生命意識に生きる

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生命意識に生きる(28)~ヒーリングの不思議体験【3】 2010/07/15

今回は、不思議な治り方の前に体験した、もう一つの不思議についてです。
私はあきらめずにというより、これしかなかったので3時間ちかくヒーリングしていたのですが、さすがにだんだん気が遠くなって行くのを感じていました。
どうすることも出来ない、でも・・、ぼんやりしている中、何となく宇宙が浮かんで来ました。

そして、私が小学3年の時初めて体験した不思議を自然に思い出していたのです。
私はその時やった、どんどん地球から離れるということをもう一度やってみようと思い、何も考えずただそれだけに集中してやってみたのです。
自分がこの地球からどんどん離れ、宇宙の果てに向かってイメージの続く限り離れて行くことだけに集中したのです。

朦朧とした中でやっていました。
途中までは覚えていますが、こんな感じです。
地球から離れて行く。方向など考えない。どんどん離れ、火星・木星・天王星・海王星・・、どんどん離れもう地球は見えない。
太陽系も遠くになり、ついには銀河系の形も見えるくらい遠く離れて行った。

そしてますます離れて行く。 すでに銀河系も見えない。
様々な大星雲が見えては、どんどん小さくなって消えてゆく。まだまだ、どんどん離れて行く。
ここまで来ると、自分の知っている宇宙はない。またどこにいるのかもわからない、というより何が何だかわからなくなっていたと思います。

イメージもここまで、これ以上続かなくなっていた状態で、意識も無意識状態。
その時、いきなり意識が切り替わり、そこにははっきりした意識の自分がいる。
そして、目の前に何かは分からないが、直径1メートル位の円形の入口のようなものが現れたのです。
入口の中は見えなかったが、私は「何だろう」という思いで見ていると、その瞬間、信じられない光景が目の前にくりひろげられたのです。

なんと、今私が地球から離れ通って来た広大な宇宙、無限に広がる宇宙が、目の前にある直径1メートル位の円形の中に、すごいスピードでどんどん吸収されて行ったのです。
直径1メートル位の円形の入口に向かって、たくさんの星雲からなる大宇宙がどういう風にかは分からないが円形の入り口に向かって縮小され、すごい勢いで吸収されて行くのです。

その早さと光景は、その場で見ていてもまったく理解できない不思議そのものでした。
早い、それはあっという間に終わったという感じです。
私の不思議体験は、子供の頃から宇宙的なことが多かったように記憶しています。

私は子供の頃に一度、このような理解できない夢を見たことがありましたが、今回は規模が全然違うのです。
大宇宙が吸収された後の大宇宙の場はどうなったのか、ということに気持ちが向く前に、すぐ次のことが起こったのです。
その大宇宙が全部吸収された円形の入口の中から、声が発せられたのを聞いたのです。

その声は、「こちらに合わせなさい!」でした。
男の声とも女の声とも判断出来ませんでしたが、はっきりとした声だったのです。
私は、その時円の中に入って行こうかどうか躊躇しました。
まったく知らない世界に入って行くかどうか、この世の自分から離れた意識であっても迷いました。

躊躇していた時間は、けっこう長い時間に感じていました。
そして決断、とりあえず入ってみようと思い、それでも躊躇しながらゆっくりと入口に手から腕まで入れ、次に頭を入れようと思った瞬間、その入口は私の腕をぬくようにしぼんで閉じてしまったのです。
その時、私はすぐ、自分の心の迷いを見抜かれたと思いました。

その思いが出た時、そのあとすぐに私は目を覚ましたのです。
地球から離れて行く間、おそらく何がなんだか分からなくなったときに、いつの間にか意識が切り替わり、肉体は睡眠状態になっていたと思います。
睡眠状態に入ったというより、気を失っていたといった方がいいかもしれません。

目を覚まし、そのあとすぐに今起きた不思議な内容、「こちらに合わせなさい」という声に一心に集中したのです。
その時の私はまだ未熟な時期でしたので、その声が神の声だと思ったのです。
そして忠実に何回もその声を再現しました。
そうしていると、急速に体が軽くなって行ったのです。

どんどん楽になっていく感じで、あっという間に体全体がうっとりするくらい気持ちがよくなり、食中毒のことなどすっかり忘れて、とても幸福な感じに満たされていたのです。
当然、意識の中もとても心地いい光に包まれているように感じました。
おそらく夢というか、そのような意識にいたのは、内容の長さからして1分位だと思います。

体力まで戻してくれたこの力はいったい何なのか、霊的意識なのか・・、大きな体験でした。
この体験は、現在の私のヒーリング力を急速に高め、一般的なヒーリングの固定観念を一変させてくれたのです。
私は、この時からさまざまな不思議な治り方を体験するようになって行ったのです。

この意識的体験を後でさらに分析した結果、意識の不思議にも気づいたことがあります。
宇宙のイメージが続かなくなって意識が遠くなった瞬間、私の体と意識は二つに分かれたということです。
体の意識は自我意識で、もう一つの意識は無意識と言っていいかもしれません。

そして意識の活動には、人が想像もしないようなことがあると気づいたのです。
意識には、休息や停滞はないということです。
もちろん、私たちが意識している自我意識を超えた意識のことです。
私は意識して自分を保てないくらいの想像の限界まで意識を飛ばしました。
そのあと、何がなんだか分からなくなった時、その時意識が切り替わったのです。

何となくですが、うっすら自分が寝に入る意識を感じていたような、見たような、本当にそのような記憶を覚えていたのです。
だから、その後の分析に入れたのかもしれません。
これも深い無意識の中の感じかもしれませんが。
肉体意識は睡眠に入りましたが、しかし、さらに高い意識は円形の入口の前に立つことで次の段階へと継続して行ったのです。

肉体には睡眠が必要でも、意識の活動には休みというものは必要ないのです。
私たちが睡眠中も、意識はどこかで活動しているのです。
私はこのようなことに関して、不思議体験としてたくさんの証拠を持っているのです。
では何故、私たちは別な自分の意識の活動を思い出せないのでしょうか。

それは、この世的意識、この世的観念にどっぷり浸かっているからです。
はっきり言うと、潜在意識がそのような意識になっていないということです。
潜在意識を変えない限り、その回路は開きません。
潜在意識を変えると言っても、それは何かの方法によるのではなく、言葉の意味の段階を理解して行けばいいのです。

こういうことで、その時の自分の意識レベルで体験する内容も変わって行くのです。
意識レベルによる体験内容の変化は、実際私が体験しているから言っているのです。
ただ世界が違いますので、その世界の感じはそのままずっと残るということはありません。

その体験は、決してトランス状態や自分の知らない自分で体験するというものではないのです。
すべての意識、どんなレベルであっても自分がいなくて体験するものなんてないのです。
もし、聖者が自分の意識が分かりませんとなったら、すべては終わりです。

無意識であっても、自分がいるのです。
ですから、何か違うもので、自分を意識しない状態で何かを体験するということは危険なことなんです。
私たちは自分の意識を、どこまでも、それは霊界まで伸ばして行けるのです。
死んでいる意識を相手にするのは止めましょう。

今生きている、今の自分の意識をとことん高めて行くのです。
私はそれをやっているのです。
霊的推測も、霊的な世界が分からないため考えに考え抜いて、その結果向かう方向に焦点を当てていろいろ試して来たのです。
使いものにならないものはどんどん捨て、いいことだけを積み重ねてここまで来たのです。

心理療法などで、このままでいい、あるがままでいい、もう何も考えなくていい、それで自分が心底から納得出来るのでしょうか。
私は今でも深い意識の中で考え抜いています。

それから、無意識の解放に入るのです。
意識の仕組み、神の段階、私はその法則に従い、ここまで来れたのです。

もちろん、これからもこの意識の道、霊的神的法則を適用して行きます。
意識の段階は、言葉の意味(意識)で動けることで上がって行けるのです。
あるレベルまでのことがすべて解ったとき、その時思考はストップです。
何故なら、知っているからで、知っていることをわざわざ考える必要がないからです。

