生命意識に生きる

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生命意識に生きる(42)~真剣に、「神が何であるか」を知るときが来た! 2011/06/10

 
3月の大地震、大津波、原発事故などによる多くの人が目の当たりにした悲惨は、人々に複雑な感情と心の中から何かが崩れ去っていく感じがしたのではないでしょうか。
私は、人々の心を折るような災害や事故は、神の法則と人間のネガティブ性が結果的に同時に表れたと思っています。

必然の因果法則が、これからは容赦なく人間に襲いかかって来る時代に入ったでしょう。
「神様、仏様」といって祈っている人達は、この結果をどう捉えているのでしょうか。
まだ、いやさらに、「神様、仏様」と心の視線を天に向けて祈ることしかしないのでしょうか。

しかし、今回の大災害、こんなことは始まりです。
これからどうなって行くか、じっくり世界の動き、それは人間意識と自然ですが、それをじっくり研究するように読んでいけば、この先の世界がどう転がっていくかは理解出来るはずです。
今からでも遅くない、どころか今動かなければ、あとはあきらめの中で最後まで行くしかないでしょう。

最後とは? それを言っても信じないでしょうが。
大多数の人間がやって来たことは間違っていたのです。
歴史から何も学んでいないのです。
ネガティブ意識の人類が一つになって平和を造ろうということは、何かの仕掛けですか。

平和が第一ではないのです。
平和は、真の神意識の理解の段階で自動的に生まれる副産物程度のものなんです。
人間同士、お互いに尊重し合い、信頼し合うことで生まれる満たされた意識があれば、平和などただの言葉に過ぎないのです。

いつも未来に期待し、何かが良くなることだけを夢見て何もしない結果が、これから多くの人々が直面させられることなんです。
私は、このブログで時々書いて来ました。
今、幸せなときに、少しでも安定しているときに、また何も起こらないうちに自分の意識を高めることをしておいた方がいいと。

1年でも2年でも、すでにこの勉強をしている人は、このような事態でも内的意識はしっかり先を見ることが出来ていると思います。
幸せ、人生の安定を、競争の中で掴み取る、そんなことに夢中になって引き換えに大事なことを失って来たのです。
だから、これからはこれでもか、という感じで、神の愛、仏の慈悲で人類を目覚めさせてくれるのです。

自己意識の気づき、向上、進化には努力が必要なんです。
歴史の流れと共に生きて来た私たちの意識には、無意識にこびりついたネガティブを、それが人間というものだと正当化して来た結果を、そしてそれが本当に正しいかどうかを各人を通して判断を迫られる時代に入っていくのです。
いいですか、のんびり考えているヒマはないのです。

私達は、ちょっと前の幸せな時代と比べてみると、今は手と足を縛られた状態にあるのです。
しかし、目と耳はまだしっかり使えるのです。
これまでは、イエスも言っていたように、ほとんどの人は「目があるが見えていない、耳はあるが聞こえていない」という状態でした。

要するに、見ようとも聞こうともしない、そんなヒマなど無いという心理状態のことです。
これは、真理、霊的法則のことを言っています。
本当に大丈夫なのか、今の日本人は何も分からない、何をしていいかも分からない、そういう自分でありながら、無知のままの自分を突っ張ることは一人前。

長い間の平和ボケ、ネガティブのワナにまんまと引っかかった心的マヒ、みんなと一緒であれば安全、日本人特有のみんなで共有の暗示的安全意識神話が理想的平和を作るものとして来たのです。
これがこれからは結果として出て来るのです。
無知が世界を覆っているネガティブ暗示、ネガティブのワナです。

最終的にここから脱出する以外、自分のネガティブから脱皮する以外、真の平和は来ないということがどうして気づかないのか。
何に期待して、何をいつまでもただじっと待っているのか。
神が何かしてくれるとでも思っているのでしょうか。
神をグッズとしてしか見ない、テクニックで何とか自分の都合のいいように働かせようとする心を神が知らないとでも、それにひっかかるとでも本当に信じているのでしょうか。

はっきり言って、この世のほとんどの人には神は援助しません、今の意識では・・
今の宗教も精神世界も、私は神を軽く都合よく見るなと言いたいくらいです。
どっちにしても、神はこの世には何もしないから同じことですが。
大地震、大津波は自然現象、しかし原発事故は人間が原因です。

原発事故と神、そしてそれにネガティブ意識を関連させて話せば、言いたいことは山ほどあります。
はっきり言って、もう遅いけど、エリート、高学歴といった人は、これから少し人間性を分析して考えてみる必要があると思います。
全部とはいいませんけど、情けないレベルの人が目立ち過ぎます。

このような人たちで固めた世界、それは今後どう日本を進めて行くかはうんざりするくらい目に映って来ます。
あ~あぁ、これが人生かよ、もう自由なんかどんどんなくなるよ、と私は思っています。
誰が悪い、すべて政治家、官僚、経済界、マスコミ・・・

違いますよね、この人たちは一般国民、何もしない自分の幸せばかり追い続けていた国民のネガティブ意識の吹き溜まりに行き着いただけです。
結局、これからの世がどんどん悪くなるのは、真理からかけ離れた物質世界を唯一とした歴史を生きて来た、私を含め人類全体が間違っていたからなんです。
神は愛だね、いよいよ人類を目覚めさせる最後の救いに手を差し出して来たのですから。

早く気づいた人は内的平安の世界へ、まだまだ疑う人はこれでもかと、教えてくれるだけです。
どこまで何を期待して苦痛と戦うのか、どこに逃げようとするのか、私たちが行くところは一つしかないのです。
私の見方は一般の人とはまるで違うかもしれません。

私の見方は、一般から見れば超ネガティブで、悪と取る人もいるかもしれません。
しかし、こんな時代になれば、もう誰が何を言おうがまったく関係ないことです。
もうはっきり分かり切っていることを、今さら何を考えなければならないのでしょうか。
宗教、精神世界、意識の勉強のための本を読む目的は何でしょうか。

神を知ることですか、そう思いたいかもしれませんが私はそれが第一とは思いません。
このような勉強をする目的は、私は人から霊的なことや神に対する疑い、迷いを消すためだと思っています。
この疑い迷いがある限り、何を勉強しても前進は無理でしょう。

よくよく考えて見れば、人の意識の根底には信じたいけど、しかし・・、があるはずです。
意識の中で、一歩抜け出すことが出来れば闇から抜け出せるのです。
闇から抜け出すには、闇が見え闇が何であるか知る必要があるのです。
ハッピーを追いかけるより、この方が絶対に意識力が付くのです。

闇といっても、人が思うほどそれは恐いことではないのです。
知らないから恐い、いや知らないものを何故恐がる、この答えを出せないあなたの潜在意識が勝手にあなたを振り回すのです。
これが何であるか、これをどうコントロールするかを説明出来ますか。
人は分からないことばかりのネガティブ地上で生きているのです。

この世の、地球の地面で生きる事ばかりを意識しているから、内的不安恐怖に縛られるのです。
神が何であるか知りましょう。
仏教やキリスト教、そして精神世界の教えも、もうそろそろもっと深い本質に焦点を合わせていかなければ時間が足りません。

心、意識、精神世界、無意識、霊は、これら全部含んで一体となって人間を創っているのです。
第一、絶対第一、優先すべきものが霊的智恵、その法則を意識化した智恵を理解することが、本当は平和の礎になるものなんです。
しかし、思考型、超左脳型の人間は、この霊性が分からない人が多いのです。

結果、記憶と解答テクニックだけは優れているエリートという人種が出て来るのです。
創造心、霊的感覚、直感、霊性などない意識は、目的は物質的優越と貪欲さしかないのです。
このような人だから、当然霊的なことなどは完全否定にかかるしかないのです。

これで少しは理解出来ると思いますが、このような意識が各界のトップに立つと、彼らの目的はどう進めて行きたいかは大体察しが付くのです。
何も知らない意識は、その程度の意識なんです。
あなたは知っているかどうか。
このような物的意識の人が、さらに超ネガティブ意識だったらどうなると思いますか。

あなたは悪人、超悪党、悪魔的意識というものがどういうものか想像も出来ないでしょう。
そういう人が、各界のトップにいたら、それでも平和は来ると思いますか。
普通に生活している人は、安定した幸せな生活を送れればいいと考えています。
いつまでも、平和な状態を継続させないのがネガティブ意識です。

それでも、神はこのような超ネガティブ意識をそのままにしているのです。
いや、これからネガティブ意識がもっと暴れるように許して行くのです。
それでも、あなたはのんびり生きようとしますか。
こんな話しは信じられないことだと思いますか。
あなたも人間意識、霊的法則、神に少しでも近づけば分かると思います。

本当のことを知って行けば、答えが出て来るのです。
所詮、人間とネガティブとこの世の枠内ですよ。
私は適当なことを言っているのではないのです。
もうそろそろ真剣に気づき、意識進化に入って行かなければならないのです。
最終的な場に入ったときに後悔しても、それも単なる自分に対する文句にしかすぎません。

