真精神世界

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真精神世界(7)~思考から意識へ、意識から無意識の世界へ!【Ⅱ】 2017/11/15 

人が自分の意識レベルを上げていこうと努力するなら、その方向は真理に近づいていくだけでそれ以外にはないのである。
私を含め、真理や無などを最初から分かっている者は、誰もいないのである。
意識レベルを上げることを死ぬまで続けていこうとする者だけが、本物の世界に触れていけるのである。

この継続の中に、人が知りたいと望んでいる大ヒントや秘密があるのである。
それをちょっと聞いたり読んだだけで知りたいと思っている人は、意識と継続の関係を知らないのだから一生その望みは叶えられないのである。
これ以外に別な方法があるかどうかなど議論しても意味がないので、私はそんなことに時間を無駄にするつもりもないのである。

意識レベルの段階について、物理的な距離で考えることを一切無くすればそれだけ意識が拡大したと思っていいだろう。
真理の何たるかに気づき近づいていくことで、初めて意識というものの世界に触れることになるのである。
意識の世界に入るということは思考から離れていくことを知ることであり、そうして真の自己意識に目覚めていくようになるのである。

いつまでも思考している自分がいるということ自体、まだまだ自分がその真理レベルに達していないということでもある。
これが意識の段階の答えである。
思考から離れていくことで、自分の意識レベルは更に上がっていくと考えていいのである。

だからといって、思考が全く必要がないということではなく、生きていることや理解のスタート段階は思考から始めなければならないのは当然のことである。
この段階で、思考と意識の区別がつかなくて矛盾に感じる人は、意識が分かってから理解できることだと今はそう受け取っておくといいだろう。
このようなことは、観念世界から見たら矛盾に感じたり何おかしなことを言っているとなるものである。

多くの人は、自分は生きているが自分のことも知らない、意識が何であるかも知らない、意識が拡大変化していくことも知らないのである。
当然、真理を知ったから、それが何かの役に立つのかと思っているかもしれない。
観念世界(この世)のすべてを知るには、真理の世界に入るしかその他に方法はないのである。

このようなことも、自分自身の意識がレベルアップしていくことではっきり自覚できるようになるのである。
ある程度、真理の内容に触れ、それで意識が動くようになってくると、人はさらに次の段階の意識世界に触れていくようになる。
この意識の感じは、「無」の感じであったり、「あるがまま」という感じであったりするのである。

では、これから「無」ついて話してみたい。
瞑想では、人は無になることをいろいろな方法で苦悩しながら目指していると思う。
しかし、無ということを知らずしては誰も無の世界に入ることはできないのである。

最初から無を知っている者などいないのだから、無を求め知るにはどのようにしたらいいのだろうか。
ほとんどの人ができていると思ってやっている瞑想の無というのは、私はその話に触れる度に違うと思っている。
無を目指すことや無に合わせるということは、しばらくの間はやめた方がいいのである。

私がやっていた瞑想でも、無を感じることはずっとできなかったのである。
しかし、今は違う、無は知っている。
だから、何とか言葉を使って無に近づけた感じだけは伝えることもできるのである。
その説明にしても、あくまで無そのものではない無に近い意識の感じを表現するだけである。

はっきり言えることは、無というものは人がやっている思考から生まれるものではないということである。
自分は、思考はしていないという人もいるかもしれないが、イメージも思考の一部なのであるから、うっすらとしたイメージも意識しないでいられるだろうか。
ここまでできる人は、かなり無の意識に近いだろう。

また、思考に思考を重ね、その意識から無が分かるということでもないのである。
無というのは、意識を高めその意識に入って、その繰り返しを何度もやっていくことで到達するところである。
それにも順序があって、いきなりすばらしい無に達するのではないのである。

意識の世界というのは全て順番あって、一つ一つ意識で慣れてその意識に触れて、またその意識に慣れて、そして次の意識の段階に入っていくといった繰り返しをするのである。
その結果、無に到達するということである。
無といっているが、実際にはこれは言葉で説明できるものではないのである。

何も無いことが無ではない、孤独が無ではない、真っ暗闇が無ではないのである。
私が感じている限り、この人生の中で今の意識の中で、このすべての自分を通して最高と感じる意識は無なのである。
そう言うしかないのである。

以前言った神秘意識も、無意識も、意識で感じるなら同じようなことである。
それは、すべて霊界の入り口的なものだと私は感じている。
無の世界神秘意識の世界は、最終的に霊界に入る前の最後に自分のネガティブを外すところである。
ネガティブといってもこの世のネガティブではない。

そのネガティブは、この世レベルで比較するとそれはポジティブと言ってもいいだろう。
それらから完全に抜け出すということである。
普通の人から見ればとんでもないことだろうし、何を言っているかさっぱり?となる内容である。

もっと本当のことを言うと、このネガティブは意識レベルの高い人であっても自信を持って、それは間違いだと抵抗してくるような内容である。
しかし、それが到達の段階の急坂にあたるところである。
神の世界は厳しい。
このようなレベルから見ると、ちょっと非情かもしれないが、この世で悩み苦しんでネガティブなどは本当は小さいものなのである。

この世のネガティブなどは、どんな人もほとんど外すことは可能なのである。
その方法その進め方を知らないだけである。
また、その意味を知らないだけである。
それから完全に解放された者は、自分が散々苦しんだことを知っていても、おそらく本当はそれほど難しいことではなかったと言うかもしれない。

本当にネガティブの正体を知ってしまえば、こんな程度の言葉で終わってしまうものである。
すべては、意識の構造のある部分にネガティブ障害が発生しているために、そこの適切な修繕ができないために長い輪廻転生を繰り返しているだけなのである。
しかし、この世の観念意識の暗示にどっぷり浸かってる人は、自分が信じられないくらい変われるなどとは絶対信じないものだと私は思っている。

それだけではない。
私のこれまでの経験から言うと、人は自分が良くなることに対しても反発をするのである。
恐れか執着かはその人次第になるが、今の自分の意識を変えていくなどとんでもないとか大変辛いことだと思っているのである。

使いものにならない自分を大事にして、どうやって自分を良くしていくのだろうか。
これが、人は自分自身に素直ではないということにつながるのである。
一応、これに当てはまるのはすべての人ではないと言っておきたい。
それだけ自分のネガティブが大事だということになるが、そこまでは気づいていないので、ただ何も知らないということである。

「知らないから苦しむ」
本当にこの言葉だけはしっかり見つめてもらいたいと思っている。
その要らないものを大事にしていることを分からないということが、一番難しいことなのかもしれないが。
人のネガティブ、苦悩というものは、私はほとんど説明できるものと思っている。

それは、別な視点から言えば解放の道でもある。
こう言うと、人のネガティブ性はすぐ変えられると勘違いしてしまうかもしれない。
しかし、自分のネガティブを変えるということは、たくさんのことを理解していかなければならないので時間がかかるのである。

自分のネガティブ性を外していくことは、同時に真理、無、神方向に向かうことである。
自分の思考も、心も、意識も、潜在意識も、無意識も、霊意識も、すべては自分の意識だ
ということをどうやって自覚できるようにしていくのだろうか。
このすべての自覚が、到達の道にあるのである。

それを入れる器が拡大思考、拡大意識、拡大無意識ということになる。
真理、無、神ということを大まかに説明してきたが、本当はこんな程度ではないのである。
「無」に達するには少し厳しいことも知らなければならないが、「あるがまま」の意識になると「無」とは逆に癒やし系の説明になるのである。

真精神世界(6)~思考から意識へ、意識から無意識の世界へ!【Ⅰ】 2017/10/15 

真理・・・無・・・神。
今回は、すぐには理解できない大変難しい内容である。
当然、説明したからといって意識の深い部分など気づけることではないが、それでもこれから熱心に意識レベルを高めていこうとする人のために書いておきたいと思った。

意識レベルを上げるということは、本来人が目指す真理、無、神という方向に近づいていくことであるが、ほとんどの人はその世界がどうなっているかは気づいていない。
もちろん、これら一つ一つは思考して分かるといったものではないので、理解しようとするのではなく、基本的なことからそのイメージを拡大していくしかないのである。

神はさておき、真理にしても無にしても観念的な意味で理解していることは、その世界に触れるには、ほとんど躓きになるレベルだということを知っておいてほしい。
躓きになることを知らずに、いつまでも真剣に求めているほど辛いことはないだろう。

それでも、一度はそこを通らなければ、理解の段階の気づきや到達への道を切り開けないかもしれない。
そういう訳で、更に高いレベルのことに気づくための一つとして、自分が求めていることが、本当はどのような意味なのかをしっかり知っておくことが大切になるのである。

宗教や精神世界には、そのような内容のことがいろいろ書かれたり説明されたりしているだろう。
しかし、それは理解の焦点の当て方にもよるが、本質的なレベルから見ると、私はほとんど違うと思っている。
実際に、自分が求める世界に入っていくためにはどのようなことが必要なのか、その説明もなくただそのような知識を話していても、そこまでのことである。

人が目指していく意識の方向は、真理なのかそれとも無なのか、又は神になると思うが、そのどれかであるに違いない。
その目指すところは、瞑想においては無になるが、解脱の道意識向上の道では真理ということになるだろう。
その次に、神という世界を意識することになるが、宗教や精神世界では神という言葉がよく出てくるが、本当は神の何かを一つでも分かっているのだろうかと思ってしまう。