それにもたくさんの段階があることは理解出来ると思います。
思考を超えた次の段階は、「すでに知っている」の意識で、さらに高い意識に触れることです。


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コメント

いつもブログの更新をありがとうございます。非常... (須田)
2010-07-17 00:10:44
いつもブログの更新をありがとうございます。非常に大切なことを書いてくださっていて、読めば読むほど整理整頓と、善きものをいただき、すっきりとしてきます。
思考を止めれば実在がみえてくるとか、自分がある限り実在にふれることはできないとか、そういった言葉に対し、私はずっと違和感を感じていました。
そのようなことを力説し、ブログやHP等で書かれている方もおられます。
自我意識でそれらをやろうとてしいることに気づいていないのかも?、自我意識をストップさせようとして自我意識を働かせているのかも?などを感じたからかもしれません。
潜在意識についてはあまりにも多くの解釈があって、潜在意識にはとてつもない力が宿っているようなことを言われている方もおられたりして・・・
潜在意識は魔法のランプではないですよね。こすれば願いが叶う的なものではないと思うのです。あくまでも、自分自身の意識なのですから・・・。
『使い物にならないものはどんどん捨てる』こと、意識においても、これは可能なのだ!ということなのですね。
そして、『あるレベルまでのことがすべて解ったとき、その時思考はストップです。何故なら、知っているからで、知っていることをわざわざ考える必要がないからです』ということ、これが本当の意味での思考ストップなのだ!と、とてもすっきり感じることができました。
『意識の段階は、言葉の意味(意識)で動けることで上がって行けるのです』、ということ、だからこそ、『すべての意識、どんなレベルであっても自分がいなくて体験するものなんてないのです。』ということなのですね。
段階を経ずに、言葉の意味を誤解して、一生懸命に自分をなくそう、なくそうとするのではなく、理解した言葉の意味でしっかりと動く(実践する)ことがとても大切なんですね。
自分の体験を、聖者方の言葉に当てはめて、この体験はこういうものだと、曖昧に、そして安易に理解することは、本当の理解ではないのだろうと感じます。
とても学び多き内容を、ありがとうございました。

須田さん、こんばんは。 (F・H・S)
2010-07-17 22:00:39
須田さん、こんばんは。
意識のことは、いろいろあり、本当に難しいと感じることはあ
ると思います。
私は言葉の解釈のみに重点を置いて勉強してきたのではなく、
言葉の深い意味を自分の意識に変換して意識の中を動くという
ことを繰り返し訓練して来たのです。
それが出来るのは、言葉の意味、それは言霊に近づくと言って
もいいかもしれませんが、そういう集中を積み重ねて来たのです。
本当に特殊なやり方かもしれません。
しかし、そうしなければ、本当の意識の中を自分の意識で感じ
ることが出来ないのです。
自分を無くして、たとえば無になって一体何が分かるのでしょ
うか。
こんなことは、20年まえからやっていたのです。
今すぐ、そう簡単には出来るものではないのです。
もちろん、テクニックもありません。
真剣にコツコツ積み重ねるのみです。
「簡単に出来る」を信じる人は気の毒に思います。
それとも、その人たちに比べて私が未熟なのか。
それはどちらでもいいことで、私は自分の道を進むのみです。
また、超不思議なことを書きますね。
ありがとうございました。

生命意識に生きる(27)~ヒーリングの不思議体験【2】 2010/07/08

前回は、ヒーリングの不思議体験で、霊的パワーの「病気を治す力」に気づいたことを話しました。
今回は、ヒーリングの研究を通して、これまでいろいろと気づいたことを説明して行きます。
不思議な治り方を体験した前に起きた、もう一つの不思議体験については次回になります。

私のヒーリング能力向上の基本は、「気」ではなく意識レベルを上げることにあります。
ヒーリング研究で気づいたことは、おそらくほとんどのヒーラーも知らない「病気を治す力」という霊的パワーからのものです。
とても全部は書き切れませんが、ポイントとなるところを大雑把ですが説明して行きたいと思います。

どちらにしても、この先にいろいろ話すことも出て来ると思います。
ヒーリングに関しても、私は本当にたくさんのことを訓練して来ました。
まず、波動振動から見て、霊的パワーは、真理、神側だということは理解出来ると思います。
ということは、真理に近い意識であれば、かなり高いレベルのヒーリングが出来るということになります。

これは、ごくごく普通に考えても当然過ぎると思います。
前回も言いましたが、ヒーリング能力は特別なことではなく自分の意識レベルを上げればいいのです。
実にシンプルですが、でもほとんどの人はこの道には入って来ません。
また、病気を治すことの大変さを知らない人が、ヒーリング自体を安易に考えています。

ヒーリング能力を上げたいと思っている人は本当に多いのですが、ただ違う方法で・・
私は無理だと思っているのですが、それでも何とかなると思っている人がほとんどです。
もちろんヒーリング能力もピンからキリまでですが。

あと、ヒーリングは自分の内的意識の波動振動レベルが相手に入ります。
これは、呪われた宝石(第三の目の世界に説明あり)を考えても分かると思います。
ネガティブ意識のヒーラーからはネガティブ波動が、強い気だけを出す人はその思いだけの波動が強く入って行きます。

この世、特に人間の波動振動は、すべてに関わっているということも知っておいてください。
何も知らない人は、ヒーリングやヒーリングの気は良いものだと思って信じています。
私は、悪い波動を持ったヒーラーからヒーリングを受けて、それで悪化した人の波動を外すこともしています。 (波動振動の掃除屋さんみたいな感じです)

これは直接パワーを入れてもらうヒーリング伝授にも言えます。
このようなところでネガティブ波動を入れられた人も、ポジティブ振動で変換出来るのです。
数年前から、ポジティブ意識の勉強もしないで、簡単にすぐにといってヒーリングを習い、それでヒーリングしている人が一気に多くなりました。

ヒーリングは良いものだといってまったく疑わない人もいましたが、悪化が好転反応と言われて苦しんでいた人もいました。
人の意識の奥深くにある根本的意識の正体は誰も分かることは出来ません。
波動はパワー、まだまだパワーの強さで良い悪い、すごいとか言って信じているレベルです。

本当は、波動はパワーではなく、質です。
せめてポジティブであれば・・、それからポジティブ波動か振動、それ以上は霊的振動です。
霊的振動といっても、低級なものとは正反対のものですから一緒にしないようにしましょう。

では、ネガティブの人はヒーリングが出来ないのかとなります。
ネガティブの人もヒーリングは出来ます。
ヒーリングはネガティブであっても「治す」という意識が必要で、それが働きます。
ただし、超ネガティブのヒーラーの治療が効くのは、ネガティブな人だけだと思っています。

もし、ポジティブ意識の人が超ネガティブのヒーリングを受けると、悪い嫌な感じが残りますから、それは何となく気づけると思います。
逆にポジティブ意識の人が超ネガティブの人にヒーリングするとどうなるでしょうか。
これも同じで、超ネガティブの人は、そのポジティブヒーラーを気持ち悪いというでしょう。

これは波動振動の同調の法則で、「類は友を呼ぶ」、似たもの同士が引き合うということです。
ですから、波動振動の質を読めれば、自動的に人の意識段階も分かるということになります。
波動振動を読めると、自分の世界が一変するかもしれません。

波動振動意識、特に振動レベルは絶対作り変えたり騙すことは出来ません。
自分をどんなにうまい芝居や巧みなウソで固めようと、意識の振動までは絶対変えることは出来ないのです。
それが根本意識というさらに深い意識の振動になると、その人の根っからが分かるのです。

