生命意識に生きる

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生命意識に生きる(35)~宇宙意識の段階(1)到達への道! 2010/10/28

精神世界の勉強をしている人なら、その真の意味は別にして「宇宙意識」という言葉を知っていると思います。
この「宇宙意識」について、今回から4回に分けて説明して行こうと考えています。
「宇宙意識」という言葉の意味は、焦点の当て方次第でいろいろな解釈の仕方も出来ると思いますが、ここでは私の「宇宙意識」として話してみたいと思います。

私の「宇宙意識」というのは、簡単に言いますと、これまで私自身が意識を高めて来た道、そして今も目指している方向ということです。
宇宙意識の説明は少し理解しにくいところもあるかも知れませんが、とりあえず意識のどこかに入れておいた方がいいと思い今回説明することにしました。
「宇宙意識」の道は、その一部を勉強することではなく人間意識に関わるすべての勉強です。

たとえば、創造主の意識全体を宇宙意識とか、神我の意識を宇宙意識としても、またそのように理解しようとしても、本当にそれで理解出来るのか、また目指せるのかとなります。
精神世界では、そのような知識を得ることは出来ますが、それだけでは大して役に立ちません。

実際には、宇宙意識は意識の進化の段階であり、その意識を実践しなくては意味がないのです。
意識はその段階を飛ばして、霊意識に入ることも宇宙意識の道を進むことも出来ないのです。
実践なくしては、意識の成長も向上も進化も起こらないように、宇宙意識も今言ったことを通して段階を上げて行く、霊意識に近づいていくことだと知ってください。

私自身、自分の思った意識の道を霊界に向けそれだけを目指してここまでやって来ましたが、今のところその結果には満足しています。
しかし、たとえ今が大満足であっても、また幸せ、喜び、安心などの超体験的感じを持ったとしても、宇宙意識の高い段階はそれさえ小さく感じる想像の及ばない超意識なんです。

私は宇宙意識の段階を3段階に分けています。
何故3段階かというと、大きな意識の分類や次元的分け方などがそれにぴったり合うからです。
まず、この世の限界である潜在意識ですが、これは3次元です。
そして、霊界意識の4次元。

もう一つは、3次元と4次元の境界である次元、その次元は何次元であるか分かりませんが、その境界の次元を私は無意識としています。
これで3種類の意識、3種類の次元の分類が出来ました。
3次元の次がいきなり4次元という、隙間もなくぴったりくっついている状態ではないのです。

その次元の間にも、意識があるのです。
これで意識の3段階、意識の進化の順序、次元の上昇の3段階が出来上がりました。
あとは、その道をどう進んで行くか、進化に向けた自分の意識の在りかただけになります。

私は、この意識の段階を自分が目指す宇宙意識として、この道だけに集中して進んで来ました。
結局いろいろな勉強と体験を通して全部自分で創造した宇宙意識ですが、それでもこの道を一歩一歩探りながらここまで来たということです。
当然、これは自分に合っている進化の道ですが、他の人に適用するかどうかは分かりません。

しかし、基本的には神との関わりの中にある人間意識ですから、参考になるとは思っています。
では、最初の宇宙意識の段階から第二の段階まで、説明して行きたいと思います。
最後の霊意識は霊界(4次元)ですから、人間進化の完成になります。

一段階目は潜在意識です。
私は潜在意識をこの世(3次元)の限界意識としてみています。
ですから、一段階目の宇宙意識は潜在意識に至るということになります。
潜在意識については、すでに何度か説明して来たと思いますが、潜在意識の中でもポジティブ潜在意識に達する、または潜在意識をほとんど把握出来た自分になるということが大事です。

潜在意識になるというのは、この世の自分という意識が心から完全に離れた状態で、心を完全に支配した自分ということです。
それがイコール潜在意識の自分となりますが、ここに至るにもたくさんの智恵が必要です。
こうなることが、以前書いた自分の潜在意識を全意識の中継点にするということなんです。

潜在意識が全意識の中継点というのは、この自分の意識から以下のこの世を眺め、そして次なる世界の霊界を見つめるという意味です。
この世の心の部分からでは、とても神の影の影の影にも触れることは出来ないのです。
この世を見るのは、潜在意識にもこの世側に向けたネガティブ潜在意識を通してするのです。

ほとんどの人は、このネガティブ潜在意識の支配下にあり、それが心を通して自分の思いとして表現しています。
それで心が大事だとか、心の触れ合いだとか言っているのですが、同じその心で悪いことを考えているのです。
たとえ今こういう自分であっても、私たちは心の正体というか心の機能、仕組みをしっかり熟知して行けば、心をうまく使えるようになるのです。

自己コントロールとは、最終的に自分の心を支配することなんです。
当然、その原因となる潜在意識が何であるかを知ることも同時に要求されます。
こういうことを知ることが意識の勉強ということです。
何も知らずに、また自分の心のコントロールも出来ずに宇宙意識がどうのこうのはないのです。

宇宙意識はいいとしても、心、意識、潜在意識を理解するだけでも精神は安定するものです。
私のことを言えば、自分は人が思うような心は無いと思っています。
私は潜在意識で動いているのであって、顕在意識と潜在意識はほとんど同じなんです。

これをニュートラル潜在意識としてうまく使っているのです。
心は、その機能を物事の再現、または再検証の場として使うには便利というだけです。
それ以外、何の能力もない想念の入れ物に過ぎない心に自分を任せるわけにはいかないのです。

意識の勉強に慣れていない人には少し難しい話になったかもしれませんが、誰でも真剣に勉強すればこのくらいのことは自分のものに出来るのです。
これが真の自分になる、またはこの世に流された生き方ではない真に生命に生きるという基本を身に着けるということです。
潜在意識のことも、私の言いたい潜在意識は一般の人が信じている潜在意識ではないのです。

一般意識から見ると、ポジティブ潜在意識はとりあえずこの世ではいい悟り意識となるのです。
そのポジティブ潜在意識が自分であって、はじめて次の神方向に入って行けるということです。
神方向に焦点を合わせ、そのスタート点がポジティブ潜在意識であることを確信したことで、私はこの意識を宇宙意識の一段階目としたのです。

その意識にあって、次の二段階目の宇宙意識である無意識に焦点を合わせられるのです。
ここからが神、自分の魂に焦点を合わせる意識の世界になるのです。
現代は、これは私が何も知らないで言っていることかもしれませんが、まだ無意識が何であるかはっきり説明しているものはないと思っています。

当然、無意識の世界にも大きく分けるとネガティブ無意識とポジティブ無意識があるのです。
ポジティブネガティブはすべての意識、それは心、意識、潜在意識、無意識に回路の流れとしてあるのです。
別にこのような分け方や方向など考える必要もないのですが、これは意識の段階を勉強する人のために理解しやすいように私が作ったことです。

当然、その意識になってしまえば、この見方は自然消滅しますので何も心配いりません。
たとえばユングが言っている集合的無意識というのは、ネガティブ無意識の世界のことになります。
その後、ユングは言葉の壁にあい、それ以上の表現が出来ないと悟ったはずです。

その後ユングの意識がどこまで進化していったかは資料がないのでわかりませんが、次のポジティブ無意識に向いていったのは間違いないと想像出来ます。
ネガティブ無意識は、人類にネガティブ意識が入って来る回路の基点と言ってもいいでしょう。
この無意識の世界を超えて、ようやく霊界です。

これを超えたポジティブ無意識が神に焦点を合わせられる意識ということです。
神に焦点を合わすといっても、無意識状態で焦点を合わすということですので、ここからは言葉で表現することは無理です。
とにかく、無意識を少しでも理解するには潜在意識をほとんど理解納得しておかなければなりません。

これが意識の順番ということで、いきなり飛ばして神はないだろう、ということです。
これが大変と言って、簡単ないい方法を求めるのがいつの時代にもあることです。
これについては、次回もっと詳しく心と意識の在り方を説明したいと考えています。
しっかり効率よく意識の進化を進めるためにも基本が大切なんです。

どの世界にもこのことは通用するのですが、何故か今の精神世界には別世界があるようです。
もう一度宇宙意識を簡単にまとめてみます。
一段階目の宇宙意識は潜在意識ですが、それはようやく本質、真理である神を見ることです。

