎖されて行くので注意しましょう。

「目的を高く掲げなさい。」
2段構えの目標設定がいいでしょう。
一つは一生の目標、そしてもう一つはその間に達成できる段階的目標です。
一つの目標が達成しても、さらに高い目標があるのですから、それがある限り目標がなくなって迷うということもなくなるでしょう。

ナイチンゲールの真の思いは、次のことからも読み取れます。
彼女は「クリミアの天使」とか、そのようなイメージで見られることを喜んでいなかったようです。
それに対する本人の言葉としては、 
「天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である」ということのようです。

現代の癒し系の天使とは程遠い感じですね。
「この世に生まれ持った使命」は、本質レベルではキレイ事は少ないようです。
ナイチンゲールは自分の体がボロボロになるまで、徹底して人々のために働きました。
人が何と言おうと、彼女の行動がはっきり示しています。

晩年は病床に伏してしまったのですが、きっと、やることはやったという満足感はあったのではないでしょうか。
忘れてはならないのは、彼女の下で働いた女性達もすばらしい意識レベルの人達です。
ナイチンゲールは、女性の聖者の一人かもしれません。

聖者かどうか、それに近い人かどうか、そのような意識レベルの中にいる人かどうかは、外側だけでは判断出来ません。
意識振動で知るしかありません。 
意識振動までだませる人はいないのです。
また、この世的にはその必要もないでしょう。

ついでに、目標達成について一言。
よく願望実現などで成功した人の話がよく引き合いに出されます。
いろいろ良いことがたくさん書いてありますが、でもそれだけでは参考になりません。
自分との能力や意識、そして関わる環境すべてが違うのですから、人の頭で考えても大して参考にはならないのです。

成功した人たちに共通して言えることは、自分の目標に向かって真剣にそしてあきらめず、自分の楽しみまでも捨ててやり抜いて行ったということです。
あとはその目的にどのくらい集中出来るか、どのくらい時間をかけられるかですね。
24時間ありますが、これは自分で決められます。

自分をよく知って、自分が出来ると思う目標であれば、どんな人もそれは達成出来るのではないでしょうか。

名言格言 ・・・名言(2)マハトマ・ガンジー(意識振動レベルを測定すると!) 2008/06/10

★☆ 名言(2)☆★ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆★
 
弱者は決して許すことができない。許しとは強者の態度である。
           
★☆ ・・・・・( マハトマ・ガンジー 1869-1948 )・・・・・☆★
       <インド独立の父、、偉大なる魂と呼ばれている>

ガンジーが言う弱者とは、他人でも大事に思う気持ちを持てない人のことです。
今の時代、他人を大事に思うというのは大変なことかもしれませんが、せめて人に対するやさしさや思いやりの気持ちは失ってはならないでしょう。
強者とは、純粋、親切、優しさ、愛で接する人のことです。
一般的に純粋意識という言葉を使うと、心の中で嘲笑する人も多いでしょう。

本質レベルによる見方では、この世の見方とは価値観が根本的に全く違います。
純粋に勝てる人間は、この世には誰ひとりいません。
本物の純粋は、本当の力を知ることになるからです。
それは霊的法則、神、真理に近いものですから。
イエスが言った、「汝の隣人を愛せ」とまでは言いませんが、根本的生命や意識の根源では人間みな一緒で平等です。

仏教でいう慈悲も、その根本には大いなる「愛」があるのです。
単なる同情哀れみを超えて、深い意識からくる、相手を思いやるそして大事にしたいと思う気持ち、魂に触れようとする気持ちです。
これが純粋であり愛なんです。
これが本当の「純粋なる愛」です。

この世においては、すべての人にこのような思いで接するのは難しいというのも事実です。
しかし、自分の根本意識には、「純粋なる愛」という意識は持ち続けたほうがいいでしょう。
何故なら、それは結果的に自分にプラスに働くからです。

すべて、いつでも自分と自分の神の関係だけは第一に考えていないと、いつまでたっても意識成長はできないでしょう。
イエス、釈迦、聖者方は、みんな超純粋です。
純粋意識は、神の心(エネルギー)の表現です。
真の純粋というのは何か、あなたは今、何となくでも感じられますか。

ガンジーは、高い意識レベルの人で、死を超えていました。
純粋意識に死などあるわけありませんから。
この意識に、人間であれば誰でも近づけます。
近づくにつれ、自然に愛(エネルギー)に満たされます。
そうなれば、赦しは当然な行為となるでしょう。

人間社会には法律による裁きはありますが、私たちの意識では霊的赦しで神とつながります。
「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉もありますが、これも「愛」から来るものです。
真の強者は、純粋、愛そのもので余裕です。

愛のない者が、真に赦すということは出来ないのです。
強者の態度というのは、純粋意識の表現ということです。 
これは宗教とは全く関係のないことです。 
ガンジーは、霊的意識が何であるか完全に知っていたと思います。
どんな偉人賢人といわれても、視点を変えればガラッと違う面がクローズアップされます。