波動振動の世界がもっと一般的になれば、もう人に騙されることもなくなるのですが。
他にヒーリングもいろいろありますが、そのサイトの説明と波動を調べれば、その内容レベルも大体理解出来るものです。
来年早々、波動振動の良い練習が出来るものを作りたいと計画をしているのですが、まだ計画段階です。

ヒーリングの話に戻りますが、
潜在意識が自動的に使えるように、ある程度の気は出せる訓練はしておくべきですが、それも普通に誰でも出来る程度のもので十分なのです。
気を使わない、パワーなど関係ないヒーリング、ポジティブ意識のヒーリングは疲れない、ヒーリングを受ける側も、する側の自分も気持ちよくなるヒーリングです。

自分の意識向上の副産物がヒーリング能力ということも言って来ましたが、本当にそうです。
マントラやシンボルも、どこかに力を入れて集中する必要も無い自然なヒーリングです。
そして何より大事なことは、何の限定もないので、自分の意識向上と共に一生ヒーリング能力も上がって行くのです。

ヒーリングは自分の意識レベル、そのポジティブ波動振動が相手に入ると言いました。
あなたが本当の愛、真理に近い愛があれば、すぐにこのヒーリングに慣れて行けるはずです。
ただし、自分の意識がポジティブ的でない場合は、まず意識の勉強で自己コントロールや本質レベルの知恵をつけなければなりません。

その意識向上が、同時にヒーリング能力向上であって、それは同時進行で特別なヒーリング訓練ではないのです。
同時に、サハスラーラ瞑想をして行けば、自分の意識向上と関連した潜在意識強化が自分自身の人格(自己意識)強化やついでにヒーリング能力アップにつながるということです。

私はヒーリングの不思議体験や、またその他の不思議体験を通して、意識全体の向上や潜在能力開発のための意識の仕組みに気づくことが出来ました。
ヒーリングは、自分や家族、そして親しい人にも出来る一生役立つものです。
すぐ病院と思うこともなく、その意識は自動的に病気の心配というネガティブからも自然に距離をおけるものです。

ヒーリング能力向上の最高レベルは、人のホルモン(内分泌)にも影響を与えることが出来ることです。
例として、私はずっと重度の花粉症でした。
その治療のため、私がパワー(気)でヒーリングをしている頃は、何度も副腎ホルモンに働きかけました。

しかし、全然効果がありませんでした。
それが今の方法を適用したとたん、まったく「気」は関係なく、朝瞑想の時に親指を副腎の上に2分くらい当てるだけで、一日症状がとても軽くなったのです。
その効果を知り、それから私はホルモンについてもかなり勉強し、いろいろなことを知ることが出来ました。

人間には個人個人性格がありますが、それには前世的な影響が大きく関わっています。
同様に、ホルモンも神秘的な見方をすれば前世的影響による肉体的性格と言えるかもしれません。
このホルモンヒーリングにも、意識の使い方があります。

その他では、カゼの菌も特殊な方法で殺します。
カゼ薬どころか薬は長い間飲んだことは無いということも書きました。
このホルモン療法は、そう簡単なレベルではありませんが、挑戦してもらいたいレベルです。
特に、現代多くなっている女性疾患には、プロゲステロンホルモン意識ヒーリングがかなり有効ですので、女性の大いなる味方になるでしょう。

私は何度か、大病ではありませんが大変な目に会いました。
また、一度死ぬかも知れないと思ったこともありましたが、どういうわけか一瞬に治ってしまったという、こういうときでも超不思議を体験しています。
だからと言って、ヒーリングをしたから誰でも、また全部がすぐ治るということもありません。

ヒーリング自体、いろいろな要素が絡み合って効果が出るのです。
ヒーリングするにも、基本的にポジティブ意識であるべきだというのが私の考えです。


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コメント

アメリカからこんにちは。偶然(必然?)こちらの... (ゆうこ)
2010-07-15 04:21:43
アメリカからこんにちは。偶然(必然?)こちらのサイトを発見しました。まだ駆け出しで難しいとこは分りませんが、少しずつじっくり読んで勉強させて頂きたいと思います。お持ちの知識や経験をこういう形で紹介して下さる心とお時間を大変感謝します。

ゆうこさん、はじめまして。 (F・H・S)
2010-07-15 20:28:22
ゆうこさん、はじめまして。
難しいところも多々あるかもしれませんが、ご自身の意識向上を目指して、
勉強そして研究してみてください。
ありがとうございました。

生命意識に生きる(26)~ヒーリングの不思議体験【1】 2010/07/01

ヒーリングの体験については、私のHP「ヒーリング伝授」の中でも一部説明しています。
ここでは、ヒーリングの不思議体験とそれから得たことについて話したいと思います。
この内容から、ヒーリングとは実際どのようなものか、もっと深く理解出来ると思います。

私がヒーリングの訓練を始めたのは、この勉強を始めてから3年くらいたった頃だと思います。
ずっと自分流でしたので、最初は何も知らずけっこう長い期間グズグズやっていました。
今の方法と違って、最初はパワー(気)を出しながら自分や家族相手の練習でした。

ヒーリング能力は少しづつ向上していましたが、思ったようにはいくはずもありません。
私がヒーリングを覚えたいと思ったきっかけは、自分や母親の健康を考えたからです。
この頃は、私も母も持病を持っていたわけではありませんが、将来何かあった時、何も出来ないことで後悔することのないように、ずっとヒーリングの研究と訓練をしていたのです。

すべて自己流ですから、肉体の全部を知るために必要な医学書も買ってしっかり勉強しました。
自分のことを言えば、ヒーリングの訓練を始めてからこれまでの約28年間、一度も病院に行ったことも薬を飲んだこともありません。
かなり危険な時もありましたが、自分を訓練の実験台として全部自分で治して来たのです。

そして、訓練を始めてから約5、6年後に最初のヒーリングの不思議を体験しました。
この不思議体験は、ヒーリングだけでなく3種類くらいの意識向上に関わることも含んでいますが、その内容は「ヒーリングの不思議体験」が終わってから書こうと思います。

私の不思議体験はいろいろな種類があるのですが、ヒーリングだけに関する不思議体験というのも数多くあるのです。
とりあえず、その時最初に起きたヒーリングの不思議体験を書いてみたいと思います。
その頃はまだ会社勤めでした。

前の日に何か悪いものを食べたせいか、その日は非常に胃腸や体調のすべてが最悪状態でした。
とても仕事どころではなく午後に早退したのです。
もちろん病院には行かず、ふらふら状態でやっとの思いで帰宅し朦朧とした中で自己ヒーリング開始です。

あとで気づいたのですが、その不調は食中毒で、私は20代の時も同様なことがあったのです。
その時は病院に行きましたが、食中毒による腸への影響は1週間くらい続きました。
自己ヒーリングに戻りますが、帰宅して一生懸命お腹に手を当て朦朧とした状態ながらパワーを出して治療を続けていましたが、全然治りません。

今知っている方法だと早く治せるのですが、まだまだ訓練中の未熟者でしたから当然です。
それでもあきらめずに、3時間ヒーリングしたのです。
あきらめずにというより、これしかなかったからといった方がいいかも知れません。

3時間もやっていれば、さすがに疲れ、また意識も遠くなって来ます。
この時、私の意識がどんどん遠のく感じがした時、何とも言えないすばらしい光が意識の中で輝いたのです。
ほんの少しの間だと思いますが、その光を意識の中で感動的にじっと見ていました。
その時は、神の光だと思えたくらいです。

そのままだんだん自分に戻り、すっかり弱りきった自分に意識が戻った時でした。
私は、もう一度手の平をお腹に当て、今見たすばらしい光とその感じを浮かべながらヒーリングをしてみました。
その間は2分くらいだと思いますが、それが急激にどんどん気持ちが良くなって行ったのです。