または、意識的に本当の神に気づくとか見えたということでもあります。
二段階目の宇宙意識は無意識です。
ここの意識はすでに神の中、神の心の中という場です。
この神の場を通って、最終の霊的意識である霊界です。
ここが神との一体、到達、人間意識の完成です。

原初の頃から、長い間の輪廻転生、ご苦労様でした!
これは、一段階目の宇宙意識で可能だと思っています。
ただし、この段階では霊界に入ることは出来ません。


生命意識に生きる(34)~右脳型左脳型!霊的向上が早いのはどっちのタイプか? 2010/10/21

今回は、波動振動測定で気づいた右脳型人間左脳型人間についての話しです。
まず最初に断わっておきますが、右脳左脳に関して、私は現代の右脳左脳教育やその他右脳左脳の知識はまったくありませんので、これからの話しは私の考えに過ぎません。
もちろん、この右脳型人間左脳型人間については、意識、霊的成長に関係することですが、それでもこの世全体の人間にも当てはまるような気がします。

私はこれまで、右脳左脳のことはまったく気にしたことはありませんでした。
一般的に言われている右脳型人間左脳型人間のタイプくらいは知っているという程度でした。
それが突然右脳左脳のことが、もしかしたら・・と、それについていきなり考え始めたのは、波動振動測定が大きなきっかけになったからです。

そのように気づくまでにもいろいろな流れがありますので、そのところから簡単に説明して行きたいと思います。
HPのサービスにもあるように、ご希望の人に自筆の名前から意識の波動振動測定をしています。
当初は、名前が書かれた紙を正位置の状態でそのまま裏返しにして意識波動を読んでいました。

今は、正位置、逆位置、左右の4方向から波動振動測定をしています。
これで、顕在意識、根本意識、潜在意識、右脳左脳のどちらが強いか、そしてその度合いまで分かります。
この上下左右で見ることに気づくきっかけになったのは、タロットカードでした。

これもいずれ説明しますが、私は今、タロットカードで人が知りたいと思う将来について、その経過や結果そして重要なポイントを読むための研究をしています。
タロットカードを知っている人は、カードが正位置と逆位置では、それぞれ意味が違ってくることはすでに知っていると思います。

もちろん私は占いなどとは関係無い、独自のタロット振動同調の方法を考えています。
私のタロットカードの研究は、カードの振動を一枚一枚読んでそこに入っているカードの意味そして意識を読むことです。
その始めとして、私が一枚目のタロットカードの波動振動を測定したときから驚きが来ました。

同じカードでありながら、カードが正位置と逆位置で、ポジティブネガティブがあるのです。
要は、同じカードでありながら、カードが正位置と逆位置では波動振動が違うということです。
このことがきっかけで、私はもしかしたら・・と気づいたのです。

早速、今までセッションを受けた方が書いてくれた自筆の名前の紙を全部調べて見ました。
やはり紙を逆位置にすると波動が違うのです。
そしていろいろ調べていくうちに、どうもこの波動は潜在意識らしいと気づいたのです。

それから数日経って、これもフト思ったことですが、今度は紙を左右で見たらどうなるだろうと思い早速やってみた結果・・
やはり波動が左右で違うのです。
しかもその度合いがはっきり違うことまで出ているのです。
「一体これは何なんだ?」

最初はどう捉えていいか分からなかったのですが、たくさんの測定をしているうちにどちらかの脳が重くなったり軽く感じたりするのに気づいたのです。
「そうか、右脳左脳だ!」
これが波動振動測定で右脳型左脳型人間を知るきっかけです。
そして、右脳型左脳型人間の意識的成長と霊的関わりまでが見えて来たのです。

大まかに大体の流れを話して来ましたが、右脳左脳で気づいたことはまだ続きます。
波動振動測定による右脳型人間か、または左脳型人間かを知る確率は、私は一応99パーセンと当たると思っています。
タロットカードの研究とその詳しい内容については、そのうち話したいと思います。

一般に行っている占いとはまったく違うもので、的中率もけっこうすごいと思います。
いま、セッションに来られた人を相手にデータを取り始めています。
占いではなく、ズバリ本人の魂(神)との回路を開く振動誘導で進めていく方法ですので、本当に必要な答えが得られると思っています。

右脳左脳に戻ります。
波動振動測定の右脳左脳で気づいたことを話して行きます。
まず、これから話す右脳左脳のレベルの最高をそれぞれ10とします。
右脳左脳は、脳を鍛えることによって発達することもあると思いますが、私はそういう方法には興味がありません。

現代は、右脳だ左脳だと子供が幼少の頃からそれをとても気にしている親もいますが、それで何がどう大きく変化すると思っているのでしょうか。
秀才、天才、がその教育で出来ると思っている人は、子供の意識バランスを崩すこともあるということにまで気づくことはないでしょう。
右脳左脳型のどちらになるかは、前世レベルの無意識の引継ぎで、右脳左脳は意識の支配下にあるのです。

精神的、意識的バランスをとることがバランス取れた右脳左脳型人間です。
右脳が8、左脳7という割り合いが優秀で、右脳9、左脳8だとかなりの超バランス人間です。
逆に左脳が右脳より優位になっていると、意識的成長が後回しになってしまいます。

また、右脳が極端に左脳より強くなり、それで意識全体がネガティブ波動になっていると、その人の人生は、ただこの世に流された感じで生きて行きます。
では、違う観点からもう少し詳しく説明したいと思います。
先ほども言いましたように、右脳左脳を支配しているのは意識です。
意識と言っても、本当は無意識、根本意識のレベルですので自分ではどうにも出来ません。

当然、一般の人はこんなことも考えませんので、特に問題もありませんが。
正しい努力によって、右脳を鍛えることは出来るというのも事実ですが、果たしてどこまで本当の理解の上でやって行けるかです。
ここで右脳型人間と左脳型人間を、特徴的に大きく分けて見るとこのようになります。

右脳型人間は感覚的、感情的、情緒的、また直感、感受性、意識的、霊的な部分にも敏感です。
では、左脳型人間はどうでしょうか。
左脳型人間は、思考的、分析的、論理的で理詰めで進めて行くことは大変得意です。

この両者にはっきりとした違いが見えるのは、感覚的、意識的な面があるかどうかです。
このようなことから右脳型左脳型人間を、さらにはっきり分けてみると。
大まかですが、右脳型人間は意識的霊的で、左脳型人間は思考的で物的となります。

右脳が10であれば、超一流の芸術やスポーツやクリエイティブな世界にいるでしょう。
左脳が10の人は、当然思考を要求される知識の蓄積を生かせる仕事に就くでしょう。
さらに深くみて行くと、意識成長や霊的向上の早さにも違いが出て来ます。

右脳型人間は感覚的、意識的で想像力もあります。
意識の成長向上は霊的方向に向かうことです。
この見えない世界を理解して行くには、どうしても意識的感じの感受性鋭敏性が必要です。
これが右脳型人間には、個人性にもよりますが大なり小なり備わっています。

瞑想も右脳型人間の方が早く上達しやすいと思います。
では、左脳型人間はどうでしょうか。
左脳型人間は、意識的感じというもの、直感や第六感などはかなり感じにくいはずです。
ましてや、霊的な見えない世界のことは、そんな本を読むことさえ具合悪くなると思います。

もちろん、このような人は超左脳型人間と言えますが。
人間の霊的成長は、意識的な感じに触れない限り、その向上はかなり難しいものなんです。
右脳型の人は霊的なものも比較的受け入れやすいのですが、左脳型人間はここが壁になります。

左脳型人間の人は、自分の得意とする思考を離れ意識の世界の瞑想に入らなければなりません。
しかし、それを強引にやらせると、それは不快になり拷問のように感じるかもしれません。
よく瞑想は必要ないと言っている人もいますが、おそらくそういう人は左脳型人間でしょう。

ということは、霊的に近い人、または霊的に進化している人は、右脳型人間が断然多いだろうということになります。
ただ、ここで早計に思い込んで欲しくないこともあります。
それは、完全に偏った右脳だけ、左脳だけの人間はほとんどいないということです。

右脳が何割、左脳が何割といったレベルで脳全体が機能していることを考えると、そのところの右脳左脳レベルを知る必要があります。
確かに、そのバランス度合いにも違いがありますが、ほとんどの人はどちらかの脳が優位になっているものなんです。
自分は右脳型人間か左脳型人間かを知ることはとても大事なことです。