もう自分に、誰かに、文句を言うのはやめましょう。
それは時間の浪費で、そんなヒマがあれば自分を高める時間に回してください。
そのうち、人が文句ばかり言っていても、あなたの口からはそれは出て来ないのです。
何故なら、あなたの意識は、この世に無い愛、喜びに触れているからです。

しばらく、神が何であるか、真剣に見つめて行きましょう。

生命意識に生きる(41)~個人的意識(宇宙意識)の目覚めへ! 2011/03/31

このたびの東北関東大地震、大津波で被災された方々、またそれに続く原発事故で被害を受けた方々には、心からお見舞いを申し上げます。

これからの時代は、今回の日本の悲惨な災害を機に、世界中に「意識の目覚め」の剣が容赦なく突きつけられていくでしょう。
こう言うと、私はとんでもないネガティブ人間と思われるかもしれません。
しかし、もういいでしょう。
今言ったことは、すでにどんどん進行中ですので、もうボヤボヤしてはいられないのです。

聖書にある「持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」は意識の準備でもあり、それがはっきり表れていく時代になるでしょう。
これから、あなたにも魂からたくさんの気づきが与えられるように、もっともっと、本質、真理に向けたことをはっきり伝えていこうと思っています。

これまでの精神世界系の中で心地よさを味わっていた人も、現実に起こっていることを見て、日本や世界、そして自分の未来の姿に、いかに早く気づくかになります。
それについて、今直視もせず、まだ何かを期待したりいつまでも待つだけでは、どんどん遅れていくことになるでしょう。

これからは、意識力が自分や家族を守れる本物の力となり、またそういう時代になって行きます。
神様仏様と言う前に、それとつながる意識、そのような自分にしておかなければなりません。
いきなりは無理ですが、少しづつでもやっていかなければ決して意識は成長しません。

今から始めましょう。
とりあえず、私のブログ、HPの読み物、真理の本などを読んでいくといいでしょう。
理解出来るかどうかはではなく、どのようなことが書いてあるかだけでも頭に入れて置くといいと思います。
その意味内容は、これから先私が説明することで理解して行けると思います。

出来るうちに勉強しておくのが一番で、余裕がなくなると勉強も出来なくなります。
今よく考えてほしいことは、あいまい、その気、一時的、期待、都合のよさ、そのようなものがこの先どのくらい自分の力になっていくか、その点もしっかり理解して欲しいと思います。

それとは逆に、しっかり意識の勉強を積み上げて来た人は、現在直面している状況にあってもさらに深い目覚めを得たはずと、私は確信しています。
もろさ、それを支えるもの、そしてそれにしがみつかせるものは何か、これに気づくことです。
少し古くなりましたが、かなり長い間人々を不安にさせて来た「ノストラダムスの大預言」というものに少し触れてみたいと思います。

「1999年の7の月、恐怖の大王がやって来て人類は滅亡する」
このフレーズは、まだ記憶に残っている人もいるでしょう。
もちろん、結果を見れば分かると思いますが、しかしその預言が外れたということではありません。
ノストラダムスが残した預言詩の解釈が間違っていたというだけです。

時期が違うだけです。
また、それは今ということでもありません。
ノストラダムスが残した預言詩は、「ヨハネの黙示録」を彼自身による深い研究で、彼なりに分かりやすくしたものです。
分かりやすくと言っても、それを少しでも理解するには深い霊的知識や霊的意識といったものが要求されます。

1999年ではないのです。
もっともっと先ですが、約500年前のノストラダムスがこのような預言詩を残すということは、考えても仕方ないような遠い未来でもないということです。
それは、「ヨハネの黙示録」にある「第一の御使が、ラッパを吹き鳴らした」、この時期はいつなのか、それが分かれば、「ヨハネの黙示録」も解けるのです。

私はすでに鳴らされていると思っていましたから、このブログでものんびりするなということを書いて来たのです。
「ヨハネの黙示録」は、人間意識、意識の進化と密接に関係していることを示しているのです。
ノストラダムスが残した預言詩で「1999年の7の月、恐怖の大王が・・」は強烈な言葉でしたが、その他にも分かりやすい言葉があります。

「逃げよ逃げよ、すべてのジュネーブから逃げ出せ」
「黄金のサチュルヌは鉄に変わるだろう」
「巨大な光の反対のものがすべてを絶滅する」
「その前に大いなる空(天)は前兆を示すだろう」
これについて、霊的観点から簡単に説明したいと思います。

「逃げよ逃げよ、すべてのジュネーブから逃げ出せ」のジュネーブとは都市という意味があるようですが、すべての都市から逃げ出せ? そしてどこへ行けばいいのか?
私はこのジュネーブを都市とせず、この世と解釈しています。
要するに、自分は人類滅亡の最後の日まで残らず、早く輪廻転生の輪から抜け出せという意味です。

「黄金のサチュルヌは鉄に変わるだろう」のサチュルヌは何を指しているか分かりません。
ただ、黄金の何かが鉄に変わるということです。
比較して見ればすぐ分かりますね、黄金が鉄にです。
サチュルヌが何であるか分からなくても、かなりの低級化、落ちるということです。

意識の低級化でも堕落でも、要するにかなり価値のないものになるということです。
「巨大な光の反対のものがすべてを絶滅する」の巨大な光の反対のものとは、闇、極悪、それは悪魔レベルということです。
巨大な光の反対のものですから、相当な闇、悪の力ということです。
それが最後にはすべてを絶滅するということで、けっして平和にはならないということです。

この闇、悪が何であるか、その仕組みを知らないと、この先もっと大きな悲惨、苦痛を味わうことになるでしょう。
「その前に大いなる空(天)は前兆を示すだろう」、まず、それは空に現れるのではありません。
大いなる空(天)は、私たちの意識ということです。

最後は、空どころか地上のすべてにその結果が現れると思いますが、それはハルマゲドンの前、これも人類の歴史の最後の時といってもいいでしょう。
私たちの意識には、いつでもその前兆が示されているのですが、それに気づく意識まで高まっていないということです。
このような解釈を通してみていくと、それが最終的に起こる時代に突入しているということになりますので、まだまだ先だとのんびりしていられないのです。

今の解釈を全体的によく見つめてほしいと思います。
21世紀に入って、世界中に起こっている大きな災害、出来事を見れば、何かがおかしいと感じると思います。
私たち、個人々がそろそろ気づかなくてはならないことはたくさんあるはずです。

今という現実を見れば、あいまいや何かに期待する都合の良いような考えも捨てなければなりません。
もう、使いもののならない方法は、この機会に一切捨て去らなければならないのです。
今回の災害に直接影響されてないところに住んでいる人は、この悲惨さが他人ごとに感じる人もいるかもしれませんが、それは違います。

いま、本当は日本中の人が目覚めなければならないのです。
私たち日本人は、直面させられたのです。
これは人生に一度あうかどうかの大きなショックであり、意識的な面でも相当なショックなことなんです。
私たちは、このような大ショックの中でも大きく意識レベルを上げることが出来るのです。

これをただの深い悲しみや傷として残すだけでは、ただ痛めつけられたで終わってしまいます。
今がんばっている被災地の方や被災された方々は、この気づきも後になると思いますが、直接影響を受けなかった私たちは、あとからこの方々に何らかのサポートが出来るように強い意識を持った自分を目指して欲しいと思います。

私たちは強い意識があってはじめて本当の幸せを感じるのです。
それが愛なんです。
幸せを求めて生きるのが人生ではないのです。
幸せは、内的意識から来る副産物なんです。
物で作られる、物で支えられるしかない幸せはもろいのです。

笑顔もいいですが、心が笑顔だと最高です。
今回の大地震、津波、原発事故などで、本当に言いたいことは山ほどあります。
これからは、厳しくても難しくても本当のこと、本質、真理に向けた話をもっと熱く語って行こうと考えています。
時間はあっという間に過ぎていきます。

すべていっぺんに理解することはできません。
だからといって、何もしなければ最後は無知で動揺し苦しみの中にいるはめになります。
少しづつでいいのです。
やれば必ず意識は成長します。

そして必ず今よりずっと強い自分になることが出来ます。
もうボヤボヤしていられないのです。
脅かしではありません。
たくさんのことを探究して来た私が全体を見つめて、これからいろいろなことを教えて行こうと思っています。

それは本物でなければ意味がありません。
あいまいや都合の良い期待を求める人は、まったくこのブログとは縁のない人だと思います。
一日も早く、あなたも魂からの援助が得られるような自分を目指してください。
ノストラダムスの波動振動測定の結果です。

ウィキペディア:ノストラダムス
リンクのページの下段に「入学宣誓書に見るノストラダムスの署名」があります。
この署名から測定してみましたが、結果からおそらく本人の署名と思います。
ノストラダムスの意識集中は、サハスラーラと霊視の位置にバランスよくあります。
霊視レベルの振動もきれいで、意識振動から見ても信頼のおける人物と感じます。