先ほどまであれほど苦しんでいた自分がウソのように、この2分くらいの間に完全に調子が良くなったのです。
良くなったというより、信じられないくらい気持ちが良かった、本当にうっとりするような感じを今でも覚えています。
あとはそのまま、ぐっすり寝てしまいました。

翌日は体調も元に戻り普通の感じでしたが、食中毒でダメージを受けた腸の回復に1週間くらいかかったのですが、そのくらいの軽さで済みました。
先ほど私が気が遠のく感じがしたと書きましたが、そうなったのは、その前にあることをやっていたからなんです。
それは、また別な不思議体験にもつながりますので、それについてはまた説明します。

これが私のヒーリングにおける不思議体験の始まりでした。
その後は毎年1~3回くらい、ヒーリングの不思議体験が続いて行ったのです。
大きな病気や怪我をしょっちゅうしているわけではありませんので、不思議な治り方をいつも体験しているということでもありません。
ただ、このヒーリングの不思議体験は、私の意識向上に大きな影響を与えたのは確かです。

意識とヒーリング能力の2つの向上を目指すにも、意識の勉強というものがこれまで以上に大事な役割があると気づいたのです。
それは単なる知識集めでなく、意識の深みに入るということです。
「気」や「パワー」その他のテクニックのヒーリングで良しとすると、ヒーリング能力だけでなく自分の意識向上自体も遅くなると思ったのです。

ではここでもう一度、ヒーリングの不思議体験とはどういうものか、要点だけになりますが書いてみたいと思います。
それは、どんなことをしてもすぐには絶対治らない病気や怪我などが、その場ですぐに治ったり、その後急速に回復に向かって治ってしまうということです。
では、そのように治ることが何故不思議なのか?と思うかもしれません。

はっきり言って、私は何もしていない、ヒーリングもしていないのに治るから驚きなんです。
何もしていないというのは、この仕事をする前ですからパワー(気)を出してするヒーリングは一切していないということになります。
では、その間私は何をしていたのでしょうか・・

どうにも出来ない、ヒーリングのしようもない私は、その瞬間意識が遠のいていただけです。
約1分くらい無意識状態で、それからハッとして自分に戻った時、その間に病気や怪我が治っていた、またそれから急速に回復に向かって行ったということです。

私はそういうことが起こる度にショックを受けていました。
正直治ったことはとてもうれしいことなんですが、ただ私が一生懸命ヒーリングしても治らなかったのに何故?、また何にもしていないのに何故・・、という思いからです。
ちょっとヒーリングから離れた瞬間、意識が深く入った間に治ってしまったということです。

私はこのようなことが何回か起こって行くうちに、本当に真剣に考えるようになりました。
ヒーリングって何だ、パワー(気)って何だ、パワー(気)が無くても治るじゃないか!
3、4回なら偶然でもいい、7、8回でも偶然にしていい、しかし15回以上もこのようなことを体験しているのに、何でこれが偶然で片付けられるのか・・

私はこれまで自分に起きたたくさんの不思議体験のすべてをもう一度じっくり考えてみました。
最初にこの不思議な治り方を体験し、そして2年後には私はこの不思議な治り方をするパワーの研究に入りました。
私が前回大きな壁にぶつかったということを書きましたが、それはこのヒーリングパワー研究の結果、最終的に行き詰まったことなんです。

この研究の間は、本当に潜在意識までよく研究し努力したというだけだったかもしれません。
今は、このヒーリングパワー研究がきっかけで、私はまったく違う世界まで意識を伸ばすことが出来たと思っています。
この研究の間にも私は気づいていました。

それは、このパワー(病気を瞬間に治す力)は「気」のようなものではなく、霊的意識から来るエネルギーだから、感じることも操作することも無理なんだ、ということです。
だからといって、ここであきらめるような私の意識ではありません。
何が大事か、霊的に触れるためには何が必要か、何を満たせばいいのか、と見つめたのです。

答えは、決まっています・・、まず神側に近づけばいいだけです。
これ以外に方法はなく、神をだますようなテクニックなどはすべて邪魔以外、何もありません。
あなたも、こういうことはシンプルに考えたほうが正しい答えが出しやすいと思いますよ。

次の段階に向けての突入は、さらに自分の意識を高める意識の勉強に力を入れることでした。
自分のネガティブ性や無知の除去、意識で動くなど、最初はまだその段階をパワーヒーリングで確認しながら進めていました。
パワーヒーリングの能力向上が、霊的に近づいている証拠として進めて行きました。

まだこの仕事をする前の訓練段階でしたので、パワーの質を変えることをやっていたのです。
このようにヒーリングと意識の勉強を同時に進めながら、相乗効果として両方が確実に向上することを確認しなからやっていたのです。
この霊的パワー、「病気を治す力」は、とんでもない力です。

私は大きな挫折感を味わいました。
それが前回書いたことです。
そのくらい、説明も難しい本当に見えない世界そのものを相手にしていたのです。
そして、いよいよ私の人生もこれで終了と思った時にインスピレーションが来たのです。

この魂からの援助、インスピレーションで私は救われました。
その後すぐ、私は今まで未知な領域だった無意識の世界に入る挑戦を始めたのです。
自分なりに考え抜いて、瞑想集中して、絶対あきらめずにやり通したのです。
こうして、今でも、そして死ぬまでこの「病気を治す力」の完全探究を目指しているのです。

別に、この「病気を治す力」だけが私の目的ではありませんが、これから何かきっかけを掴めれば、おそらく他の神秘能力の秘密も解るだろうと、そんなことも思っているのです。
とにかく、霊的エネルギーである「病気を治す力」は、今でも「それは、こういうものだ」と言うことは出来ませんが、一つだけ間違いのないことがあります。

それは、それに近づくためには自分の意識をレベルを上げればいいということです。
ヒーリングを特別なことと思わず、純粋意識である人なら、また霊的振動が強い人なら、パワー(気)を使わないヒーリングが早く出来るということです。
このことは、たくさんの研究と意識勉強と不思議体験からはっきり言えることです。

「気」を使わなくても、意識を高い振動におくだけでもヒーリングは可能なのです。
ヒーリングは、皆さんが思っているほど特殊なものではないのです。
すべての能力向上に言える大事なことは、自分を邪魔する意識から早く抜け出すことです。

意識の勉強は意識を向上させることですが、自動的にヒーリング能力も上がるということです。

生命意識に生きる(25)~無意識と波動振動の世界 2010/06/24

今回は、無意識とサイト 「第三の目の世界」で行っている波動振動測定、そしてそれに関連する
ことを話してみたいと思います。
波動と振動の違いは、以前このブログで説明したことがあると思います。
それは、潜在意識と無意識の世界の違いで説明することも出来ます。

とにかく、意識の段階で変わっていく世界は、いろいろな角度から見ることで少しづつその感じにも慣れて行くと思っています。
無意識の世界に触れる訓練をするには、潜在意識の仕組みを十分に理解しておくことです。
潜在意識は、人が思うほどすごいものではありません。

潜在意識は、一つの意識の世界です。
潜在意識が何かをするのではなく、潜在意識は内的自己の意識的表現に過ぎないのです。
その先の無意識、魂(神)を無視して、潜在意識が勝手に創造性を発揮することは出来ません。

潜在意識には限界があります。
当然です、この世の折り返し点ですから。
意識の進化は、潜在意識から無意識の世界に入って行くことです。
いきなり、霊的意識には入れないように、潜在意識の理解を飛ばして心の状態から都合のいいことを願っても無理だとなります。

ただ、自分の思った潜在意識状態に近づけることは可能です。
それは、思った自分になることですから、完全にそのものになる覚悟が必要です。
完全に成り切ったら、それは自分自身です。
本当は、意識の勉強もこのような思いで進めて行くことが大事です。