その度合いを知ることは「真の自分自身を知る」ことの一部でもあって、そこから自分の方向性も決めやすくなるのです。
子供の将来は、右脳型か左脳型かを知れば、それに合ったものを与えればいろいろ興味を示すかもしれません。
自分に迷っている若い人であれば、これを知ることで自分に合った仕事や方向性を選択することにも役立つのです。

よく、自分はどんな仕事があっているのか、またどんな分野に向かえばいいのかと分からないで悩んでいる人もいます。
当然、若い時は自分自身も知りませんので、はっきり自分の方向性を持った人から比べるとそれも大きな不安材料になります。
とにかく、自分に合っている方向に向かうことが結局長続きするということです。

無意識に合っているかどうかは、そのものに慣れやすいかどうかでもあるのです。
右脳型人間が左脳型人間のする仕事は絶対適さないということはありませんが、いずれ嫌になってくるということも出て来るかも知れません。
当然、この逆も言えると思います。

この右脳左脳のバランスを調和的に整えて行く方法は、意識のバランスを整える勉強をすればどんな人もバランスの取れた右脳左脳型人間に近づけることが可能なんです。
意識がそうであれば、脳はそれに従うしかないのですから目指す自分創りもしやすいでしょう。

生命意識に生きる(33)~霊的体験がもたらす新しい意識の世界 2010/10/14

この半年間、私は自分でも信じられない、またどんなに想像しても浮かんで来ることのないような霊的体験をいくつかして来ました。
これらの体験の連続によって、これまで高めて来た自分のすべての意識を根こそぎ霊的に大変換させる力にいつの間にか触れていたのです。
この半年間に受けた霊的エネルギーや智恵は、真摯にこの道を求める人に霊的方向性の大きな指針になると思っています。

今回は、この半年で触れた霊的意識について、そしてこれからのブログの意味付けについても私の思いを書いてみたいと思います。
まず、この半年間霊的体験をした中で、最高の霊的体験の感じから話してみたいと思います。
このブログでも内的意識による不思議体験については随分書いて来ました。

私自身、去年から内的意識による霊的な示唆は受けていましたが、それが半年前からその回数も異常に多くなって来たのです。
「第三の意識の死」に始まり、「チャクラ」、その後も「霊的エネルギー」やその他様々なインスピレーション、そして今回の最高の体験、この感じはこれからもずっと続きます。

その最高の体験から、まだ2週間も経っていません。
いつもそうですが、それが来たのは軽く瞑想している状態の時です。
それは一つの感じとして来たもので、その時私は非常に複雑な意識状態になっていました。
私がこの時感じたことによる、自然に湧き上がって来た思いを今そのままを表現してみると。

「これが神か・・・」です。
まさしく「神の臨在」に触れた体験でした。
これまでたくさんの不思議神秘体験の中でも、ちょっと前のチャクラのインスピレーションどころではない、とても大事な意識(霊的エネルギー)に触れたのです。

「神の臨在」に触れた体験といっても、これについては何の証拠を出すことも出来ませんので、どう取られても仕方ありません。
ただ、私自身のこれまでの体験から、それについてもこれまでいろいろ書いて来ましたが、その段階を通って来た中でも最高の感じ、別格と強調出来ることなんです。

しかし、それが単なる体験というだけなら、それほど大きな意味もない訳です。
いつもそうですが、私はどんな体験もそれをこの世に使えることで、またどんどん使っていくことで更なる霊的体験に触れることを目指して来ました。
「チャクラ」のインスピレーション以降、何故か「霊的エネルギー」の感じに触れることが多くなっています。

その「霊的エネルギー」は、これまで知っていたエネルギーやパワーと比べ、霊的である以上それらとはまるで違うものだ、としか言えないのです。
その神の感じも、今は霊的エネルギーとして自分の意識内で変換し研究、また活用しています。
神の意識、イコール霊的エネルギーです。

まだ触れたばかりで未熟ですが、この力ははっきり自覚出来ています。
私にとって、いろいろな点で新しいというか、初めて覚醒意識で出会う霊的世界、霊的エネルギーの真の力にようやく触れて行ける時が来たという気持ちです。
では、神の意識に触れる、この力に触れるということはどういう感じか、それについてです。

その説明は大変難しいことですが、これからのブログの内容もそういったことを取り入れながら書いて行こうと考えていますので、今すぐの理解にならなくてもいいと思っています。
とにかくこの感じははっきりと説明出来るものではありませんが、何かを伝えたいと思います。

この世から見れば絶対は無いが、神側から見ればこの世に対しても絶対と言えることはあるのですが、それも焦点の当て方一人ひとりの意識次第です。
私が触れた神の意識は、宗教や精神世界で言っているようなことをあまりイメージしない方がいいとはっきり言えるものです。
その感じは、まるで違う、逆にそのようなイメージは邪魔になるだけと言いたいです。

はっきり言って、その感じを説明しようにも、何とかその感じに似たようなもので説明したいと考えても、この世にはそれに近いものは一つもないのです。
ポジティブ潜在意識に至ったときの「あるがまま」の意識状態とも違うのです。
それは、さらに高い段階のポジティブ無意識の状態から触れられるものとしか言えません。

それに触れた時、私の意識に浮かんだもう一つの言葉がありました。
それは、「愛」という言葉でした。
その時私は、「自分は愛になった」と思いましたが、それも何の違和感もありませんでした。
「愛」というだけで、すべてを、もちろん神の感じも含んだ表現となったのです。

何か、その「愛」だけで、このときの意識全体(神)と一体の感じに浸れたのです。
もちろん、この世の言葉で説明出来る「愛」ではなく、ただ意識が「愛」そのものなんです。
この神の、愛の、霊的エネルギーを感じた時、私は初めて「努力は要らない」を知ったのです。

それはこの霊的エネルギーに触れる方法、ですが、本当は方法も無いのですが・・
今現在、私が霊的エネルギーというものに触れる時の意識のあり方はこうです。
それを説明するより、霊的エネルギーはこんなものだというだけで済むかもしれません。

そのエネルギーは記憶に残りません、ですから思い出すことも想像も出来ません。
もちろん、それに近づくためのテクニックも、その他何の方法もありません。
それに触れるには、自分が到達した意識そのものに在ることです。
そうすれば、そのエネルギーは自動的にやって来ます。

何の努力も、その他何もする必要もありません。
ただ、その自分の到達した意識、要するに自分であるだけです。
私はこのエネルギーそのものやその意識の世界を説明することは出来ませんが、それに至る意識の段階は説明することは出来るのです。

それは、宇宙意識を説明することになります。
宇宙意識というのは、物的宇宙の振動を説明することではなく、段階としての意識を宇宙全体意識から霊的意識への進化の段階を説明するということなんです。
今回はその説明は出来ませんが、これについてもそのうち書こうと思います。
宗教や今の精神世界がどんなことを教えようと、私の中ではすべてがはっきりして来たのです。

これからのブログは、これまでの内容をもっと違った角度と視点から入り、さらに本物、本質に迫ったことを書いて行こうと考えています。
いつまでも同じような繰り返しから、そしてもううんざりするような堂々巡りの教えから抜け出して行けるような気づき、発見に結びつくことを書いて行ければと考えています。

また、私も霊的にいろいろな能力開発を目指して行こうと考えていますが、それはすでに始めているものもあります。
このように、私の生き方体験はこの世の人から見ればかなり特殊なものに映るかもしれません。
私自身も、2つの意識で生きていると思っています。

それは、この世の意識と継続的神秘霊的体験による意識です。
これついては、誰かが私に何かを言えるようなレベルではないのです。
私の意識を参考に出来る人は相当なレベルに達することは間違いないとまで思っているのです。
また、このような内容が難しいというようでは、いつまでも自分は変わらないでいいと言ってることと同じです。

簡単なことが全部出来れば難しいことが出来ると勘違いしている人も多いでしょう。
難しいものは難しい、それに挑戦して成長して行けるのです。
難しいということは、言葉を変えれば、それ自体壁です。
生きている間には、いろいろな壁や障害はつきものです。
またそれも言葉を変えて言えば、この壁、障害は霊的法則を理解納得するためのものです。

