生命意識に生きる

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生命意識に生きる(21)~不思議体験と神秘霊体験【5】 2010/05/27

本質的な面で言うと、宗教や精神世界や意識の探究などの勉強は簡単なことではありません。
長い間、私自身も今のあなたと同じように(失礼)、なかなか思うように意識向上しない自分にいつも重い気持ちを感じながらも、ここまでがんばって来ました。

結果、今までのすべてを振り返りまとめて見ると、意識成長の段階にも本当に大きな秘密があることにも気づきました。
霊的法則です、霊的法則は実にシンプルです。
高度な霊的法則の理解は、ネガティブ意識では絶対そこには到達出来ないのです。

当然です、ネガティブは神に近づけない、というより神に反発されるだけですから。
自分のネガティブ性にも気づかず、神に近づこうと都合のいいことばかりでは・・、ですね。
無理は無理、私が言うのではなく霊的法則ですから。

神の法則を自分勝手な都合のよさで超えられると思いますか。
ですから、正しい方法でがんばっている人には、いずれ魂(神)の援助があるのです。
段階と壁はセットで、それはこの勉強をしている間は死ぬまで付いて回ります。
偏った期待を持たず夢を見ず、真剣に一歩一歩進むしかありません。

真の幸福というものはありますが、「真」、それは自分の意識でしか分からないのです。
究極は意識で感じるもの、それが答えであり力です、が誰も真の意識の感じを知りません。
本質的意識が何であるか、その意識の感じを掴めるまで少しづつ進んで行きましょう。

これまでの私の経験から言うと、人の意識を大きく成長させる最も効果のあるものは、内的意識による不思議体験だと思っています。
これに関しては、絶対を付けてもいいかも知れません。
前回も触れましたが、それは意識、もっと分かりやすく言えば「意識の感じ」です。
これまでは、心、意識、精神世界、無意識について長い間説明して来ました。

これからは、「意識の感じ」の世界です。
それは、いずれ私のサイトの「第三の目の世界」の波動振動の世界につながって行きます。
この波動振動を超える世界が、真の意識の感じの世界でそれが霊的意識の世界になります。

まだ精神世界にはこのような話はありませんので、あなたも一歩先を進んで行きましょう。
「意識の感じ」、何となくの感じでもいいのですが、とにかく内的意識で感じるものです。
もっと言えば、この世のどんなものとも関係しない、無意識レベルから来る意識の感じです。

まずは初歩的なレベルから進めて行きます。
意識は、誰でも毎日自然に、それこそ無意識に意識しているものですが、またそれは意識していません、といった何かややこしいものです。
そんな自分という生きている意識を、これからはしっかり自覚して行かなければなりません。

分かりにくいという人は、自分の中で感動、感情、直感的に感じるものと思えばいいでしょう。
今のは分かり易く言えばで、これらの本当の感じは、絶対自分で作り出すことは出来ません。
自分の意志とは何ら関係なく、内から自動的に湧き上がって来るものです。

この内から自動的に湧き上がって来る意識の感じがとても大事で、ここに秘密があります。
この秘密と言うのは、意識が次なる意識に気づく回路を創ることで分かって来ます。
いつも内から自動的に湧き上がって来る感じというのは、ほとんどがネガティブの嫌なモヤモヤとした不快な感じというのが圧倒的に多いでしょう。

これがまた、心配、不安といったネガティブを引き寄せます。
この内から沸いてくるネガティブな感じが全く無いという人は、いなくは無いと思いますが非常に珍しいと思います。
また、これ以上のこんな人もいます。
内から満たされた喜びの感じが、いつも自動的に意識の感じとして湧き上がって来る。

ネガティブとポジティブ、霊的自由と物的執着の度合いは、この意識の感じでもはっきりと分かるもので、それは意識的波動振動としても表れるのです。
このような違いを鮮明に知ることが出来るには、意識の感じのレベルを知るしかありません。
この意識の感じを無くして他に何か判るものがあるか・・、残念ながら頭では無理です。

またさらに高度な意識の感じになって行くと、それは霊的意識といったものに近づきこの段階になるには、どんなに霊的知識を集めたとしても無理なんです。
すべての意識の段階には順序があります。
では、この内的意識段階の順序と不思議体験の関係がどういうものかを説明して行きます。

それはすでに書きましたが、気づき、ひらめき、インスピレーション、そして意識的感じで触れる世界になります。
大きく分けた段階としての気づき、ひらめき、インスピレーションは、人が自分を準備した程度によって来ます。
この話は、一般に知られている不思議とは違いますので頭を切り替えてください。

普通の人たちの意識は、大体がネガティブの感じに染まっています。
自分を良くしたいなら、自分の意識成長、向上の方向を完全に意識しなければなりません。
その方向は、ポジティブ、真理、魂、霊界、神方向で、それを通る道以外はありません。

この言葉だけで宗教的と捉える人は、根こそぎ固定観念から自分を変えなければ意識のバランスを整えることも一生難しくなるでしょう。
最初の意識による不思議体験は、気づきのところからです。
今までわからなかったある言葉の意味が、フトしたことで解った。
小さくても少しうれしい、喜びの感じがして、次に行けるぞ!といった気持ちになります。

まず、このような感じをたくさん体験し集め、その感じを瞑想や思いの中で拡大させます。
人は善いものも小さいと簡単に無視し、いつまでも大きな期待だけを追い続けるものです。
ものの見方、捉え方、そして応用の仕方をしっかり身に付けて行きましょう。

結果的にそのほうが早い、近道です。
人それぞれですから何をするにも自由ですが、私はたくさんの経験をまとめた結果、一番効率のいい方法を言っているだけです。
小さいことであってもよく考えてみれば、それはやりやすいことでもあるのです。

これに慣れて、それよりちょっと高いレベルになれば、次は熟考とか探求といったもので気づきを得ることをして行きます。
もうこれはたくさんの人がやっていることだと思いますが、でもその感じを集めた意識的拡大までしていないのではないでしょうか。
それからもっと慣れてくれば、その意識の感じの中を意識で動くということをして行くのです。

これとは別に、フトしたことで感じる不思議な感じの体験というものもあります。
それは、何の理由もなく幸せな感じが、うれしい感じが、体が浮くような心地いい感じが、内から湧いて来た、という体験です。
意識的な勉強をしていなければ、それは不思議体験という一つの記憶として残るだけです。

私自身も25年くらい前にこの感じは体験していますが、とても不思議な感じがしました。
それは、「あるがまま」の意識的感じと同じものと考えてもいいでしょう。
「あるがまま」の感じもいずれ詳しく説明します。
何らかの形で、このような体験をした人もかなり多いだろうと思いますがどうでしょうか。

また、瞑想や、パワースポットなどといったところで体験する人もいます。
でもほとんどの人は、この意識的感じをさらに高めて行くという段階には至りません。
私が説明したい内的意識による不思議体験は、このような気づきから来る意識的感じを応用するやり方になります。

それは、次の段階、またその上の段階へと、意識向上につながる一番いい方法になるのです。
真に自由な意識の中を動けることを知ると、これほど楽しく霊的未来に向かえるものはないでしょう。

生命意識に生きる(20)~不思議体験と神秘霊体験【4】 2010/05/20

前回は、つい2週間くらい前に私が体験した、今までの人生で最高の不思議、霊的神秘体験のことを書いてみました。
ちょうど、これから不思議体験についていろいろ説明して行こうと考えていた時でしたので、とてもタイムリーな体験でした。
この体験で、これまでの内的意識による数々の不思議体験から、それが人の意識向上にどう影響するか、またその関係など、さらに深い意識が解って来ました。