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コメント

ブログの更新をありがとうございます。 (須田)
2011-04-03 01:06:43
ブログの更新をありがとうございます。
物質界のこの現象を通して、もしくは通って、いかに霊的に高まっていけるか?ということではなく、もう高めていかねばならないのだろうと、そう強く感じています。
そういった意識に立ち、じっくりと取組んでいくこと、そして、才気ばしった解釈に甘んじることなく、言葉からの振動を感じることを大切にし、努めていきます。

「死して、成れ」を
体験しないかぎり、
おまえは暗い地上の
陰鬱な客にすぎない。(ゲーテ)

このゲーテの一節に込められた意味を感じつつ、死すべき己れは死なせていくこと、そして新しくされた意識で生きること、それが何ものにも影響されない“独りであること”だと、そう理解し今進んでいます。
結局はいつか折れてしまう、頼りなき松葉杖に頼っている状態は、独りで歩むことができない言い訳と、いつも一緒に歩いているようなものです。
その松葉杖を勝手につくっていたのは誰なのか?ということですね・・・。
そのようなものは不要です。
そのような都合のイイ“紛い物”は本当に不要です。
北海道に移られるとのことで、物質的には遠くなってしまいますが、貴重なるこちらのブログから、これからも深く学ばせていただきます!これからもどうぞよろしくお願いいたします!
そして最後に、今回の未曾有の出来事で、大変な被害に遭われた方々が、一日も早く安心した環境で生活できることを、そして被災地の復興を、毎日、毎日、祈り続けます。。。

こんにちわ、いつもブログを拝見して、意識の勉強... (ヤス)
2011-04-04 06:19:12
こんにちわ、いつもブログを拝見して、意識の勉強をしております。私は小さい頃から神秘的な事に興味があり、色んな事を試していました。ヒランヤやピラミッドパワー、天然石やヨーガ等…中でもヨーガのチャクラ開眼に大変興味があり、多種多様な書籍を買いあさり、やってみました。それに伴い約20年前には、密教の修行によりチャクラを開眼したいが為に、真言宗に入門した事もありました!ですが、上手く行かず諦めて普通の生活に戻ってキチンと就職をし、半ば神秘的なコトを諦めて生活しておりました。今は結婚をし、妻と子どもがいますが、中々仕事や人間関係が上手く行かずに悩んでいて引き寄せの法則等、探してる所に貴殿のブログに辿り着いた次第です。ブログ中で札幌出身と判り親近感がありました!でも関東にお住まいならセッションは受けられないなぁと、諦めていましたが、貴殿のご実家の都合で札幌に来る!と知り、これも引き寄せの法則か?と一瞬思いました。貴殿のブログにコメントを書いている方々と比較して私は物質的な事から離れられなく、また意識の面でも、とっても低いと思いますが、意識向上イコール悩み解決と思っておりますが、生活するのに現在精一杯?なので、瞑想の時間が中々取れません!札幌に来られた際には連絡先等、教えて頂けたら幸いです!今回の震災で、こんな私でも、何かがオカシイ!ソワソワする感じがしていました。重複しますが、札幌に来られた際には、連絡先等を、教えて下さい。

旅立ちの日 (セッキー)
2011-04-06 12:25:17
旅立ちの日
先生ご無沙汰です。関です
凄く残念ですが、人のために共に頑張りましょう。この大地震で人のための指標が何か思いださないといけないなと感じてます。
あなたが私の足や手になるとき、私の足や手はあなたになる。という感覚、感性が思いださないとなと感じてます。足と手がバラバラに動き、しまいには相手を思うように動かしてやろうなんて知らない間にしてしまってるかもしれないですね。お互いにハイジャック意識が働いてるのかもしれないですね。
また、助言お願いします。ブログはかかさず影ながらみてました(笑)
ありがとうございます

第三の目の世界』の神社のコーナーに関して気に... (竹槍)
2011-04-18 05:56:10
『第三の目の世界』の神社のコーナーに関して気になっていることがあって、それは伊勢神宮が掲載されていないことなんです。伊勢神宮ほどの神社が箸にも棒にも引っかからないというのは、とても意外だなと思ったものですから。皇族方の意識測定を公表出来ないことと関係あるのでしょうか?たとえ優れた波動でなくても、意外性の中にとても重要な秘密が隠されているのかもしれません。ちょうどヒトラーの波動が尋常ではないのと同じように。

生命意識に生きる(40)~「あるがまま」と宇宙意識(2) 2010/12/02

「あるがまま」は、魂から潜在意識へ、そしてこの潜在意識に来た特殊な振動の反応を顕在意識で感じるのです。
真理に近づいた意識というのは、ポジティブ潜在意識の回路を通って霊界に通じています。
魂の援助というのは、その人に必要なことをポジティブ潜在意識まで届けてくれるということで、それは私にとって体験上の事実です。

ですから、「あるがまま」の意識は、ポジティブ潜在意識の状態で感じるものと言えます。
また「あるがまま」の意識は、ポジティブ潜在意識から次の無意識の世界へ、そして霊意識の世界まで、そのレベルを変えて元に戻って行きます。
それを厳密に言えば、魂から発出された意識は、当然その絶対霊意識レベルから考えると、その霊性を減少させるのは私たち自身の今あるネガティブ意識だけになります。

今言ったことは、人間意識の根本にある生命意識の仕組みですが、また「あるがまま」の意識的質の変化を、まったく違うレベルから見て言っています。
意識の質が高くなるというのは、簡単に言えば意識の振動率が高くなるということです。
神側に近づいて行くのに意識が重くなるということは絶対にあり得ないことです。

誰が何と言おうと、波動振動測定から見ても、神側に近づいていく人が逆に意識振動が重くなるということはおかしなことなんです。
霊的意識というものは、人の心を読むより波動振動測定ではっきり出るものなんです。
いずれあなたも、ポジティブネガティブの波動の違いくらいはチェック出来るようになるように、その訓練法を何とか私も工夫して行きたいと考えています。

少し話が逸れましたが、結局意識レベルを上げる秘密は、まず「あるがまま」という意識状態を目指すことが大切ということです。
それは、難しく言うと、潜在意識を自分の支配下におくこと、とも言えます。
それは、すべての潜在意識を支配下におかなければ何も出来ないということではありません。

意識の向上というのは、あることが完全に出来なければ次に進めないということはないのです。
柔軟にいろいろな種類の意識を広く深く、それに関係するシナプスをいろいろな方向に伸ばして行くように、自分の意識を拡大高めて行けばいいのです。
その意識の段階を証明するもの、進化の目安となるものが「あるがまま」という意識状態です。

私は、「あるがまま」の意識や感じを、詳しく説明している本があるかどうかは分かりません。
「あるがまま」を目指すように説明している本は、以前にも簡単に説明したクリシュナムーティーの「自我の終焉」です。
この本は、人が自然に「あるがまま」の意識でいられないのは何故か、その理由を気づくようにいろいろな角度から教えてくれています。

ただ、この本を読んで理解納得するには、それなりの人間意識に関する知識が必要です。
何故なら、この本は潜在意識を自分の意識の中心にするように、そのためにいろいろな角度から気づけるように説明した彼の講話を集めたものですから、かなり難解です。

私はこの本の内容を解説することもやっていますが、この本をしっかり全理解出来れば、当然この本のテーマである「あるがまま」の意識にかなり接近出来ていると言えるでしょう。
潜在意識はこの世の意識の限界ですから、この世の意識(観念)を離れたところから「あるがまま」の意識の世界が始まると考えてもいいでしょう。

今、「あるがまま」の意識を宇宙意識につなげることまで説明しようとしていますが、まったく何を言ってるのか分からない人もいると思います。
特にこの世の心(観念)に生きている人は別世界の意識に感じるでしょう。
しかし、これが人間の意識であり、その仕組みはひとり一人の意識そのものだということです。

私たちが潜在意識を自分の意識の中心にするといっても、それがネガティブ意識であっては神側から完全に反発されるということは理解出来ると思います。
ですから、自己意識の変革は、当然ポジティブ方向に変換して行かなければならないのです。
ポジティブネガティブ、善悪、3次元4次元は、決して混じり合うことはないのです。

宗教や精神世界の勉強をするにしても、土台となる大事なことを飛ばしてはいつまでも納得出来る結果は得られないということは、もう言うまでもないと思います。
私は、単なる一時的な意識体験による「あるがまま」ではなく、自分の意識がいつもそのような感じでいられる状態で、宇宙意識の段階を進んでいます。

それは、ポジティブ潜在意識、無意識、霊意識という段階ごとにある「あるがまま」の道です。
長い間、そのような意識的感じと数多くの内的意識による体験を通して、自分なりに意識向上を進めて来た結果がこうなったというだけです。
これは、あくまで私自身の意識進化の目安ですので、参考になると思う人は生かしてほしいと思っています。

「あくまで私自身の進化の目安」と書きましたが、そう確信に至るには相当な努力と時間もかかっているのです。
そのうち、この研究や体験を「意識勉強の仕組み」ということで説明したいと考えています。
では次に、ポジティブ潜在意識で感じる「あるがまま」について説明したいと思います。