人は自分の意識を、単なる自我とするか、それとも神とつながっている、とするかです。
ほとんどの人は、その神がどういうものであるかを知らないのです。
すべてに段階、順序があるので、それを飛ばして何かを成就出来るものは無いのです。

また、私たちは自分と神とを隔てているものが何であるかを真に知らなくてはならないのです。
それが自分の意識から外せれば、即あなたは霊的エネルギーとつながるのです。
それはこの世から見れば分厚い壁に感じて先が見えないかもしれませんが、霊側から見ればその壁は壁でもなく意識的距離も無いのです。

その壁の正体は、結局は自分のネガティブということです。
人は何か特別なことをするのではなく、自分のネガティブを外すことをすればいいだけです。
他の人のネガティブがどうのこうのは必要ないのであって、いつも自分からなんです。

それをしない限り、霊的法則上、神に触れるということは無いのです。
しかし、人はそれでも何とかなるといった期待をどこかに持っていたいのでしょう。
霊的な道はどんどん開かれて来ていますが、同時にネガティブの道も・・です。

生命意識に生きる(32)~これまでとはまるで違う、、霊的エネルギーの世界! 2010/09/23

ブログの掲載は1ヶ月半以上も離れていますが、9月の記事を載せたいと思います。
久しぶりですが、今回は中間報告として、ブログを離れている間に発見したこと、気づいたこと、た自分の変化などについて書いてみたいと思います。
この内容の詳しいことは、相当な説明が必要ですので、それは機会を見て話して行きたいと思っています。

また、ブログの再開ですが、10月中旬からいつものペースで掲載して行こうと考えています。
ブログを休んでいた1ヶ月半は、HPのリニューアルやその他の整理だけでいっぱい一杯でした。
結局、私が始めたかった神秘世界の集中は出来ませんでしたが、それでもHPのリニューアルを終えたことでかなり余裕が出て来ました。

ようやくですが、今週から少しづつ神秘集中に入っています。
この1ヶ月半を考えると、確かに神秘集中は思ったほど出来ませんでしたが、それでも霊的にはいろいろたくさんのことを受け取っています。
一体どうなっているのかと、本当に不思議な気持ちになるくらいすごい変化が次々に起こっていましたが、それは今も続いています。

私自身は、もう1ヶ月半前の時点と比べ意識がガラリと変わってしまっています。
当然、意識進化の過程の中で言っています。
本当にそれまでの自分が知っていたことが今はそれほど必要でもないといった感じです。

これまで勉強して来た人間の意識全体、精神世界、宗教、霊的なことなどが、自分の意識に完全に取り込まれた(意識化)という感じてす。
その結果、自分が進めて来た勉強方法は今の自分の結果としていいのですが、「ただ・・」
この、「ただ・・」の次に来る言葉が、私が発見した秘密、本質、その道、などのカギです。

これを知ったおかげで、一気に1ヶ月半までの自分の意識が必要なくなったのです。
必要がないというと、また大きな誤解を招きますのでそれについて少し説明したいと思います。
簡単に言いますと、それは、この世的な智恵に過ぎなかったということです。

霊的世界は、精神世界などで言っている世界、その求め方、焦点の合わせ方などは、まったく違うことだということです。
そんなやり方では、いつまでも、どこまで行っても・・・、というしかありません。
今気づいた私の霊的意識から見ると、「方向が違うよ!」と言いたいだけです。

それが回り道程度ならいいのですが、方向が違うとなれば問題でしょう。
今は、これだけ言っておきますが、これから私はそれを証明する神秘意識訓練に入ります。
口だけ、言葉だけで、いいことを言っても何の意味もありませんから。
とにかく今の精神世界は精神世界で、宗教は宗教で、それを勉強していることはいいことです。

何が違うかは、焦点の当て方とか基本的神の理解が方向性を狂わしているということです。
勉強の進行過程での理解納得が、求め方(祈り方)に合致しているか、ここも大事です。
宗教的でも精神世界的でも、もうこのような意識から離れた方がいいかもしれません。

大事なことは、自分の意識と自分の神(魂)の関係の中で生きることで、その意識の道、回路がどういうものであるか、その理解がこの先の道を分けるのです。
真の力は、パワー的なものを求めることでは絶対来ません。
絶対、この言葉に反応する人もいると思いますが、絶対と言えることはあるんですよ!

100%ではなく1000%と言ってもいいでしょう。
逆に、この世には絶対無い、真実、神の何かに触れられれば誰もが納得出来ることです。
ただ、このようなことを長い間の研究や訓練、そして実際的体験や意識的に触れたという人が説明してくれるなら、少しは理解も進むと思いますがこのようなものはほとんどありません。

イエスや釈迦、聖者方の教えはその通りの真理を含んだ教えですが、ただこれも細かく説明しているものはありません。
すべて自分で勉強し、意識で理解するまで分からないようになっています。
これらの方々の教えを書いた本には、秘密が書いてあります。
ただ、私たちがそれに気づかないだけです。

意識の段階が秘密のカギです。
これを知らずして、何かを解ろうとしてもそれは到底無理だというしかありません。
聖者方の教えには、いろいろな点ですべての答えのヒントや道があると、今私ははっきりとそこに焦点を合わせています。

ただし、それは言葉の奥の奥の、また奥の方に隠されていますが。
これを探しだして行くことが、意識の勉強であり、宗教や精神世界が人々の中にある意味です。
宗教に入信したり本を読んだりしていることだけが、神や仏に向かう道ではないのです。

たとえこのような世界に縁がない人でも、すばらしい意識を持った人もいるのです。
真理の探究を人は難しいとしていますが、難しくしている原因は自分にあるだけです。
次回からかどうかはまだ言えませんが、このブログもこれまでの説明とは違う、今私が言った内容に沿ったものに変えて行くかもしれません。

どちらにしても、これまでの意識の延長ですが、さらに本質に向かって行くことを目的としたブログにする予定です。
この世にある言葉での表現ですから、気づかない人もいるかもしれませんが・・
話は変わりますが、今年5月頃から今日までに来ている霊的なヒラメキやインスピレーションは、けっこうな量になっています。

それらは、意識の中で実際動かさなくては使いものになりませんので、その本格的訓練はこれからです。
すべての霊的発展、進化は、自分の意識の中でしかなくそれ以外の道はありません。
霊的意識から見れば、思考は一番神から遠い位置にあります。

真理の反対が思考と言ってもいいかもしれません。
しかし、最初は思考からがスタートですので、思考自体が悪いということを言ってるのではありません。
人間の意識進化の流れで、神に近づくきっかけからその脱出までの過程で言っているだけです。

私のことで言えば、2ヶ月前のチャクラのインスピレーションから今日まで、自分の意識もそれまでとは一変した感じになっています。
霊的エネルギー、愛(神)の振動、それまでの私の智恵も意識もそれほど必要ないといった、まったく違う世界を今感じているのです。
精神的、霊的勉強、意識の勉強の焦点は、今私はこうだと言えるのですが、果たしてそれを受け入れてもらえるかです。

別に、受け入れてもらえるかどうかは問題ではありませんが、一人の体験、意識として参考にする価値はあると思っています。
本格的意識集中、訓練はこれからというレベルですので、まだ本格的に意識訓練をしているわけではありませんが、それでも霊的に気づいていることもあるのです。

そして、確信があるものは、すでに一部HPの内容を変えて載せているものもあります。
特に、それはヒーリングです。
ヒーリングの方法、集中がこれまでのものとは一変しています。
意識的にですが、方法、集中もこれまでのものとはがらりと変化しています。

チャクラのインスピレーションが来て何の訓練もなく、1週間程度ではっきり確信出来たのが、そのヒーリング方法です。
チャクラのインスピレーションを受け取った時、そのすぐあとにこのヒーリング方法が自動的に浮かんで来たのです。
本当に不思議なことばかりです。

これはヒーリングだけではありませんが、その知った霊的エネルギーを表現するにはヒーリングが一番分かりやすいのです。
その他にも大きな変化がありますが、それは私の意識、そしてそれを支える能力といったことになります。
私は、30年近く勉強して来た中で、始めて直接霊的エネルギーに完全に触れたのです。