はっきりとした目的性のない意識、宗教、精神世界の勉強は、いずれ大きく躓きます。
潜在意識をよく理解しましょう。
潜在意識が何かをしてくれる、といった考えは捨てましょう。
そういう自分になった時、その時の自分が潜在意識、そういう自分を目指すことです。

すべての周りの観念、環境などに縛られ、身動き出来なくなった自分を知ることが、潜在意識の本当の理解の始まりです。
真に生きる、「生命意識に生きる」は、ここからです。
宗教、精神世界、くそまじめも、努力も、信じるも、全部その言葉のうえに上がることです。

唯一あるのは、意識、自分、自分が生きている、「今いるという意識」があるのみです。
至高に向けて上昇することだけが、生まれて来た目的であり生きている意味です。
ただ生きて、ただ死んで行く、人間は、自分は、ただの動物ではないんです。

順序よく進めていけば、潜在意識は誰でも理解出来るのです。
その次は、無意識です。
無意識の世界は、自分の霊的可能性といったものを真に感じる世界です。
無意識の世界は、まったく新しいものを発見する世界なんです。
その世界は、まだうまく表現出来ないのですが、意識の何かが違うという感じです。

この世から見れば、無意識の世界のことを説明すれば矛盾だらけになると思います。
この世的超矛盾が無意識の世界では、自然なんです。
この無意識の世界が、振動の世界になります。
振動の世界は、波動として感じる世界ではありませんのでパワー的なものは必要ありません。

無意識と関係する振動の世界、振動を研究していけばいろいろな秘密が見えて来ます。
私は今、振動を通していろいろなことに気づいていますが、近いうちにこの研究に集中するつもりです。
一般的には波動という言葉が浸透していますが、ほとんどの人は全く勘違いしています。

波動が強ければすごい!と思っていることです。
波動振動の価値は、パワー的強さは大して意味がないのです。
本当は、その波動振動に含まれている質、純度が大事なのです。
神側に近づけば近づくほど、次元的にも波動的感触的なものから離れていくのは当然です。

これは間違いのないことで、霊的意識の中、そこにはパワー的なものは一切ないのです。
では、私が振動と言っているものは何か、どんなものかになります。
はっきり言えることは、この世のどんなものにも特有の振動が入っているということです。

とりあえず物は置いといて、人間で説明してみます。
この振動の話はどこにもないもので、今回だけで書き切れないくらいの不思議があります。
まだこれからですが、振動の解明は、人の想像を超えるちょっと信じられないくらいの智恵、力の秘密を得られるのでは、と思っています。
未来的(予言的)なことでは、この振動の秘密は「ヨハネの黙示録」にも書いてあります。

ヨハネの黙示録第9章四ー五 (一部引用)
“彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。彼らは人間を殺すことはしないで、五ヶ月のあいだ苦しめることだけが許された。”
すごいことが書いてありますが、それより「額に神の印がない」ということがポイントです。

これは、すでに私がやっていることですので、一度黙示録の9章に目を通して見てください。
これは人の深い意識、根本意識のことを表現したものです。
これはどこかの国の人のように、何も額に点のようなものを書くことではありません。

神の印、額に、それをこの世で説明出来るものは振動です。
チャクラの最高点であるサハスラーラの振動の表現を、私は神の印として捉えています。
その表現は、真剣に霊的意識の段階を上げて行くか、純粋意識を拡大して行くか、のどちらかでしか近づく方法はないと思っています。

この個人的な意識振動は、私はこのような方法で読み取っています。
たとえば、私の前にあなたがいるとします。
メモ用紙に、あなたの名前を3回(3行)書いてもらいます。
もっと簡単にすれば、5センチくらいの線をゆっくり1本引くだけでもいいです。

私は、それからあなたの根本意識と今の意識(今の状態)の波動振動を読んで行くのです。
時間は、30~60秒くらい、意識に特徴があるほど早く出ます。
不思議かもしれませんが、このような振動の世界が無意識の世界です。
人の意識はどんなものにも入るのですから、本当は自分の本性も隠すことが出来ません。

人の波動振動が分かれば、無駄な苦しみから逃れることも出来ます。
十人十色、善悪、いろいろな人がいますので、このことは想像してみれば納得がいくはずです。
すべて善い振動のものに囲まれているか、それともその逆の波動に囲まれているか・・

自分の波動振動を知るということは、隠れた「自分を知る」ことで、楽しいことなんですが。
反対に、そうでない人もいる? 波動振動は絶対隠し通せないことが明るみに出るのです。
波動振動を読めるといっても、人の考えていることや過去や今の行動まで分かるということではありません。

もしこれをするには、全く違う方法を取るしかないでしょう。
しかし、この世でそうすることに何の意味があるのかと思います。
大事なことは一つ、本来自分がやらなければならない真の使命を真剣に遂行していくだけです。
神秘と言われているものも、その本質が分かれば説明も出来るのです。

ただ、その本質が分かったからといって、すぐそれが出来るかどうかは別な話です。
何にでも言えますが、基本的訓練から始めることが必要です。
まず、潜在意識を自分自身となるように固めなければなりません。
疑うことなく、迷うことなく、一心に集中出来るためにです。

(一部、どうしても焦点を絞った見方をしなければならなかった箇所もありますが、それは間違いではなく、全体の一部として考えてください。)

生命意識に生きる(24)~意識的瞬間から入る無意識の世界 2010/06/17

今回は、これこそ内的意識の不思議体験といったことについて話してみたいと思います。
おそらく、宗教や精神世界、そして意識の勉強をしている人は、一度このようなことを体験してみたいと思うかもしれません。
その内容は、潜在意識の次(奥)の無意識の世界(意識状態)のことです。

無意識の世界ですから、説明も少し漠然としたものになるかも知れません。
「こんなこともあるのか!」という感じで一つの参考としてください。
この内容は、私がいろいろな苦しい思いで意識勉強をしている間、その変化の中で体験したことです。
長い時間的経過の変化の中での体験は、「あきらめない」ことの良い結果でもありました。

この体験に至るまでのことを順に話してみたいと思います。
私が意識勉強の中で一番つらかった時期は、この勉強を始めてから15年位経った頃でした。
誰にも壁が出来るように、私の意識勉強はほとんどが壁のようなものでしたが、その時はここからが胸突き八丁、最後の急な上り坂が目の前に現れたという感じでした。

本当にこのとおりで、毎年だんだん苦しみが増して行ったのです。
では、どんな苦しみだったのかということですが。
私は、この勉強を始めてから15年位経った頃から、だんだん何を勉強していいか分からなくなって来たのです。
徹底した勉強をしていれば、このようなことはほとんどの人が経験すると思います。

もしそこで終われば、私のそれまで勉強して来たレベルは、本をたくさん読んで勉強している人と同じレベルだったかも知れません。
これまでのことを振り返ってみると、理解とその段階の道、それは意識の向上とか進化になりますが、実際何が大きな分かれ道になるのか、また何が大きく違うかがはっきり分かるのです。

私はその時、もうどんな本を読んでも同じだ、たいして大きな違いもない、本当のことなど書いてある本もない、と思っていたのです。
もちろん、最高レベルの本は、その時は理解出来ないということも自覚していました。
このようなことに気づいていながらどうにも出来ない壁を前に苦しんでいたのです。

それでも、何とか瞑想や意識集中訓練などでくじけないようにしていたという感じです。
それから3年くらい経った頃、何とかやって来たという状態から、ここからさらに精神的にきつくなって行ったのです。
何を勉強していいか分からない、それだけでなく、私には気づきもヒラメキもインスピレーションも、何も来なくなっていたのです。

どこに向かってどう進めばいいか、勉強も完全に超スローダウンです。
本来の私はがんがん進みたいタイプですから、こういう状態は私にとって一番の地獄です。
そんな状態のまま、それから2年経ち、とうとう来るべき大きな壁にぶち当ったのです。