単なる1~2回の「あるがまま」の体験とポジティブ潜在意識の「あるがまま」の違いです。
この2つの「あるがまま」の違いは、持続という点で分けられます。
それは、何の努力も集中の必要もなく、いつも自分の意識そのものになっているかどうかということです。

その「あるがまま」の感じが本当に潜在意識に入れば、それはいつも自分の意識になります。
自分の意識であれば、そのための何の努力も特別な集中も要らなくなるということです。
そして、本当にそんな自分になれば、人は一体どんな気持ちになるのでしょうか。

私の体験から言うと、当然、気持ちが落ち着き安定し、本当に楽で心地いい、いつも積極的でネガティブなことも自然に受け付けない自分・・、その意識になったときからそうでした。
これが、自分の意識が、「その意識、そのものになる」ということなんです。
ここで「あるがまま」の意識的位置(段階)を考えてみますと、ポジティブ潜在意識からポジティブ無意識までの間は、自分の意識でその質の変化をはっきり自覚して行けます。

この間が、意識レベルによる悟り的感じ方とか霊的感じという表現になります。
当然、このレベルで感じる意識は、この世のどんなものからも得られない霊意識側のものです。
これだけは、自分で体験してみないと分からない、また分かるように説明も出来ないのです。

それは、意識的感じで悟り的段階というものになりますが、私はこの感じた意識をそれまでの土台として、さらに次の段階を目指して意識を高めています。
意識レベルが上がれば上がるほど、その次の段階はかなりハードルが高く感じます。
その段階に入れば、そのことを説明した本もなくなり(あるかも知れませんが?)、結局真剣に自分と魂(神)との関係をしっかり意識するしかなくなります。

宇宙意識と「あるがまま」の意識は、人間意識の進化の段階ですべて順序があります。
悟りの段階は、意識の順序を通ることであり、それは「あるがまま」の意識から始まるということになります。
それには、この世との分離、肉体と魂との分離に慣れて行かなければならないのです。

それは、悟りの段階の意識で進めて行くのですが、この方法は本当に高いレベルの修行僧もやっていることだと思います。
人間であれば、すべて意識の段階をきっちりと進んで行かなければならないということです。
精神世界のアセンションで、これが可能であれば、私も苦労しなくて済むのですが・・

こうは言っても、意識を高めるにはかなりの段階があると考えるのではなく、逆に、それだけこの世や人の意識はネガティブでマヒしていると考えてもいいかも知れません。
神に関係する意識、それが「何とかなる」は、霊的法則上そんなことは絶対ないのです。

前回も触れましたが、最後にもう少し「あるがまま」を理解しやすいように説明します。
高揚した感情や、一切自分から創り出したものでない内的感じというものがあります。
それは、自分がトランス状態に入った状態でも、以前このようなことを体験したことを思い出してその感じに浸ることでもありません。

このように来る感じではなく、ごくごく普通に、自然に自分の内側からやさしく押し寄せて来る感じがあります。
その感じは大きく分けて2つあります。
それは、「幸せ感や喜び」といった感じと「寂静」という感じです。
どちらも「あるがまま」の状態で感じるものです。

自分で創り出したものでない、自分の感情やそれ以上のポジティブ的情念から湧き上がるものでもないものとは、いったいどんなものでしょうか。
とは言っても、これを言葉で説明出来るものでもありません。
意識とは不思議なもので、これだけは自分で感じるしかその感じがどんなものであるかは分りようがないのです。

せめてその感じの一部だけでも感じられれば、すぐはっきりと分かったと納得出来るものですが、やはりそれを人に感じさせるということは絶対無理なことです。
「あるがまま」を目指す、それに近づくという点で、説明してみたいと思います。
ただし、それを観念的に自分に印象付けることだけはやめてください。

ほとんどの人が最初に感じるのは、「幸せ、喜び」といった「あるがまま」の感じです。
その感じは、自分の奥の方までずっと広がっている状態まで感じることが出来るのです。
また、その中は、絶対的安心感、さらにすべて満たされているといった何であるかは分らないが、そんな十分過ぎるといった感じの中なんです。

もう一つ、これは「幸せ感や喜び」の次に感じるもので、それは「寂静」といったものです。
これも「あるがまま」の意識状態の中でしか味わえない感じです。
自分で創り出せない静けさとはいったいどういうものでしょうか。
瞑想状態で雑念、邪念に左右されない状態は、意識的にはこれも一つの静けさです。

さらに、もう一人の内的自己、深い意識の自分が何かを監視していない状態になることが大事です。
この2つの意識的自己が静謐に包まれたとき、その中で超越的な静けさを感じたとき、「寂静」という感じが、それも今まで一度も感じたことの無かった状態を実感出来ます。

ズバリ「寂静」、これはこういうものだということが潜在意識まで浸透するでしょう。
「あるがまま」の「寂静」の意識状態、その感じは「生命を感じる美」そのものです。
「寂静」は、すべての満足、そんな意識状態です。

さらに深いポジティブ無意識の「あるがまま」に入るには、「沈黙」です。
ここから、インスピレーションに似た未知なるものの答えを受け取れる意識にと変化して行くのです。
ポジティブ無意識では、観念(この世)との接点はまったくありません。
そして、そこから最後の到達の「あるがまま」に入って行くのです。


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コメント

初めまして、携帯から失礼します(^-^)「第3の目の... (ラザリス)
2010-12-03 17:41:03
初めまして、携帯から失礼します(^-^)「第3の目の世界」の方も拝見させて頂きましたが、僕が以前から漠然と感じていた事がそこに記されているような気がします。特にダ・ビンチや一部の古墳、皆神山を始めとする「日本のピラミッド」とよばれる山々、マヤの巨石建造物やストーン・ヘンジなどの遺跡群については、「なるほど~☆」と関心しながら楽しく読ませて頂きました。「第3の目の世界」には掲載されていませんでしたが、大分県安心院町の米神山とその周辺の巨石群、高知県足摺岬の唐人駄場遺跡、鞍馬寺(本殿及び奥の院)も波動測定してみると面白いかも知れません(^o^)(僕自身は鞍馬寺以外には行った事ありません)それから、マクドナルド・ベインという方の「心身の神癒」についても以前から気になっておりますので、もし興味がおありでしたらぜひ調べてみて下さいネ♪

ラザリスさん、はじめまして。 (F・H・S)
2010-12-03 20:18:30
ラザリスさん、はじめまして。
今は時間に余裕がなくて、まったく「第3の目の世界」の波動振動測定の更新はしていませんが、また来年からたくさんの測定結果を載せて行きます。
測定結果次第ですが、コメントにあったものも測定して載せて行きます。
「心身の神癒」の本やイエスの画像は、かなり高い振動があり、その集中点は当然サハスラーラでした。
ありがとうございました。

Unknown (tani)
2016-06-14 17:11:56
お忙しい中、ブログを更新して下さりありがとうございます。
クリシュナムルティの「自我の終焉」を読み、今、もう一度「ポジティブ意識の智恵」を最初から読み直しています。苦しいので早く意識向上したいと思ってしまうのですが、意識向上への道は、先生のおっしゃる通り、土台作りや段階が大事なのだと、あらためて強く思いました。輪廻を今生で終わらせたいと思っているので、頑張ります。
まだまだわからないことだらけですので、いろいろ教えてください。明後日のセッションを楽しみにしています。

生命意識に生きる(39)~「あるがまま」の感じが来るとき・・(1) 2010/11/25

「あるがまま」という意識は、本来は宇宙意識ですが、当然それにも段階があります。
「あるがまま」は霊的気づきや示唆として、思いもよらない時にうれしい驚きとして体験をすることもあります。
それは、神や未知なるモノを強く意識させてくれる魂の援助と私は思っています。

こういう時、自分の内側に注意深く意識を向けていると、本当に大事なことに気づくのです。
ただ、このようにして体験する「あるがまま」は、まだ宇宙意識とは言えないものです。
宇宙意識としての「あるがまま」は、向上進化した自己意識そのものでなければなりません。

そのスタート点が、ポジティブ潜在意識という意識レベルですが、これを自分自身にするにはそれなりの努力が必要です。
とにかく、「あるがまま」の感じは、一度体験してみればその違いははっきり分かるものです。
「あるがまま」の感じは、人それぞれ受ける度合や印象によっても違いがあります。

また、「あるがまま」は、顕在意識的な「ありのままの自分」とか「そのままの自分」という意味でもありません。
今言ったことは、この世の観念から見たもので、本当の「あるがまま」は霊的方向です。
霊的理解まで入っていない人は、この言葉の意味をまったく違う捉え方をするだけでなく、間違った教え方をするのです。

「あるがまま」の感じを表現すると、感動的、驚き、不思議、喜び幸せ感、などこれまでの人生で一度も体験したことのない、一生忘れられない内的感じと言ってもいいでしょう。
とにかく、「あるがまま」というのは、内的意識体験によって知ることですので、まだそれを体験したことのない人でも、それを受けやすい意識になる話をしてみたいと思います。

また、「あるがまま」はいつ、どこで来るか、というものでもなく、いきなりといった感じで思いもよらない時に来る、ということも知っておくといいでしょう。
それは、瞑想の中やどこかのパワースポットで、自分の意識が内的に大きく変化していくときに感じることもあります。