最初に触れていくことになるが、私が分かりやすく説明しやすいのが神についてである。
神の話が分かりやすく説明できるというと、とんでもない誤解を招く恐れがあるが、実際は神のことは誰一人全く分からないことだと言いたいだけである。
神がどうのこうのと言っている人もいるが、私は神についてはこれまでほとんど真剣に考えることはしてこなかった。

何故なら、神については、それこそ神の何か、または神が何であるかは何一つ分からないからである。
私が意識で触れてきたのは、神ではなく、神の属性や形態的顕現であり、宇宙や霊界の全てを創造した神という概念だけだった。
当然、神の実態など全く分かるわけもないのだから、無理に考えることもないと今も思っているのである。

神を本当に感じていけるには、私たちの意識そのものを向上させそこで感じ触れていく意識的感じ以外は、神を知ることなど一切ないのである。
そのようになるレベルは、私は聖者意識レベルからだと思っている。
人が神の属性に触れることができるのは、神の法則というものである。
人や世界のすべては神の法則で縛られているのであるが、それをほとんど無視しているのが神に一番近い人間であるというのは、何か皮肉的に感じるものである。

神の法則の中に、それこそ必然の全てが含まれているということに気づくべきである。
どこまでも無視すれば、その結果どうなるかのそれも分からず、結局は苦悩の道を歩くことになるということを心底から分かれば、変われるのにと思うのだが・・・。

それも信じられないのだろう。
人が神を意識するときは、恐らく苦しいときの神頼みのときだと思うが、神様仏様と祈っても、ネガティブに満たされている人間の意識に神がどの程度触れられるのだろうか。
それより、神は、この宇宙には入ってきていないのである。

宇宙を創造した神ではあるが、この宇宙、3次元を任せられているのは大聖者である。
だから、私たちは全く接点のない神を見つめるよりも、聖者の意識レベルを目標に自分を高めていくべきなのである。
今言っている内容は、これまで私がやってきたことで経験から言っているのである。

私は聖者が話す内容の意味を深く理解しようとして意識の勉強をやってきたのである。
だから、聖者の教えの意味を聖者の意識に近いレベルで理解できない限りは、私は神に意識を向けるつもりはないのである。
この思いはずっと前から、そして今も変わらない。

今を意味のないことに向けるより、無駄な時間にしないように時間を大事にしなければならないのである。
神仏を求めることは、宗教や精神世界になるのかもしれない。
しかし、宗教や精神世界は神方向に向かっていくために、どのように自分の意識を高めるかをちゃんと教えているのだろうか。

宗教でいう、祈りや難行苦行や力を込めた集中力などが必要なのであろうか。
また、特殊能力や意識が重くなるくらいの知識を集めることが必要なのだろうか。
もっと言えば、神との一体化の思いや思い込み集中などが必要なのだろうか。
私は、これまで難行苦行や思い込み集中といったことは一度もしたことがないのである。

私がやってきたのは、意識の理解と意識訓練である。
意識訓練というのは、自分が自分の意識を知りそれで意識の世界を動くための訓練である。
そうならなければ、聖者の世界や神秘霊的世界に触れられないと思ったからである。

聖者は、霊意識の世界にいる方であるから、誰もが自分から近づくしかないのである。
その理解のために、それに触れるために、私は聖者方の教えを理解するために、聖者の言葉が載っている本を選んで勉強してきたのである。
私は、意識勉強の最初から聖者の本しか触れてこなかったのである。

いろいろなことを知るためには、参考として精神世界系や知識的な本も少しは読んだこともあったが、そこから得ることで大事なものはほとんどなかった。
しかし、いきなり聖者方が言っている言葉の意味を理解しようとするのは無理である。
また、聖者方が言っている言葉をたくさん知って集めたとしても、それだけではそれほど大きな意識成長にも結びつかないのである。

聖者方の言っていることを覚えその知識がたくさんあるからといって、本当に何が分かっているのだろうか、できるのだろうか。
それで、自分を救い守り高めることができるのだろうか。
本当に自分を救い守り高めるには、言葉の真の意味を理解することが必要なのであるが、言葉の真の意味ということも分からないかもしれない。

その勉強、その方向が真理である。
言葉の真の意味というのは、観念的言葉の意味から離れた真理側だけで通用する意味であり、言霊的な分野にも入るだろう。
意識の勉強の方向又はそのやり方、そういうことを全く知らずに勉強していると、聖者の本を読むのもただ読書になり、ただ知識を集めることで次が見えなくなるかもしれない。

結局、そのうちだんだん迷いと疑いが強くなり、自分自身がどうしていいか分からなくなるものである。
このようなことは、誰もが体験していることではないだろうか。
そうなってしまうのは何が悪いのだろうか、何が原因なのだろうか。
もう一度しっかり見つめてみれば分かることであるが、このことについてはこのブログで随分説明してきたことである。

その大きな原因の幾つかは、一番に自分に素直でない、次に焦って基本をないがしろにする、人やこの世を見過ぎる、そして理解の順序、進め方に重点を置かない、となるが、出せばその他にもたくさんある。
過去の宗教の歴史を見ても、何一つその世界の理解の方法や進め方の順序などは、はっきりと伝えられていないのである。

仏教経典を読むだけでは、真に真理、無、神を意識する気づきや目覚めは来ないだろう。
やはり大事なことは、自分の意識をどうやって高めていくかの順序の理解と勉強方法を知るしかないのである。
すべては意識なのである。

最終的には、人は自分の中、自分の意識に入っていかなければならないのである。
まず知識、そしてそれから意識の理解といった順である。
その意識レベルを上げていくこと、それが真理の方向である。
これが唯一神の道であり、それ以外に何が必要だろうか。

それとも、この道だけを歩くことはつまらないという気持ちになるのだろうか。
その思いは輪廻転生の道を歩かされるだけで、そこを歩いている誰もがいつか絶対的な選択を迫られるときが来るだけである。
その間の道のりは、ただの今の延長であり、興味本位に惑わされている我の意識との一体化という人生なのである。

真理に入るまでは、順序としてまずポジティブを目指していくしかないのである。
ポジティブの次が真理である。
ポジティブになるまでには、自分のネガティブを何とか外していくことをしなくてはならないのである。

そのネガティブが何であるか、その本質的な意味をどんどん知っていくことで、ネガティブから離れていけるのである。
そうなって、初めて人の意識はポジティブの良さに気づき、自由という意識に喜びを感じていけるのである。
ネガティブを無視して、ポジティブになることを目指すのではないのである。

ネガティブにしても、ネガティブを捨てることも消すことでもないのである。
ネガティブの低級性、無意味さ、無価値を知って、それが完全理解に進むことによって自然に自分のポジティブ性が上るという仕組みが神の法則である。
それをどのように見ていくか、どのように分析していくか、どのように真理方向に入っていくか、それが意識の勉強の道である。

このようなことは、私がここで説明していても分かることでも信じられることでもないかもしれない。
何故なら、あなたの中には数多くの輪廻転生を繰り返してきたネガティブが無意識に深く蓄積されているからである。
真理霊意識から見ると、人間意識のすべては限界の中にあるものだから、本当はほとんどの意識は理解できるものである。

だからといって、全ての意識を理解するために頑張る必要もないのである。
自分のネガティブ、自分の意識を高めていくだけ、そして神の世界に入っていけばいいのである。
神の世界に入ることは、とんでもないくらい難しくも無理なことでもないのである。

どんな人にも言える第一のことは、自分のネガティブをポジティブに変え、そして神の世界に入ることを目指すのである。
これが一人ひとりに与えられた第一の霊的使命である。
個人的には、それ以外の使命はないのである。

真精神世界(5)~自分の意識の位置を知る! 2017/09/15 

自分の意識成長の目安として「悟る」という言葉を使う人もいるが、私としてはなるべくこの言葉を使わないようにしている。
何故なら、この言葉は漠然としていて意識成長の目安にすることができないからである。
私は、これまで悟りという言葉を使ったこともあるが、それは悟りという意味を意識成長の段階で理解するためだった。

意識の世界がどういうものかを分かっていれば、「悟り」とか「悟る」という言葉を使うことに大きな抵抗を覚えるものである。
この言葉は、真に解脱意識レベルに入った者が使うものと、私の中ではそう決めている。
だから、そのレベルにない者が自分の意識に対してこの言葉を使った場合は、どんなに良い言葉を並べても私はその人を、まだまだ本質を知らない者と見ている。

人が意識の成長をするというのは、当然神方向に向かうことである。
順を言うと、ネガティブからポジティブへ、そして真理、霊的と意識段階を上げていくことで物的から霊的方向の道を進むことである。
この意識成長は、同時に人格形成にまで良い影響を及ぼすのであるが、それは自己コントロール能力が二次的に自分を支配するからである。

自分の意識成長を自覚できると、次に気になるのが現在の意識レベルの位置である。
自分の意識の位置というのは、ほとんど聞いたことがないと思うが、本当は自分の意識を高めている人にとっては気になることではないだろうか。
私自身も、自分の意識の位置はずっと分からなかったが、長い間意識の勉強をしている途中でとても不安定な気持ちになったことがあった。