しかし、正しい判断をするには、その人の潜在意識、そして行動を見ることが大事です。
それが一致していれば、その人自身となります。
私たちの周りにいる人にも、当てはめてみることも出来ます。
(今回だけ、その人特有の意識振動測定による分析をしてみました。)

意識振動測定はいろいろなものから出来ますが、今回はウィキペディアにある写真に集中して行ないました。


ガンジーの意識振動測定です。
私が知っている限りの聖者クラスの意識振動の中では、ガンジーの意識は大聖者クラスです。
聖者と言われている人はいろいろいますが、その中でも意識レベルもまちまちです。

サハスラーラが振動しているのは、聖者クラスでは当たり前ですが、その振動にもいろいろな感じ(種類)や質があります。
大聖者には、サハスラーラからの意識振動の質や動きの方向に特有のものがあります。
インドの聖者ということで、他にも数人調べてみました。

ラーマクリシュナ、ラマナ・マハルシ、シルディ・サイ・ババです。
聖者方ですから、どの方もすばらしい意識振動ですので順位をつけることはどうかですが。
しかし意識振動から言えば、他の聖者方の意識振動なども参考にしますと、その大悟のレベルが振動となって感じます。

ガンジーがトップレベルで、あとは書いた順ですばらしい意識振動を発しています。
サティヤ・サイ・ババについてですが、彼はシルディ・サイ・ババの生まれ変わりと言っています。
生まれ変わりの場合は、前世の意識レベルを継続しているか、また今生では修行でさらにすばらしい意識振動になっていくものです。

サティヤ・サイ・ババの若い頃の写真と現在の写真の意識振動を読んでみました。
不思議です。サティヤ・サイ・ババも長年、修行をして来たと思いますが、、
どうして現在の意識振動が若い頃より濁っているのでしょうか。
ダライラマ14世は、私の意識的読みではサティヤ・サイ・ババより少しレベルが高いです。

この2人のサハスラーラ振動は、驚くほど強くありません。
だからといって、悪いという意味でもありませんので、その点は勘違いしないでください。
現在もいい仕事をしているのですから、それは多くの人々のために力を与えています。

ただ、サティヤ・サイ・ババの意識振動を読んでみると、聖者と言われている振動とは少し違うと感じました。いろいろ深いことまで読めますが、一応この辺にしておきます。
私はこれから、土地、作品、人など、その他たくさんのモノの振動を研究して行きます。

2000、3000とその測定の数が多くなるにつれ、その的中率も高まって行くでしょう。
聖者クラスの振動から低級心霊波動まで、様々な波動振動のデータを意識化して行きます。
人は心や口ではいくらでもウソをつくことはできます。

しかし、自分の潜在意識までだませる人はいないでしょう。
私はその潜在意識にある振動を読んで(感じて)行くのです。
隠されていた、また適当にされていたいろいろなことが明らかになって行くでしょう。
これから、私の長年のサハスラーラ(第3の目)の訓練の証拠を見せられるかも知れません。

精神世界に新しい人間意識に潜む潜在能力の世界が表現されます。
曖昧から抜け出た本物意識が何であるか、私の言って来た意識の通る道が明されます。
魂(神)に向かう意識の道を、サハスラーラ瞑想集中と共にたくさんの人が目指せるように、解りやすい道も考えて行きたいと思っています。

名言格言 ・・・名言(1) ヘンリー・フォード 2008/06/02

以前メルマガを発行していたときに載せていた「潜在意識からみた名言格言」の復活です。
これから毎回ではなく、いろいろなテーマの間に入れて行くようにします。
メルマガに出していた時は、私自身いろいろな名言格言を潜在意識的に深く読んで分析したり、それから役立つ話に展開していくのもけっこう面白く楽しくやっていました。

名言格言も視点を変えてみればかなりプラスになりますので、なかなか捨てがたいと思い、このブログでもう一度続けて行くことに決めました。
潜在意識から見た分析ということですから、このブログに載せた方がピッタリかもしれません。
もっと深い分析解釈で、ちょっと難しくそして面白い内容になりそうな気がします。

メルマガを出していたときに載せていたものも、少し手を加えてもう一度載せて行きます。
まだ読んでいない人もいると思いますので、一から始めて行きたいと考えています。
出来るだけ意識の勉強になるように、このブログに書いてあることと関連させて行きます。

意外にいろいろな発見や気づきがあるかもしれません。
角度を変えて見つめ考えることによって、あなたの思考も柔軟になって行くかもしれません。
ただ一つだけ理解して欲しいこともあります。
ここに載せる偉人賢人の言葉は、私が直接その人の本を読んで書いているのではありません。