この驚き、とうぜん、霊的エネルギーなどその言葉はあっても、詳しく説明してある本などはありませんが、また無いのも当然だと思います。
ここまで来るにも、自分の人生で絶対の信頼を寄せ、すべてにして来たのは自分の魂です。
「魂の援助」私は最終的な決意、決断は魂からの音のない言葉に任せて来ました。

その結果、自分自身が完全納得できるまで意識を高めて来れたと思っています。
一個の自我、それが出来る範囲など、私は最初から知っていました。
一個の自分、自我などは、いざと言う時、頼りに出来るところなどは一つも無いのです。
逆にこんな自我レベルに任せていると、大事な進化など夢の夢、ただの漠然とした期待でしかなくなります。

私は魂にお伺いを立てるのです。
その内から来る反応に従ってすべてを決めて来たのです。
たとえ、この世や人の信ずる正義、道徳に反しても、私はこれに従ってここまで来たのです。
これからもこれを通すのみで、たとえ死に結びついても私は魂の言葉に従うのです。

これが、真剣というものです。
魂から来る答えは、すべて間違いのないものです。
それですべてがうまくいく場合もあれば、方向性を指示しているときもあります。
また、少しの試練を含む場合もありますが、結果的には私の進化につながるものばかりでした。

魂は神です。
神にどうして間違いを考える必要があるでしょうか。
それに間違いがあるとすれば、その答えを行動に移す自分にあるだけです。
たとえ、一時の間違いがあっても、それは結局大きな気づきにつながるだけです。

すべてに至るその第一歩は、自分の魂(神)だけを見ることです。
自分の神(魂)を無視して、他の神、他の何かを求めるのですか?

生命意識に生きる(31)~「チャクラの開き方」これってどこまで本当?【3】 2010/08/05

今回の【3】でチャクラの話は終了になりますが、私の意識世界に大変化を起こした今回のチャクラの智恵は、今も新たな意識の世界に導いてくれています。
これまでの勉強で向上させて来た自分の意識も、今は新しい世界とはっきり線を引けるくらいにエネルギーの違いを感じています。
新しい世界では、今の自分の意識もそれほど役に立たない、必要ないといった感じさえします。

これから私は、本格的にこのチャクラを土台にした神秘意識訓練に入ろうと考えています。
この3年間にもいろいろなインスピレーションを得て来ましたが、今回は、この機会を逃すと何かを失うような気がしてなりません。
2ヵ月半くらい前に体験した、内的な「第3の意識の死」があって、この魂の援助に恵まれたと思っています。

このチャクラの智恵と波動振動の世界を組み合わせ、研究することで、今の精神世界とは違う意識向上の道を創れるのではと考えています。
私のこの世的は、一つの卒業といった感じがしています。
意識が何であるか、今回のインスピレーションで本当に深くよく理解出来たと感じています。

また、時期を見て、チャクラ研究から得た新しい真実を話したいと思います。
今回はっきりと分かったことですが、
チャクラを回すということは、テクニックでは無理です。
真剣にチャクラを回すという行為は、自分の意識、ありのままの生命意識を使うことです。

その前に、真の意味の「ありのまま」という意識も知らなければならないでしょう。
今回私が知ったチャクラというのは、霊界意識と交わるための回路、と意識で解りました。
これは、この世(3次元)の意識との分離を覚えてはじめて可能になると思います。

その境界線の役割がチャクラを開くという意識です。
その境界線は、無意識という世界です。
潜在意識を完全に自分のものにすることで、次の無意識が理解出来ます。
チャクラは解脱の意識、霊界とつながる見えない意識の飛び石と思ってもいいでしょう。

私はチャクラの真実が、これほど神秘世界を広げてくれるとは、今まで想像したこともありませんでした。
これまで沢山の不思議神秘体験をして来ましたが、それとはまったく違う「神秘力」の世界に初めて触れたという感じを持っています。
エネルギーがまったく違う、これが霊的エネルギーかと、今はそう感じています。

そして、自分の意識がチャクラを意識することで、そのままエネルギーに変わる、というところまで感じるようになっていますが、これからの訓練でそれがどう変わるかです。
それは、何もしなくても即ヒーリングエネルギーと言ってもいいくらいです。
これからのチャクラ研究は、まったく新しい神秘体験へつながって行くと確信しています。

私はこの勉強を始めた頃から、それも早いうちですがサハスラーラへの集中訓練を始めていました。
その理由は、チャクラの最高点ということと、そこを目覚めさせなければ霊的意識進化が遅れると霊的な本を読んで感じたからです。
しかし、それを始めた時、またその後もずっと「サハスラーラを開く」といった意識は持ったことはありませんでした。

ただひたすら、サハスラーラの振動訓練、集中訓練を長い間やって来たのです。
私の目的は、サハスラーラを開くでも、各チャクラを開くでもなく、霊界との意識回路を開くということだけでした。
意識勉強と共に、瞑想も、ヒーリングも、私はすべてこのサハスラーラに関連付けてやって来たのです。

ですから、私の意識の世界は、すべてサハスラーラを中心に動いています。
このように、私がこれまでやって来た意識勉強と訓練の成果が、今回のチャクラのインスピレーションとして一つの完成、まだスタート点ですが、一応形を結んだと思っています。
これから、各チャクラの波動振動測定のデータを取りながら進めて行けば、サハスラーラ以外のチャクラのこともかなり分かって来るのではないかと、そういうことも考えています。

では、私がずっと研究し訓練して来たチャクラの回し方について、簡単ですが説明したいと思います。
様々な本やサイトのチャクラの説明を読むと、脊柱の位置や経絡的な関係、その他では内分泌腺の位置、またこれらのものが混合しているものもあります。
これだけでも、本当のチャクラの位置というものに迷ってしまいます。

私の場合は、サハスラーラやアジナとなっている松果体や下垂体の内分泌腺、その位置をチャクラとして訓練して来ました。
その理由は、内分泌腺から始まるなら、すべて内分泌腺を回せばいいということです。
また、内分泌腺の勉強もかなりしてその知識もたくさんありますが、とりあえず肉体的な健康にもいいということで、それも安心安全の一つとして考えていました。

サハスラーラは第三の目であり、チャクラの最高点ということもあって、この決定には何の迷いも起きませんでした。
また、これまで「第三の目の世界」で波動振動測定をした聖者やレベルの高い霊的意識の持ち主の意識焦点は、ほとんどがサハスラーラ(松果体)の位置に振動があります。

この発見は最近ですが、改めて自分のサハスラーラの意識焦点にも確信を持てたのです。
別な視点からは、内分泌ホルモンは肉体のすべてを支配しているのですから、この集中自体何も問題ないと考え進めて来たのです。
また私は、長い間この集中でチャクラを回すということをやって来ましたが、先ほども言いましたが、それは何かの能力を得るということではなく、単純に健康のためが目的でした。

これを始めた頃は、何年も仕事と勉強とを睡眠時間を削って両立させていたので、やはり健康を一番大事と考えていたのです。
それからずっと後のことですが、チャクラの意識的集中は、内分泌腺以外に別な方法でもやっていました。
その方法を覚えたのは、瞑想によるサハスラーラ集中を知ってからです。

では、順に説明して行きますが、まず内分泌腺の位置をチャクラとして回す方法です。
この場合も、出発点はサハスラーラです。
先ほども言いましたが、私の意識世界はサハスラーラが中心ですので、その位置も大事です。

一応この内容は、セッションでサハスラーラのことや意識の仕組みなどを説明した後に教えていることですので、このブログでの説明はその一端と思ってください。
まず、サハスラーラを意識して、そこで意識集中をします。
そのサハスラーラ自体を本来は振動でいっぱいにするのですが、振動が分からない人は光でもいいでしょう。

私の経験上、波動的なものはチャクラにはほとんど作用しません。
ですから、光のイメージの方が波動よりはいいでしょう。
まず、サハスラーラを光で満たし、それから下垂体に移動し下垂体を光で満たします。
このように順に各チャクラ(内分泌腺)に集中して行きます。

そのチャクラは、松果体・下垂体・甲状腺・副腎・精線・すい臓・胸腺・甲状腺・下垂体・松果体という順です。
各チャクラを光で満たしている時間は、各自の自由です。
回数も自由ですが、最低4~5回は必要だと思います。
各内分泌腺を光で満たして行くのですから、チャクラを開くどうのこうのより、健康を考えた場合この方法はとっても良いものだと思っています。