内的意識の不思議体験、神秘霊的体験、それは絶対意識向上には必要なものだと言いました。
その体験で基本となるものは瞑想ですが、瞑想も意識向上には絶対必要だとも言って来ました。
私の瞑想法は、意識向上を目指す中でインスピレーションによって得た瞑想です。

その瞑想をずっとやって来た結果、同時に内的意識の不思議体験も伴って来たと思っています。
サハスラーラを中心にした潜在意識を自分自身にしていく、理解納得による意識向上が大事です。
その意識を基点として、さらに深い神意識(真理)を目指す集中。

その意識を基点として、顕在意識(この世の意識)を見下ろす冷静客観の徹底した意識創り。
そのような意識が創られると同時に潜在的に調整されて行く、新しい自己意識の枠。
その段階は、自動的に波動から意識的振動の世界に入る準備期間でもあります。

すべては順序、霊的秩序、法則どおりに進めて行くことで、自分の目標に近づけるのです。
このような深い意識の仕組みや動きを説明出来るということは、これはある面、人間意識を科学すると言ってもいいかも知れません。
科学と言っても、超神秘科学というしかないものですが、それはここだけの話です。

この内容は、本当はすべて順序よく説明して行けるものですが、理解は人それぞれです。
それでも、これは誰にも可能で、現実に出来る方法でなくてはなりません。
単なる理想、夢、希望、また理論的には可能だ、と言われればかなり重苦しくなると思います。

そうではなく、この説明はこれまで私が体験して来た内的不思議、神秘霊的なこと全部を分析し、それを整理し、そうなるように順序立てて説明して行きます。
少なくても私は全意識を知悉していると思っていますので、意識向上だけでなく、相乗効果的な潜在意識の働きまで考えています。
これは不思議体験だけを目的にしたものではなく、本質に目覚める自己意識の拡大やいつか自分の潜在能力開発の準備などにも、同時に勉強出来るものだと思います。

前置きが長いかも知れませんが、意識的に私はムダなことはしません。
今の精神世界のように、簡単に何とかなるなどと考えないようにしてください。
だからといって、どうしようもなく難しい、大変だと構える必要もありません。
今回の私の内的意識の不思議体験は、「到達」の世界、その世界の入り口に完全にいる、と自分の全意識でそう感じました。

それが、確信だとか絶対的自信だといったものは、もうどうでもいいといった感じの中です。
たとえば、瞑想で最高を超えたいい状態になったとしたなら、その状態が今、ここの意識でその意識に「ある」これでいられるのです。
「信じられない!」「最高!」ではない、じっとその感じを味わっていたいだけです。

これから目指すのは不思議体験というものではなく、不思議体験を通して最高の意識、その意識の感じを高めて行くというのが本当の目的です。
これからたくさん説明しなければなりません。
この世界に慣れてもらうためには、まず自分を準備する必要があるからです。
また、意識成長のためには、本当に何が必要で大事なのかもはっきりさせるべきです。

意識という見えない世界の本質をどう確信していったらいいのか。
また、確信はどうやって自分に来るのか、どう分かるのか、これも大事です。
今ある宗教や精神世界は、本当に人を目覚めさせることが出来るのか。
本当にいつになったら、人間の意識や自分の意識に真剣に向き合おうとするのか。

スピリチュアルが真理と勘違いしている人がだんだん多くなっていると思います。
本当の世界は難しいから、努力がいるから、自分で無くなるから嫌だ、と思う人も多くなっているように感じます。
せっかく精神世界が広まって良い意識の人がたくさん増えて行くと思ったのですが、今の時代背景も影響しているのか、だんだん本物から遠ざかっているように思えます。

もっといろいろと感じるものもありますが、とにかく自分を良くしたい高めたいと思う人は、低級性から離れて勉強するしかありません。
意識の勉強は、自分の将来を楽しみだと言えるように、喜びの中で進めて行くものです。
実際、これも体験の中になければ、全くつまらないつらいだけの勉強になると思っています。

私は、大変な時期がたくさんありましたが、それを忘れさせてくれる何倍も良い状態を何回も体験して来たからこう言えるのです。
私はこう思っています。
宗教や精神世界は問題集です。
その中にあるいろいろな言葉や意識の意味を「解った」という答えに変えて行かなければなりません。

その答えを、似たような問題集や参考書を持って来て、その中で考えても大して変わりません。
この問題集を解くには、何が必要でしょうか。
それは、意識の理解なんです。
意識の段階の集まりが、宗教や精神世界という問題集になっているだけなんです。

真理に関する宗教や精神世界、それがどこから出て来たか、その根源を考えてみてください。
それは、真理の世界にまで続いているはずです。
それがこの世という意識段階を通って、最低レベルの意識に顕現しているだけです。

ですから、私たちの意識成長や向上は知識ばかりを集めるのではなく、ある程度必要な知識が集まったなら、自分の意識、人間意識の仕組みと構造を知ることに集中するべきなんです。
そうして、はじめて霊的意識と自分の潜在意識の間に意識的回路を創って行けるのです。

何回も言っている、「自分を知る」という意味もこれで納得出来ると思います。
意識の勉強の基本というのは、こういうことです。
一般的に知られている潜在意識がどうのこうの、これについても今まで何度も言って来ました。
はっきり言って、潜在意識がどういうものかを全部説明してあげたいですね。

これも、目からうろこが・・、おそらく全部落ちて行くでしょう。
いろいろ解って行くと、あなたの内側がすっきりするということも体験するでしょう。
これも不思議体験とは言わなくても、大事な内的意識の感じなんです。
思考でも、イメージでも、感覚でも、深い意識の中での想像でもない、内的意識の感じです。

その内的意識の感じを、ほとんどの人は小さいからといって無視しています。
これがいかに大事か、これが神との回路を開く大事な一つの要素だと言うことを知りません。
何でも簡単にある方法で、すぐに・・・
需要と供給のバランスが崩れない限り、こういうものはずっと残ります。

意識の成長には、何故不思議体験が必要なのか、だんだん気が付いて来たかもしれません。
先ほどの問題集を解く力は意識力、意識力は意識の段階を「感じで知っている」という力です。
このことを知っておいてください。

知識と意識は全く違うものです。
知識をいくら集めても、いずれそれら全部集めても意識の前には何の役にも立たないことが分かる時が来ると思いますが、それまでは知識も必要です。
意識は神です。
人間意識を知るというのは、3次元に降りてくる神の最低の段階を知ることなのです。

この最低の段階も超えずして、どうして霊的なものを理解したり触れたり出来るでしょうか。
意識が何であるか、それこそ意識で知るしか、意識は意識自体に気づくしかないのです。
その度合い、神側に近づいた最高意識レベルの度合いが菩薩、聖者のレベルということです。

ただ、注意すればいいことです。
焦るな、すぐにを求めるな、簡単を期待するな、時間はかかると思え、これはみんな同じだ!
焦って、すぐに否定的答えを出す、疑問を解消出来ないままただ苦しむ、躓く出来ないネガティブの原因は全部出ているのです。

もう、宗教も精神世界も行き詰っているのです。
すべての答えを出す世界が、意識の世界です。
私はこのことを一からやって来ましたから、この全部を説明出来るのです。
今回も内的意識の不思議体験の持って行き方の説明まで出来ませんでしたが、どちらにしても意識のことは全部大事なことです。

ちょっと早いか遅いかより、必要なことはたくさん知って行った方がいいと思っています。
今回の内容は、たくさんの深い意味が隠れていますので、よく熟考してみてください。

生命意識に生きる(19)~不思議体験と神秘霊体験【3】 2010/05/13

今回の【3】でこの話は終了させるつもりでしたが、意識向上には大変重要なポイントがあり、それに気づいてもらうためにもしばらくこの内容の説明を続けて行きたいと思います。
ここで説明する不思議体験は、すべて私が体験して来たことを今の私の意識レベルの霊的真理に基づいて解説しています。