それは、確か意識の勉強を始めてから17年くらい経った頃だと記憶している。
ある日、自分の意識レベルを考えていたときに、確かに長い間勉強してきたので本の内容の理解度から、意識は相当上がっているはずと自分なりに納得していた。
しかし、その先の上の意識段階が分からないので、今自分がいる意識レベルの位置が本当はどの程度かが全く見当もつかないのである。

意識の到達点は、聖者の言葉からは頭に入っているが、それがどういうところかはまったく見当もつかなかったのである。
どんなに勉強をしても、ずっと宙ぶらりんの中を上昇している感じだけで、この不安定感を支えるものは何もなかった。
このような意識の位置に関係した不安定感は、その後だんだん解消していったのであるが、それがどういうことかをこれから話してみたい。

私たちが考える、又は知っている意識とは何か、まずそれを知らない限りはこのようなことは全く意味がないことになる。
これは、意識成長だけでなく人間を知ること、また神について何かに触れることまでなるとても大切な内容になるのである。
人間意識を知るか知らないかは、意識の勉強や成長にも大きな差が生まれるのである。

私たち人間の意識は、どのような段階で分離しているのだろうか。
この段階とは何だろうか。
細かいところは自分で考えてもらうとして、大きな分け方で人間意識が分離している段階を説明してみたい。
まず、一番大きな分け方としては、神と人間ということである。

意識成長というのは、人間が神意識に近づくためだけであって、それが人間の目的となっているのが輪廻転生という生まれ変わりである。
問題は、人間意識にだけある。
人間意識を大きく理解できると、その中は善か悪かで、もっと分かりやすく言うと聖者か悪魔のどちらに近いかになる。

これが人間意識のすべてであって、聖者の上が神世界で、その逆である悪魔以下の世界は無く意識は悪魔意識止まりである。
この聖者側の意識と悪魔側の意識は、このどちらも一般レベルにはほぼ遠い意識レベルなので、今は直接気にすることでもない。
人類というか、ほとんどの人間の意識は、この聖者と悪魔の間にあるのである。

私は、この聖者側の意識と悪魔側の意識のレベルを知っているので、その間を人間意識の波動測定でP9からN6まで波動振動といったレベル分けで人間意識の段階を見ている。
これが、まず人間意識を大体でも知ることの基本となる。
それ以外では、心、意識、潜在意識、無意識、神秘意識、霊意識と別れる意識段階があるが、その位置はその人の意識の智恵を知ることで大体把握できることである。

聖者の教えの内容を考えれば、このことがどういうことかは察しが付くと思う。
あとは、ネガティブ意識レベル、ポジティブ意識レベル、真理意識レベルといった人の意識からもはっきり分かれるだろう。
これらのことがすべて一致すれば、その人の意識の位置ははっきりするはずである。

すべてとは言わないが、この世にあるもので判断すれば、ある程度これで十分ではないかと思っている。
この中でも、意識による波動振動測定は、NP度だけではない様々な隠れた意識状態が出るので、それも大きな判断材料になるのである。
私は、これらの判断基準の最高を聖者意識レベルにおいている。

すべての人間は聖者意識以下なので、こういうことでも測定の判断目安ははっきりと段階別に示すことが可能になるのである。
聖者だけでなく、その下には、偉人賢人、誰もが認める人間性を発揮した人物などの意識レベルも意識段階を付ける参考にしている。
ネガティブレベルの段階も、聖者意識とは反対に同じように判断すれば、ネガティブ側のレベル段階を付けることができるのである。

人間は超努力すれば、聖者意識に近づけるだけでなく聖者の弟子になることも可能なのである。
では、これとは逆に、人間がとことん悪に堕落していけば悪魔になってしまうということはあるのだろうか。
悪魔は全く別な意識状態で、人間は悪魔レベルまでは落ちることはないのであるが、しかしN6までいけば、ハルマゲドン世界が終了するまで残るレベルだろう。

現代は、あなたが知っている人の中に、N6は少ないがN5の人はけっこういるのであるが、それを公表する権利は私にはないのである。
このようにして、自分を知るというのは自分の意識を知ることであって、当然ポジティブやネガティブのレベルも含まれるのである。
自分の意識を知るというのは、自分を高めようとしている人には自分の意識の位置を知るということにつながるのである。

それがすべてではないが、一つの目安であり励みである。
自分の意識が上がっていると、とてもうれしく感じるだけでなく、内的な実感として何か意識の段階という違いが少し分かる感じがするものである。
自分の意識段階における範囲が分かれば、他の人の意識の範囲内のことも大体分かるものである。

それが、人の意識が分かるとかその人の心が読めるということになる。
次に、意識の位置が分かることの延長でもう一つ大事なことがある。
それは、人間意識の構造、分かりやすく言えば意識の仕組みである。
心理学的に意識の仕組みを説明すれば、平面的な表現になってしまうだろう。
人それぞれの意識の位置を意識の仕組みで説明すれば、立体的な構造を意識しなければその理解は難しいだろう。

何故なら、人間意識は人それぞれ違うのであるから、自分と同じ平面意識の中に人の意識を位置付けることは、とても分かりにくくなるからである。
人間意識の層はP9からN6まであるが、両極端まで考えなくても一般的に多いP4からN4までの意識を考えてみたい。
その意識範囲であっても、相当な人数の意識を考えると、その種類や質から意識の仕組みを平面ではなく意識の立体化で捉えないと思考詰まりになってしまうのである。

このことは考えてもすぐ分かることではなく、拡大意識の中で少しずつ理解していくことでなるほどの世界である。
今ではなく、これも自分の意識成長の段階とともについてくるものである。
ここまでやるかどうかではなく、このような智恵を知ることでもあなたの意識は広がるものだと私は思っている。

このようにして、人間意識の全体を熟知していけば、人間世界がよく分析できるようになるだろう。
世界の歴史を振り返ってみると、人間意識の成長の流れやネガティブ性の表れ方なども良く見えてくるかもしれない。
それらすべての意識を土台にした延長で、その先が未来ということである。

この先ずっと続く未来の意識をどうやって読むか、未来推測も可能である。
すべては人間意識で、その意識は輪廻転生でそのときの人生から離れたとしても、自分の魂意識は無意識の中にしっかり刻まれて残っているのである。
今の人間意識だけでなく人間の全体意識を読むことによって、誰もが気になる未来を読むことも可能になるのである。

私は、世界の歴史からだけで人間意識を見ているのはなく、人間が存在した原初意識からのネガティブ意識の複雑な分離の過程と変化を研究してきたのである。
その内容は、簡単に話せることではないが、それですべての人間意識の正体になる。
今の段階で言えば、ここまでの内容でも私がずっと言ってきた観念、その人間意識の枠の狭さが理解できるのではないかと思っている。

最後にもう一つ、意識の位置を知ることで可能になることについて話したい。
これもこれまで何度か言ってきたことであるが、意識の中継点のことである。
人の意識の中心は心である。
その中心である心という位置を潜在意識に移動して、そこを新しい自分の意識の位置、又は中継点にしていくということである。

当然この潜在意識の中継点は、意識向上によって次なる無意識へと移動していくのである。
見えない意識の世界であるが、3次元の限界だけでなく、それを拡大して4次元以下の世界という限界で見ることもできるのである。
霊意識到達までの人間意識は、誰もがこの限界内のどこかに自分という意識の位置があり、意識レベルが上がればそれにも気づくことができるのである。

意識の話は、広く深すぎて、何かを話すとそれに対する疑問が次々と出てくるものである。
この繰り返しの理解で前進していくことが、意識の成長ということになる。
この意識成長で前進していく段階が、将来のあなた自身となるのである。
意識というものが良く理解できていけば、これまで無理だと思っていたことまで答えを出せるようになるのである。


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コメント

中心のはて (関孝之)
2017-09-18 11:11:50
自分の意識を高めると光が強くなり、いろんなことがわかるようになる。
毎日が、プチ悟りたと思い、とりくんでます。
自分の心の影を光りでてらしていけば、その先に中心のはてに出会えるだろうか?!
すべては意識になる!!いつもブログ拝見しています。
また、東京でやることがあればお願いいたします!!