それは、不意にいきなり訪れる「あるがまま」とは違いますが、それも一つのあるがまま的な体験としてもいいと思っています。
初めて体験する感じ、その「あるがまま」の感じもいろいろあるのです。
では、「あるがまま」を受けやすい意識とはどういうものでしょうか。
私自身やその他体験者の話からまとめてみますと、やはり霊的な方向に興味を持っているとか勉強している人に来る確率が高いとなります。

その中でも、自分の気持ちが自然にリラックスした時とか素直な気持ちになった時というのが一番受けやすいようです。
また、「あるがまま」の感じは、自分の内から来る今まで一度も感じたことのないものですから、そのすばらしい感じに驚かない人はいないと思います。
その感じがどういうものかは、簡単にはっきり言えることがあります。

それは、たとえ内から沸いてくる最高の感情的な喜びや幸せ感でも「あるがまま」の感じには遠い、またこの世のどんなものからも得られないということです。
「あるがまま」を体験する近道は、当然ですが、やはり自分の意識を高める勉強が一番です。

理解、納得、そしてリラックス集中、その他の解放で・・・
私たちの考えで、内から来るものを何とかしようとすること自体、神(魂)に自ら反発しているということです。
本当に知らない人が多い、何処を、何を見ているのか・・です。
私たちの考え、行動、それだけでなく私たちの過去世の全意識すべては神(魂)に知られているのです。

それでも何とかなると、あの手この手のテクニックで、それこそ神を騙そうとしていることに気づいていないのです。
意識の勉強の大基本は、これを完全に理解納得することです。
もし、長年意識勉強していても「あるがまま」が感じに触れられないというのは、おそらく何かが間違っているからです。

それは、当然自分の内的意識の部分でしかないはずです。
魂、神、霊界、また未知なる神秘などをはっきり信じられるかどうかは、他人の言葉がどうこうではないのです。
自分の意識に自信を持てて、それからすべてのことを判断して行くのです。
「あるがまま」を体験し、これまで私がやって来た意識の勉強は、まずごく普通のことをしっかり理解納得して来ただけです。

精神世界、宗教などは、私にとっては観念に縛られた別な世界しか感じません。
ただ、その中にある善いものを参考に、自分の意識を高めて来ただけです。
私の「あるがまま」の体験は、この勉強に入った頃ですが、それは1度だけです。
あとは、気づき、ヒラメキ、インスピレーションという感じに変わって行ったのです。

霊的気づきや示唆としての「あるがまま」だけでは、大した意識成長にはなりません。
しかし、この体験は自己成長のための大きなきっかけと自信になるものですから、それはとても大事なことなんです。
今、「あるがまま」について話しをしているのですが、ここでこんなことを言うと少し驚くかもしれませんが、私はこう言いたい。

「あるがまま」を意識するな、それを体験するために・・、とは思うな、集中するな、ということです。
とにかく、「あるがまま」ということは忘れて、一生懸命自分の意識を高めることだけに集中したほうがいいでしょう。
あなたの魂は、いつもあなたにピッタリくっついてあなたのすべてを知っています。

あなたの魂は、あなたのために善いことをちゃんと用意してくれています。
他の神ではなく、あなただけの神があなたの魂です。
自分の神、魂を横に置いて、また無視して、他の神を信仰することは大きな時間のロスです。
今はそれでいいかも知れませんが、最終的に自分の神(魂)を通らないで神との一体化などあり得ないでしょう。

神との一体ということを、多くの人はどのように解釈しているのでしょうか。
創造主との一体化?イエス釈迦との一体化?それとも今信仰している宗教の神との一体化?
このような人は、一体自分の魂はどこにあるのでしょうか、またそんなものはまったく関係ない自分が信じる神?が絶対と信じて疑わないのでしょうか。

神の法則(霊的法則)、意識の通る順序(秩序)、生命の樹の理解で、今何も気づいていない人もこれらのことははっきりして来るでしょう。
とにかく、魂の援助で「あるがまま」は自然に訪れるものです。
あなたをいい方向にと、いつもあなたの魂はあなたを見ています。
これが、あなたがこの世で感じる最高の「愛」です。

「愛」の原点はここで、これ以外の「愛」は自分の魂からの「愛」を超えることは出来ないのです。
自分の魂を真剣に意識して行くことは、神や愛に一番近いところにいるということになります。
あなたの意識そのものの思いが、魂に向かう一番の近道なんです。

一番の近道を実現させるのは、自分の意識を高めて行くことで、そしていつかあなたは最高の宝物を手に入れることが出来るのです。
その宝物は、外からではなく、必ずあなたの内からもたらされるのです。
この「あるがまま」に近い感じを手っ取り早く感じることも出来ます。
それは、有名な癒し系のパワースポットや雄大な自然の中にいることでも、その感じが内側から押し寄せて来るかもしれません。

おそらく、それは初めての大感動と言えるものかも知れませんが、感情的な感動との違いはどの程度かはわかりません。
私は冒頭でも「あるがまま」は魂からの霊的示唆の援助だと思っていると言いました。
それは、人をそのすばらしい意識の世界に目覚めさせ、霊的世界に目を向けさせようとする「愛」です。

たとえ、それがすぐにやって来ないとしても、真剣に努力をしているとフト!内的意識の不思議体験的な感じで来るものです。
あなたの魂は、あなたがテクニックでない意識で魂に目を向けることを望んでいるのです。
今回の「あるがまま」は、一般的に触れられる感じ(意識)について説明しました。

次回は、この「あるがまま」の意識を宇宙意識の段階からみると、どのようになるか私の知っている範囲で説明したいと考えています。

生命意識に生きる(38)~宇宙意識の段階(4) 霊界意識(真理)に触れる! 2011/08/18

今回は霊意識についてですが、言葉で説明する神秘はこれが限界です。
この先も、私の霊界意識の体験は増えて行くと思いますが、今後はその話をするよりその道の歩み方に力を入れて行きたいと考えています。
今回の内容は、私の約30年間の霊意識探究とその体験に基づいたことになります。

しかし、それも本当に大事な点だけを表現する程度になります。
宇宙意識は、一人ひとりが自分の意志で進めていくしか到達出来ない世界です。
そして、無意識の段階まで入れば、あとは魂の援助と共に進めて行けると思っています。
この一体化の最後の宇宙意識段階は、ずばり霊意識に触れるとか霊界に入るということです。

それは、自分の4次元魂との一体化の達成でもあります。
ほとんどの人には関係のない話かも知れませんが、いずれはすべての人の到達、終着点です。
この3段階目の宇宙意識は霊意識の世界で、それは真理の世界(霊界)です。
真理という言葉はこの世の言葉ですが、真理そのものの意識はこの世にはありません。

それは、霊界意識です。
霊界意識そのものがこの世(3次元)に入って来られないことは、理解出来ると思います。
単なる精神世界の知識で終わらせない、真剣に目指すこの到達点は神(魂)ですので、3次元意識の自己を自ら分離させるくらいの真剣さで神を意識して進んで行かなければなりません。

このようなことを理解するためにも、また宇宙意識の段階を上げていくためにも、まずこの世の言葉の意味を真理側に変換して行かなければなりません。
それは本に書かれてある霊的言葉にも言え、自分の意識成長のためには絶対必要なことです。
学校で習った、社会で知った言葉の意味だけでは、霊的にはまったく無智なレベルなんです。

精神世界や宗教でも、潜在意識や霊的意識の方向を目指し成長するためにも、その世界をしっかり説明出来る言葉の意味を知ることは絶対必要なことです。
宇宙意識を説明するにしても、またこれを読む側が理解するにも必要な条件があります。
それは、心から抜け出し、意識が拡大した状態にしなければならないということです。

意識をどれほど拡大して行かなければならないかは、それも表現することに限界があります。
とにかく、私たちが真の意識成長をするためには、精神世界にはない意識の学びがあるということも覚えておくといいでしょう。
私がこの人生で触れた最高の意識的感じ、それは神の臨在として自分が勝手に思っていることですが、それについて説明したいと思います。

あなたは、これから私が話すことをどう取るか、それはあなたの今後の意識向上に大きな力になるかも知れません。
この神の臨在については以前にも書きましたが、おそらくそれほど印象に残っていないかもしれません。
簡単に一言で終わるようなことです。

それは、その霊意識の世界は、この世で教えている宗教や精神世界でいう世界でも、また想像出来るような世界でもないということです。
それは、今あるいろいろな教えの延長上にあるようなものではないということです。
はっきり言うと、「まったく違う意識、想像や夢にも思えない意識、触れてみなければ絶対分からない意識」ということです。

この世で言えば、光とか超振動とか、その延長で最高の世界を思いたくなるかもしれません。
意識や精神世界を勉強している人には、方向を失うかも知れませんが、これは真実です。
しかし、たとえ分からなくても、この世ではこの意識の勉強を通るしか方法が無いのです。