今言った方法は本当に大雑把なもので、本来はもっと詳しく説明しなくてはならないものです。
もし、この方法で頭が痛くなったり、嫌な感じになったり、不安になったりした場合は、すぐにやめてください。
そうなるのは、やり方が間違ってるか、振動にネガティブが混じってるかになります。

その場合、以前やった何か他の悪い波動が残っている場合もありますので、それを突き止めてください。
もう一つの方法ですが、これは少し難しいので一応その雰囲気だけです。
まず、サハスラーラに集中します。
それから、深い意識、無意識的な状態で霊界の体であるアストラル体を無意識集中します。

そのアストラル体に肉体の位置にある内分泌腺の位置に、球形の振動(光)集中をします。
あとは、肉体の各チャクラを回すやり方と同様に、何巡かします。
それが終わってから、アストラル体のサハスラーラの位置から、無意識的にまたは潜在意識的に、肉体のサハスラーラの位置にその霊的振動(光)を降ろします。

今度は、体のサハスラーラに入れた振動(光)を、体の各チャクラに回して行くのですが、ここにもポイントがあります。
チャクラを一巡するたびに、各チャクラの光を強く増して行きます。
そして最後には、体の内部全体を光でいっぱいに満たします。
そしてこのチャクラを回すことの終了前に、体内部の光を体の外にオーラのように放出します。

ここでは簡単に説明していますが、本格的にやるにはいろいろな注意点があります。
私はこのようなことを長年やって来たのです。
特に、これが何か神秘的なことにつながるといった期待も持つこともなくです。
しかし、この基本をやっていたから今回のチャクラのインスピレーションが来たのかも知れません。

私は、インスピレーション的なことすべてをサハスラーラ中心に行なっていますが、そうするにもサハスラーラはチャクラの最高点ということをよく考えた結果です。
やはり重要なことは、まずはサハスラーラのポジティブ化です。
神(魂)、霊的意識と接する自分の意識がどうあるべきかに気づく必要があります。

良く考えればわかると思いますが、すべて霊的、神を無視しては出来ないのです。
何も知らない意識、ただ力だけ、都合の良いことだけを求める意識で、チャクラを開くだとかクンダリーニを上げるということに、そんなレベルに神は援助するのでしょうか。

間違ったやり方をすれば、頭が痛くなってそれがいつまでも続いたり、体調が悪くなったりすることもあるのです。
簡単もいいですけど、このようなことは逆に危険を伴うのです。
そのこともよく考え、私は意識レベルがある程度しっかりするまではチャクラを回すということは、しないほうがいいと思っています。

私の世界では、当然、サハスラーラ集中の練習もしてもらっています。
最後は自分の意識です。
思考のあり方から、意識化、そして意識で動くまで、すべてに自己意識を自覚していなければ、どんどん前進することも出来ません。
チャクラは、いろいろなことに関連させて説明出来るということを、今回のチャクラの智恵で感じました。

今まで曖昧になっていたチャクラの世界が、これからの研究で明確に説明出来るようになると思っています。
意識の勉強、意識の道、意識の順序、意識の回路、それが神の道です。
見える世界が中心ではなく、意識こそがすべての中心に位置しすべてを繋いでいるということを絶えず意識していましょう。

これによって、私たちは魂(神)からたくさんの智恵をもらうことが出来るのです。
やはり、何の努力も無しで霊的力が付くというのは、神の法則からしてありえないことです。

生命意識に生きる(30)~「チャクラの開き方」これってどこまで本当?【2】 2010/07/29

私の意識の世界は、いろいろな霊的知識を勉強して行く中で、段階的に来るヒラメキやインスピレーションの智恵によって拡大進化を続けています。
しかし、インスピレーションは望めば来るといったものではありません。
普通インスピレーションが来るのは、私の場合振り返ってみると3年に一度くらいです。

ところが今年は、ヒラメキとインスピレーションを合わせるとすでに6回来ているのです。
今年の私には、時代が暗黒性の未来方向に向かっているせいで急がされているのかどうか、その点はまだ分かりませんが、かなりの霊的秘密が降ろされているのです。

今回来たインスピレーションも、深い段階に入る大きな智恵、土台、基礎固めのようなものに感じています。
その内容は、チャクラに関することであることは前回書きました。
チャクラに関しては、すばらしいチャクラの体験をした今でも、「チャクラを開く」という意味がまだ分かりません。

それは、何を基準に決めればいいか分からないからです。
ですから、これからも私の世界では、「チャクラを開く」といった言葉は使いません。
私はいつも言って来たことは、「魂(霊界)との回路を開く」ということです。
こういう意味で考えますので、これからは「チャクラの回路を開く」ということになります。

「第〇のチャクラを開く」ということは、振動の観点からあとで説明したいと思います。
少し、面倒な感じに思うかもしれませんが、意識の世界は見えない世界であり、この世にはそれをうまく表現する言葉もありません。
ですから、意識の世界を勉強するには、しっかりと段階を踏まなければならないのです。

あいまいな意味で捉えていると、最終的に大きな躓き、壁に苦しみ、前進が困難になります。
そして大事なポイントは、潜在意識の深い理解とそれに必要な訓練です。
潜在意識は人間意識の限界で、それは別な角度から見れば中継点です。
潜在意識を何かに頼るためのツールにするのではなく、意識を高めることで潜在意識を自分自身にしなければなりません。

意識の勉強の最初の大目的はここにあるのです。
では、今回私が体験したチャクラの不思議について話して行きたいと思います。
それを体験したのは、今月のことです。
朝、いつものように軽く自分の意識に集中していると、フト「チャクラ」ということが意識に入って来ました。

私は意識の中で、「チャクラ?」という感じの中、過去やっていた「チャクラを回す」ということを思い出していました。
その時、ちょっと思い出し始めた時、この思いとは別に驚きの衝撃が走りました。
その驚きというのは、これまで想像もしたことのないチャクラの回し方を知っているのです。

それだけでなく、各チャクラで何をすべきかも、一つ一つ集中していくとどんどん必要なことが出て来るのです。
これがインスピレーションというものです。 ズバリ答えです。
以前やっていたチャクラの回し方については次回書きますが、それは自分の健康のための集中方法です。

その他、物的と霊的チャクラを関連させるということもやっていました。
その集中もかなり長い間訓練していましたので、今回のことはその訓練の結果かもしれません。
しかし、今回のチャクラの智恵は、どんな本にも書いていない特殊な方法で説明は出来ません。

インスピレーションのすごいところは、すでに知っているという答えが自分にあることです。
この方法は、まったく一般的な方法ではありません。
内容的には、内的意識による不思議体験と言ってもいいかもしれません。
以前、内的意識による不思議体験のことを書きましたが、そのままをまた私は体験したのです。

それには、これまで私が意識化して来た霊的知識、霊的智恵、霊的振動を使うのです。
その他には、潜在意識、無意識、光振動、愛振動、霊的一体化意識、霊界意識(振動)、など私がこれまで努力して来た、その勉強の成果すべてを使うのです。

その全部を使って肉体にあるチャクラの位置を回っていく(通っていく)のです。
また、これも不思議なことですが、その順序は秩序と言って、霊的に意図されたようなストーリー性まであるのです。
では、霊的に意図されたものとは何かですが、それはとんでもない意識の感じで来ました。

その時の私は深い瞑想状態でも、睡眠の中でもなく、普通に意識集中しているレベルです。
そういう意識状態の中に入って来たストーリー性の感じとは、原初の3次元でした。
ここでの原初の3次元という感じは、4次元から3次元に魂が降りて来た神時間を言います。

この4次元から3次元に魂が降りて来た状態で、この魂意識が目的を持った働きで全チャクラを通って行くのです。
通って行くというよりは、3次元の意識(相対意識)を変換して行くと言ったほうがいいかも知れません。
こうして一巡、要するにチャクラを回して(回って)サハスラーラに戻ります。

サハスラーラから始まり、サハスラーラで終わりますが、出発意識と到着意識は違うのです。
この出発、到着意識というのはエネルギーの質のことで、当然到着意識エネルギーは出発意識エネルギーより数倍強くなっているのです。 
たった一巡で。