関 孝之
関さん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2017-09-18 16:28:24
良い感じですね。
今度は、言葉の意味にポイントを当てていくといいですね。
意識を高める光とは?
それで、どんなことが分かるのか?
自分の心の影とは?
それを照らす光とはどんなもの?
中心のはてとは?
これらをある程度具体的に分かれば、さらにレベルアップ間違いなしです。
分かっていれば、自信を持っていいレベルです。
がんばってください。

自分や人の意識レベルを知る”ということ。 (M)
2018-07-12 21:28:50
また先生のところで意識の勉強を再開出来て嬉しく思っています。
このブログも新しい理解で今の自分にとって必要な個所をゆっくり読み直していこうと思います。
以前は他の人に意識レベルをつけることは自分が傲慢に感じてずっと抵抗感を感じていましたが、そうではなくて、はっきり意識の段階をわかることは人と比べてどうのこうのとか、人と優劣をつける事ではなく、?今の事実を知ることで自分の成長度合いをはっきり自覚できる大切なこと”だと気づきました。
例えば中学入学したばかりの1年生と中学3年生はどっちが偉いとかではなく、中学3年生の方がいろんな経験をして新入生よりは色んなことを知っている先輩というだけなんですね。
「自分が経験してきた部分は経験していない人よりよくわかる。」みたいな。
でも、中学3年生の人も、高校生や大学生、社会人と比べたらまだまだ未熟ということなのですよね。
だから、私も、先生のところで色々勉強してきた分、何も勉強していない人よりは知っているのだという自覚をはっきり持たなければいけない(自覚が持てなければ、持てるようにひとつひとつしっかり丁寧に理解納得していかなければいけない。)と思ったのと同時に、たくさん経験を積んで意識的に成長してきた人からみたら、私はまだまだ未熟なひよっこで、先生や聖者方に至るまで上には上がまだまだたくさんあって、その方たちの意識を目標に謙虚に頑張らないといけないのだと思いました。
先日先生から波動チェックをしていただき、自分がこれぐらいだろうと思っていたより高かったので嬉しかったのですが、もっともっと上を目指して頑張っていきたいと思いました。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。


Mさん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2018-07-13 18:30:41
比較することはとても大事なことですが、比較の意味を間違えると大きなブレーキになってしまいます。
今、考えている通り、価値ある比較の中でさらにレベルアップを目指していってください。
人との比較を、絶対自分の中に入れないことです。
智恵ある比較は、拡大意識につながります。
がんばってください。

『比較』から観えてきたもの。 (M)
2018-07-14 21:40:35
金子先生。
お忙しい中、コメントありがとうございました。
私は、長い間ずっと『比較』の意味を間違っていて、それに苦しめられてきました。
比較→競争→(優越感(優越感の場合はここで満たされて終わり))・劣等感→プライド→こんなはずじゃない・素直じゃない(ありのままの現状を素直に受け入れられない)・頑固さ・あまのじゃく→無力感・・・
過去を冷静に見つめてみると『比較』から、こんなパターンがはっきり観えてきました。
他人との『比較』を自分の中に入れてずっと苦しんでいたのは【無知な自分】でした。
ずっとダメな自分(ダメだと感じている自分)をダメなままで終わりにしていたから、苦しかったんだと思います。
本当は自分も良くなりたかったのに、それが出来ない(と思っていた)から私の理想を持っているように見える人に嫉妬したり、ひがんだり、本当はイキイキとやっている人が羨ましいのにそれを認めるのが悔しくて(ネガティブな意味の負けず嫌い)「全然羨ましくない。」と思おうとしてあまのじゃくになったりしていたんです。(←ネガティブって複雑ですね。かなりこじらせていました(^^;)

『ありのままの自分の現状』がわからなければ、そこから良くなるために何をしたらいいか、対策も立てられないし、何も始められませんよね。
価値ある比較”とは、『ありのままの自分の現状を知るための物差し』だと、今は理解できます。
【自分の不完全さ】を素直に受け入れて、そこから少しでも良くなるように、完全に近づけるように、今自分の出来る事を精一杯やるのみで、そこに他人は関係ないのだと今は思えます。


Mさん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2018-07-15 18:27:32
Mさんの気づいたとおりで、良い感じです。
次に向けての新たなスタート点に立っている感じがします。
自分の目標に向かってがんばってください。

金子先生、ありがとうございます。 (M)
2018-07-15 19:45:31
先生がおっしゃる通り、自分でも次に向けての新たなスタート点に立った感じがします。
ここから良く変わっていくために一生懸命頑張りますので、これからもたくさんの事を教えてください。
どうぞよろしくお願い致します。

真精神世界(4)~絶対力・神のエネルギー「生命力」に触れるには! 2017/08/15

今回は、すべての生き物にとって大事な生命力の話をしていきたい。
特に、私たち人間に関係する生命力について知ってもらいたいと思っている。
生命力のことは、これまでも話のつながりで必要な説明をしてきたと思うが、今回は最近私が体験した生命力のことについても話してみたい。
生命力は、人にとっては一番大事で命そのものであると分かってはいても、生命力の繊細なところまで意識できる智恵は誰も持っていないと言っていいだろう。

私が初めて生命力を意識したのは、ずっと前のことになるがこれもある体験からである。
以前、「ポジティブうつ」の記事を書いたことがあるが、この言葉はこの生命力を強烈に体験したことから出たのである。
それから今まで、生命力のことは本当によく研究してきたが、しかし、そう簡単に分かるものではなかった。

それでも、たくさんの経験をしていく中で、生命力の感じに触れながら理解が深くなっていったのである。
一般では、生命力は体力や健康といった肉体的なことに直結して考えていると思うが、私が研究してきたのは意識の生命力である。
高いレベルで、意識の生命力の智恵を把握してしまえば、その以下である肉体に関係する生命力は支配できると思ったからである。

たとえ瞬間であっても、強力な生命エネルギーに触れると、かなり心身が弱った状態でも意外に早く復活させることができると思ったことがあった。
それは、「生命力エネルギーカード」を作ることによっても、少しずつ実現している。
まだこのパワーレベルでは満足できるものではないが、それでも自己ヒーリングの時間がないときは、私もこのカードに助けられたことが何度かあった。

人間は、生命力の量次第で、心身の状態が大きく変化するくらい影響を受けるのである。
自分のすべてが発展していくか、それとも次第に衰退していくかは、これも生命力の量に密接に関係しているのである。
私が最初に強力な生命力を感じたのは、もう25年くらい前になる。

それは、私がポジティブネガティブの本当の意味を知ろうとして、ウツになるくらい考え悩んでいたときであった。
そのウツ状態は3か月以上続き、心身がどんどん疲弊してほとんど気力も失いかけていた。
心も体も異常に重く、本当にちょっとしたことも大変に感じるくらい弱り果てていた。

そんな状態にあったある日、落ち込んでいたときに起こった一瞬のことだった。
いきなり私は、「分かった!」と飛び上がるような喜びの一瞬を経験した。
そのときの「分かった!」が、これまでずっと一貫して話しているポジティブネガティブの内容である。
この「分かった!」はインスピレーションであるが、今回はこのインスピレーションの話ではなく、生命力の話である。

心身がズッシリ重く気力もない状態だった私は、この一瞬で超元気になっていた。
ほんの一瞬で、私のすべてが一変して、じっとしていられないくらいエネルギーに満たされていたのである。
部屋中をうろうろ、もう何でもできると思えるくらい気力が充満していたのである。

その後は、もう何をしても無理で終わりと思っていた自分がたった一瞬で変わった、ということをじっくり見つめることが多くなった。
本当に何もしていない、ただ弱り切った心身を一瞬で変える力とは何か、それに気づこうと一心にそのことに集中して見つめていたのである。
まず、はっきり分かったことは、自分がどのくらい元気になったかという事実であった。

それで、心身共に元気を復活させた力は生命力しかないと思えたのである。
それしかない、神のエネルギーの生命力以外に何があるのだろうか、と。
それからは、この生命力エネルギーを入れられる自分を作ることが大事だと決心し、努力を重ねることでそれはだんだん実現していったのである。
生命力入れることを覚えたおかげで、私は相当な意識の訓練をやってこられたのである。

そのとき私が思ったのが、この生命力を人に入れることが可能になれば、心身の病気も大きく変化するだろうということだった。
しかし、それはなかなか思うようにはいかないものである。
当然と言えばそうだが、だからといってあきらめたことは一度もなかった。
よくよく考えれば、人間とは都合のいいものだということも、そのとき分かった。

もう無理、終わりだと、どん底まで沈んでいた自分が、たった一瞬で元気に変わったことを思ったとき、人間が思い込んでいる元気とは何なんだ、と何か気づきかけたのである。
勝手に決め込んでいるではないのか、元気流入切り替えスイッチは自分の意識の中にあるのではないか、と。

人間はいつでも変われると自ら体験したのだから、その後の私の考えや思いが一変したのは当然だが、あなた自身も何か感じるところはあるだろうか。
この体験があったから、私は最後の1%まで信じ、それにかけていけるのである。
ダメかもしれない、というささやき・・・、そんなことはもうどうでもいいのである。

ダメなら、ダメでもともとではないのか、だから終わりが来るまで続けるのである。
とても大事なことだが、ほとんど人は良いことに集中することができないのである。
すぐに、心配不安を見つめ、いつまでもどうにもならないことを考えるのである。

実は、こう言っている私も、この勉強に入るまではそうだったのである。
それが努力の結果、今言ったネガティブ集中や思いは、意識から外し変えることに成功したのである。
自分を良くすることをしなければ、真に生きる楽しみはどこにあるのだろうかと思う。

では、生命力はどうやったら自然に入ってくるようになるのだろうか。
先に断っておきたいが、私がここで言う生命力とは体力が付くことではなく、気力に関係する生命力である。
当然、気力が付けば同時に体力も上がるはずである。
気力が直接良い働きをしてくれるのは、集中力である。

集中力といっても、一般的に知られている集中力ではなく持続的集中力とか開放的集中力というものである。
この集中方法が、生命力の循環を良くするのであるが、これにはいろいろと説明が必要になるが、簡単に説明できるものではないのでここでは省略して次にいきたい。

生命力に関することは実にシンプルなことで、これまで何度も説明してきたことであるが、あえてそれを言えばもう分かっていると思われるかもしれない。
生命力は生命エネルギーのことで、神のエネルギーである。
神のエネルギーが嫌うものは、ネガティブな波動であり意識である。
それが、生命力が流入してくる回路の障害となるのである。