しっかりやっている人には、いつか必ず魂の援助がやって来るはずです。
イメージ訓練も大事ですが、あなたがする超理想の霊界イメージからその映像の重さを外すことで何かを感じるかもしれません。
ちょっと難しいことを言って来ましたが、何もいきなり霊界を意識することもありません。

私たちは、ポジティブ潜在意識という自己意識を確立すれば、今生で生まれ変わりに終止符を打てると確信しています。
また、最後の宇宙意識の仕上げのために、この世に戻るのではなく霊的待機所的意識の場で霊界に向けた最後の仕上げをして行くことになるかも知れません。
私自身もこの到達点を目標に、ただこれだけを目標に今も、そしてこれからも努力して行きますが、それははっきりいって楽しいことです。

まだまだこの霊意識については超未熟ですが、それでも少しの感じには触れているのです。
それは、霊界の入り口手前の無意識の世界の果てなのかもしれません。
これも、時が経って振り返ってみれば、この意識的位置も分かると思います。
人の意識、要するに自分の今の意識ですが、それは今という時点では分からないのです。

自分が意識的に成長したと感じても、その度合いは今はつかめないということです。
このことはあなたも分かると思いますが、数ヶ月後か数年後、今の自分とその時の自分を比較してみると、どこかどう変わったかが分かると思います。
意識の勉強をしていない一般の人は、それほど自分が変わったという実感は少ないでしょう。

しかし、自己成長の勉強をしている人や意識向上を目指している人は、この違いがはっきり分かるものなんです。
これは宇宙意識の段階でも同じことが言えます。
無意識の世界をしっかり意識出来るようになると、ポジティブ潜在意識がはっきり分かります。

次の霊界の感じまで意識出来るようになると、無意識の自己意識が分かります。
霊意識に触れるには、無意識のポジティブから離れた無意識自己で霊意識を意識することです。
結局、宇宙意識に入るということは完全な自己認識が当然ということです。
意識の最終到達には通る順番があるのです。

これを知っている人、これを認められる人は、本当に一番近道を歩んで行ける人です。
宇宙意識に向かう、入って行くは、今の精神世界の勉強とはかなり違うことかもしれません。
意識のレベルのこと、その意識の質を考えれば、この認識から世界が変わって行くのです。

そうであっても、ほとんどの人は今生だけを見て努力しても・・・、と思うかもしれません。
しかし、私たちの内的生命意識は永遠に今を引き継いでその原因結果の中を生きて行くのです。
意識全体から人間を見ると、無智は自滅を意味します。

目先が、一体どう全体をカバー出来るのか、これも意識の拡大が答えてくれるのです。
繰り返す輪廻転生は霊的無智の結果以外何もないのです。
宇宙意識の霊意識と言っても、やはり今の自分をしっかり基本固めすることからです。

ただ漠然と精神世界の内容を知っても、肝心な自己意識がしっかりしていなければ、「いざ!」というときにすべてを振り出しに戻してしまうでしょう。
宇宙意識の勉強と言うと、おそらく何か特別な能力を付けて行かなければならないと思う人が多いかもしれません。
本当は、その逆です。

これも内的意識に関わる意味で言っています。
結果的には、自分に染み込んだ余計なこの世を捨てて行くことが大事なんです。
捨てるという言葉も、この世の意味から内的意識の意味に変えて考えなければなりません。
それは、この世の観念にまったく影響されなくなる自己意識の確立ということです。

まず、その障害となる代表的なものは、お金と物です。
もちろん、どんな人もこれは無ければ生活出来ませんし、絶対必要なものです。
要するに、人はお金や物で躓くのではなく、それに執着することが成長の障害になるのです。
これがネガティブ意識の中心になって、物的欲望は次々と拡大して行きます。

そして物的な人が望む一番のネガティブ性は、自分が目にしたものは出来るなら自分の思い通り支配したいということなんです。
宇宙意識に向かうポジティブ性は、今言ったネガティブ性でいう支配と逆なことです。
要するに、余計なものを意識から、最終的にすべてを外した意識にすることが真理の大きな理解へと導き、それはポジティブ潜在意識という宇宙意識のスタート点に立たせるのです。

先ほどの支配というネガティブ性は、ネガティブ潜在意識でそれが強力であればネガティブ無意識までネガティブ回路として、いつまでも心との間で循環して行くのです。
ポジティブ回路は、ポジティブ無意識の中で最後はポジティブ自体を分離することになります。

ネガティブはもちろん、ポジティブ性も無い意識が霊界に入る絶対条件です。
だからと言って、今からポジティブもネガティブも無い意識で進めようなんて思わないでください。
霊性をしっかり理解しないうちにそういうことをすると、きっとあとで苦しむことになります。

精神世界を勉強している多くの人は、何かを付けることばかりを考えています。
一時的に付けてもいいのですが、いつかはその倍を外したほうが意識力が付くのです。
意識向上は、低級波動から意識振動に移って行きながら、内的意識は軽くなって行くのです。

重い意識でレベルアップした意識なんてないのです。
神側に向かえば向かうほど、意識はどんどん軽くなって行くのです。
それは感情にも言えます。
どんなに霊的知識があっても、大事な時に人は感情と動揺で自分を忘れてしまうのです。

使いもののならない知識をたくさん集めても、霊意識には大して役に立たないどころか、意識が重くなるだけです。
私たちが神(魂)から認められるのは、知識の量ではなくあなた自身の霊的意識化だけです。
人間の意識というものは、ほとんどの人が知らない通る段階がまだまだあるのです。

「捨てる」、その空白を埋めるのは智恵で、それは霊意識に向かって進化させるだけです。
その逆も言えます。
必要な智恵が付けば、その分無智なネガティブは捨てられます。
結果、あなたの意識はどんどん軽くなって行くだけです。


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コメント

ブログの更新をありがとうございます。 (須田)
2010-11-19 20:14:50
ブログの更新をありがとうございます。
とても興味深く、今回も読ませていただきました。
いずれにしましても、サハスラーラ(松果体)集中瞑想によって、サラスラーラの振動を高めてくことを訓練していきながら、真理方向である、高級意識、霊的意識の言葉に触れて、その意味を深く理解していく・・・、その訓練の積み重ねなくして、意識を本当に知ることはできないということなのだと、あたらめて気づかされた次第です。
私自身も、得た知識を潜在意識に上書し、ポジティ潜在意識で生きるための土台をしっかりつくりあげるために、集中した訓練を真剣に行って行かねばと思っております。
いつもありがとうございます。

須田さん、こんにちは。 (F・H・S)
2010-11-20 20:52:46

今回、宇宙意識の説明をしましたが、意識の順序をよく理解し、
その段階をしっかり固めていくことが一番の近道です。
宇宙意識の段階は、意識向上から意識進化の道です。
あまり詳しい説明は出来ません。
ひとり一人が孤独で進める道です。
何よりも最高の孤独でしょう。
ありがとうございました。

生命意識に生きる(37)~宇宙意識の段階(3) 無意識の世界を動く! 2010/11/11

今回は無意識の世界についての説明です。
私としては、この世界の一端でもあなたの意識に印象が残れば、という思いだけで無意識の世界を言葉で表現しようとしています。
私自身、無意識の世界を説明した本など読んだこともありませんが、今回説明するのは自分なりに納得している私の無意識の世界です。

今回説明する無意識とは別に、一般的な会話の中でもこの言葉は普通に使われています。
「・・を無意識にやってしまった」とか、「無意識にこんな反応してしまった・・」とかです。
この場合の無意識は潜在意識からの反応で、何も考えていなくても、特に意識もせず自然に、という意味で使う言葉です。

これとは別に、意識の順序で言っている無意識は、潜在意識・無意識・霊意識(霊界)にある、意識の世界のことだということは分かると思います。
次の説明に入る前に、私が以前読んだあるサイトに、意識の勉強に関することで少し気になった言葉について話してみたいと思います。
それは、精神世界を普通に勉強している人は、無理に高いレベルを目指してまでやらなくてもいいのではないか、ということを書いていました。

ここまでやらなくても・・、というのは、そのサイトでは深い潜在意識レベルのことまでということです。
それについては、特に私も否定しませんが、ただここに大きな落とし穴が隠れています。
それは、せっかく自分がどんどん成長して行けるのに、このようなことを言う指導者?の言葉で、それはあまり意味のないことだとしてしまっていいのか、ということです。

そこまでやっても・・、何にも使い道はないとか、やってもキリがない・・、とかです。
もちろんやる人の意識次第ですが、こういうことをこの世界に入門したばかりの人が聞いたら、どう解釈するのかと考えてしまいました。
私自身も、人にはいきなりそこまでやれとは言いませんが、別にこういうことも言っています。

ずっと長い間の意識勉強で自分がどんどん向上して行けば、いずれはこの道に入って行くのでしっかりやって行ったほうがいい、というようなことです。
意識の向上進化に、ここまでとかそこまででいい、という限界を前もって考える必要はないのです。
誰でも、もし条件が整えば少しでもレベルアップしたくなるものと、私は思っています。

