観念の限界・解脱

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観念の限界・解脱(13)~チャクラの意味と集中を理解する(Ⅱ) 2020/1/15 

チャクラの意味を知り、各チャクラの特性を表現できるようになるには、瞑想と
同じく集中訓練に時間をかけなければならない。
チャクラは7種類あるが、それぞれに特徴がある。
その特徴とはどんなものかというと、実際は各チャクラの中に振動の違いがあっ
て、それが質(感じ)といった特徴になるのである。

ただ、それぞれのチャクラの位置に、チャクラの名前を意識して集中するという
だけではほとんど意味が無いのである。
それぞれのチャクラには、物的から霊的までの振動レベルや質がある。
それも、実際に私がやってきたチャクラ集中の成果から判断すれば、7つのチャ
クラのうち5種類のチャクラの振動と質を理解すれば十分なのである。

私たちの霊的意識成長に必要なものは、観念の理解、真理の理解、瞑想、そし
てチャクラの理解であって、それにある程度の波動の見極めができれば十分で
ある。
また、これらすべてのことは、一生レベルアップしていけるものである。
自己意識成長のための勉強と意識集中や訓練は、同時進行であるべきだ。

私がしてきたチャクラ集中は、他の集中方法とは違うかもしれない。
私はチャクラについて知ったのは本からであって、詳しいことは誰からも教えて
もらったことはない。
これは誰でも同じだと思うが、今は本人も知らないことをネットにいろいろ書か
れているが、その中身はほとんど知らなくていいことが多いのである。

チャクラの言葉に初めて触れたときは、私も何も分からなかったのでチャクラが
何であるかを知るまで本当に苦労した。
特にチャクラ集中法などは、どうがんばってもその方法が分からず、半年くらい
大きな壁の前で苦しむことになった。
ついにもう無理だというところまで落ちた時、いきなりインスピレーションが来
てチャクラの本質を霊的物語風の内容で教えてもらったのである。

その物語は、チャクラを通して魂がある目的でこの地上に降りて来た内容につな
がることだった。
それは、相対の世界における神の働きであって、チャクラはその魂達の仕事の段
階の場だったのである。
それは、ネガティブ浄化の過程といっていいだろう。

私が行ってきたチャクラ集中訓練は、何かの霊的力を目指すことでも願望実現な
どを目的としたものではないのである。
チャクラの全理解と集中訓練は、人の体と心意識と神意識の繋がりや同調を目的
としたことで、そのすべてはいずれ自分と魂意識の一体化を実現するための準備
なのである。

私は、何を目指すにもただやっているということはなく、必ずある目的を持って
集中訓練をしてきたのである。
その集中訓練も、少しずつの積み重ねで時間をかけてやってきたのである。
各チャクラの特徴について説明していくが、それは5つのチャクラになる。
ムーラダーラとマニピュラは、質が似ているので一つとして見る。

スワーディシュターナ(男女)は、この世(大地)との心身の繋がりを安定させ
るという意味があり、一般的にこれは問題ないのでこの集中は外しているが、こ
の世との安定性に問題を感じる人は、この集中は必要である。
サハスラーラは、霊的意識回路を開くために必要なチャクラである。
順に進めて行くと、アジナは思考とか集中に関係しているチャクラになる。

ヴィシュッダは、人のやさしさに関係し霊的にはあるがまま意識につながる。
アナハタは、愛を象徴するチャクラであるが、これはやさしさに関連する愛では
なく悟り系のしっかりとした愛になり、これは神の愛につながる。
最後はムーラダーラとマニピュラで、これは一つとして生命力に集中している。
この5つのチャクラが、物的と霊的意識を大きな切り替えをすることなしにスム
ーズに移行できる意識回路と言ってもいいのである。

霊的意識成長というのは、この物的から霊的までの意識の回路を自由に移行でき
て、始めて意識段階とか振動段階ということが理解できるようになるのである。
また、チャクラの詳しい説明からも、人間意識についてほとんど説明できるもの
である。
物的から霊的までを考えると、一般に知られているチャクラ説明と比較すると、
何十倍もチャクラの詳しい話ができるのである。