これから先説明していくことは、あなたがどう受け取るかはわかりませんが、他では聞けないものだと思っています。
これから本質レベルの意識向上を目指すためには、これまでとは少し違う意識のあり方で勉強出来るように、本当にたくさんのことを説明して行かなければなりません。

なかなか順序良くとは行きませんが、とにかくこれまで私が高めてきた意識の勉強と不思議体験の関係を、自分なりにまとめてもらえればと考えています。
今回は、つい最近の私の不思議体験を中心に話してみたいと思います。
この体験は、これまでの意識的不思議体験の中でも最高のものです。
その前に、これから先説明していく内容のポイントに触れておきます。

まず、自分の意識が不思議体験をするにはどうしたらいいかです。
また、どうして意識向上に不思議体験が必要なのか、その意識の不思議体験はどのような種類があるか、そしてどういった感じかも知っておきましょう。
これからのあなたには、意識が不思議体験をするということがとても大事なことになります。

よく何かの機械?で不思議体験をするというものが精神世界の中にもあるようですが、それはあまり意味がありません。
何故かと言いますと、それは単なる体験であって単なる記憶として残るだけのものです。
それ自体が、本質的な意識成長の何かを教えてくれるものではないのです。

まったく新しい、本物に向かって行く自分を創り上げていくには、あなたの知らない意識の世界を十分に理解納得出来るようにたくさんの説明をして行かなければなりません。
いい加減、曖昧、適当な気持ちでは、この方向に入って行くことは無理です。
その目指す方向は4次元で、相手は自分の魂(神)です。

どんなに回り道をしても、結局人はこの道を通るしかないので、それが早いか遅いかだけです。
大事なポイントは、内的意識による不思議体験がどのように自分の意識成長に影響を与えるか、そしてその潜在意識的な働きまで理解しておくことです。
そうすれば、他のいつまでも迷わせるだけの言葉にも何ら左右されなく自分の道を進んで行けるようになります。

疑問、疑念、迷妄、でいっぱいの心では、気持ちよく前進も向上も出来ないと思ってください。
私はこう思っています。
本質も知らない知識だけの人、自分で実際にすべてやって来たことのない人が、どうやって人を真理方向に導けるのだろうかと。

「観念」「自我」「幻」を遠くに見つめていられる意識集中といったものがあります。
意識的不思議体験は、これらの正体をだんだん明確にさせてくれるものだと思ってください。
本質、真理的なことを、しっかり説明出来る意識とはどういうものかも知って行きましょう。

この真理方向に関することは、理解出来ればですが、私はあなたが不足を感じないくらいのことはほとんど答えられると思っています。
今の私の意識がどのようなレベルにいるか表現出来ないことは残念ですが、この内容のすべては私が体験して来た道と今進んでいる道、そのものなんです。
宗教でも、今の精神世界でも、たくさんのことを学んでいる人達は一体何を目指しているのでしょうか。

それはあなたにも言えます。
霊的知識をたくさん集めて自分自身を成長させようとしているのか、その先は?
または、精神世界の知識を集めて、自分の幸せや願望を実現しようと考えているだけなのか。
今の精神世界で何が出来るのか、真に何が得られるのか、人は一体何を求め欲しいのか・・

霊的知識を集め、瞑想をし、ヒーリングをし、チャネリングをして、その先は・・・。
これらはすべて意識成長のための基本的訓練になるものですが、それが終点ではありません。
ここで一つだけ注意しておきたいことがあります。

一般的チャネリングについて調べてみました。
チャネリングの内容は、いろいろなサイトをざっと読んでビックリ?ですが、ついでにそのサイトと数人のチャネラーの波動振動測定もしてみました。
面白いことに気づきました。
サイト、そしてほとんどのチャネラーの波動は、みんな集中ポイントも質もかなり似ています。

この波動は、私自身の意識振動とはほとんど反対側ものだということだけを言っておきます。
この「ビックリ?」で、いろいろたくさんのことが判断出来ると思います。
そろそろ最近体験した、この人生で最高の不思議体験についての話しに入りたいと思います。

つい最近まで、私はあることで「ポジティブうつ」になっていました。
「ポジティブうつ」については、以前このブログで説明しています。
これは自分の深い内的意識に関することでしたので、セッションには全く影響はありません。
約2ヵ月半くらい、私自身の「第3の意識の死」を前に、全く先が見えない状態だったのです。

結果的には、また魂の援助のインスピレーションによってそれが何であるかはっきり見させてもらい、今は完全にその状態から抜け出ることが出来ました。
その内容は難しいと思いますが、「3次元との意識的分離」に関することだったのです。
これがはっきり意識で解った時、私はこれまで私が歩んで来た意識の段階の秘密がすべて見えたのです。

いや、それ以上の霊的意識の拡大まで得られたと言っても過言ではありません。
私自身、言葉の深い意味については前にも書きましたが、かなり慎重に分析し、この世の言葉の意味、潜在意識的な意味、霊的な意味という風に自分の中で分けて意識して来ました。
私は今回のインスピレーション、それは不思議体験の一つですが、今までの中でも最高でかなり深い霊性に触れた感じを抱きました。

いずれ説明すると思いますが、インスピレーションですから、それははっきりとした答えです。
その後も、私の意識の中にいろいろな感じが来ていますが、それはこれからもずっと続きます。
これから、私が何の思考も無く、ただ意識の中で感じていたことを言葉にしてみます。

しかし、これはそのものの意識ではありません。
この世には無い意識の感じですから、それに近い言葉で表現しているだけになります。
そしてこれは睡眠中ではなく、軽く集中すれば今、その今の意識であるということです。

解脱とはこういう風に感じて行けるのか。 
神に触れるということはこういうことか。 
思考も努力も要らないということはこういうことだったのか。 
自動的に愛が降りてくる意識とはこういう意識になることだったのか。 
3次元ってこんな意識で成っていたのか。 

観念も自我もここには出て来れないのか。 
3次元は縮小意識か・霊界は拡大意識だな。 
これが本当の生命世界のスタート点に立ったという感じだな。 
聖者の根本意識はこれだったのか。 
この意識であれば物的も霊的も関係ないなぁ。 

ようやく神の一端に触れられたんだ。 
やっぱりここは何もかも違う世界だ。
ほんの一端でこの絶対的すばらしさか。 
本当にこの力を使えばすべてを消せるな。 
同じ意識でありながら意識の違いでこんなものか。 

こんなに暗くちゃ(3次元)何も見えないよな。 
イエスの言った言葉がよくわかるなぁ。 
この力は意識でなくちゃ絶対わからないなぁ。 
愛・真理・神、考えることじゃない、もうやめだ。 
何だ、(3次元の)狭いこの意識が消えれば神の世界じゃないか。 

単純と複雑の違いか、いや複雑ではなく混乱だけだ、3次元は。 
ここがすべて、もう3次元意識には二度と、絶対に落ちない。
自然に浮かんで来る感じは、全部こんな感じの言葉になります。
「確信」「信じる」そんなことも何も浮かんでこない、絶対意識、神の意識の中。

すべてその場の意識の表現から、素直に感じるままが自分ということです。
結局、人の意識の進化は、緩やかな肉体レベルの輪廻転生より、今生における「意識の死」が一番早い方法だということが、私のこれまでの人生のあらゆる意識探求の中での答えです。
まだまだ別次元の意識体験は、これからも一体の感じとしてどんどん続いて行くでしょう。

これはこの世の意識による感じではないのです。
しかし、実際に「在る」のです。
私はこのために、いままで真剣に自分を進化させて来たのです。
これは、大事な話です。
道、意識の道、神に向かう道が何であるか、その意識の段階の秘密がはっきり見えたのです。

その結果、これまでのことは私にとってはもう不要なものです。
こんな話をしても、全くチンプンカンプンだと思う人も多いでしょう。
でも、これから、今言ったことに関する必要で大事な話を説明して行きますので、しっかり熟考するようにしてください。
私のたくさんの意識向上のための不思議体験は、あなたにもきっと役に立つはずです。

思考では無い、イメージでは無い、思い込みでは無い、この世のすべての観念や感情が少しも入り込む隙間の無い絶対意識の感じを、いつか体験して欲しいと思います。
本物は無条件で何の言葉も要らない、出てこない、、それだけでそれでいいのです。
本物は!