だから、自分のネガティブ性を極力減らしていくことが大事で、その結果がポジティブ意識であり調和霊的意識となっていく。
では、悪党や超ネガティブ人間や暴力団的な人に、超元気な人がいるのはどうしてだろうか。
ネガティブが邪魔にならないのは何故かといった疑問が出てくるはずだ。

もちろん、人によっては生まれつき元気すぎる人がいるのも事実だが、人が一番生命力流入の障害となるのは、ストレスや自己抑圧や悩みやネガティブ感情なのである。
超ネガティブや犯罪などがネガティブと感じず、自分の抑圧解消となったり、全く罪意識を持ってなかったりする人がいる。

そのような人は、普通の人が考える重いネガティブ性はなく、思いによってはポジティブになっている人もいることを知っているだろうか。
そうであっても、神の法則がある以上それはいつか自分に返ってくるのは当然であるが、現世ではそう信じている思いがポジティブとなって働くのである。
ただし、単純にそう思えばそうなるということではないので、注意してほしい。

表向きには、誰に対しても良い人と言われていても、自分の心の中は真っ暗では生命力が次第に減少し始めるのである。
そして、いつか何らかの心身の病気に抱えることになる確率が高くなるのである。
生命力を失いたくなければ、自分のネガティブを外しポジティブ意識になっていくことである。

老化の原因は生命力にあり、それは精神的(意識的)老化から始まるのである。
チャンスの多い大事な人生、その中の自分を、時間の流れの中を流されている単なる一存在と見ているのだろうか。
こう言う私も、これまで何度も生命力が減少する体験を繰り返しながら、このようなことに気づき意識レベルを上げてきたのである。

すべて私の体験を通して気付いたことや理解したことを言っているのである。
生命力については、話たいことはまだまだあるが、次に最近私が体験した生命力に関するインスピレーションの話をしてみたい。
私はこれまで、整理整頓のため時間がないと言っていたが、昨年暮れから今年6月頃までは、35年間の意識勉強の中で一番きつい時期であった。

たくさんのことに関係しているので細かいことには触れないが、自分の意識レベルを測定すると一時的にP5まで下がったことがあった。
おそらく、あるときはP4台まで下がったのではないかと思っているが、今は元の状態に戻っている。
大変苦しい月もあったので、よく無事だったと思っているくらいギリギリのレベルまで落ちていた。

落ちたと言っても、一般的なネガティブなことや悩みなどではないのである。
そんな状態だったから、6月の初旬あたりは、気力や体力を元に戻すには相当な時間、来年までかかるかもしれないと覚悟していたのである。
ただ、当然だがセッションやヒーリングはしっかりやっていたが、それでも終わるとぐったり状態だった。

今年の前半は、私の最後の意識的試練という意味もあってそうやっていたのである。
そして変化が来た。
今から1か月前の朝方、フト生命力のことが頭をよぎったのである。
その生命力の感じに、じっと意識を集中しているとだんだん元気を感じてきたのである。

その日は、それまでとは見違えるくらい元気を回復し、生命力の感じにも同調できるようになっていた。
次の日、私は今感じている生命力に意識を同調するように深く集中してみた。
そうすると、内的な映像だが生命力が通る回路が見えてきたのである。
それは、脊髄のようなものに感じ、背中の副腎あたりまで通っていた。

なるほど、そのあたりからマニピュラに生命力が流入していくのか、と分かったのであるが、これはクンダリーニとは全く関係ないと言っておきたい。
マニピュラが生命力のポイントであることは、これまでも書いたことがあると思う。
今度は、頭の中にある生命力の回路の始まりをじっと静かに集中してみた。

意識がどんどん深くなっていくのだが、意識が意識の中でどんどん奥に向かっていくのが感じられた。
かなり奥の世界まで入っていった感じがしていたが、そこで生命力の核のようなものを見えてきた感じがした。
そこは、アストラル界しかないと思っているが、そこで感じた生命力の核に意識を合わせると、生命エネルギーを直接感じるのである。

これが生命エネルギーだと言えるくらい、私はいつでも感じることができるようになったのである。
そのときから、私は以前絶好調だった頃の意識に戻った感じになっていたのである。
すべて戻ったとは言わなくても、かなり近づいた状態になっているのである。

また、魂の援助をもらった。
このインスピレーションは、大変な発見であるがとてもありがたいことである。
まだ、この中に秘密が含まれているのを意識的に感じているので、次の発見もあるだろう。
既に、この生命エネルギーと集中は、ヒーリングなどに活用している。

今年いっぱい、この生命力を何とか活用できるように研究して、さらに同調一体化できるようにがんばろうと考えている。
来年までに、心身の健康と調整にこの生命力を活用できるようなものを作っていければと考えて、今は集中してがんばっている。
たくさんの人が、この生命力に触れられ、生命力がどんなものかを自覚できるようになったら、どんなにすばらしいことだろうか。

「生命エネルギーさえあれば!」これは最初に生命力のインスピレーションに触れたときに思ったことである。
どのくらい実現できるか、私の最後の挑戦にしたいと思っている。
私自身も、生命力と自分が一体化できることを目指していたので、ようやくすべての条件がそろった感じがしているのである。


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コメント

Unknown (matsnao)
2017-08-20 21:33:22
こんばんは。
記事をありがとうございます。
「そのウツ状態は3か月以上続き、心身がどんどん疲弊してほとんど気力も失いかけていた。
心も体も異常に重く、本当にちょっとしたことも大変に感じるくらい弱り果てていた。」

「たくさんのことに関係しているので細かいことには触れないが、自分の意識レベルを測定すると一時的にP5まで下がったことがあった。
おそらく、あるときはP4代まで下がったのではないかと思っているが、今は元の状態に
戻っている。
大変苦しい月もあったので、よく無事だったと思っているくらいギリギリのレベルまで落ちていた。」と書いていらっしゃいますが、一般的にみてP4やP5というのはかなりポジティヴだと認識していました。
P値が一般人を超えて高い方というのは、P4やP5でも疲弊したり苦しかったりするものなのでしょうか?
それとも苦しいという意味自体が私たちとは違うのですか?
また金子さんのP値はどれ位なのでしょうか?
言葉というのは非常に伝わりにくいものなので、かみ砕いて教えて頂けるとありがたいです。


matsnaoさん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2017-08-21 13:06:57
私は人間ですから、書いてある通りです。
私が感じている苦しいという意味は、説明しなければ分からないかもしれませんが、ここではそれについて説明するほど重要なことではありません。
私はニ度と自分の意識レベルは言わないということで、数年前自分のP値を書いたことがあります。
このブログは、見えない意識の世界を私なりに分かりやすく書いてきました。
言われる通り、言葉というのは非常に伝わりにくいものです。
私は、matsnaoさんのことは知りませんし理解度がどのくらいあるかも分かりません。
そうなると、かみ砕いて教えるといってもどの程度でいいかはわかりません。
理解度によっては、分量も相当な長さになります。

私は、その人の意識レベルに合わせて教えることはしています。
ブログに書けない、秘密的なこともたくさん教えています。
しかし、ブログではそれはできません。
かみ砕いて…、というmatsnaoさんの気持ちは分かりますが、これまでの私の読み物を読めば質問の半分以上は理解できると思っています。
いろいろなことをやっていますので、そこまでしなくてはならないのかと思いました。
足りないと感じるかもしれませんが、これでも私は努力しています。
これからのブログも、今書いている感じで進めていこうと思っています。

私もびっくりしました (T.M.)
2017-08-21 21:38:08
私も先生が一時的にP5や4まで下がったと知りびっくりしました。
同時にその様な状況を教えていただき、ありがたく思いました。
私も周囲の事に煩わされてると、自分の意識状態が良くない事を自覚し落ち込む
のですが、当たり前でした。
もちろん先生の場合の原因や苦しさは私は想像もつきませんが、その結果
「生命力と一体化の条件がそろった」とのこと…その為に必要な事だった訳ですね!
今後を楽しみにしています。


T.Mさん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2017-08-22 18:17:42
意識レベルが落ちるのは、いろいろな理由があります。
それが、一時的かどんどん落ちていくかは、個人の意識によっても様々です。
ただ、一度達した意識レベルには、気持ちを変えれば比較的早く戻ることは可能です。
私は、自分の意識レベルが落ちるということは何度も経験しています。
意識のレベルアップはスムーズにいく訳はありませんので、波があるのは当然と考えてください。
&b

真精神世界(3)~真に気づけると、意識成長は驚くほど加速する! 2017/07/15

人は様々な思いを抱いて、見えない世界や神の世界に触れようと努力している。
しかし、どうにも思うようにいかないし、そのきっかけになるようなことにもなかなか触れられないというのが、ほとんどの人に言えることだろう。
本当に努力しているか、またどれだけ長い期間神を求めて来たかは別にして、その結果が見えないことは大きな躓きに感じるものである。

人は、相当数の輪廻転生を繰り返して今ここにいるのだが、意識成長の段階というのは今生のみの努力で決まるものではないのである。
人には、輪廻転生という大きな意識の流れがある。
それはどういうことかと言うと、自分という個性が今生生まれた時に創られるではなく、自己意識のほとんどは前世から引き継ぎでなっているのである。