その内容は膨大すぎてここでは書けないが、波動測定結果にもチャクラの感じが
出てくるので、それを参考にチャクラ集中の時にこの感じを活用するといい。
まず、チャクラに意識を集中することから始めるのである。
それから、そのチャクラの感じを集中し、印象付けをしていくのである。
それがしっかりできた頃から、今度はそのチャクラを拡大縮小する訓練をする。

その時、同時にそのチャクラの感じも拡大できるように意識していくのである。
そうすると、自分の意識が大きく変化していく準備になるのである。
これが、潜在意識の理解と関連させていけば、自分の意識は見違えるように変化
していくことに気づくだろう。
この5つのチャクラは、神の属性といって神の物的顕現なのである。

チャクラの意識が高まっていけば、当然その根源としての神世界の感じにも触れ
ていけるのある。
この段階は、自分が何とかしようとするのではなく、自然にその人の魂が援助し
てくれることである。
ここにも神の法則が関係しているのである。

真剣にがんばっている人には、神の法則(魂からの援助)は間違いなく降りてく
るだろう。
神の法則は、この世レベルの判断で言っていることとは無縁だと思っていい。
宇宙法則とか神の法則を安易に語っている人には注意したほうがいいだろう。
これからは、白か黒かをハッキリさせなければならない時代に入っていく。

これは内的意識のことである。
霊的か物的か、外はどうであれ自分の本当の思い、意識はどちらなのか。
自分の魂は、それぞれに厳しい結果をもたらすことをしてくるのである。
その逆も、結果として受け取るだけである。


観念の限界・解脱(12)~チャクラの意味と集中を理解する(Ⅰ) 2019/12/15 

今回はチャクラの説明であるが、チャクラとは何かを大ざっぱに言うと、それは
神の属性を人の意識を通して顕現させる集中点となる。
それは、人の神性顕現や潜在的能力や生命エネルギーなどに関係することで、そ
の真の理解と集中は霊的意識成長にとってとても大事なことである。
それ以外には、ネガティブ性に関係することにも大きな理解が得られるだろう。

どんな人も初歩からチャクラ開発をしていくことになるが、いずれはチャクラを
回すということができるようになるまでいかなければならない。
チャクラに関しては、ほとんどの人は何も知らないといっていいだろう。
チャクラの説明をする前に、私もネットでチャクラについてどのような記事が載
っているのかと思い検索してみた。

いつも同じような感想になるが、本当に霊的な本質からどんどん離れた内容ばか
りが目立つようになってきた。
このままいけば、本質的なものはほとんど失われ形骸化したものだけが残ってい
くので、また神方向の道に大きな障害ができてしまうと感じた。
沢山の観念的内容とつなげた説明は、逆に混乱を招き集中も散漫になるだけで、
それでチャクラ集中をしても何も得るものはないだろう。

チャクラの理解と集中は、とてもシンプルなものである。
チャクラ集中の訓練だけでなく、霊的なことの訓練は大体はシンプルなものであ
るから、それが観念的になるとあれもこれもとなって混乱するだけになる。
そうなると、正しい集中などできる訳もないのである。
神秘霊的なことは、観念や物的欲求を満たすようなこととは無縁だと考えた方
が、間違ったものに気づく助けになるだろう。

また、クンダリーニ集中というものもあるが、これもチャクラと同じ集中点があ
るので少し勘違いするかもしれないが、この2つは全く違うものである。
クンダリーニ集中は、主にヨガ行者がすることであって、それ以外の人はチャク
ラ集中が安全でまたやりやすいだろう。
クンダリーニ集中は、それに精通した人や修行者から直接指導を受けない限り手
を付けるべきではないので、安易に考えてはいけないのである。

私は、クンダリーニ集中というのを一度もやったことはない。
しかし、チャクラ集中で十分な成果は得ているので、安全なチャクラ集中をしっ
かりやっていけばいいのである。
チャクラ集中について、ここでは細かいことは言えないが、大体の基本的なこと
は説明していきたいと考えている。

まず最初に、チャクラ集中の目的の一つは、霊的振動に耐えられる身体を作るこ
とである。
人の意識がどんどんレベルアップして神方向に近づいていくと、当然意識の振動
数が上がるということになる。
振動数が上がるというのは、波動測定で言うとポジティブ6,7,8,9という段階
で意識上昇していくことである。