この方法は各チャクラを開くというものではありません。
それを言うなら、各チャクラごとの働きは霊的振動からして完成レベルになります。
もちろん、現時点の私の意識においての完成レベルということです。
今後、私の霊的意識振動がさらに高くなれば、この各チャクラはさらに完成して行きます。

各チャクラがどうのこうのより、全チャクラを回す方が、エネルギーは強くなるのです。
では、このチャクラは実際にどのようにして使うのでしょうか。
これは今後の訓練でかなり変化して行くだろうと、大きな可能性を抱いていますが、今はこのような方法でやっています。

まず、サハスラーラに霊界意識を集中します。
それから順に、肉体的位置にあるチャクラを移動します。(チャクラを回す)
そして最下位のチャクラに降りたら、それから上昇して行きます。
そして最後にサハスラーラに到着ですが、各チャクラではそこに必要な意識振動を発します。

また、この方法は瞑想の中でやる必要はありません。
いま、このブログの文を書いている手をいったん休めて、それにすぐ集中するだけで出来ます。
時間的にはこんな感じです。
サハスラーラに霊界意識(霊的振動)を集中し、それからアジナに集中した時から約10秒くらいで、一気にエネルギーに満たされて行きます。

そのすばらしいエネルギーは、すぐにはっきり分かるレベルで最高の意識的感じです。
ゆっくりやっても、最後のサハスラーラ到着まで、大体40~50秒。
これだけで自分の意識もすっきり、体の中は空間的でとても軽い状態になります。

それだけではなく、やはりこれは普段の状態でありながら霊的不思議体験をしている感じです。
このチャクラを回す方法は、各チャクラでは数秒という短時間ですが、非常に完成された意識になっていますので、チャクラを回すのは2~3回くらいで十分なんです。

エネルギー集中はこれで十分だと思っています。
この方法は、私がこれまで高めて来た最高レベルの意識振動を使う方法ですので、今は誰でも出来るというものではありません。
最近ですが、これをやっていると、また不思議なことを感じて来ました。
チャクラを回した後ですが、何か振動の塊のようなものを感じるようになりました。

「振動の塊!」それって何?と、またわけの分からないことになりますが・・
それはこれから研究して行くことですが、かなりの霊的力には間違いないと思っています。
ヒーリングに使えるかもしれません、もしかして「病気を治す力?」だとすごいことに・・

今回のインスピレーションは、内容からみて、つい2ヶ月前に受け取ったインスピレーションの続きのように感じています。
5月に受け取ったインスピレーションのことは、「生命意識に生きる(19)」に載せています。
ただ、その内容までは書いていないと思いますが、その時も4次元と3次元の始まりと終わりの全体像をストーリー性を持った内容で答えをもらっていました。

おそらく、もう1回、今年中にインスピレーションが来るような、そんな予感がしています。
最後に、私の考えですが、振動の観点から「第〇のチャクラを開く」ということについて話したいと思います。
サハスラーラに集中ポイントがある意識の高い人の振動を調べた中で、このような人もいます。

サハスラーラに強い集中はあるのですが、それとは別にもう一つのチャクラにも集中ポイントがある人がいます。それもけっこう強い振動があるのです。
そういう人が、「第〇のチャクラが開いている」というのであれば納得出来ます。
しかし、集中ポイントがサハスラーラにもなく、また大して振動も強くない人が「私は第〇のチャクラが開いている」と言われても・・

その人の意識振動を見れば、このくらいはすぐ見分けられるものです。
チャクラがどうのこうのより、まず自分の意識を高めない限りは何も得られないと思いますが。


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コメント

こんにちは。 (T)
2010-07-30 01:40:04
こんにちは。
金子さんは奈良県の神社・遺跡群が尋常ではないパワーを持っていると不思議がっておられましたね。その答えになるかどうかは分かりませんが、ネットサーフィンをしていて関係あると思われる興味深い情報を得たので紹介します。
どうやら奈良県の神社・遺跡群は物部神道とゆかりが深いみたいです。物部守屋が主導していた頃の神道で自然信仰の要素が強いという特徴があります。あと幽界に関する教義があるようです。

Tさん、こんにちは。 (F・H・S)
2010-07-30 12:43:20
Tさん、こんにちは。
興味深い情報を教えていただきありがとうございます。
今度時間のあるときにでも、いろいろ調べてみたいと思います。
もう少し後になりますが、波動振動測定も本格的に進めて行くことを考えています。
ありがとうございました。

とても貴重な内容掲載を、いつもありがとうござい... (須田)
2010-08-04 14:14:40
とても貴重な内容掲載を、いつもありがとうございます。
「チャクラを開く」の開くについてですが、シュタイナーによれば、チャクラは、「輪(チャクラ)」または、「連華」と呼ばれていて、そう呼ばれるのは、それらのチャクラが、水蓮や車輪に似ているからだと述べられています。
※これはシュタイナーの霊視(見霊的認識・直感)にもとづいているのだろうと思います。
霊的に進化していない人間の場合、「蓮華」は色が暗く、安定していて動こうとしていない状態だそうです。
また、霊界参入の修業を行おうとする者が、修業を始めると、「蓮華」は輝き始め、後に回転し始めるそうです。「蓮華」が回転し始めると、見霊能力が現れてくるそうです。霊媒の場合も、見霊者と同じような「蓮華」の輝きがあるようですが、その姿には相違があるそうです。
この「蓮華」の回転なしに真の霊界参入はあり得ないのだろうと思います。
その「蓮華」を回転させるためには、霊界参入におていまったく役に立たないとされているいっさいのネガティブを排除し、未発達の感覚ばかりに頼らず、理性的・論理的な理解をもって日常世界を生きること、例えばその指針のひとつにある「八正道」を、意識せずとも生きられるまでにする(潜在意識化する)といった生き方を自らに徹底させる意志を育んでいくことが大切であると、そう述べているように思います。
最後に、「チャクラを開く」ですが・・・、「蓮華」=花→回転=花が開く=「チャクラが開く」ということなのではないでしょうか?チャクラは花の姿に似ているとされている?ようで、チャクラ自体はおそらく回転(振動)するのでしょうが、その例えをこの世の言葉にすると、「開く」という表現が伝わりやすいのかも?といったことではないかと感じています。
この内容では、とんでもなく、まだまだ不足があるのだろうと思います。
先生ご自身が体験されている内容を読ませていただけばいただくほど、先生の体験は、シュタイナーが述べている神秘世界参入への意識を獲得さている生の実体験を惜しみなく開示していただいているのだ、ということに気がつき、その凄まじさに尻込みしてしまう思いです。
自分の意識を高めていくには時間がかかります。ですが、そこを放り投げて例え一度見霊的な体験をしたとしても、それは真の見霊体験ではないのであって、自分の意識を高める以外に、「蓮華」を回転させるまでには至れないのだろうと思います。そしてこの回転はそうたやすいことではないので(今の私には想像しかできませんが)、どこぞのチャクラが開いたので神秘体験をした、といった体験があったとしても、そのような体験は自らで疑ってかかるくらいの慎重さが必要なのだろうと思います。

須田さん、こんばんは。 (F・H・S)
2010-08-04 22:53:51
須田さん、こんばんは。
あまり詳しくは書けませんが、今回のチャクラのインスピレーションは、今もそのインスピレーションから潜在意識にインプットされたいろいろな智恵を引き出している最中です。
今回のインスピレーションは、相当な量の智恵が入っているので、今も驚きの連続です。
その智恵は、私がこれまで高めて来た意識、その自分の意識さえも必要のないくらいの秘密を私に与えてくれています。
それは、これまでのインスピレーションとは違い、まだまだこれからどんどん拡大して行く、その中を動いて行ける霊的智恵の世界を感じています。
今回私が感じたチャクラが開くは、チャクラが回転するのではなく、各チャクラに応じた霊的意識が動いて行くといった感じです。
私の意識は、その回路を霊的光輝のエネルギーを感じながら動いています。
それを表現するなら、「生命意識に生きる」が「生命意識が生命の樹に生きる」となります。
この世的な意識は、まったく通じない世界です。
このような気づき、ヒラメキ、インスピレーションが、私がいつも言う「魂の援助」です。
他の人の意識にも、このことが少しでも浸透してくれればと思ってブログを書いています。
須田さんも知っているように、私が「歓迎の光の門」に入ってから、ここに至るまで、その期間は1年も経っていません。
私の計画では、最低5年以上を覚悟していたのですが、この意識は想像など出来るものではないことを考えると、やはり「魂の援助」がなければ絶対無理だと改めて感謝と神の法則に真っ直ぐ生きるのみ、ということを素直な解放の中で感じています。
潜在意識の調整もそれを早めてくれたと思っています。
「潜在意識の調整」、またいつか、それについても詳しく説明します。
ありがとうございました。

先生、コメントへのご返信をありがとうございます。 (須田)
2010-08-04 23:25:36
先生、コメントへのご返信をありがとうございます。
今の私では、残念ながらまったく意味がわかりません。(当たり前ですが)その凄さを顕在意識のどこかで分かったらいいなぁと思っている程度です。
想像などできるものではないかもしれませんが、想像してみたいと思う気持ちは大切なのではないかと感じています。それは私の(今の)情熱ですから・・・。
更に深い内容を今後も掲載して頂けるとのことですのでとても楽しみにしております。
ありがとうございます!