その前世は、また一つ前の人生(前世)からの意識の引き継ぎなのである。
様々な過去の人生の思いの強さが、無意識に来世の自分を決定するのである。
この意識の流れには、霊性という神性意識が含まれているのである。
ネガティブ性の強い人間は、この霊性がかなり少ないと考えていいだろう。
宗教や精神世界に関係している人の中にも、超ネガティブな人はいる。

当然、そのような人は、神仏の世界を目指していることでも信心深い訳でもなく、ただ物的目的のためにこれらを利用しているだけである。
私が話す内容は、ほとんどとは言わないが、一般の人からみればけっこう疑いたくなるようなことが多いと思っている。
物的意識に浸かっている人は仕方ないことだが、霊性が少し低いという人は真理の世界を受け入れるのは難しく感じるのかもしれない。

今、このような意識の世界や神の世界に興味を持って勉強している人は、霊性は普通以上高いレベルにあると思っている。
霊性は、幾つか前の過去世からずっと、たとえ目指すことが漠然としていても神世界を求めてきた人の意識には深く浸透していくものである。
人が、今生で神の世界に目覚め努力し始めたとしても、必ず途中で大きな壁にぶつかるのである。

誰にでも言えるが、基本的土台がなければ次に進む準備不足としてこのような壁に当たるのである。
この段階の壁とは、自分の無知に気付き越えるためにあるのである。
このようなことをしっかり理解できれば、思いどおりにならないときに当たりたくなる、誰かが…神が…運が…、といったものもコントロールできるようになるだろう。

知らない、なかなか理解できないということは、誰にもたくさんあるものだ。
目に見えない一度も体験したこともないことが、大きな壁になることは間違いない。
それでも、意識成長はもちろん、霊的なことに触れていくためにも、知らないことを知っていく努力を続けなければならないのである。

知識を集めても、それは知ったということではない。
知識は本当のことを知るための考える材料にすぎないのであって、知識を集めてからが本当の勉強になるのである。
よほどの高い霊性がない限り、知らないで良い意識レベルになることは無理である。

ただ、ほとんどの人は意識段階を上げていく勉強法を知らないというのも壁になっている。
自分のネガティブ性を外すことも大変だと思うが、他にもあまりにも馴染みすぎた自分自身となっている思いや考えなども、本当は大きな障害になるのである。
意識成長を早めるためには、このようなことに早く気づいて溶かし流してしまわなければならないのである。

こう言うと、いったいどれだけのことをやらなくてはならないのだ、と嫌気がさすかもしれない。
しかし、いつの時代でも、このようなことをしっかりやってきた人は輪廻転生を終えて永遠の生命の神の世界に入っていくのである。
私を含め、今生に生まれ変わってきた人は、この神の世界に向かう道を進むか、ハルマゲドンに進んでも仕方ないと思うか、もうどちらかを選択するしかないのである。

このことを無理に信じてほしいとは思っていないが、誰でも自分の意識を変えるにはあまりにも時間が足りないというところまで来ているのである。
すべては自分と身近な人を守ることからであるが、「守る」ということに直接関係したことで私が思っている大事なことがある。
それは、できる限りすべてに通じて先を読める力だと思っている。

先を読める力は、何も超能力的なことを言っているのでない。
意識を知れば、それも人間の意識を熟知すれば、先の流れが見えるとか読めるといった感じが分かってくるものである。
これも意識段階が上がってくる間についてくる、自然なことである。
だから、自分にとってすべての良い物を邪魔するものを排除しなければならないのである。

それは、自分以外のものではなく自分の中にあるものである。
もちろん、そうしていくことは簡単なことではないので、そのための勉強が自分を苦しめることになるかもしれない。
このことは人間全員に共通していることで、これを当然と思えるかどうかである。
何をするにしても、ネガティブというのは本当にやっかいなものである。

人が大きく躓くと、ネガティブ感情が押し寄せ、いつの間にかネガティブの世界に滑り込んでいくことにも気づけないものである。
自分を邪魔するネガティブに気づくことができ、それから強くなることができれば、相当な意識レベルになるということの意味が分かるだろうか。

そうなれば、山のような霊的知識を持っている人でさえ、小さく見えるだろう。
そうなるまで、どんな人も内的葛藤の苦しみが続くこともあるだろう。
その時、大体決まった言葉が出てくるのは、これも誰にでも共通しているようだ。
「努力してもあまりよくなっていないよ、いつまでやればいいんだ、もう無理だ」

自分をつぶそうとするネガティブな言葉は、私もうんざりするほど浴びせられ、本当に長い間苦しんできた。
はっきり言って、このネガティブの言葉は自分に対する脅迫と言ってもいいだろう。
しかし、私は長い間努力をして、ほとんどの自分のネガティブに勝ったのである。

私だけが特別ではない、だから、誰でもネガティブに勝てると確信できたのである。
ネガティブに、いつまでも酷いことを言わせない方法はあるのだろうか。
それはあると言えるが、しかし、それも理解を通さないとネガティブには使えないのである。

ネガティブに負けるのは、ネガティブの正体を知らない理解がない、そして自分を味方し助けてくれるものがないからである。
こういうものがない状態で、ネガティブに勝とうとすること自体無理である。
とにかくネガティブに勝つには、この自分を味方してくれるもの、知らないものを理解して自分のものにするしかないのである。

そうなると、手っ取り早い方法として本を読んで知識を集めて何とかしようと思うだろう。
大事なポイントが書いてある宗教や聖者方の本を読むと、一時的に気持ちが軽くなることはあるが、しばらくするとまたネガティブの攻撃を受けることになるだろう。

何故、聖者方の言葉を理解したと思っても、ネガティブにはなかなか勝てないのだろうか。
良く考えてほしいことは、聖者方の言葉はある段階における完成、またはほとんど間違いのないことである。
しかし、それを読んでいるあなたは、その聖者方の完成に近い理解まで、またしっかり意味を知って意識の理解の段階を通ってきただろうか。

聖者方の教えの言葉はたくさんあるが、その言葉を一本の木とした場合、根から幹、そして枝、葉まで全部を把握して理解するという考えはあるだろうか。
たくさんの教えの言葉があるのだから、それをどんどん理解していけば、あなたの意識は結果的に理解の森になるだろう。
思考と意識、そして理解の関係が少しでも分かれば、そのうち自分のネガティブを克服するやりかたも見えてくるだろう。

先ほど例に出した一部の言葉だが、今のことから言うとこうなるのである。
「努力してもあまりよくなっていないよ、いつまでやればいいんだ、もう無理だ」
ネガティブがこうやってくれば、自分に対してこう言えばいいだろう。
「本当に努力したのか勝手にそう思っているだけではないのか、いつまでやるか?死ぬまでやっても到達できないかもよ、もう無理?本当にそこまでやったのか、勝手に自分の能力を否定するなよ」、ちょっと難しいかもしれないが・・・。

内的意識の過程の理解もせずに、どうして勝手な逃げの言葉を受け入れるのか。
そのような言葉、本当のあなた自身から出る言葉ではないのである。
それは、あなたを徹底的につぶすためのネガティブの言葉である。
それを完全に受け入れれば、あなたは完全にネガティブの支配下に落ちるだけである。
ネガティブの正体はもう分かっているのである。

人間が目指すのは本当はこの世の未来ではなく、自分のネガティブ克服である。
神を目指すとは言わなくてもいいが、せめて本物を知る、そして偽物には引っかからないという意識を持つことが、自分を良くしていくことにつながるのではないだろうか。
意識や霊的勉強は、死ぬまでやっても完成とか到達というのは厳しいかもしれない。

しかし、それは同時に神の世界を目指すことと何ら変わりはないのである。
神の世界は、結局死ぬまで求めていくことである。
その意識を持って、自分のペースで死ぬまで続けていくだけである。
その気持ちがあれば、あなたのすべては必ず魂(神)に通じる。
神の世界を目指すことは、死ぬまで続く。

霊的意識から見ると、神イコール物的意識の死となる。
これがあなたの意識にこびりつけば、ネガティブにも勝てるようになっていく。


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コメント

先 (関孝之)
2017-08-08 06:56:08
ネガティブ克服。意識力をあげる。努力を日々行って行くと魂に近づき光そのものになる。
片手で懐中電灯を部屋を照らすより、己の光りが強くなれば懐中電灯もいりませんね。
ネガティブ克服は、部屋の仕切りを外していきひとつにする作業だと思っております。
いつもブログ見てます。ありがとうございます?