このような意識は、霊的意識レベルといって観念レベルの波動とは全く逆の意識
状態に移行していくことだと知っておくべきである。
よくいうアセンションなどで勝手に意識レベルが上がっていくということは、そ
れは絶対にないことである。
これは意識状態のことで言っているが、そのように意識レベルが高くなっていく
と、今度は身体の方がその振動の強さに耐えられなくなるのである。

分かりやすくいうと、高く強い振動に触れると身体が辛いといった状態になる。
高い意識(振動レベル)を目指している人が、そのような振動に触れることで身
体が辛くなるとなれば、当然その先には進めなくなるのである。
そのために、身体も高い振動に耐えられるように意識レベルを高めていく勉強と
並行して、チャクラ活性化の集中をしていくことは大切なことである。

しかし、単純に一つのチャクラだけに集中して、そのチャクラの能力を引き出そ
うとするのは、結果的に全チャクラのバランスを崩すことになりかねない。
チャクラ集中訓練をするにも、それなりの知識と意識の理解が必要である。
集中訓練は、まずサハスラーラから始め、それから残りすべてのチャクラに集中
していくのである。

チャクラは全部で7つ、その一つ一つに少しずつ集中訓練をしていくのである。
それができてから、7つのチャクラすべてまとめてチャクラ訓練として進める。
それを好きなチャクラだけ集中するといったことは、結果的にチャクラのバラン
スを崩すことにつながるのでやってはいけないのである。
ただし、生まれつき自分の意識に備わっているチャクラが強く出ている人もいる
が、それは前世意識に関係していることで自己表現の一部となっている。

物的レベルで考える人は何をやってもかまわないが、高い霊的意識を目指す人は
ただしいチャクラの理解で訓練すべきである。
霊的意識を目指す人が最初に集中するチャクラがある。
それはサハスラーラであるが、まずここから集中訓練を始めていくことになる。
これは一つのチャクラとか好きなチャクラということではなく、ここが一番大事
なチャクラポイントだからである。

サハスラーラ集中から始めるというのは、サハスラーラは7つのチャクラの最高レ
ベルであるから、その集中から始めるのは絶対必要なことなのである。
自分の好きなチャクラだけに集中したいという人は、それが何故いけないかは特
別ここで言うことではないので、それは個人の自由である。
私は、あくまでバランス良くチャクラ集中をするように主張しているだけである。

その集中がある程度できるようになってから、次にアジナ、ヴィシュッダ、ムー
ラーダーラ、スワーディシュターナ、マニピュラ、アナハタなどの集中に入って
いく。
最初は、集中の順序はアジナ、ヴィシュッダ、アナハタ、マニピュラ、ムーラー
ダーラ、スワーディシュターナでもいいだろう。

各チャクラは、意識の集中点である。
その意識の集中点は、体の内分泌器官に対応している。
実際の集中訓練とは少しズレるものもあるが、内分泌器官の位置はネットや簡単
な医学書などで調べておくといいだろう。
このチャクラ集中訓練は、あくまで私が長い間研究した内容で、それで十分な成
果を得られたものである。

私の行っている様々な波動測定結果の中にも、このチャクラ集中ポイントに触れ
ているものが沢山あるので、人間意識を知るにも役に立つと思っている。
下記は、各チャクラに対応している内分泌器官である。

サハスラーラ・・・松果体
アジナ・・・下垂体
ヴィシュッダ・・・甲状腺
アナハタ・・・胸腺
マニピュラ・・・すい臓
スワーディシュターナ・・・(女)卵巣
スワーディシュターナ・・・(男)前立腺
ムーラダーラ・・・副腎

観念の限界・解脱(11)~意識成長は内的への追求!  2019/11/15

人の意識成長というのは、神方向に向かうことである。
神方向というと、余りにも漠然とし過ぎるので、その段階を説明すると霊的意識
とか霊界が人の意識の到達点としては最高である。
この段階は、一般的に言うと意識外といったことになるだろう。
では、その手前はというとそれは人の魂となり、さらにその魂の手前はとなると
そこは無意識の世界になる。