細かい内容を話すとかなり長くなりますので、ポイントだけで進めて行きます。
その時、私はもう終わりだと思いました。
もちろん、自分のすべて、人生がです。
ほとんど何も来ない、何の援助もない5年間、その先も真っ暗です。
すべて、やることは本当に全部やったという思いでしたから、ショックは超えています。

本当に何も浮かんで来ない、ぴったり止まって動けない、動きようがなかったのです。
がっくり落ち込んで、明日どころか、一歩も動けない、思考ストップの意識状態です。
その時、久しぶりにようやく軽いインスピレーション的なものが来たのです。

それは、私が小学3年の時、始めて触れた内的な誰かとのおしゃべり状態と同じ感じでした。
その時のおしゃべりの最後で、内的感じとして出て来たのはこういうことでした。
「どうせ全部失敗したと思っているなら、最後に違うことをやって終わりにすれば!」というようなことでした。

次に、「そうだよな!どうせ終わりなら、最後にもう一度やっていないことに挑戦して終わらせよう。そうした方が全部終わりですっきりだ!」
そこで、じゃ、何をやるのか・・、となりますが、すぐ答えが来たのです。
「そうだ、まだ無意識をやっていない、無意識に入っていないじゃないか・・。」

私はそれまで潜在意識についてはかなり自信を持っていたのですが、無意識のことまでは考えていなかったのです。
それからというものは、毎日、それこそ真剣に無意識に集中する訓練が続きました。
無意識に集中する、入るなんてことは、まったく考えたこともなく、またそんなことを書いてある本もあるはずがありません。

でも、何とか深い意識の中を意識的な工夫しなから、本当に薄い紙一枚くらいの意識の前進で、だんだんそれらしい無意識世界に入っていったみたいです。
「入っていったみたい」という言い方もおかしいのですが、それしか言えないのです。
無意識の世界も知らずに、すぐこれが無意識の世界だと思えるはずもありません。

半年くらい経って、その世界らしい感じを掴んだと思えたのは、そこから少しづつ不思議なことが自分に起こって来たからです。
それは普通に言う不思議ではなく、意識向上に関する内的意識の不思議です。
半年くらい経ったころから、1週間から10日くらいの間にヒラメキのような大きな気づきがやって来るようになったのです。

それから、3ヶ月くらい経った頃だと思いますが、今度は週に2度くらい気づきやヒラメキがやって来るようになったのです。
それは一時的ではなく、そのあと2年間ずっとです。
この2年間は、私にとってこの人生で一番楽しい時でした。
地獄のあとからの天国、本当に極端過ぎます。

このときつくづく思ったことは、あれほど勉強して、もう何もやることがないとかもう何も見えないと思っていた自分は何だったのかと。
それが、今、次から次へと、どんどん新しいことが自分に降りてくる。
これでもかというくらい、どんどん・・、こんなに知らないことがいっぱいあったとは。

本当に不思議でした。
本当のことをどんどん知る楽しさ、こんなに幸せな気分は他には味わえません。
今でも、その時のうれしいという気持ちは忘れることは出来ません。
そのまま、続けていればまだまだその感じは続いたと思いますが、そこで一旦その集中から離れ、自分の仕事の方に力を入れるようにしたのです。

それから約6年後の今まで、あまり瞑想もしない、自分のこともかまわない、ときどき何かが来てもそのうちという感じで、またまったく本も読まない状態が続いていました。
それでも、大した瞑想もしていなくても、相変わらず私にはヒラメキやインスピレーションがときどきやって来るのです。

そして、去年の夏ごろから、また大きな意識変化がどんどんやって来て、今も大満足状態になっても魂の援助は続いています。
最後に、私が入った無意識についてもう少し話してみたいと思います。
これも不思議というか、おそらくあなたも信じられないと思うようなことがあります。

2年以上、私が無意識の中でこれでもかというくらいもらった気づきやヒラメキですが、今その時のことを思い出してみると、はっきりとしたものは何一つ覚えていないのです。
しかし、私はその不思議な意識体験のおかげで、自分でも大きく変わった、進化したということははっきり自覚出来ています。

まだ、不思議なことがあります。
一度だけ、私はこの無意識の中で超インスピレーションに触れたことがあります。
それは、「こんなものはこの世にはない、歴史を見てもない、これはすごいものだ。
これをどう使えばいいんだ、この世は大変なことになるぞ・・。」といったものを見た、知ったのです。
私は、このインスピレーションを無意識の中で受け、その中で大感動を超える不思議な意識になっていました。
無意識集中の瞑想が終わり、その大感動と興奮は1週間くらい続いていました。

「すごいものを手に入れた!」ただその感じで四六時中いっぱいだったと思います。
そして、1週間くらい経ったとき、もう一度それを思い出しそれについてじっくり考えて見ようと自分の中に意識を向けた時です。
一瞬、「エェ!何で、エェどこに行ってしまったんだ!」と、私は焦りました。

私は一生に一度の大感動した内容をメモしていなかったのでした。
当然、私だけでなくこんなすごい大感動を忘れるという人はいる訳ない、それより忘れられるはずもないと思います。
もう分かったと思いますが、このすばらしい大感動、インスピレーションの内容を私はまったく覚えていないのです。

ほんのひとかけら、ぼんやりしたものでも、と一所懸命集中しましたが、本当に見事に何も残っていませんでした。
夢を見たなら、少しはぼんやりでも何かの感じが残ると思いますが。
これもすごい不思議体験です。
結局、私はこの大感動のインスピレーションもその他2年近く、これでもかというくらいもらった気づき、ヒラメキも、これっといったものは何も覚えていないのです。

これが無意識の世界です。
何も覚えていないのですが、その智恵は私の潜在意識にちゃんとインプットされています。
インプット、よく願望実現系で聞く言葉ですが、私とは逆方向です。
このようなことを体験してからは、意識的なことは特に考えなくても自然に内から答えが出て来るようになったのです。

セッションでよく自分の中の意識をセンサーにする訓練をするように、と言っているのは、無意識と潜在意識の回路を開くためなんです。
無意識は、3次元と4次元の境界といった世界です。
精神世界系では、まるで潜在意識がすごい力があるように思われています。
しかし、潜在意識はそこまで大げさに思うほどのレベルではありません。

今の心理学や宗教や精神世界ではほとんど気づけない意識、それは潜在意識も同じです。
その世界の知識はほどほどに、だからと言って神に触れているから「ありのままでいい」と思わず、もっと、本当の人のやさしさ(愛)の感じ(意識)に深く集中しましょう。

また、「あきらめる」ことは、神の援助から自ら手を引くことです。
ちゃんと続けていれば、そのうち・・・なのに、もったいない!

生命意識に生きる(23)~不思議体験と神秘霊体験【7】 2010/06/10

内的意識向上に関する不思議体験や神秘霊体験というのは、必ずと言っていいくらい考えも想像もしなかった方向に意識を向けさせてくれます。
その体験談もいろいろあるのですが、その前に大事なヒラメキとインスピレーションについてもう少し説明しておきたいと思います。
特に、このようなことすべてに関係するのが、「瞬間」という意識です。

「瞬間」は、神秘霊的世界への秘密のカギでもあります。
誰でも、この瞬間を何度か体験した、と言うよりは通ったことがあると思います。
しかし、「瞬間」は思い出すことが出来ませんので、ほとんどはそのまま忘れてしまいます。

私が初めて潜在意識段階から無意識の感じの世界を知ろうとした時は、この「瞬間」についてかなりの時間を研究と集中訓練にあてたのです。
この瞬間が、ヒラメキやインスピレーションを得る一番早くて最良の方法です。
神は瞬間を通して私たちに顕現するしかありません。
それは、誰かが言う「今、この瞬間」という時間ではありません。