私はよく思っていました、人は、聖者や神をどう思っているのかと。
一般の人が思っている聖者や神の観念は私には無い、そんな観念ではなく神を全意識の拡大で全体意識の同調意識で見つめて来たのです。
まず、徹底的に自分の意識を無限に拡大する訓練をすること、これが条件です。
私が指導しているのは、難行苦行などは一切ありません。

現代は意識の時代ですべては意識です。
過去の肉体的訓練、難行苦行の強引な方法はもう必要がないのです。
証拠として、私がそうして少なくても精神世界や宗教を超えたのですから。
こういう言葉を言うと、普通はかなりの反発、批判が来ると思いますが、私は別に・・です。

そう思うより、とにかくそれはこれから説明する内容を読んでからでもいいと思っています。
私の意識の焦点は、あなたが求める先、その歩いて行く道の先にある壁の外なんです。
私は何とか少しでも、あなたをそこに近づいて行けるようなヒントを書いて行きたいだけです。

私の全経験の言葉を!
では、次回からの内容に少し触れておきます。
内的意識による感じである不思議体験が何故必要か、またそれは自分の意識向上や究極に近づく意識進化にどんな影響と働きがあるかを説明して行きます。
内的意識の感じと言っても、感覚というものではありませんので勘違いしないでください。

思考や感情や潜在意識的反応とも違う、自分のわからないけど深いところか一瞬に来る感覚レベルとは違う「ある感じ」、「意識的感じ」と思っていてください。
本来どんな不思議体験でも、よく考えてみれば一つでも何か気づくことがあると思います。

それは、直接自分が体験したことでなくても、たくさんの人の体験を通しても言えます。
一般的には、それらのものは不思議だけで片付けられますが、それにも意味があるのです。
これらの不思議を解明するには、科学の証明を待っていては人生が終わります。
すべての不思議は神と意識、それは霊的法則や霊的原理が根底にあって顕現に至るものです。

特に霊的なことを何も知らない人は、過去の自分もそうでしたが、ただ不思議というだけで、それ以上は深く考えたり追求したりすることはしません。
たとえ低級な不思議現象であっても、そこには人間意識が絡んでいることもあります。
とにかく、不思議なものや不思議体験というものは、意識の向上に役立てられるものなんです。

不思議の分野も広いので、ここでは意識成長に伴う不思議体験に焦点を当てて進めて行きます。


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コメント

ブログの更新をありがとうございます。 (須田)
2010-05-14 01:42:08
ブログの更新をありがとうございます。

ー思考では無い、イメージでは無い、思い込みでは無い、この世のすべての観念や感情が少しも入り込む隙間の>無い絶対意識の感じを、いつか体験して欲しいと思います。」ー
いつか・・・、はい、いつか体験したいです。
ー本物は無条件で何の言葉も要らない、出てこない、、それだけでそれでいいのです。本物は!ー
このような言葉をいつか書けるようになりたいと思います。
ー・・・そんな観念ではなく神を全意識の拡大で全体意識の同調意識で見つめて来たのです。ー
今のわたしにはどうにも理解できません、と思考で考えながらも、どこか“ふっと”伝わってくる何かを感じます。
ーまず、徹底的に自分の意識を無限に拡大する訓練をすること、これが条件です。ー
はい。いま求めているものが正解か誤りかそんな疑心暗鬼も感じていますが、進まない限り、また、進もうとしない限り・・・ですね。うまく言えませんが、いつも、いつも生みの苦しみの連続ですね。ときおり来る光のようなものがなければ、死んでしまいたくなるほどです。
死にませんけれど(苦笑)
意識の死・・・、やはりこれなんですね。

須田さん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2010-05-14 21:52:16
須田さん、ありがとうございます。
「意識の死」は、 小さい理解納得の積み重ねで、自分のネガティブの壁を超えてはじめて挑戦出来ます。
私もこれまで何回か挑戦して来ましたが、大きな壁にぶつかり今回やっとという感じです。
今回も、いろいろな不思議を感じました。
誰にでも、そのチャンスはあります。
根本的魂は、みんな同じレベルですからね。
本当は意識の不思議体験というより、悟りの段階の体験と言ってもいいかもしれません。
あとは、自覚あるのみ、自分を良くしたいという熱意があるのみです。
しっかり勉強していけば、みんな、間違いなく、意識進化して行きます。

生命意識に生きる(18)~不思議体験と神秘霊体験【2】 2010/04/29

前回の続きですが、世界中の不思議体験を見ても本当にいろいろな種類があります。
不思議体験も、見える現象的なものと内的意識に起こるものがあります。
内的意識による不思議体験について、もう少し詳しく説明してみたいと思います。

その前に、霊体験というものについても話しておきたいことがあります。
不思議な世界も、低級なものもありますので気をつけて欲しいと思います。
ここで言う霊体験というのは、あくまで意識向上、真理方向に関することで、一般的にすぐ浮かんで来る低級霊、心霊現象的なものを相手にしたものではありません。

私は相談されればそのようなものの波動除去はしますが、それは高級振動を使えばいいのですから、いつかこの低級波動にも負けない強い意識の振動についても説明します。
とにかく、わざわざ低級なものに興味を持ったり相手にしたりしないことです。
何故なら、そんなものを相手にしていても大した意識成長も、何のプラスも無いからです。

では、少し神秘的になりますが、霊的体験の中の意識について話してみたいと思います。
不思議なこと全部については説明出来ませんので、とりあえずこれまで私が体験して来た内的意識の不思議から大事なところだけまとめてみます。
まず、不思議体験の中の意識ですが、その体験自体は普段の意識とは違う、意識中のもう一人の自分(意識)となります。

それも自分の意識ですが、自分そのものの意識に全部気づいているということはありません。
その体験の種類よっても大きく変わって来ますが、根本的意識が前面に現れます。
根本的意識というのは、潜在意識より深い根っからの自分という無意識レベルの意識です。

不思議体験では、自分でも気づかない根本意識や潜在意識が現れて違う世界を経験するのです。
ほとんどの人が思う自分とは、根本意識の上にこの世界の観念を加え、そうして出来上がった潜在意識的存在(個性)を自分にしています。
この自分でも気づかない根本意識や潜在意識が想像もしていなかったことを体験するので、それが不思議体験と思うのかもしれません。

現象的な不思議は、それがどうして起こるか分かりませんのでとても不思議に思えます。
すべては霊側の法則に従って現象化するのですから、実際は何故?の答えはあるのです。
ただ、はっきり分からないことを考えても時間のムダになりますので、自己意識の成長には理解出来ることから入って行ったほうがいいでしょう。

実際、内的不思議体験というのは、真剣に意識向上を目指している人は誰でも体験出来ると思っています。
不思議体験も、現実とのギャップが大きいほどその印象も強烈に残るのは間違いありません。
私はこの内的意識の不思議体験はかなりの数があるのですが、それがあって今に至っています。