では、無意識の手前は何かというと、潜在意識である。
ここまで来ると、何となく分かってきたのではないだろうか。
そうは言っても、まだまだ潜在意識を本当に理解しているとまではいかないと思
うが、潜在意識までは誰でも熟知できる範囲である。
そして、潜在意識の手前は顕在意識である心とか思考といった世界で、神意識か
ら言うと最低の世界である。

一部潜在意識も入るが、心、思考の世界にあるポジティブネガティブ意識からさ
らに最低の世界がある。
それは、ポジティブ意識が消えたネガティブ意識の世界である。
ネガティブ意識の世界とは、神から一番遠い世界である。
さらにその先は、光の無い闇の超ネガティブ意識の世界で、すべてをネガティブ
に変えるだけが目的のネガティブブラックホールと考えていいだろう。

この真逆が霊界であるが、霊界意識は人がイメージできる最高の理想でも触れら
れない世界である。
3次元のすべての意識は、霊意識の前で完全に撥ね返されるだろう。
真に神意識に触れられるのは、霊界意識の中である。
それは、神を知った分かったというレベルではなく、意識で神だと感じるもので
ある。

この神だと感じることが到達ではなく、この神を感じることは創造神につながる
さらなる段階の意識に入るということである。
霊界から見ると、この世など何の価値もないいずれ消え去る世界に過ぎない。
3次元で一番大事なのは、いずれ霊界に戻ってくる個人個人の魂だけである。
聖者方の目的は、この個人の魂の成長を援助するために陰で活動することである。

これしかない、本当の教えを聖者方はたくさん残してくれているのに、人間はい
つもとんでもない方向だけを見ているのである。
神の世界も意識せずに、同じ繰り返しだけの輪廻転生する道から離れようとしな
いのである。
よく考えてみれば、実に無駄な時間をいつまでも費やしているのである。

私は長い間意識の勉強をして来たが、同時にスピリチュアルの世界の様々な変化
を感じながら、それも観察してきた。
10年ほど前からスピリチュアルの世界で広まった「アセンション」というものが
あるが、それは「高い意識レベルへの上昇」とか「次元上昇」という意味である。
また、マヤ暦と関連付けられて2012年頃にアセンションが起こるという説が、そ
の数年前から日本中に広がりけっこうな人の心が揺れていたと思う。

また、地球や人類がより高い次元5次元に移行(上昇)するので、そのアセンショ
ンに遅れないようにということを信じて、そちらのグループに入る人もいた。
私は、そのようなことは絶対起こらないと言ってきたが、当然なことである。
スピリチュアルの世界は、一見意識成長を目指しているように見えるが、実際は
そのような興味本位的な人の集まりと感じることがある。

現在のスピリチュアルの世界を見ても、以前と同じく相変わらずそのあたりをう
ろうろしている程度に見えるのである。
手を替え品を替えといった感じで、そのような世界の感じを味わいたいその気に
なりたい人や、都合よく良いものを手に入れたい人のためにある世界に感じる。
パラレルワールドや地球外の次元の高い星からの人類に向けたメッセージや他の
星からの生まれ変わりなど、これらのどこに真実があるのだろうか。

このようなことから何かを得ることより、今近くにある聖者方が残してくれた教
えをしっかり勉強した方が、より早く意識成長ができるだろう。
次元の高い星からの人類に向けたメッセージは、その星のどのような意識レベル
が送るのだろうか。
もし、その星の聖者クラスの方なら、そのようなことは絶対しないだろうと私は
確信している。

何故なら、聖者クラスは全宇宙で同じレベルだからである。
この地球にも聖者方はいるのであるから、その聖者方を無視して他の星の聖者が
わざわざそのようなことをする意味がどこにあるだろうか。
地球上の国同士でも言えることで、聖者は愚かなレベルなど全くないのである。
仮にメッセージを送るにしても、それを受け取る人間レベルを考えるだろう。