生命意識に生きる(29)~「チャクラの開き方」これってどこまで本当?【1】 2010/07/22

今回は、最近私が体験をしたチャクラ集中による驚くべき変化に関する話です。
この内容は、いろいろなことに関連付けて説明して行きたいと考えていますので、3回を予定しています。
このブログの内容は、私自身が探究したことを自ら訓練、実践、体験を通して得たものを意識の段階に置き換えて説明しています。

今回のチャクラの話は、意識の理解がどれだけ大切かが本当によく分かると思っています。
おそらく、今回の説明でチャクラの本質がよく理解出来るのではないでしょうか。
一応、チャクラの話で予定している内容を【1】【2】【3】に分けて書いておきます。

今回の【1】は、チャクラについて私の知っていること、考えを述べて行きます。
【2】は、今回私が体験したチャクラのすばらしい、また驚くべき急変化についてです。
【3】は、私が瞑想を始めた頃から、ずっと研究しやって来たチャクラを回す方法の説明です。

【3】に関して言えば、瞑想を始めた頃となっていますが、サハスラーラ集中だけはこの勉強を始めた頃から同時スタートしています。
今、精神世界でチャクラのことをもっともらしく言っている人は、本当にチャクラのことを知っているのかと、申し訳ないけど疑いたくなります。
「私は第〇のチャクラが開いている」とか、「チャクラの開き方」からついでに「チャクラの正しい開き方」まで、皆さんすごいですね、どこまで本当のことを知っているのでしょうか。

それが正しいかどうかは別にして、今回はしっかり検証して行きたいと思います。
今、こう言うとすぐ気づくと思います。
私はこれまで、このブログの中でチャクラについてちゃんと説明したことはありませんでした。

このブログを最初から読んで来たあなたは、そういえば、とすぐ納得したと思います。
また、精神、神秘世界では誰もが知っているクンダリーニもチャクラ同様説明していません。
では、何故この大事なことに私が今まで触れて来なかったか、ということになります。

その答えは簡単です。
それは、私はチャクラについてちゃんと説明出来るものを持っていなかったからです。
冒頭でも言いましたが、このブログは、私が自分で体験したことだけを、また自信を持って言えることだけを説明しているのです。

きれい事ではなく、こうするのは、人のためではなく全部自分のためにです。 
もちろん、チャクラについて何も知らないということではありません。
自分なりに、チャクラの知識やチャクラの集中訓練やチャクラを回すということは、それなりに訓練して来ました。
サハスラーラ集中もその一つです。

しかし、私がどうしても説明出来なかった理由の一つに、「チャクラを開く」ということがどういうことか分からなかったからです。
チャクラを通して、今回すごい体験をしたのですが、それでも「チャクラを開く」といったことが、今回の私の体験から考えても、どうしてもどの程度かが分からないのです。

それで今回、チャクラについてしっかり分析し検証してみる必要があると思ったのです。
はっきり言いたいですね、精神世界系で言っている人は本当にチャクラのことを知っているのか、と。
「チャクラ」で検索すると、当然いっぱい出て来ます。

サイトの下にある内容説明だけに目を通すだけで、とても中まで見る気はおきません。
ここにもありました、「簡単に!」という言葉が。
私はチャクラの説明はして来ませんでしたが、このようなサイトの内容から比べると、私のほうがよっぽど本当のことを知っているのではと、そんな気にもなりました。

しかし、それでも自分で確信に至らないことは言えない、これは私の意識からそうなるんです。
今回ようやくチャクラのことが言えるということは、これまでやって来たチャクラに関する智恵の総まとめ、みたいにも感じています。
先にズバリ言っておきます。

「チャクラを開く」、それに意識を向けること、また何かすることは大して意味がありません。
もっと別な方向から進めたほうが近道であり早く到達出来る可能性があります。
ただし、それはチャクラを開くということを目標にしたものではありません。
それは、順に説明して行きます。

このことは、私がはじめてチャクラを意識した頃から実行して来たことです。
自分が神秘世界を勉強していながら、「チャクラを開く」ということには、最初から特別意識して来なかったのです。
「私は〇〇チャクラが開いている」という言葉を何度もサイトで目にしたり、直接聞かされたこともあります。

それでも、自分としては何の反応も興味も出て来なかったのです。
あなたも分かると思います。
チャクラが開いたと言っている人は何が出来るのか、またどんな意識レベルなのかを。
まさか、チャクラが開けばチャネリングが出来るようになる、のレベルではないと思いますが。

例え開いたとしても、どの程度開いた、ということが言えるのでしょうか。
私はいつも不思議に思っていました。
「チャクラが開いた!」
何を基準に、何パーセント?開いたのか。それで何がどう変わったのか。
そしてこの先は?

私はチャクラに関しては、開くことも含め、最初からこのように思っていました。
長年の修行をしていた求道者や僧侶でさえ大変なことを、どうして何も知らない自分が出来るのかと。
こうした努力を通して出来た人から指導されるなら目指してもいいが、自分一人でこれだけに拘るのは時間のロス、だったらいつになるかは分からないが意識の向上から近づこうと。

最初にこのような決心をしたため、私はずっと「チャクラを開く」には興味がなかったのです。
それほどチャクラに興味が無くても、今回私はこのチャクラに大満足を越えた力を得たのです。
この絶対的チャクラの体験は、この世にあるチャクラの考えを一掃してあげたくなりました。

しかし、今回のチャクラの体験であっても、私のチャクラがどこまで開いたかどうかはまだ分かりません。
本当は、そんなことはどうでもいいのです。
何故なら、私は精神世界系で言われているチャクラから完全に離れられたからです。
その程度で喜んでいると、これからの自己意識向上、その進化に邪魔になるだけです。

オーラにも言えますが、これは振動のところで説明していると思います。
とにかく、今の精神世界系はもう一度冷静に考える必要があると思います。
将来は、物的、精神世界的の2つに分かれると言っている人もいますが、そうではなく精神世界レベルと本質レベルに分かれるのです。
全体を良く見渡してみれば、その違いはすぐ分かると思います。

焦点の当て方が少しズレている、ではなく、うまくズレさせていることに気づかないのです。
こう言っても、仕方ないですけど、どうにもならないですけど。
「本物は難しいから」で、とにかく何かその気になれれば気持ちが落ちつくのでしょうか。

気分転換として、数ある中の一つであるならそれも仕方ありませんが。
話を戻しますが、ちょっと静かに考えてみれば分かることがあります。
「チャクラを開く」ということは、本当は高い意識レベルが関係するに違いないと思います。
もし簡単であれば、その辺チャクラ満開人間だらけで、チャクラの価値も無くなります。

チャクラは高級意識振動で作用するものですから、それが顕現する人間の意識もそれなりの振動に耐えられる意識というのが条件なのです。
この精神世界系の人は、この意識の振動というもの、意識の段階といったものにはほとんど関係ないといった人が多いのです。
それでも中には、何も知らなくても意識振動が高い人もいます。

それは、内的根本意識の純粋性が強いということです。
この二つのどちらでもいいのですが、やはりしっかり自分を高めるということは大事なんです。
今回の体験でも、やはり意識の道、順序、継続といったものがどれほど、何よりも大切であるかが、もうこれについては考える必要がないくらい絶対になりました。

あなたも、いろいろなサイトで言っているチャクラの内容を、冷静に分析してみてください。