それは、気づき、ひらめき、インスピレーションのどれかに当てはまるものです。
当然、こうなるともう思考の世界ではありません。
思考、観念、意識、無意識をしっかり理解納得出来て、はじめて自分の意識で動いて行けます。

クリシュナムルティーのことも以前書きましたが、努力は要らない、また思考は要らないということがどうしてかを理解しなければ、違った方向に入り迷ってしまいます。
意識化する前に、しっかりとした自己意識コントロールが必要なんです。
このための瞑想であり、このための意識勉強なんです。
結局、霊的方向は自分の中から湧き上がるような喜びや幸せの感じを体験することなんです。

体験自体はこういうものですが、それがすべてではありません。
その段階を上げて行くのですから、そのたびに前よりはすごいものになって行くのです。
深い意識で起こることをそのまま受け取ることが出来るのも意識で、それは意識の感じです。

この意識の感じの段階を味わった人は、二度と低級性の意識には戻れないでしょう。
このすばらしい体験を一度でも、二度でも、またそれから何度でも追い求めて行けるのです。
そのための何かきっかけを誰もが知りたいと思い、求めていると思います。
そのための準備が必要ですが、それはこれまで言ってきたことです。

たくさん考え、勉強するのは、本物を見極めるためにも、という大事な意味があるのです。
昔、私は無意識の中で感動的な光を見た不思議体験をしたことがありますが、今となってはその光は私の今の意識と同じレベルのものに過ぎないと感じています。

私の内的意識による不思議体験は、このような大きな視点から自分の意識レベルを客観的に自己判断するためにも大いに役立っています。
内的意識の不思議体験は、自分の意識向上によってその受けるレベルも変わって行くのです。
自分の意識成長と共にレベルが上がって行く不思議体験は、魂の援助です。

私たちが自分の意識を訓練して、潜在意識を真理側に近づけて行けば自動的に根本意識にもいい影響を与えるようになります。
この進化の段階によって、気づき、ひらめき、インスピレーションといった身近な不思議体験から霊的に関わる不思議体験といったものを経験するようになって行くのです。

それをほとんどの人は、すぐに求めます。
そのための瞑想をしたがりますが、要素です、下地です、土壌です。
誰だって、また神だって、何も無いところに何かをすることはしないのです。
物的なことなら、「それは無理だよ!」と言うのに、見えない世界だと「何でもあり!」のご都合を勝手に通し、これを潜在意識は何でも可能と勘違いしています。

霊的法則の意識の勉強や瞑想が必要だという理由は、このような意識的体験まで自己進化と関連させているからなんです。
その内的意識の不思議体験は、意識レベルが高くなるにつれその内容も当然すばらしい体験に変わって行くのです。
無意識から霊的意識になれば、表現は「在るけど無い、無いけど在る」の世界になります。

神の中である以上、「無」「何も無い」というものはないのです。
こちらから見て、全く何も感じられない霊界を「無」と言っているだけです。
霊界は「在る」のです。
それは次元が違うというだけです。
次元が違うと言うのは、その世界の振動数が違うだけなんです。

この振動数が違う、という中に秘密があるのです。
霊界意識は真理という意識振動ということです。
その意識は、この世で表現しようとしても例えることの出来るものがないのです。
なるべくそれに似たようなものでも・・、ですがそれも無いのです。

だから、聖者でもそれについて表現することは無理ですから、書き残すことも出来ないのです。
ただ、その霊的力の一部を表現して見せることをしているだけです。
内的意識の不思議体験はとてもいい成長のきっかけになりますが、一度だけではその印象もだんだん薄れていってしまいます。

そのための訓練もいろいろ在りますが、ただ瞑想するだけでは時間がかかります。
意識の訓練、それは自由な発想による霊的意識方向へ意識のアンテナを伸ばす方法なんです。
あなたは思考も想像も動かなくなるまで働かした(意識で動かした)ことがありますか。

あなたは、想像(イメージ)することは対して意味が無いことだと思っていませんか。
もし私がやって来たことを知ると、頭の固い人は「何を馬鹿げたことをやっているのか」と言うかもしれません。
よく考えないで物事を言う人と、全体的に意味を持たせて考え動いていく人の意識の違いを知ることです。

誰かに聞くことはいいヒントを得ることにもなるかも知れませんが、しかしけっして心底から満足出来るような意識が開く納得感はなかなか得られないものです。
内的意識による不思議体験は、自分の意識をいきなり成長へと導くものです。
本当は私のたくさんの体験とその時の意識の状態を話して行けば、かなりのヒントがつかめると思うのですが、それは相当な量になり簡単でもありません。

内的意識の不思議体験も意識の勉強による成長も、その道もそしてゴールも、私はすべて一つと考えています。
それをいかに関連させ、同時に補い合い拡大させて行くかに焦点を当てない限り、何を目指した意識向上なのかとなります。
精神世界も現代の人々の中にかなり浸透していますが、そのほとんどは焦点がズレています。

意識というのは、たとえ最初は難しくても意識が関係する全体枠を知らなければなりません。
誰もがいつか大きな壁にぶつかるのですが、それは普通より早くなります。
早くなるというのは、それだけ成長が早いということです。
この世的には、ある意識レベルまで高めて行くしかありませんが、それにも限界があります。

感覚的であっても知性的であっても、そこまでです。
その先は、意識で、意識の感じに入って行かなければなりません。
意識で、意識の感じに入って行く、と言っても何が何だかとなるでしょう。
今回【2】で「不思議体験と神秘霊体験」は終了のつもりでしたが、もう少し説明したいと思いますので、次回【3】です。

生命意識に生きる(17)~不思議体験・神秘霊的体験【1】 2010/04/22

今回は、意識の拡大やこの世とは全く違う意識の世界について、かなり未知なる世界に広がりますが2回に分けて話していきたいと思います。
少し意識が拡大した未知なる部分まで入り込む話で難しいかも知れませんが、たまにはこのようなことに触れることで何か気づくこともあるかも知れません。
今は理解出来なくても、この内容はいつか大きなヒントにつながるものだと思っています。

私はたくさんの不思議神秘体験をして来ましたが、このような不思議体験は年齢を重ねていく間にはだんだん減少していくものです。
これは、不思議体験のあるどんな人にも共通して言えることだと思います。
しかし私の場合、体験数は徐徐に少なくなっていきましたが、反対に質というか、内容自体はどんどん霊的な感じに変わって行きました。

この変化については、この後で説明しますので納得出来ると思います。
HPやブログなどで私が説明する意識の世界は、このような体験や数々の霊的教えや霊的法則などを自らの研究と実践的訓練でまとめたものです。
これは、28年間これだけに集中してやって来た結果、つい数年前にいろいろと全意識全体を見つめているうちに自然にまとめることが出来たというものです。

さきほど、不思議体験の質が霊的感じに変わって行ったと書きましたが、いつの間にかそうなって行ったというより、そうなるにも理由があるのです。
これも何回か説明しましたが、何の要素も無いところには何も起こらないということです。
夢や希望、ただそうなることを願っても、何かの方法でがんばっても何も起こらないのです。

こう変わって行くのも偶然ではなく、必然的変化となります。
意識向上に沿った変化は、私の意識進化のための必然的という霊的側からの援助なんです。
私はこういう援助によって進化するように、長い間しっかり意識の勉強をして来ただけです。

結果的に、他の何かに寄り道もせずにこの道一本を歩いてここまで来たのです。
子供の頃からこの勉強に入るまでにも、たくさんの不思議体験はありました。
このような不思議体験の流れ全体をみることでも、意識というものがよく見えて来ます。
とにかく、私には不思議な体験がたくさんあり、そのおかげで意識にも早く目覚められたと思っています。