神の顕現に関するものは、この世の時間的なもので考えることは出来ないのです。
神ということに関しては、私も言葉での説明上、神と言っているだけです。
私の場合、本当は神という何かの考えもイメージも感じも、結局何も無いもので、そして何も無いすべてを無意識的に意識しているのが、私の中と外全部の神となります。

そして、その中の一部が自分の魂で、私はいつもそれだけに焦点を合わせているのです。
ですから、私にはこれ以上の神をこの世には見出せないのです。
でもほとんどの人は、自分の神である魂さえ無視して他の神に手を合わせているのです。

これは私が勝手に思い込んでいることかも知れませんので、結局人は人です。
「瞬間」の話に戻ります。
瞬間を知る、瞬間の意識の感じを知る、それをどう自分の意識(無意識)に定着させるかです。
このようなことは、とても言葉で説明したり表現したり出来るものではありません。

だからといって、難しいと構えることもありません。
「瞬間」を説明したり表現したりは出来なくても、それに関することを言うことは出来ます。
「瞬間」もそうですが、この世には超秘密を書いたものはどこにもないのです。
たとえ文字で残されていたとしても、それは暗号を解くようなものではないのです。

象徴としてしか表現出来ないものは、それを分析出来る高度な意識が必要となります。
ですから、一生懸命超能力に触れるものを探し求めても、結局無駄ということです。
そんなことに力を使うより、素直に霊的法則を通して自分の意識を純粋化することが、それに近づく一番早くて効率の良い方法なんです。

まず、魂(神)には、自分の意識すべてが知られていると完全に理解すればいいのです。
もし、これが分からなければ霊(神)的法則から完全に離れられるかどうかを考えてみれば解るはずです。
瞬間は神ですから、神はどこでもこの瞬間から顕現して来ます。

意識の勉強は、この瞬間に近づくための準備の一つと言ってもいいでしょう。
また、私が瞬間を知るヒントになったものもあります。
静かに瞑想をしているような仏像がありますが、実際は瞬間に触れているという象徴です。
やはり、瞬間は瞑想の意識を通して入るしか、その他に方法はないと思っています。

人間の意識というのは大変不思議なものですが、その全体構成とその中を上り下りする段階(意識)を理解して行けば、今言ったことも理解出来てくるのです。
私は、人間一人ひとりの意識、意識そのものは本当に生命とつながっていると実感しています。
だからこそ、私は霊界との繋がりと魂の援助で、自分が満足出来るものを得て来られたと思っています。

霊的から見た意識は、本当はとても自然でとてもシンプルなもので、本当にこれ以外には何もないのです。
どんな人も、一度小さなことでも意識的体験をしてみれば視点が変わります。
霊的に近い体験やそのものズバリの体験は、人の考えを一変させる力であり、それは根こそぎ変える力でもあります。

あとはそれをどう気づくか、気づき方の問題だけだと私は思っています。
自分の中の固定した価値観を変えることは、なかなか簡単に出来るものではありません。
意識を変えるためには、それなりの根拠や確信出来るものが必要です。
しかし、誰も最初からこのようなものを持っていない、それは私もそうでした。

結局は誰かを、何かを参考に進むしかないのですが、その選択にほとんどの人は悩まされるのです。
人の影響は確かにありますが、それを自分の心の深みに浸透させるかどうかは、無意識であっても自分の意識で判断しているのです。
これから自分に関わることは、自分自ら答えを出せるように、また他人の意見に振り回されたり、困って占いなどに頼ったりすることのない真の自己を確立していくことが大事です。

本当に自分を救い、守り、高めて行くにも、ヒラメキ(直感)、インスピレーションはとても大事なものなんです。
霊聴、霊感、自動書記、チャネリング、といったものは、私は最初から無視しています。
直感、第六感系(虫の知らせ、胸さわぎ)、気づき、ヒラメキ、インスピレーション。

これらは、自分の生命意識である魂(神)から来るか、関わっているものです。
最初の私が無視して来たものは、魂以外からのもので信頼出来るという確信が持てないものです。
これはあくまで私の意識向上の体験から言っていることで、それらが全部間違いという意味ではありません。

魂からのメッセージを受ける自分にするには、魂との意識回路を創ることが必要です。
意識の勉強と霊的向上、この同時進行がいい意味で自己潜在能力開発とも言えます。
これが、自分の意識を通して魂(霊界)との回路を創る意識の道に過ぎないのです。

このようなことは、一つの方向に向けてひたすらやって行くしかないのです。
そうしていると、私は必ずと言いたいのですが、いつか直感的に「ピン」と来たというような何かが起こるのです。
直感は内からスッと来るか、衝動的に押し寄せるか、自分の意識がそれに引き付けられます。

程度の問題はともかく、このようなことがいきなり瞬間的に来るのです。
私の体験上、直感的なものやそれ以上のものは魂からの援助ですから、これまで間違ったものを受けたことはありませんでした。
ただ、はっきりと慣れていない頃は直感らしきもの、それは潜在意識からのものもあります。

インスピレーションは、内的意識による不思議体験そのものに感じるでしょう。
それが来ると、思わず、意識が空を切るような感じで「わかった!」と衝撃が全身に走ります。
それも不思議です。
何故なら、まだ自分がそれについて考えてもいないのですから、実際本当に解っているかどうかもわからないはずなんですが・・

それでも自分が完全に答えを得たということを、いったいどこで解っているのでしょうか。
これもまた、意識の不思議です。
私がこの感じ、インスピレーションという感じが来た時は、その答えに一度も裏切られたことはありませんでした。

また、インスピレーションは最高の幸せ感と喜びまで感じさせてくれます。当然ですが。
私の体験から、何かで悩んでいたときやどうすることも出来ない状態に陥ったとき、そのとき瞬間的に「わかった!」と感じたことが何回もありました。
この瞬間は、すべて「感じ」で受け取ることになります。

もうすでに書きましたが、それは感覚、イメージ、深い瞑想の想像、そして夢うつつ状態でもないのです。
つい最近もこのようなことがありました。
まったくどうしていいか、何も浮かんで来ない状態で何かを考えることも出来ない時でした。

何日もこのような状態が続き、何もやる気が起きないというよりは何も出来ない状態でした。
また、ポジティブウツです。本当によく来ます。
結局、それからヒラメキで抜け出したのですが、私はいつもこうして抜け出すのです。

私はこのような状態でも冷静さを失うことだけはしません。
グズグズ、自分の中でネガティブなことに囚われ,さらに状況を悪くなるようにはしないのです。
もちろん自分の努力として、その解決のためには何日も考えることはします。
それでどうしても行き詰ったときに、私は静かに思います。

我が愛(自分の魂)は、私に何を知らせようとしているのだろうかと。
もちろん、そのあと何時間も経つこともありますが、最終的に自分でも考えつかなかった答えをもらうのです。
ただ瞑想なんかで答えを待つようなことはしません。
いつも自分なりに最高の努力をして、そのあとにこうして魂からの援助をもらっています。

私には誰かが必要ではなく、自分の魂が最高の「師」なんです。
このようなことに関しては、私には誰も崩せない証拠がたくさんあるのです。
他人がどうのこうのではなく、早くこういう自分を創りましょう。
非常に説明しにくい内容でしたので、文もまとまりがつかなくなりました。
不思議体験で得た意識の働かせ方などは、またいろいろ分析を交えながら説明していきたいと思います。

生命意識に生きる(22)~不思議体験と神秘霊体験【6】 2010/06/03

前回の続きで、もう少し基本的な気づきの意識について話してみたい思います。
重複するところもあると思いますが、一緒に思い出してみてください。
このあと、ヒラメキとインスピレーションについての説明に続いて行きます。
その前に、もう一度頭に入れておいて欲しいことがあります。
それは、意識は神ということです。 

顕在意識(自我)も神意識ですが、それは神意識の最低レベルの表現だと私は思っています。
私たちが神に触れるには、自分の意識を通して感じで知る、触れるしかありません。
それは、一人ひとりが自分の意識で至福を感じることでもあり、そしてそれがすべてです。