関さん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2017-08-09 19:45:06
ネガティブ克服は、大変ですけど本当に大事なことです。
自分を高めていければ、それだけネガティブ克服です。
がんばって進んでいってください。

理解の森となる意識 (Osaki)
2017-09-02 01:50:14
「優しくするの反対は?」
「優しくされる(笑)」
先日ふと観たハートネットTVでの一幕です。
私は知識障害者の方々の「余計なものがない意識」を感じて、
自分が本当に気の毒というか、残念に感じました。
だって、私の心に上がってきた答えは「拒否される」だったから・・。
でも「そんな答えなどはじめからない世界、優しさ、思いやり、愛の世界があるんだよ!」とすぐにそれが分かって「ほら、もう切り替えられるだろ!」となりました。
自分を「脅迫する言葉」の登場と、
それに負けない「自分の味方をしてくれるもの」があの一瞬で入れ替わって、自分で「そうか、そうか」と納得するばかりでした。
先生の教えと、聖者がたの教えと、自分の努力と・・根、幹、枝、葉になって、今回のように時々はパッと花が咲きます。
「努力してもあまりよくなっていないよ、いつまでやればいいんだ、もう無理だ。」
しんどいですよね、はっきり言って。
でも、やらない方がもっとしんどくなると私は思っています。
幾度も「もう無理だ」になりますが、「いったい何が無理なんだよ」となります。
いったい「誰に向かって無理とか言ってんの?」となります。
意識向上(内的自己意識確立)は、
自分の思い通り、勝手を通すこととはまったく違う「大変厳しい道」。
私はそう先生から学びましから、無理じゃなくて「やるしかない」となります。
私にとって「ネガティブ克服」は命がけです。
理解の森となる意識が、そこを助けてくれる、味方してくれる、守ってくれます。
ネガティブは「支配されるもの」ではなく「越えていくべきもの」だと実感しています。
それは「やりたい」、「やりたくない」ではなく、
自分で「やらなくてはならいこと」なのだと私は理解しています。
だから強くなれるのだと、自らの取り組みにおいて実感しています。
ありがとうございます。


Osakiさん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2017-09-02 18:11:49
その通りですね。
本当はシンプルなんですが、そのシンプルに到達するために自分の意識を目覚めさせなければなりません。
分からないからとか、無理かもしれないといった思いは、シンプルの理解を遠ざける障害でこれも一つの幻の観念です。
相当数の輪廻転生を繰り返してきたことが障害を克服してこなかったという証拠で、同じことを繰り返して結果は同じということにいつ気づくかです。
やるかやらないか、それも真剣かどうかだけです。
いつまでやれば良いかは、聖者も誰も分からない。
だから、ずっとやっていけばいいだけです。
嫌なら、この世で崩れることのない本当の幸せを見つけるべきです。
あればですが・・・。
到達に向かって進んで行きましょう。

真精神世界(2)~神秘意識は霊界の扉か! 2017/06/15

今回は、ちょっと難しくなるが神秘意識についての話である。
この内容は、神秘意識という初めて触れる意識段階のことである。
意識段階というのは、意識向上や霊的意識を目指す者にとって、必ず通らなければならない意識の質が変化する段階を言う。
意識段階については、これまでたくさん説明してきたが、この理解は大事なことである。

それは、心、意識、潜在意識、無意識、霊意識といった順で、神側に近づいていく意識の段階のことである。
この意識の段階を通ると分かることだが、それは内的に感じる意識の質の変化といってもいいだろう。
無意識からの世界は、意識で分かる世界、内的意識の感じで分かる世界である。

この感じは、この世にあるどんなものからも作り出すことができない意識で感じるものだから、一人ひとりが体験するしかないのである。
「あるがまま」の意識的感じを体験した人は、その感じは覚えているが、どうしても言葉では表現できないというのである。
無意識の世界には、この世で言えば超感動的な未知なるたくさんの意識的感じがある。

意識は、神側に近づくにつれてその振動は軽くなり、ポジティブ性も消えてゆき、その意識に触れた意識的感じは、この世にはない全く新しいものを体験する。
潜在意識までがこの世の限界で、その先の無意識の世界から神の世界に触れていくか、入っていくのである。

神の世界と言っても、それは無意識の世界で霊界ではない。
無意識の世界は霊界ではないので、3次元のこの世と4次元の霊界の間に境界線としての世界があると思っていい。
境界線といっても、霊的拡大意識で捉えないで観念的枠の中で考えようとすると、非常に狭い世界に限定されてしまうだろう。

無意識は、5次元とか7次元といったものではなく、「あるがまま」「ニルバーナ」「死後の世界」が存在する世界といったものである。
その無意識に、霊界につながる回路や過去性につながる回路があるのである。
それをしっかり理解でき、意識で感じられるようになるには、第一の条件として心から離れ、それから潜在意識をこの世と無意識方向の中継点にしなければならないのである。

この理解にしても、簡単なことではないと思うのは分かるが、神側に向かう道はこの道以外にないのである。
このことは知識だけで話せることでも理解できることでもない。
拡大で成長してきた意識は、次なる段階にある意識に気づいていくために、レベルアップとして同じような繰り替えしで進むしかないのである。

この意識段階にしても神の法則の中にあるので、この道は絶対に乱れることも崩れることもないのである。
神の段階でもある法則は、あくまで神振動であるからネガティブ性の者がこの段階に入ることも神の力を使えることも、絶対にあり得ないということも分かると思う。

ネガティブ性がすごい力を見せつけようとしても、そんな力は神のエネルギーを持っている訳でもないし、また使える訳でもないのである。
ただ、ほとんどの人はその巧妙な想念操作による誘導や暗示に負けてしまうだけである。
黒魔術や憑依にも言えることであるが、ほとんどの人はその正体を知らない。

すべて、高いレベルの意識があれば、またその理解があればほとんどのネガティブは克服できるのである。
ただ、何の霊的知識や智恵もなければ、誰もができるという簡単なことではないのである。
霊的知識や智恵も大事だが、同時に自分のネガティブ性を知ることは絶対に必要である。

「自分を知る」の本当の意味は自分のネガティブ性を知るということである。
段階を追ったネガティブ性の克服といったものがあるが、それに気づくにも簡単ではないだろう。
何故簡単にいかないかというと、相当数の過去性で積み重なったネガティブ性が次の人生に繰り越されて、そのネガティブ性が自分になってしまうからである。

自分だと信じているネガティブ性であっても、本当は自分そのものではないといつ気づけるかだけなのである。
こういった本当のことを気づくまで、確信を持てるまでには、当然それなりに必要な意識の勉強があるのである。
どんな世界にいる修行者であっても、このことを克服できないでは悟りの段階の到達レベルまでにはいかないだろう。

ここまでの内容を詳しく説明すれば、誰でもほとんどのことが頭では分かるというだろう。
しかし、神側に近づくには、少なくても潜在意識が何であるか、その仕組みを分かるまでならなくてはならない。
自分のネガティブ性は、のんびりしていても変わるものではないし、いつか何とかなるものでもないし、神や聖者が助けてくれるものでもない、また死んで消えるものでもない。

結局、いつかこのネガティブに直面しなければならない、どんな人も。
各人のネガティブは、自分自身のネガティブ意識であるから、取ってあげたくても人の意識は誰も分からないのだから、どうにもできないのである。
それを聖者や神がやってくれるとすれば、それは全魂が公平という神の法則を破ることになるので、聖者もできないのである。

結果、因果法則の総決算であるハルマゲドンに行くしかないのである。
分かっているなら、このことを信じられるのなら、苦悩の道は避けられるのである。
人に希望にあふれる未来というものがあるのか、自分にとって未来とは何かをしっかり考えてみると、何か気付けるかもしれない。

長い人類の歴史を振り返って見て、今があり、そして未来につながっていく。
今の世界を見て、生きている間、そして自分の来世に何を期待するのだろうか。
最高の生きがい、それとも最高の自由。
自分の未来を考えるなら、未来イコール自己意識の在り方、ここまでしっかり意識していくことが大事ではないだろうか。

今回は意識段階の話に新しい内容を入れて説明するつもりだったが、ちょっと前置きが長過ぎてしまった。
このブログの中でこれまで説明してきた意識段階の話は、すべて私の体験と自分の意識の成長や変化を元に進めてきた。
これから話すことはかなり難しいレベルになるが、いつか役立つように自分のために知っておくといいだろう。

それは、「神秘意識」のことである。
冒頭でも書いたが、神方向に向けて順に、心、意識、潜在意識、無意識、霊意識といった段階がある。
この段階の中の無意識と霊意識の間に、神秘意識を入れて説明したい。
神秘意識というのは、私はこれまで何度か体験してきている神秘体験から出てきたのもので、まずその話から始めてみたい。

これまでの私の人生は、本当に不思議な体験は相当な数になる。
その中に、神秘体験も入っているのである。
ただ、神秘体験というのは、不思議体験の中でも特別と言っていいくらい不思議な感じがあり、私の中では不思議体験だが神秘体験として分けていた。
とにかくこの神秘というのは、意識的な感じが独特なもので、この世の中にあるもので説明できるものは一切ないのである。

実に神秘というしかない感じで、こう言っても全く通じないことも分かっている。
最近、また私にインスピレーションがきて、この神秘の世界を感じさせてもらった。
そのとき改めて気付いたことだが、神秘意識というのは霊界の入り口的なものではないかと思うようになった。

無意識からいきなり霊界ではなく、その境界的なところが、それは霊界の玄関的でもいいが、そのような意識状態の世界が神秘意識だと感じた。
まだ、確定と言えるものではないが、私はこれからこの世界に馴染んでいく訓練をしていくことになる。
過去に体験した神秘、そのとき感じたものと今感じている神秘意識は、全く同じものである。

今分かっている神秘意識の世界を少し話してみようと思う。
神秘意識の世界は、振動はなく、3次元的な感じも、何か似たようなものも一切ない。
想念的なものが一切ないので、意識の基準というか支えをどこにおくか、今はこのことで自分の無意識が無重力状態と表現するしかない。