私がここまで意識向上の勉強をしてきて、ハッキリ確信を持っていることは、こ
の地球上に意識向上できるものは、すべて揃っているということである。
聖者方の教えを元に、しっかり勉強していけば他に何も必要無いのである。
あとは、自分の魂が援助してくれるというのが、意識向上に必要なことである。
大事なことは、意識を外に向けると物的になるということである。

意識成長から到達への道は、自分の意識を内に向けることである。
外には、神側に向かう回路や道はないのである。
神側に向かう回路や道は、自分の意識の中以外どこにもないということである。
外側は物的で狭くすぐ限界を感じるが、内側は霊的で無限永遠である。
人はいつも外側に集中しているのが普通であるから、内的集中はしっかり訓練し
ていかなければ身に付きにくいのである。

一般の人は、本当の集中の意味もやり方も知らないので、せっかくの内的集中も
外的集中のためにやっているということにもなる。
どんなことにも言えるが、しっかり意味と目的を知った上で行うことが大事なの
である。
何よりも大事な内的集中について、もう一度しっかり見つめてみると何か気づけ
るかもしれない。



観念の限界・解脱(10)~ 虚空蔵求聞持法と魂(Ⅱ) 2019/10/15

神秘の世界には、すばらしい可能性がある。
それは、超能力や奇跡をもたらす智慧の世界である。
その可能性に近づくことができるのは、魂を持った一人一人の人間なのである。
人間の本質として備わっているすばらしい力は、潜在的というより元々その力と
つなげられているのである。

しかし、ほとんどの人は本来の自分の姿にも気づけず、それどころかそのもの自
体を疑ったり否定しているのである。
超能力はすばらしい霊力には間違いないが、しかしそれ以上にすばらしい能力が
あるのである。
それが求聞持法というものである。

何故なら、求聞持法を会得できれば、超能力を発揮できるあらゆる智慧につなが
れるからである。
それは、当然誰にもできるといったものではないが、この3次元界においては最
高レベルの霊能力だと知っておくのもいいだろう。
だからといって、私は何も求聞持法を目指してほしいと思っている訳ではない。

それより、どんな霊的能力を目指す前に、人は純粋に神というものに意識を向け
るべきである。
この世の観念意識と神意識は、全く違うのである。
どうして、この違いを無視して、観念の中で神を考え決めつけるのだろうか。
神、神という前に、人間意識の段階を知るために、最低観念レベルから魂、そし
て神意識といった意識の流れをしっかり覚えておかればならないのである。

また、神意識の世界を知るには、いずれは霊的法則や知恵や秩序などを理解して
いかなければならない。
そのようなことをある程度理解すれば、すべてのことに一定の規則性を感じ、そ
れが何であるかが少しずつ見えるようになってくるのである。
すべてを知りたければ、求聞持法でアーカーシャ(虚空)の世界に入れば、どん
な答えでも得られるということである。

このように、3次元のすべての疑問は求聞持法で解決するのであるから、この方
法は最高の振動レベルに置かれているはずである。
ここまで行かなくても、人は意識レベルを上げていくと、これまで全く考えもし
ない想像もしなかったことに触れられるようになっていくのである。
それが神(霊的)の法則で、観念世界とは無縁の世界である。

神(霊的)の法則が、個人個人に一番働いている場が魂意識なのである。
それは、他の神に信心深く手を合わせて祈ることとは一切関係ないことである。
何でも良くしたいという思いの実現は、神(魂)を理解することによって可能に
なるのである。
すべてを良くするためには、自分の魂との一体化に向けての同調を学ぶことが先
決なのである。

自分の魂は、他の神より一番自分のことを大事にしてくれるのは当然なのであ
る。
神として、自分の魂に真剣に触れている人は、この世にどのくらいいるのだろう
か。
これこそが、何よりも一番重要なことである。

自分の魂との触れあいもなく神に近づくということは、法則上絶対あり得ないこ
とである。
しかし、どんな人も無意識だが自分の魂から、何らかの影響を受けているのであ
る。
魂と同調するといっても、それがどういうことか誰もはっきり分からないだろ
う。

魂は、人間的なものでもなく感覚的に感じるものでも形もなく、内的意識でも捉
えられるものではない。
こんなあやふやなものを信じるのは危険というのが、ほとんどの思いかもしれな
い。
魂は意識であるが、もっと言うと魂は神の意識が入る枠である。