意識は神であるということを感じで知るとはどういうことでしょうか。
その感じにも段階はありますが、とにかくこの世の何かでは絶対知ることの出来ないものです。
このような方向に向かうために、人は意識的なことを中心にいろいろ準備をしているのです。

私の偏見だと言われれば仕方ありませんが、瞑想をしない人は瞑想をする人に比べ、その分意識向上は遅くなると思います。
それはかなり遅れると思っているのは、私が瞑想をやって来た結果から言えることです。
ただ、前世からの意識の引継ぎで、瞑想を通さなくても霊的意識に大きく気づく人もいます。

瞑想は心から離れること、霊的意識とつながるための外部と遮断する意識バリアとも言えます。
瞑想に完全に慣れること、それは完全意識を目指すための基本的潜在意識創りの準備です。
現在のあなたの潜在意識は、霊的側ですが、それともこの世側ですか。

もう一度、全体をよく眺めてみてください。
修行僧、求道者、宗教、精神世界、歴史、未来、輪廻転生、・・・堂々巡り。
では、気づき、ヒラメキ、インスピレーションについて話を進めて行きます。
前回も書きましたが、気づきといった意識的な感じはポジティブの感じです。
ほとんどの人は、不愉快な感じや、感情的なものですぐネガティブに引っ張られます。

人は、ネガティブ意識であるから生まれ変わりするしかないのです。
霊的使命の持たない生まれ変わりは、無意識の中に霊的過去や霊的真理意識が無いからです。
また、気づき、ヒラメキ、インスピレーションというのは、何も意識の世界だけに限ったことではありません。

人間が求める向上や開発・進化が伴うどの世界にもこのような段階があり、その全体すべてを見渡してみれば人間そして世界は意識だと言えると思います。
偏見的意識ではなく、全体的拡大意識がそれらの根本に流れている意識の共通点です。
この中の気づきという言葉は一般的な言葉ですが、それでも感動やそれ以上の価値が伴えば、それは意識的感じとして大きな喜びになるのです。

この程度は大したことではない、と思わないでください。
いろいろな意識の感じを知ることによって、霊的意識の世界に入って行けるのですから。
言葉も大事ですが、そろそろ言葉から意識の感じへ、その意識からなる自分を目指しましょう。

少しづつ言葉の意味も一般的解釈から離れて行きますが、本質の世界では「意識は感じ」です。
それは、感覚でもイメージでも深い意識の中での想像でもありません。
繰り返しますが、人は小さな気づきの意識的感動などは一時的と思ってすぐ忘れてしまいます。

小さな気づきでも、たくさん集まれば一つの意識的感じとして自分という意識になるのです。
とにかく自分の中を、新しい意識の世界に生きる自分の意識を鋭敏にすることです。
日ごろの生活の中でフトした出来事による気づきというものもあります。

散歩中、道端に咲いていた花がとてもきれいでかわいく感じた、太陽の暖かさがいつもと違う心地よさを感じた、フト自分の中から何かが自分に語りかけているような・・など。
何気なくでも、素直に自然に感じるこのようなことは本物の意識的感じと言えるでしょう。

その意識的感じを、瞑想中で拡大するということをほとんどの人はしないでしょう。
内的にいつもの自分とは違う感じになることが、最初の外側と内側のバランス訓練です。
外なる世界(この世)と魂側から来る感じの世界のバランス状態です。

このバランス状態、この感じをだんだん内側に向け拡大して行くのです。
その補助となるものが、本質真理の段階的理解納得です。
こうして自分という内的意識が強くなって行くのです。
これは初歩的自我からの分離で、訓練して行けばだんだん表の自我にも気づいて行くでしょう。

イエスや釈迦や聖者方の教え、その意味を理解することは大切ですが、それだけでは誰も完全にすっきりは出来ないのです。
厳しい言い方をすれば、それは本当の霊的段階に上がる基本に過ぎないのです。
また、それだけでは何も起こらないのです。
言葉の真の意味から聖者の意識(感じ)に焦点を当てることが本当の意識の勉強なんです。

今は難しいことかもしれませんが、この大事なポイントにいつか気づくと思います。
小さくてもこのような意識の感じをたくさん集めて拡大させて行くのです。
それは、いつか深い無意識的瞑想状態の中や睡眠中に意識的不思議体験として出て来る土台作りにもなるのです。
いつもネガティブのことばかり集中しているか、それともちょっと焦点を変えてみるか、私たちの意識成長のための勉強材料は回りにいっぱいあるのです。

意識の感じというのは、さらに高い霊的意識に触れるための回路、神意識と同調するための準備だと私は思っています。
神側に近づいて行くということは、当然段階的に意識振動も高くなって行きます。
この反対に、ネガティブが強くなって行くことは神から遠ざかるということで、どんどん波動も低くなって行きます。

気づきの次は、ヒラメキやインスピレーションといった意識の感じです。
これは、気づきが無くなったらという意味ではなく、段階として言っています。
ヒラメキは大きなヒントで、それを感じた時ははっきりとした意識の感じとしていつまでも覚えているでしょう。
ヒラメキはそれほど頻繁に来るものでもありません。

ヒラメキの次の段階はインスピレーションです。
インスピレーションはずばり答えです。
インスピレーションの段階は、その時の自分の意識レベルによるものです。
インスピレーションという限りその内容や意識的感じは、人間意識の中でもまるですべてが違うと感じるくらい喜びと驚きが伴います。

これまでの私の不思議な体験は、瞑想や睡眠中に起きましたが、いつも新鮮な別な世界に私を導いてくれました。
そのほとんどは、意識成長、向上に密接に関連しているもので、単なる不思議体験とは比較出来ないくらい価値のあるものでした。
大きな目安で言えば、気づきは数ヶ月に1度くらい、ヒラメキは1年に1度くらい、インスピレーションは3~5年に1度くらいといったものです。

高いレベルのヒラメキやインスピレーションになると、その感動、そして意識的感じも大きく変わって来ます。
それは、深い無意識的瞑想状態の中や睡眠中に体験出来るのです。
しかし、それだけのために集中したり追い求めたりしても、逆に遠ざかるかもしれません。

そのような体験は、自然な流れで、自分に必要なことを準備したときにやって来るものです。
私のこれまでの体験から、内的意識の不思議体験はこのような状態のときにやって来ました。
それは単なる瞑想ではなく徹底した探求型瞑想の中で、または無意識状態に持っていった中で、そして一番多かったのは睡眠中でした。

睡眠中といっても、その体験の中の自分は今こうして文を書いている自分の意識そのもので、単なる夢とは全然違うものです。
では、何のために内的意識の不思議体験(意識の感じ)が大事かとなります。
それは神を知るため、神の世界に意識的に触れるためです。
神の感じとは何でしょうか。

それは自分の人生の中で、すべての中で、絶対無比と認める意識の感じと表現するしか言葉は他に見つかりません。
もちろん、この世の何かからは絶対感じられないものであり、この世には無い意識の中だけで感じるすばらしい意識的感じです。
人はこの道につくまでにたくさんの準備をしなければなりません。

簡単に、軽い言葉で、このような意識を表現している人もいますが、そんな軽いものでは・・
意識は一つ、聖者と私たちの魂は一体となって神の中ですから、そこを目指して意識を伸ばして行きましょう。
とにかく努力の積み重ねですが、いつも必ず次の壁が現れて来ます。

それを超える答えを探せたら、前の答えはその時の自分には大したものでなくなるのです。
意識成長はどこまでやらなければ・・、ではなく死ぬまで続くのです。
ということは、ありがたい?ことに、自分の前にはいつも前より大きな壁が現れるのです。

ありがたいかどうかはその人の気づきですが、意識成長のための壁は無くならないと思ったほうが楽かもしれません。