では、この不思議体験がない人、意識がどういうものかを知らない人は、意識の理解が遅くなるのか、また無理なのかと思いたくなるかもしれませんがそんなことはありません。
そのために、私が経験し理解して来た意識のいろいろを説明しているのです。
そうすれば、自分一人で一から勉強するよりは、理解が早く進むと考えています。

対面セッションと違い、ブログは文章で進めなければなりませんのでその分伝わりにくいのは仕方ありません。
また、意識の勉強は、何も不思議体験を目指している訳でもありません。
しかし、これはとても大事なことですので、しっかり頭に入れておいてください。

意識の向上とか進化というのは、その段階においてこのような不思議がついて来る、体験するようになるのです。
もちろん、不思議体験にも霊的進化のためのものになって来ますが、それでも不思議です。
意識の進化は、どこに向かっているかを考えて見てください。

正しい方法で正しい道を進めて行けば、自動的にそうなるはずなんです。
それを待ちきれない、焦って都合よく勝手なことを願うからいつまでもうまく行かないのです。
ほとんどの人は、霊意識とその世界を全く知らな過ぎると私は思っています。
何の要素も無い人が、何の準備もしないで何かを手に入れようとするから、あとあとおかしなことになるのです。

冷静に考えるだけの霊的知識もないので、それも仕方ないということもありますが。
不思議神秘というのは、そのような世界や意識や法則を知らないために、不思議に感じるものかもしれません。
私も始めから何でも知っていた訳でもありませんので、今だから言えることもあるのです。

多くのことをまとめた結果言っているのですから、それはあなたにとってある面時間的短縮になると思っています。
時間的短縮を考えれば、そのための訓練もいろいろあります。
私が教えている意識的訓練は、すべて私が行って来たものばかりです。
とは言っても、一応結果が出るまでやってみたというのがほとんどですが。

全部の意識的訓練については言えませんが、大体のポイントとなることは話したいと思います。
不思議神秘体験には、意識訓練の中で変化して行ったものもあります。
まず、そのための訓練法の一つに瞑想があります。
瞑想はすでに一般的に知られたものですから、特別な訓練法というものではありませんが、意識の勉強をする上でも瞑想はとても大事です。

たまに瞑想は必要ないという人もいますが、そういうことは瞑想を説明出来るくらいやってから言うべきだと思いますが、どうでしょうか。
私の経験上、瞑想をやれなければ意識向上はあり得ないということはずっと言って来ています。
何故なら、私がやって来た瞑想は意識を動かす訓練には欠かせないものだからです。

瞑想法はいろいろな種類があるみたいですが、私は他の瞑想法は知りません。
私の瞑想は、自分流でやっている中でインスピレーションによって得た瞑想法なんです。
一般的な瞑想方法とは違う意識を鍛えることに重点を置いた瞑想法だと思っています。

意識を鍛えるというのは、潜在意識の場を中心に目覚めた自己意識にして行く意識活性法です。
ですから、この瞑想にもいろいろ種類があり、意識訓練として使い分けをして来ました。
自分の内的意識をしっかりさせないようでは、意識力の土台も出来ないのです。

それで、霊的体験はあり得ないと思っています。
顕在意識でない、深い内的意識が不思議を体験して自分に気づかせてくれるのです。
チャクラの中で最高点のサハスラーラに集中する方法は、もう28年もやって来ています。

特に瞑想と関連させた方法は、自分のすべての意識が一(潜在意識)にするにはいい方法で、私はこの瞑想のおかげでここまでやって来れたと思っています。
いまさら、それが正しいかどうかなどという質問にも答える気にもなりません。
とにかく不思議体験は追いかけるものではなく、自然にもたらされるものです。
私は、意識の勉強や瞑想など、その他たくさんの意識訓練によって不思議神秘的体験という援助と共に意識進化させて来ました。

努力によって、ただの不思議体験で終わるレベルから霊的体験まで持って行かれたのです。
今は、誰も信じられない霊意識体験の世界まで入って来ているのです。
これも、そうなるなるための準備をした結果で、人はそれをその要素があったからと言います。

何も無いところには何も起きない、だったらその必要条件を満たせばいいだけです。
今の自分がすべてにおいて確信しているということが大事なのです。
もう今となっては、確信という言葉もどうでもいいといった感じですが。
その意味も、このあと秘密的ですが少し話して行きます。

何も知らない頃は、不思議体験は何もせずに自然にというか勝手に来ていました。
この勉強を始めてレベルが上がって行くようになると、その体験もだんだん変化していったのですが、それも先ほど話しました。
自然に来ていた不思議体験も、今度は必然的というか、次の向上に必要な体験、不思議体験から霊的体験といった感じになって行ったのです。

それにもいろいろな種類があり、まず大事な気づき、ひらめき、インスピレーションといった段階まで理解出来るようになったのです。
この気づき、ひらめき、インスピレーションといったものを得るためにはどうしたいいか・・
これについても随分研究しました。

それで深い意識のことまで入り勉強出来たのです。
深い意識のこととは、潜在意識や無意識のことで、また霊的意識との関わりまで含みます。
おそらくこの世に知られている潜在意識や無意識の説明とはかなり違うものだと思っています。

ですから、このブログにも一般的な潜在意識の知識などは、全く無視していると書いたのです。
ひらめき、インスピレーションは、誰でも一度は体験したいと思うことで、その得る方法が分かるなら・・、これも誰もが願っていることだと思います。
私がやって来たことで、この一番いい訓練方法が、探求瞑想なんです。

探求瞑想という言葉があるかどうか、これは私が勝手にこのブログで使った言葉です。
他にも私が勝手に造った言葉がありますが、それはこの探求瞑想から来るポジティブウツです。
勝手に造ったというのは、それは適当という意味ではありません。

長い時間かけて研究した結果、そして十分な体験を通して完全に解ったことで使っています。
このようなことを通して、先ほど言った言葉が出てくるのです。
「もう今となっては、確信という言葉もどうでもいいといった感じです」
もっと分かりやすく言うと、その意識になったということです。

とにかく、どう進むべきかの道はある、そして道しるべもあるのです。
一般的に目に耳にする、また私の若い頃に体験したような不思議体験がほとんどです。
これは、単なる不思議体験のレベルです。
しかし、今私が求める不思議体験はこのようなものではありません。

本当の不思議体験は、神秘霊体験に持っていくべきで、私はそれを目指して来ました。
次回【2】へ

生命意識に生きる(16)~私の不思議体験から、「瞬間移動」の検証 2010/04/15

今回は、私の不思議体験の中から「瞬間移動」を取り上げてみます。
「瞬間移動」という言葉は、一度くらいは聞いたことがあると思います。
それが本当かどうか、実際にこのようなことが起こり得るのかを検証してみたいと思います。
その前に、不思議や神秘体験というのは、潜在意識でもない、そのほとんどはさらに深い無意識レベルの世界で起こるということを知っておいてください。

直感的でも、また波動的でも何かの感じが分かるのは、ほとんど潜在意識レベルです。
これから先、数回に渡って載せていく「私の不思議体験」の分析と解説は、潜在意識やそれ以上の世界がもっと身近に感じられるようになるだろうと思っています。

物質しか、目に見えるものしか信じないという人や、頭ごなしに否定する人もいると思います。
しかし、これだけは意識の勉強と同じで、自分から心を開いて近づいて行くしかないのです。
偶然だとか、証拠がどうのこうのに拘る人は、否定だけに意識が向き広い見かたは出来ません。