こう言うと、益々混乱してくると思うが、こう言うしかないのが魂である。
このような話を文章にすると知識の振動だけになるが、直接私から話を聞けば智
慧の振動を感じることができるだろう。
私は、この意識の勉強を始めたときから自分の魂に意識を合わせてここまで来
た。

しかし、魂の感じはこういうものだとは言えず、いまだ分からないのである。
それでも、魂に関してはたくさんの証拠を持っているのである。
その証拠というのは、これまでいつも言ってきた言葉で、「魂の援助」というも
のである。
この「魂に援助」の見分け方一つ、普通は気づかないことだろう。

私はこの「魂に援助」の見分け方に気づいたおかげで、それから見えない魂であ
っても思いの集中ができるようになっていったのである。
自分を大事にする自分自身イコールそれは魂、自分と一体化する魂イコール自分
自身、その意識となるように。
それが神の道である。

自分自身と魂の一体化を真剣に目指すなら、そしてしっかりと神の法則の中で動
けば、必ず魂は自分が真に求めるものを与えてくれるのである。
私は、その証拠をたくさん持っているのである。
この自分の魂に触れなければ、アーカーシャの求聞持法に挑戦しようとしても絶
対無駄なことである。

これ以外の霊的能力を目指すのも同じことである。
すべては意識なのである。
その意識をよく知りその仕組みをよく知ることで、いろいろなことが理解できる
のある。
人の意識、あなたの意識は、すべて神とつながっているである。

しかし、この人間意識と魂意識、この間にはいつの間にか相当な開きができてし
まったのである。
ネガティブを外していくことは、なかなか大変だということは分かっている。
何故なら、輪廻転生の中をすべてネガティブで生まれ変わっているからである。
ネガティブが自分自身の意識になっているということで、それをどのように分離
し外していけるかが大きな壁になってしまうのである。

もっと納得できないネガティブもあるだろう。
それは、ネガティブはすべて自分の原因によるものだということである。
相対は、関係の中で成立するので、ポジティブネガティブも同じで、それは原因
と結果の関係になる。
この世だけを見れば、誰かが関わって自分が悪い状態になればその人のせいとな
る。

しかし、自分が悪い結果を受ける原因は、過去世の中の自分が作ったものであ
る。
何も無いところから結果が出てくれば、それは神の法則が成立しないことにな
る。
厳しいことだが、解脱となればここまで意識浄化が求められるのである。

自分自身以外、他人へのネガティブを持つことは執着になり、生まれ変わりの原
因にもなるのである。
また、他の次元や世界、また宇宙人などに意識を向け夢中になることは、一見広
い世界や拡大した意識を目指しているように感じると思うが、それは勘違いであ
る。

それは、取り返しのつかない大きな寄り道になるかもしれない。
大事なことは、観念、自我、魂、真理、神の法則の十分な理解である。
これをしっかり理解すれば、今言った寄り道しなくても、その中身はすべて分か
るようになるのである。



観念の限界・解脱(9)~ 虚空蔵求聞持法と魂(Ⅰ) 2019/9/15

今回は、虚空蔵求聞持法と魂について、この2つを私がいろいろ感じ知っている
ことを関連付けて話していきたい。
タイトルから、何となく難しいように感じるかもしれないが、そのやり方を説明
するということではない。
これから説明していくことから得られることは、おそらくどこにも書いていない
ことだと思うので、自分の意識向上の大きなヒントになるだろう。

この内容は、かなり大事なことに触れていくので3回くらいを予定している。
最初に断っておくが、私は虚空蔵求聞持法をウィキペディアと他のサイトで読ん
だくらいで、深くは研究していない。
だから、これから説明することは、私のこれまでの経験と霊的意識による判断と
霊的推測によるものである。

虚空蔵求聞持法というとすぐ空海が浮かぶが、空海は室戸岬の洞窟御厨人窟にこ
もって虚空蔵求聞持法を習得したという伝説がある。
空海に、この虚空蔵求聞持法を習得させたのは真言によるものだとなっている。
この真言についても、ちょっと前の記事で取りあげている。
虚空蔵求聞持法というのが大変な修行と言われているのは、一定の作法に則って
真言を100日間かけて100万回唱えるということからくるようだ。