とりあげる人物を検索して、ウィキペディアや目に付いたサイトの内容を元に、私なりにその人物の意識を想像推測して書いています。
ですから、もしかすると事実とはかけ離れた点もあるかもしれません。
でも、少しそうであっても、それほど遠くかけ離れるということはないと思っています。
この点は、了解してください。

★☆ 名言(1)☆★ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆★
  
事実がたとえわかっていなくとも、とにかく前進することだ。       
前進し、行動している間に、事実はわかってくるものだ。                                             
★☆ ・・・・・( ヘンリー・フォード 1863-1947 )・・・・・☆★
        <アメリカの実業家・自動車の育ての親>

人は壁にぶつかると頭も体もブレーキがかかってしまい、次の一歩が出にくくなります。
人それぞれそのつまづきの大きさは違っても、こんなときは体だけでなく心まで非常に重く感じてしまうものです。
この重さにだまされてしまうんですね。

潜在意識はとても不思議なことを私たちに感じさせてくれます。
心は重さなんて感じるはずはないのですが、何故か重く感じますよね。
こんな時は、本当に何にもしたくない、一歩動くのもイヤだ、立ち上がることさえ大変に感じるものです。
このままだと、本当にうつ病になってしまいます。

私も今までこんな感じになったことはたくさんありました。
でも、今はこのヘンリー・フォードの言葉はよく解ります。
彼もたくさんの辛い経験からこのような事実を発見したと思います。
彼はとりあえず何でもいいから行動することだと言っています。
それも前進すること(ポジティブ方向)だと言っていますね。

とりあえずは前進でなくても、気分転換でもいいと思います。
こういう時、私の場合は、頭の中を前向き思考状態にさせてしまいます。
意識的集中も、思考がマヒ状態でも、何か気づこうとする状態のアンテナは張っています。
そこには、あきらめるといった言葉や無理という気持ちは絶対入れません。

こんな状態でも、何か一つでもヒントが来るまで続けるのです。
とことん壁に向かって、気持ち的にふらふらになっても壁の中に入って行こうとします。
これが、ヒラメキやインスピレーションを得る方法なんです。
本当は、こうでもしないと、意識が自我から離れないとイイモノが来にくいのです。

瞑想で集中する方法もありますが、このほうが自分の意識は自然に鍛えられるのです。
考えようでは、一石二鳥です。
これが軽ウツ状態でありながら意識はポジティブ方向です。
今度、このように何にもしたくない、体も動かせないと思った時は是非試してみてください。

徹底的に悩んで、そして考え抜いて、無意識状態になってそれでも集中です。
こうやって感じて行くんですね、潜在意識の世界は。
自分が何に躓いているか、本当につまづいているモノをじっくり探してみます。
それが単なる感情的なことか、仕事のことか、それとも自分自身の内面的なことか、その原因となるものを、なるべく深い部分ではっきりさせなければなりません。

次はそのはっきりしたことについて、これも徹底的に思考します。
考え抜いてください。
なかなか答が出て来ない。
あなたの頭は考え抜いているせいで思考
こんな気持で、とりあえず余計な事を考えずにいるのもいいでしょう。

このとき、自然な気持ち、ゆったりとした感じになっているといいでしょう。
このことも大事なことなんです。
すべては強い集中だけではダメなんです。
本当に必要なのはリラックスで、それも深い意識的なものです。
このリラックスの瞬間にいい答が来るのです。

確率的に言えば、私自身の場合こういうときが一番多く来ました。
何でもあきらめずに、いろいろやってみることです。
自分なりのコツ、感じは、いろいろ試して苦労してみなければ解ることはないでしょう。
2、3回などは数のうちではありません、5、6回もです。

10回、20回は当たり前くらいの気持ちであれば魂からの援助があるかも?です。
落ち込んで黙って沈んでいても、決して良い答えはやって来ません。
中途半端に落ち込んでいるだけだから、体も心もどんどん重くなるのです。
考え抜いても、すぐには何も出て来ないかも知れませんが、それでもあきらめずに!

欲しいのは、気づき、ヒラメキ、インスピレーションです。
中途半端にすべてを出し切らない思考をしているから、まだ変な余裕があるから、自分の内にある宝庫から良い発想が出て来られないのです。
表面的な「心の余裕」というのは、ほとんどはネガティブなんですよ。
本当の余裕は、もっと深い意識から伝わってくるものなんです。

私はいい発想が欲しい時は、まず自分の「心の余裕」を潰しにかかるのです。
いつも同じような悩み方をしていないで、別な方法をチャレンジしてみましょう。
壁になるような大きな悩みなんて、そんなにしょっちゅうある訳ではないのですから、こんな時は新しいことにチャレンジするいい機会だと思いましょう。

「とにかく前進、行動」というのは、何も体だけ動かすことを言っているのではありません。
思考で言えば、いつも同じような考えかたをしているな、ということでもあります。