こういう意味で、このブログは、少しでも意識向上を望む人のために、私の通って来た道が参考になればという思いで書いているのです。
難しい部分もあるのは、それもいつか役に立つ時がくるかも知れませんので、「知らないよりは・・」で一応載せておこうという時もあります。
結局自分!誰が何と言っても自分の将来をよくみつめ、自分のために向上して行くのみです。

現代において、世界情勢や環境、世界的異常気象や自然災害の規模などの一部をみて考えても、この先の世の中を楽観で済ませては、いずれ苦しみが増すだけと考えています。
そのためにも、まずは自分の意識を強くすること、それが大基本なんです。
過ぎてしまえば、あっ!と言う間の、1年、2年、3年、・・・、です。

私は全体、それも見えない世界やその他ここでは言えない真実を通して、この先の世界がどうなるかを見ています。
この先の世界が見えたとき、私が一人でも多くの人に言いたいと思ったことは、「今世紀中に生まれ変わりをストップ出来る意識に達するように、人間意識と霊界意識の関係、そして霊的法則をよく知って欲しい」ということです。

では、無意識についての話に入りたいと思います。
無意識は神に触れる、神を感じる、そういう中に入る、というような意識の世界です。
神を感じるといっても、それは言葉で、その感じはこうこう、こういうものだとは言えないものです。

それは内的意識で分かる感じで、この世にない、また本当に似ているものも無いのです。
その霊的感じは、もしかしたら神の影の影の影という一つの感じに過ぎないかも知れません。
その無意識に入るには、ポジティブ潜在意識に近づいていることが条件です。

ポジティブ潜在意識は、観念のポジティブ化と考えても同じことです。
私が初めて無意識に入ろうと決意した時は、本当はどうやっていいか何も分からなかったのです。
また、無意識の世界の入り方など、そのようなことを書いているものはどこにもありません。

結局、意識を動かす工夫をしながら、自分の思ったいろいろな方法で試して行きました。
こういうとき使うのが、霊的推測というもので、霊界の感じとこの世の意識(潜在意識)の間を、どう意識を変化させて行けばいいのかということを見るのです。

何も知らないことですから、一応気づいた良い方法?はすべてやってみるしかないのです。
宇宙意識の段階まで来ると、どんな人も一人でやるしかないのです。
私がこのような無意識の訓練を始めたのは、2001年頃です。
半年以上、いろいろやって行くうちに、少しずつ内側から変化が出て来たのです。

それは、自分の意識を影のように無意識の世界に落として行く訓練でした。
本当に毎日の少しの変化を忘れずに、瞑想の中で集中してつなげていったことを覚えています。
それは、無意識の世界が見えるとか言うものではなく、内的意識の振動が変わって来たといったほうがいいかも知れません。

では、無意識の中というか、意識が無意識状態に入った時一体何が起こって来たかを書いてみたいと思います。
当然、無意識状態になるには瞑想の延長上で行います。
無意識状態に入れば何が変わるか、当然始めの時点ではどうなるかも何も知りませんでした。

無意識中で起こったこと、それがこういうことかとまとめられたのは数年経ってからでした。
その特徴的なことは、気づき、ヒラメキ、インスピレーション、その中でもヒラメキ、インスピレーションが意識的にはっきりと受け取ることが出来るようになったということです。

また、3次元と4次元の意識の分離のことも、意識的につかめて来たのです。
その頃は、瞑想の中で知りたいことに意識を向けると、そのヒントがすぐか、数日のうちにやって来るのです。
そういう感じで、私は2年以上もこのような感じを、ほとんど毎週受け続けていたのです。

その間は、知りたいことが、疑問解消の智恵が次々と来る感じで、今振り返ってみても一生で一番楽しかった時でした。
ある程度の智恵の積み重ねに満足したあと、この無意識集中から少し離れ、HPや読み物などに意識を向けたまま今に至っています。
いろいろやっているうちに、瞑想や本を読むことも少なくなったまま今に来ています。

それでも、それほど瞑想もしていなくても、今でもヒラメキやインスピレーションが来るのですから、本当にありがたいと思っています。
ここで無意識の世界がどういうものか、また違う角度から、私のこれまでの体験から説明してみたいと思います。
無意識の世界は、この世と霊界との間の境界と言って来ました。

境界といっても、線によって分けられているのではなく、ここも一つの意識の世界です。
よく霊界に入ったということを書かれたものがあります。
しかし、私の意識や霊的法則や智恵から判断すると、それは霊界に入ったのではなくおそらく死後の世界や無意識の世界だと思っています。

私自身も霊界的なところに入った体験はありますが、それは霊界寄りの無意識の世界だったかもしれません。
やはり、こういう未知の世界のことは、不思議体験として意識的感じで話すしかありません。
不思議体験のことは一部説明して来ましたが、この勉強の段階が上がって来るにしたがって体験する質も変わって来るのです。

それは内的意識の不思議体験といったもので、単なる不思議体験から直接意識の成長向上に関係するものに変わって来ます。
2001年に無意識集中の訓練を始めてから現在まで体験した不思議のほとんどはヒラメキ、インスピレーションというものでした。
今年はその体験が異常に多かったのですが、その内容は少し前のブログにも書いています。

それは、その場の映像が伴うものもありますが、映像がまったくない意識的なものもあります。
私のこれまで9年間の不思議体験は、ほとんどが無意識レベルの体験になります。
そしてそこで体験した意識は、自動的にその下の潜在意識にすべて蓄積されているのです。

やはり、自分が努力した意識理解の段階は、内的意識による不思議体験などに大きな影響を及ぼすものだと思っています。
訓練については、自分の意識を潜在意識レベルから無意識振動に変化させる意識(振動)の変化に段階を追って慣らすことをするだけです。
どのくらいかかるか、ということは考える必要もなく、もうこれしかないのでずっと訓練し続けるだけです。

私はこの方法しか考えられなかったので、余計なことを考えることもありませんでした。
とにかく、無意識の世界は超能力とかただ不思議な映像を見るといったレベルのものではないのです。
無意識の世界は、次なる霊界を目指すための意識の準備、要するに霊界に触れられる意識創りをするところです。

それは、潜在意識では出来ないのです。
何にでも言えますが、この意識の世界にも順番、通る道があるのです。
これを無視する都合のいい教えをする人もいますが、神の全体世界を見つめてみればよく分かると思います。
「生命の樹」を見て、その解釈は神の世界が法則によって順序よく創られたことを理解出来れば、本質への理解の方法も自然に分かると思います。

今説明したことは、すべて意識の感じで動くことを言葉に置き換えているに過ぎません。
ですから、この説明からは無意識の感じを伝えることは出来ないのです。
潜在意識まではこの世の言葉で理解納得までもって行けますが、それ以上の意識の世界である無意識、霊意識は各自で理解訓練して行くしかないのです。

生命意識に生きる(36)~宇宙意識の段階(2) 心と潜在意識! 2010/11/04

宇宙意識の段階といっても、その意識の感じだけで知り得る界を、想像によって理解しようとしてもほとんど無理なことだと思います。
しかし、私たち人間は、神の意識である魂を通して霊界に向かって進化して行けるのです。
また、神が創造した各次元は、最低の3次元界から高次元の界まで、神レベルの振動率によって分離しているのです。

その最低3次元界の中の、さらに一番低い意識である「心」について考えてみましょう。
「心」についてといっても、その全説明はかなり広範囲になりますので、特に注意したい点に絞ってみます。
人々の大多数が、この「心」を自分自身としていることに何の疑いも持っていません。

もちろん、この「心」も人間意識の一部ですが、ここで思考しても本質的なことや真に知りたい答えは得られないということに、多くの人はまだ気づいていないのです。
また、潜在意識を根本から理解するためには、その前に「心」が何であるかをしっかり理解することの重要性も意外に知らないのです。

そして、このことがよく解るいい勉強材料は、それは自分自身である自分の意識(心)を研究することが一番ということなんです。
それが同時に「自分を知る」につながり、だんだんのその理解が拡大していけば人間意識の全体的仕組みまで解るようになっていくのです。
心というものを本当に理解するためには、どうしても避けては通れないものがあります。

それはネガティブのことですが、その時、霊的な障害というものが出て来るのです。
霊的障害とは何でしょうか、障害というと何か悪いものに聞こえますが・・
この障害というのは、神側から反発される自らのネガティブ波動のことです。
この自分にあるネガティブ性が、自分自身を障害とさせて神から反発されるのです。

このネガティブ性があるために、私たちは神側からやって来る「光の贈り物」を受け取れないということです。
いや、受け取れないというより、それを受け取る点まで行けないと言ったほうがいいでしょう。
その第一の障害が、ネガティブの一番影響を受ける人の「心」ということです。

ネガティブを克服した人の心は、人の言う「心」にはなくポジティブ潜在意識にあるのです。
長い歴史のなかで、人々の生死の繰り返しは、ほとんどはいつもこの「心」の中だけで作られて来た人生に過ぎないのです。
科学の進歩はどんどん加速していますが、人間意識は・・、現代の世界を広く見渡してみると人間意識は一体どれだけ進化しているのでしょうか。