これに挑戦する者はほとんどいないだろうと思っていたが、それでも挑戦する
者がいるようだ。
その結果は、途中で挫折したり気がおかしくなったりする者も出るらしい。
伝説だけを信じて、この難行に挑戦することが勇気あるとは言えないだろう。
この修法で言えば、忍耐で神に接しようとすること自体間違っているのである。

忍耐は物的なことだから、それを通しても神の法則上、性質上そこに大きな障
害を作っているということにどうして気づかないのだろうか。
このことは、仏教でやっているどんな難行苦行にも言えるし、まして荒行など、
私には考えられないことである。
それで可能になるならそうすればいいだけだが、私は全く別な方法で近づくこ
とをする。

この世を完全解脱するという意識を目指す者にとっては、虚空蔵求聞持法は最
高の修法である。
虚空蔵求聞持法を修得すれば、その結果としてあらゆるものを記憶する力やそ
の他の望んだものが得られるとなっている。
しかし、そんな程度なのか、記憶することなど物的なことではないのか。

私は、このような物的な考えを中心にこの虚空蔵求聞持法を考えたことはな
い。
もっともっとすべてを超越するものを含んでいるのがこの虚空蔵求聞持法で、
その世界と一体化できるというのが、この修法で実現すると確信している。
このようになるということは、当然聖者意識レベルということになるだろう。

聖者意識を目指す完全なる智慧が、この虚空蔵求聞持法で得られるのである。
聖者意識ということを考えると、これに挑戦しようとしている者の意識レベル
が問題となるのは当然ではないだろうか。
この修法に挑戦しようとする者は、まずその意識準備はできているのだろう
か。

また、自分の魂の暗黙的許可は出ているのだろうか。
挑戦する前に、成功失敗の前に、すでに答えが出ているのではないのだろう
か。
最高の虚空蔵求聞持法に挑戦する前に、このような自覚や意識的覚悟が出来て
いるのだろうか。

ちょっと難しくなってきたが、このようなことに至るまでの基本的考えを知っ
ていくと、もっと拡大した世界と焦点の広げ方に気づけるかもしれない。
ちょっと前に戻って、空海は洞窟御厨人窟にこもって真言を100万回唱える
ことをしたとなっているが、本当にそれが成功したのだろうか。
この真言の内容は、祈りの言葉である。

祈りの言葉は実現の言葉ではなく、望んだことを実現させる意識の世界に自分
の意識を運ぶための準備に過ぎないと私は確信している。
それを、どうして空海レベルで分からないことがあるだろうか。
また、この修法(真言を100万回唱える)を、実際に空海はやったのだろう
かという疑問がある。

それを明確にするために、私は自分の魂に「空海は本当に真言を100万回唱
えたのですか」と訊いてみた。
その回答は、私に来た感じから100%それはしていないということであった。
本当の意識で立ち向かうことをせず、根拠のない伝説や言い伝えを信じること
の時間の浪費とむなしさを、この虚空蔵求聞持法を目指す人から感じてしまう。

精神世界や宗教の世界は、一つ一つの内容をもっと冷静に考え見極め、また注
意しなければならないことも多いのである。
私は、この虚空蔵求聞持法は、自分の魂との繋がりを無くしては、実現は絶対
不可能と考えている。
私は、この虚空蔵求聞持法の話を中心にしたい訳ではなく、本当は各自にある
魂の力について理解できるようにしたいのである。

ただ、この虚空蔵求聞持法の本当の内容を入れると、もっと自分の魂を身近に
感じ、また信じられるようになると思ったからそうしているのである。
次回も続くが、すべを読んでからしっかり考えるといいだろう。
よほどしっかり自分の意識レベルを上げなければ難しいが、この虚空蔵求聞持
法を習得できれば、絶対的な力を持つことになるのである。