ただ、神秘意識のずっと奥にあるすごいことも感じている。
それは、私は初めて深い意識で感じたことであるが、この神秘意識に超能力とか奇跡といったものの秘密があるということが、私の意識のどこかで気づいたのである。
それもそうだ、神秘意識の先は霊界なのだから。

この神秘意識の世界のことは、どこかに書いてある訳もないのだから、これからこの世を去るまで集中訓練していくだけである。
神秘意識はある。
無意識とは全く違う感じの世界である。
今、これから私が集中いていく世界を書いたのは、これも私の体験と意識状態を書いてきた自分の意識成長の記録がこのブログだからである。

これからも、神秘意識で何か知ったこと気付いたことを感じの表現として載せていくこともあると思うが、何が出てくるやらである。
私も、今はその先がどうなっているかは全く分からないのである。
今言えることは、これまでいろいろなことに使ってきた振動であるが、それもP8以上レベルであるが、その振動は今は一切使わなくなった。

使わなくなったというより、使わなくても済むのである。
もちろん、グッズ作成にはその振動はしっかり集中していくが、おそらくこれからはグッズにも神秘意識の何かが浸透していくだろうと思っている。
これから私は、無意識を離れ神秘意識集中に入っていくが、しばらくの間またそれに慣れるためにけっこう苦しむかもしれないと思っている。

それも試練であるから、また私にはこれしかないのでやっていくが、これから神の世界を目指す人のために、たくさんの証拠を残していきたいと思っている。
この真理の内容全体を、私の「真精神世界」にしていきたいと考えている。

真精神世界(1)~見える世界が変わる自己事実と自己真実 2017/05/15

これまで「パノラマ意識」というカテゴリーで、思考や意識の拡大について説明してきた。
しかし、意識の拡大を説明しようとすると、どうしても分かりやすく説明するまではならなかった。
それで、一応前回で「パノラマ意識」は終了することにして、分かりやすく説明できる拡大の例が浮かんだときに、また「パノラマ意識」で話したいと考えている。

今回からは、新しいカテゴリーの「真精神世界」で、いろいろ大事なことを説明していきたい。
精神世界というのは、以前から誰もが知っている精神全般を扱う分野になって、今となってはごく一般的になっている。
私としては、このごく一般的となっている精神世界と分離したものをと考えていたが、新しい名前も思い浮かばないので、とりあえず「真精神世界」とした。

本当は、全く新しいブログを立ち上げて「真精神世界」を創り上げていきたいと思いがあるが、今はチャンスがあればそうするかもしれないという思いである。
何故、このようなことを考えているかというと、この世レベルでは、もうすべてが違う、違うことが多すぎると言いたいからである。
答えはあるが、その道の歩き方を知らないために、未だ同じ堂々巡りを繰り返し、おそらくこれからもそれほど変わらないだろうと考えている。

いつも言っているが、本当に大事なことであるネガティブが分かっていないのである。
ここをはっきりしない限り、ポジティブの芯も捉えられないだろう。
ネガティブ、ポジティブの芯をしっかり捉え理解しないと、それ以上の意識成長のスピードは鈍ってしまうのである。

この点の超理解の智恵は、精神世界や宗教を見ても、本当に少ないのである。
今回からブログ掲載は月1度になるが、ただし内容は濃いものにしようと考えている。
「真精神世界」の1回目だが、これまでの復習ではないが、スタートしてもう一度確認の意味で大事なことを話してみたい。

どう感じるだろうか、本当に理解しているだろうか。
少し内容が難しくなるかもしれないが、それも意識段階を考えると当然と思ってもらいたい。
自分の意識レベルを上げるためには、自分にこびりついているネガティブを外していくしかないということは、これまで何度も言ってきた。

自分のネガティブを外すというのは、意識成長だけに関係することではない。
ネガティブというのは、人間一人ひとり、いや人類全体を不幸にする最大の障害である。
人類と言っても、そのレベルは基本的には一人ひとりの意識の結果である。
人間一人ひとりの大きな障害というのは、個人の悩みでもある。

悩みはネガティブである。
悩みはどこから来るか、それは無知から来るのであってそれ以外に原因はないのである。
その悩みは今生についたものより、多くの過去世の人生の中で無意識に引き継いてきたものの方が大きいのである。

無知が悩みの原因である。
その無知は、過去世から今生まで引き継いできたもの過ぎないのである。
今生も無知のままであれば、その無知な自分は来世にしっかり引き継がれていくだろう。
その来世も、これまで輪廻転生を繰り返して来た人生とほとんど同じになるだろう。

ただ流されていく人生とは、こんな結果になるということがはっきりしているということである。
因果法則、これは何の要因もないところに泡さえ発生することもないということである。
善いことも悪いことも、何かの原因がない限り何も起こらないのである。

神の法則は絶対で、これが崩れるとすべては存在しなくなるだろう。
何も知らないで何かが急に起こると、人はそれを偶然と言うだろう。
何のつながりのないことで急に何か悪いことが起こると、人は驚き戸惑い、その偶然に不安を感じ、神にそれ以上の悪いことが起こらないように祈るのである。
自分に起こることは、遠い過去世のものが今結果として出されることもあるだろう。

それを人は偶然というが、すべて神の法則通りのことである。
分かれば、何も不思議なことはないのである。
自分の記憶に残っていないが、自分の過去世で作った原因が、今生で今の自分を通して必要な表現となっただけなのである。
気づかなかった、知らなかった。

だから、今苦しみ悩みとして出てきているのである。
苦しみや悩みが、偶然に出てくるものでないことくらい誰でも気づけるだろう。
人は気づくまで、目覚めるまで、必ずいつか何らかのショックを味わうだろう。
意識の智恵とは、それをしっかり分かるように、それに必要な勉強を通して得られるものである。

意識の智恵に気づく勉強は、悟りの勉強ではないのである。
過去の宗教的な修行の印象がまだ根強く人の印象に残っているので、どうしてもそのような方法を通らなくてはならないと思っている人は、まだまだ多いだろう。
悟りというものは、目指すものではないのである。
それは、自分の意識成長の結果として自動的に備わってくるものである。

だからといって、このような意識の智恵が簡単にすぐに身につくと思うのは早計である。
意識の智恵に気づく勉強に一番役に立つのは、自分のネガティブ性なのである。
自分のネガティブをポジティブに変え、さらに真理に向かう土台にすることが、何よりもすばらしい意識の勉強になるのである。

当然、そのために必要な知識を集め理解していかなければならないだろう。
そのようなことを進めていくと、結果どういうことが起こるだろうか。
ほとんど人は、精神世界や宗教に触れていながらも、その勉強の成果がどのように自分のためになるかを知らないのかもしれない。
それでは、何十冊本を読んでも、何年勉強しても、ただ気持ちは重くなるばかりだろう。

人は早く気づかなければならないことがあるが、それも何度も言ってきたことである。
それが、人の心意識である観念というものである。
その観念にはポジティブもあるが、絶対的にネガティブの方が多いのである。
飛躍するが、本当はポジティブもネガティブもどちらも大したことではないのである。

ただ、意識の段階としてネガティブよりはポジティブの方が神に近い、また波動振動も高いというだけである。
観念の中にあるポジティブだけでは、大きな気づきや答えも出ないのである。
あなたはこの答えの出ない観念の中を、気が遠くなるくらいの長い間魂意識として輪廻転生を繰り返して今に至っているのである。

様々な人生を通して、それでも物的レベルの中で生死を繰り返してきたに過ぎないのである。
智恵を得た拡大意識から見ることができれば、この輪廻転生の中で自分が大事だと思っていたものの価値が改めてはっきり分かるようになるだろう。
ここまで輪廻転生を繰り返して来たあなた、そのあなたの存在は事実である。

しかし、そのあなたは真実ではないのである。
今のあなたの存在は事実であるが、しかしその存在は真実ではないということである。
非常にややこしい見方で言っているが、ここに気づかなければならない。
もっと分かりやすく言うと、今のあなたは本当の、また本物のあなた自身ではないということである。

意識の成長は、言葉の意味も見方も変わることであるから、意識がどんどん拡大して成長していくと、今言った言葉の意味も当たり前となるだろう。
今のあなたの意識が真実であり本物なら、この先何も変わらないということになるのである。
本物は変えようがないのである。

だから、今の自分の観念意識は、はっきり言うとさらに高い意識成長にはいずれ不要なものとなるのである
このことにいかに早く気づくかである。
このネガティブ観念に自分を縛り付ける執着は、本当に見えない気づきにくいものなのでそこから抜け出していく間は、けっこう抵抗が生まれるだろう。

その抵抗もネガティブなのである。
しかし、必要ネガティブとなる。
ネガティブがあるからポジティブを気づき、分かるのである。
意識レベルを上げていくことは、観念世界から見れば矛盾だらけと戸惑いを感じるかもしれない。

しかし、そのようなことは当たり前で、それを超えていかなければすばらしい意識など体験できないだろう。
智恵を身に付け自分が変わっていけば、考え方も見方も変わり、周りの景色もこれまでとは違って見えることに気づけるだろう。
人は、自分を良くするためには、あらゆるネガティブ障害に冷静に対応していかなければならないのである。

結局、自分にあるネガティブが、意識レベルを上げる勉強材料になるのである。