私のこれまでの神秘不思議体験は、その種類、数が、本当に多いのです。
しかも、ただの体験だけでなく、意識レベルの向上に沿った体験まで入っているのです。
1~3回、いや10~20回くらいの体験でこんなことを言っているのではないのです。

このたくさんの不思議体験を、私は意識、霊的研究に役立てて来ました。
あなたが自分の意識を少しでも高めたいと思っているのでしたら、心を大きく開いて、不思議神秘意識に入り込むように前向きに考えてください。
このような体験があるかないかは問題ではありません。
そのような世界に自分の意識を、要は見えない世界に自分の意識を伸ばせるかどうかなんです。

その回路もない、要素もないところには、何かが起こりようもないのです。
では、私の不思議体験の「瞬間移動」に入ります。
この体験は、今となっては随分昔の話で、私が小学6年の時に起こったことです。
分析は後でしますので、まず体験談ですが、以前載せていた文に少し手直ししてまた使います。

「瞬間移動」というと少し大げさかもしれませんが、今でもそう言うしか、それが何であるか他に説明がつかないものなんです。
夏休み中の暑い午後だった。
私の遊び場は近くの川原で、いつもそこで魚を釣ったりして遊んでいた。
その日、私が遊んでいたところは、川の水をさえぎる堰のあるところだった。

その堰の大きさは、高さ4メートル、長さは30メートルくらいだった。
私は堰の下から5メートル離れたところにいた。
私の前には、堰との間に深さ15センチくらいの水たまりが広がっていた。
私は体を堰のほうに向けて、水たまりの前で、水の中にいる小魚を見ていた。
体が前のめりにならないように、うまくバランスをとりながら水の中を覗いていた。

バランスをとりながらのつもりが、ちょっとふざけて調子に乗ってしまった。
そのとき、あまりにも体を前に倒しすぎて、体が前の水たまりの方に大きく傾いてしまった。
私は、体を倒しすぎた瞬間、思わず心の中で「落ちる!」と叫んでしまった。
落ちるというのは、水の中に入ってしまうということで、たとえ落ちても15センチの深さだから靴の中が濡れる程度である。

靴を濡らしたくないので、思わず「落ちる!」と、心の中で叫んだ。
あとで話はつながっていくが、どういう訳かその瞬間、自分の意識が無くなってしまった。
この瞬間、自分の意識が無くなったときに何かが起きたようだ。
意識が無くなった後になり話は飛ぶが、これから自分の意識が戻る瞬間のことになる。

これも不思議なことだが、意識が戻る瞬間という大変貴重な体験をした。
自分の意識が戻る、この瞬間のはじまりはこういう感じだった。
まず、少しづつ光を感じて行くが、それが中心から徐々に楕円の形で広がって行った。
楕円の回りは黒っぽく、光も見ているのではなく見えて来たという感じだった。
少しづつ拡大していく楕円の中に光以外の何かが見えて来た。

同時に楕円の形も薄れ全体がはっきりしてくると、その見えて来たものは風景だった。
私は「ここはどこだろう」と思いながら、その風景をじっと見ていた。
どこかが分からない。
それで、それからゆっくりと視線を右に移していった。
それでも私はまだ、ここがどこなのか分からなかったのである。

少し見覚えのあるものが見えて来ているのだが、まだわからない。
そうしているうちに今度は、水の音が聞こえて来たのである。
それまでは、何の音も聞こえていなかったのである。
私はその水の音で「ハッ!」として、自分自身に気が付いたのである。
そして、その直後に自分の記憶もよみがえった。

私の記憶は、水たまりの前で私の体が完全に前に傾きすぎた瞬間、「落ちる!」と心の中で叫んだところまでだった。
その後のことは、ここまで話して来たとおり何も覚えていなかったのである。
自分に気づいた時、私は既に自分が水たまりの中に落ちたままだと思っていた。
心の中で「あぁ!濡れちゃった」と思って、ここではじめて足元を見たのである。

私は意識が無くなってからこの時まで、自分の体という意識が全く無かったのである。
足元を見て驚いた、「なんでここに!」
私が立っていたところは、水溜りの中まで入っていた腐りかけた角材の上で、落ちると思ったところから右方向にあった。

その角材の幅は、15センチくらいで水面から3センチくらい出て、木全体は濡れていた。
私は自分が乗っている角材が妙に不思議に思えた。
真夏の暑い午後であれば、すでに乾いているのに、木全体が濡れているのはおかしいと思ったからである。
あまりにも分からないことだらけで、少し混乱していた。

何故私の靴は少しも濡れていないのか、どうして離れた角材の上に乗っているのか。
私が角材に乗っていたところは、元の場所から見て右ななめ前に1、5メートルのところで、しかも水溜まりの前にいた正面向き体勢から見て90度左に向いて立っていたのである。

私はまさか水溜まりに落ちるとは思っていなかったので、ここに木があるということも意識になかったはずである。
実に単純な話ですが、私はこの体験の中に大きな秘密があると思っています。
では、一つ一つ検証して行きたいと思います。
まず、私の体が前のめりになったとき、本来なら間違いなく水の中に落ちていたはずです。

しかし、結果として足は全く水に濡れていなかったのです。
しかも、その瞬間からの記憶まで無くなっていて、自分に気づくまでの間はどのくらい時間がたっていたかも分からないのです。
また、私が楕円が広がって見えて来た風景は、別の角度から見た川原の風景だったのです。

そして、記憶が戻って自分の体に意識が向くまで、どういうわけか私は直立の姿勢でした。
仮に、水に落ちそうになって、横っ飛びに角材の上に乗ったとします。
とっさに飛ぶ時は、そのままの向きになるはずで、わざわざ体をひねる余裕もないはずです。

また、狭い木の上に乗ったとしても、その瞬間体のバランスを取るのも大変で意識が飛ぶどころではないと思います。
意地悪に言えば、飛んでホッとして、そのままボォーとしたんだろう、ということも考えられますし、ビックリしてその間の記憶が飛んだのでは、とそう言う人もいるかもしれません。

しかし、私は「落ちる!」と、心の中で叫んだ瞬間から完全に意識が無かったのです。
景色が見え始めて来る時のことも書きました。
ここでとても大事なことがあります。
人は意識が無くなった状態で、自分の足で立っていられるでしょうか、しかも真っ直ぐに!

私の体は何かの力が働いていたので、立っていられたと考えるしかありません。
たとえ、水に落ちずに済んだとして、少し安心してボォーとなったとしても、ここがどこかはわかるでしょう。
私は実際、今どこにいるのかということも分からなかったのです。
それからはじめて気づいたのは光、そして風景、そのあとに音、そして自分の体の順でした。

このような意識の戻り方も不思議な体験です。
この体験は、「瞬間移動」だけでなく、いろいろ不思議なことが入っています。
神秘世界では、五感の制御の訓練をするのも、ここに秘密があるのかもしれません。
肉体よりまず先に五感の制御が出来れば、霊的なことに近づけるのでしょう。
もう一つ、今だからとても大事なことにも気づけました。

自分の意識が無くなっても、神(魂)の力によればどこにいても安全だということです。
私は今、無意識レベルでこの力に触れる意識化の訓練をしています。
私はこの体験以外にも、神(魂)による安全安心という意識に何度か触れたことがあるのです。

この無意識的、安全安心というものは一般の人は絶対信じることの出来ないことだと思います。
これまで、不思議神秘体験の背後にある意識というものには、ほとんど触れて来ませんでした。
そのたくさんの土台があって、いろいろな意識がつながって解るようになったのです。

体験談の前に説明した内容をもう一度考えて見れば、何が大切かが良く理解出来ると思います。
不思議神秘体験をした、ということだけでは大して意味がないのです。
私は、その中にある意識の仕組みや力の顕現に焦点を当てて分析探究して来たのです。
不思議体験だけでなく、何事にも焦点の当て方を間違えてはただの努力になってしまうのです。