現状から分析しても、これからの時代がどう変わっていくか読めないのはのん気過ぎます。
私はこの勉強を始めた早いうちに、はっきり言って自分の心を思いっきりバカにして来ました。
こんな心のせいで、未熟な自分になっていると思ったからです。
その心は心、決して心が悪いのではないのですが、そう思ったのです。

そして、どんどん深く探究していった末に、その心を悪く作用をさせる、またはマヒさせるネガティブというものの正体に気づいたのです。
それを知った時から、「死んでもネガティブだけには負けない」といった意識向上の進化を目指して来たのですが、結果は何度も言ってるようにそのことは大満足で終了しています。

この長い探究で、ネガティブというものの正体、また隠れた霊的段階を超えるためのヒントなどに気づくことが出来たのです。
それは、ネガティブにも質がある、またその変化にも段階があるということです。
一段階目の宇宙意識に到達するには、ポジティブ潜在意識理解のための道を進むことです。

このポジティブ潜在意識とは、この世のネガティブを完全に近いレベルで理解した意識です。
ネガティブの完全理解は、同時にこの世界の観念の全理解にもつながります。
意識は見えないもの、個性的にも人それぞれ違うものですが、それは観念にしても同じです。

だからといって、この世的な人間意識が無限に広いというものではないのです。
意識の拡大は、無限を超え霊界にまで、もっと言えば生命の樹を上昇して創造神に至ります。
まず、神から私たちに要求される意識の進化は、霊界を目指し霊意識に触れて行くことです。

この拡大意識からこれまで辿って来た道を眺めて見れば、人間意識、それもネガティブ性がどういうものか、その正体もほとんど把握することが可能になるのです。
当然レベルが高くなればネガティブの質も変わって来ますが、それは後の段階で知ることです。
観念を知るには、観念の漠然とした捉え方ではなく、ポジティブネガティブで分けて分析して行くと分かりやすいでしょう。
心は観念の場です。
もちろん心は密接に潜在意識と関わっていて、この二つは裏表一体なんです。
心と潜在意識の間にある「意識」は、この二つをつなぐ媒介と今はそう考えてもいいでしょう。

心と潜在意識がどういうものかを理解出来れば、自然に意識がどういうものかが分かります。
心、意識、潜在意識をしっかり理解して行くには、順序と相互関係、そこに観念を含めてあらゆる角度から分析理解して行けば分かりやすいと思います。
この観念にはネガティブ性についても含みますが、何故、ネガティブ性の理解なのかです。

それは、人はポジティブ性よりネガティブを重点的に見つめた方が理解しやすいからです。
結局、ほとんどの人はポジティブよりネガティブに偏っている、これがこの世です。
どちらにしてもポジティブを強化しない限り、霊界(神)方向に近づいて行けないのです。

心から離れることが瞑想だと言ったこともありますが、今はこれも十分に理解出来ると思います。
とにかく心、自分の心をしっかりコントロール出来なくてはなりません。
徹底して心をコントロールしようと思えば、自然に自分のネガティブを見るようになるのです。

次に、「心」というものを理解する困難性について触れてみたいと思います。
この厳しい時代に精神世界に入ってくる人は、一体何を求めて来るのでしょうか。
真剣に霊的世界を目指しているのか、それともこの世界で何とかなると思っているのか・・

また、潜在意識というものをどう捉えているのか。
潜在意識は自分の望みを叶えてくれるもの、思いを実現させてくれるもの、なのか?
願望実現の方法、引き寄せの法則のブームが去った後、次なるスピリチュアルビジネスは何を持ってくるのだろうか。

また元に戻って、何かに一心にすがらせる方法かもしれない。
人は、前のことを忘れれば、過去あったことでも新鮮に感じるものだからこれもあるかもです。
前世からの幸運性で今生が何とかなるのは、ほんの、本当にほんの一部の人です。

何とそれに期待をし、群がる人の多いことか。
しっかり努力をした方が早いと思うが、これに賭ける集中力はすごいものです。
そんな心のあり方が、自分の潜在意識なんです。
たくさんの混乱と疑いと欲が混じった思いで潜在意識を思い通りにしようとしているだけです。

心の場より、神に近い場が潜在意識ということを知らないで作るネガティブ意識です。
心のコントロール、支配の目的は、顕在意識(心)と潜在意識の同一化です。
そのためには、先に潜在意識を何とかしようということは順番から考えても無理なことです。

まず、心を徹底して知り尽くす勉強、努力が先です。
ある程度心の働きが分かってくる頃から、今度は心を反応させる奥の潜在意識との関わりを分析しながらこの二つを理解して行きます。
また、ある程度この二つの関係が分かって来た頃から、さらに霊的意識との関係を結びつけながら人間意識全体を理解して行くようにします。

霊的意識が少しづつ理解出来る頃には、それとは逆方向のネガティブの理解も進みます。
そして、このネガティブがいかに心と密接に関わっていたか、またこのネガティブが自分の人生にいかに大きな悪影響を与えていたかが分かって来るのです。
意識に関しても、私たちは一部、または一方向の知識を得る勉強だけでは、人間意識の全体を気づけるというまでは行かないのです。

その理解納得の土台となるのが、いかに心は愚かで騙されやすいかを知ることなんです。
心は物心がついた時から、自分の周りの環境によって言いなりの暗示にかかって来ただけですから、決してそれに気づくまでは疑うこともしないのです。
心の仕組み、自分の心のあり方、そして心の限界を知ることで、始めて自分自身が今の自分であることがおかしいと思えるようになるのです。

だれでも、人は善く変われるのです。
ただし、根本に真理の力が働いていればです。
それは、本物の本質の智恵を付けることで、という意味です。
大事なポイントです。
潜在意識を知るといっても、まず最初にするべきことは心を知ることからです。

心の完全な働きや特性も知らないで、いきなり潜在意識の理解はないのです。
こんな効率の悪いやり方は時間の無駄です。
まず、心の不完全さ、あいまいさ、未熟さ、無能さ、などを知ることからです。
心の正体を知ること、同時に心のコントロールの訓練に入ること、それはネガティブ感情コントロールでもあります。

心の正体も知らないで、またその心から動かされている自分自身も知らないで、自己コントロールしようとするのは、ただ苦痛を伴う自己抑圧です。
無理をしないやり方はただ一つです。
それは、何事もよく理解して、その結果に価値を持たせて実践することです。
すべてしっかり理解した上で行う、自分自身も納得して動く、だから効率よく出来るのです。

つまづく原因をよく分析してみればわかると思います。
不安、疑い、理解不足が大きな原因であるのに、それを簡単に何とかなると進めるからです。
私から見て、この世的な潜在意識の発想をする人は、本当のことは何も知らないと判断します。

宇宙意識の段階は霊的意識の目覚め次第なんですが、同時にそれが人の意識レベルでもあるのです。


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コメント

ブログの更新をありがとうございます。 (須田)
2010-11-08 01:48:53
ブログの更新をありがとうございます。
『意識に関しても、私たちは一部、または一方向の知識を得る勉強だけでは、人間意識の全体を気づけるというまでは行かないのです。
その理解納得の土台となるのが、いかに心は愚かで騙されやすいかを知ることなんです。
心は物心がついた時から、自分の周りの環境によって言いなりの暗示にかかって来ただけですから、決してそれに気づくまでは疑うこともしないのです。』
記事内の引用にて恐縮ですが、学ぶことにおいて、とても大切な土台部分でありながらも、心の騙されやすさに、まんまとはまっていることがあると、自分自身のことを通してとても感じています。
一部分のこと、それもとても狭いことを知っただけで、あまりにも感銘があるために、それにしがみついてしまい、すべてを分かったような気になってしまったりすることが、自らの失敗としてあります。
騙されてしまった・・・ということなのでしょうね(苦笑)
『心の仕組み、自分の心のあり方、そして心の限界を知ることで、始めて自分自身が今の自分であることがおかしいと思えるようになるのです。
だれでも、人は善く変われるのです。
ただし、根本に真理の力が働いていればです。
それは、本物の本質の智恵を付けることで、という意味です。』
数回、読ませていただいて、今日はとくに深く染み入るものがありました。その時理由はまだ分からなくても、なにかかがおかしいと感じられることだけでも、まずまずであり、更にその先を行くには、本物の本質の智恵をつけていくことで、だんだんと理解できるようになるのだろうなと感じています。
誰でも、人は善く変われる・・・。
力強い言葉です。しっかりとしたヒントを頂いたと感謝しております。
いつもありがとうございます!

須田さん、こんにちは。 (F・H・S)
2010-11-08 18:44:58
昔の私もそうでしたが、「心とは何?」という感じでした。
いくら心理を説いている本を読んでも、ピンと来ませんでした。
それはそうです。
心だけ勉強しても、意識を知らなければ、心の深い理解は得られません。
さらに言えば、潜在意識のことも知らないと、心も意識も本当に分かったとはならないでしょう。
もし、ここで潜在意識の勉強があいまいだと・・、どうなるでしょうか。
ここが意識の勉強のポイントになるでしょう。
いつもありがとうございます。