その焦点の当て方、進む道の順序、そして継続、これがあればどんな人も必ず魂は見守ってくれるでしょう。
それも神の法則ですから。

生命意識に生きる(15)~悩みと意識成長と潜在意識の関係 2010/04/08

霊的な本を読むと、本質、真理の言葉で深遠な意識世界のことが説明されています。
霊的な本に限らなくても、言葉の意味をどう解釈するかがとても重要なことになります。
はっきりしていることは、言葉の意味、その真の理解解釈が悟りの段階を表すといってもいいでしょう。

意識の向上というのは、言葉の意味の解釈の度合いに過ぎないと言ってもいいかも知れません。
その顕在意識による解釈は、その確信の程度の順に意識化され潜在意識になっていくのです。
その潜在意識の仕組みの理解を間違うと、いつまでも不安定な意識のままになるのです。

潜在意識の枠組みは、いろいろな説明で理解納得まで持って行けますが、ただ時間も必要です。
枠組みでも、仮の全体像でも、潜在意識を完全理解出来れば新しい自分に目覚めて行けます。
その自分の中心意識とした潜在意識の自覚で、物事の見方もどんどん変わって行くのです。

一般的なコミュニケーションに使う言葉は、その言葉の意味の根拠までは必要とされません。
一般的な会話で通じ合えばいいというのが、この世の言葉の意味となります。
ただのおしゃべり的言葉には、本当の言葉の意味、要するに生命が入っていません。

言葉は、究極的には言霊まで遡って行けるもので、単なる伝達手段の言葉は言霊の抜け殻です。
当然コミュニケーションは大切ですが、しっかり言葉の意味を深く知ることはもっと大切です。
単に通じ合う言葉の意味だけで生きていると、あとあと自分が苦しむ羽目になります。

自分を守る力、救う力、成長させる力は、言葉の真の意味を知って行くことでついて来ます。
それが意識の勉強であり、その得た言葉の意味の力がポジティブ力になります。
それをもっと高めていけば悟りの段階の道を歩んでいるということになるのです。

これを宗教的、精神世界的と考え、自分の意識を狭い制約の世界に限定することもないのです。
もし、人が少しづつ、このような段階を上がって行けばどうなるでしょうか。
当然、自分の心の悩みに対しても、フタをしたり、逃げも暗示などもしなくなるでしょう。

それこそ、冷静にその混乱状の意識をゆっくり解きほぐして行ける自分になると思います。
悩みの種類も様々ですが、大きな障害がない限り、悩みは人を成長させるものです。
悩みの正体を分析し、その原因となるものを追求していけば、結局「無知」に突き当たります。

その無知というのは、学問的知識の欠如を意味しているのではありません。
それは人間意識や神との関わりである霊的意識の智恵や法則などの無知です。
長い歴史の中で、世界各国で信仰されて来た宗教が現代にもたらしているものは何でしょうか。
何か人間の意識向上の援助となるような、簡単で実現性のある教義を完成させたでしょうか。

宗教とは頼るものではなく、自己意識向上のために霊的意識そして法則を研究するものです。
人間、生きることにおいて悩みは完全に尽きることはないでしょう。
悩んで躓き、その度に時間活力をロスすることは、それこそどれだけ大きなロスになるかです。

それを人生という大きな視点で把握出来れば、もっと大事なことが見えるはずです。
誰もが健康で幸せな人生を送りたいと考えています。
しかし、実際にはそうなることを止めたり、その反対の人生になるような生き方をしています。

問題となるものから自分を解放するためには、問題の原因を分析追求しなければなりません。
それにも智恵となるポジティブ力が必要で、これがないから問題になる、とも言えるでしょう。
この意識であれば、悩みからの解放どころか、先読みや事前に手を打つ側に回れるでしょう。

結局、悩むというネガティブは、向上という意識力だけで自ら分離して行けるものなんです。
ある段階まで達すれば、悩むという行為は、全く別な状態に持って行けるというのが答えです。
そういう自分になっていることは、意識成長とか意識向上の段階において気づけるものです。

その自己成長した意識、最終的にその意識が自分の潜在意識になって自分自身となるのです。
ですから、これから本当の自分を創って行くためには、その土台となる知識を慎重に識別もせずに曖昧を受け入れれば、また後になって自分が苦しむことになるのです。

これで理解出来ると思いますが、自分を本当に良くしたいなら曖昧はダメだとなるのです。
でも、自分の潜在意識に確実な土台を造るという重要性まで考えが及ばないかもしれません。
本当の意識の仕組み、確実な自己意識向上の道はあるのです。

それを、全くおかしな方法に時間と労力をかけている人も多いのです。
その冷静に考えてわかる、おかしな方法についても何回も書いて来ました。
何とかなる方法ばかり追い求めるのではなく、何とか出来る自分を目指すことです。
自らを守り、救い、成長させないものに、一体どんな智恵があるというのでしょうか。

それは、自動的に天から、妄信から、棚からぼた餅でプレゼントされるのでしょうか。
一生使えるもの、一生雪ダルマ式に大きくなって行く智恵を求めましょう。
このような智恵は、悩み、自己意識成長、潜在意識の関係を通してよく理解出来るものです。
この仕組みは、非常にシンプルで分かりやすいと思うのですが。

たとえこれが難しいと思っても、これに代わる方法が何かあるのでしょうか。
やるか、やらないかだけで、自分のためです。
一気に、一変に何とかしようと考えても、これは絶対無理です。
何にでも言えますが、まず基本をしっかり、そして自分に合った方法で進めて行くだけです。

ただその気になって動くのではなく、きっちりと全体や仕組みが見えると安心出来るのです。
昔から、ずいぶんたくさんの人が「簡単!」に踊らされて来ましたが、そろそろ気がついてもいいと思うのですが、これは追いかけてみたいものかも知れません。

「あわよくば!」「幸運にも!」「自分には神がついているから!」と胸を躍らせて。
やはり本質とか真理というと、それが本当のことであっても受け入れたくないようです。
自分が良くなる、成長する、自信になる、将来の自分が楽しみになる、でも後回しなんですね。

このブログを読んでいる人は、今回の内容は受け入れてくれると思いますが、そうでない人がほとんどなんです。
この世全体の意識を考えてみれば、そのような意識の人はみんな仲間ということです。
本当はつらくて苦しいのに・・、だから楽しみに目が行き追いかけるようになるのでしょう。

その内的苦痛を素直に見つめず、いつも外に自分を解放してくれるものを探しているのです。
本当の癒しを知らない。
外なる肉体、表面的心を慰めるだけで、奥深くの心の叫びを発する真の自分に喜びを与えない。

人生を終えるとき、本心から喜びを感じた人というのは一体どのくらいいるでしょうか。
過去は時間とともに忘れて行くもの、年を重ねて行く自分の今の満足度はどんなレベルか。
自分の無知さにも気づかず、ただ誰かのせいにして文句ばかり言うことは、みずから自分の無知をさらけだすようなものです。

このブログは、自己意識の進化を目指して意識のことを中心に書いています。
次回からですが、少しづつ私の体験談も入れて意識の不思議にも触れて行こうと考えています。
その体験談は、以前私のHPにも載せていた「私の不思議体験」です。
それをそのまま載せるということではありません。

不思議、神秘を分析し、潜在意識的、無意識的、霊的といった感じの表現で解説します。
その種類、数は本当にたくさんあります。
この分析は、私なりの意識的知恵、霊的法則、霊的推測などで行うもので、さらに霊的な面の関わりを強化する意識開発のヒントになればと思っています。