そこまで行かなくても、それにつながるきっかけはある。
虚空蔵求聞持法というのは、アカシックレコードも関係しているのである。
私が行っているアカシックレコードリーディングも、虚空蔵求聞持法のほんの
とげ程度かもしれないが、その世界の中と関係しているのである。
虚空蔵求聞持法の完全修得からすると、今私が行っているアカシックレコード
リーディングは、人間世界で言えば幼稚園レベルだと思っている。

私は、これから本格的にこの虚空蔵求聞持法に挑戦していこうと思っているが、
その結果は絶対に口にすることないだろう。
当然、そのやり方や進め方などはどこにも書いていないので、やはり唯一自分
の魂だけが頼りとなるのである。
人は自分の魂と触れない限り、神世界の智慧に触れることはないだろう。

次回に続く

観念の限界・解脱(8)~ 意識向上のブレーキである意識の壁とは! 2019/8/15

今回は、意識向上の段階で必ずぶつかる壁について説明したい。
意識向上とは、観念の世界だけでなく神秘霊的世界へと続き、未知のものや聖者
方の秘密まで理解できる意識の仕組みを知る段階だと私は考えている。
誰にとっても、本当に一番大事なことは、人間意識の探究であることは間違いな
いことだが、どうしてそう言えるかその意味はほとんどの人は知らない。

知識的に意識向上していく人は多いが、ある段階から先の道はスムーズに歩むこ
とが困難になっていくものである。
何故なら、その道を進んでいくときにぶつかる壁が必ず出てくるからである。
人間意識のことを長い間勉強し、十分に理解を積み重ね順調に意識が上がってい
ると感じているときに、この壁に当たるのである。

それが意識向上の壁で、そこで思うように進めないという重い気持を長く味わう
ことになるのである。
これは善悪的なネガティブではないが、それでも本人意識としてはネガティブと
なるのである。
普通のネガティブとは質が違う意識向上の壁であるネガティブは、この先も続く
意識向上とともにずっと出てくるのである。

その壁は、 大小入れて10や20程度ではなく、到達まで絶えず出てくるのである。
では、その壁の正体はいったいどういうものなのだろうか。
その壁の正体や原因を知ることで、自分の前に立ちはだかる壁でさえも乗り越え
ていけるのである。
意外かもしれないが、壁はネガティブに感じても、その中身が分かれば宝物のよ
うな価値を感じるだろう。

壁を乗り越えようとする真剣な努力は、魂の援助を得るための準備でもある。
到達方向へ向けて神の道を歩くことは、誰も気づかないことだが、あらゆる魂の
援助を得るための神の法則の実践にもつながるのである。
これは、真の願望実現の方法を知ることにもつながる。
意識向上の真の壁は、すべてにレベルが違うのである。

到達方向へ向けて神の道を歩く段階で来る壁は、ただの壁ではないのである。
その中には、到達へ向けてのあらゆる知恵のヒントが隠されているのである。
この段階になると、もはや精神世界や宗教、または難行苦行の意味さえ無いとい
う段階になるのである。
このようなことは、私にとっては意識の秘密の部分に入ることになるのである。

壁の正体とは何か。
まず、この壁は神が人の向上のため、意識訓練のために用意したものではないと
いうことをしっかり覚えていてほしい。
人にとってネガティブとなる壁を、どうして神が用意するのだろうか。
ほとんどの人は、この壁を何か違うものとして考えてしまうかもしれない。

それは、意識的な勉強を完全に理解していないからとか、真理、神秘霊的なこと
を知らないからと言いたいかもしれない。
そんなことを言うと、ほとんどの人がそれに当てはまるだろう。
私自身のことで言うと、私は絶えず壁を感じてここまでやってきた。
その壁によって、ある期間(半年、1年、2年)意識が思うように動けなくなって
一時的に意識成長が止まったことは何度もあったのである。

そんなとき、例えすばらしい真理の内容に触れたとしても、壁を越えてスグに変
わるものではないのである。
ある時、私は壁の正体に気づいたのであるが、しかし壁自体にも段階があるとい
うことに気づいたのは、そのずっと後である。
その意識向上の壁の正体とは、すべて個人が作った壁ということである。

もっと詳しく言うと、それは自分自身のネガティブ性なのである。
この世だけのことに自分のすべての思いを向けてきたことによって、いずれ人は
自分の壁にぶち当たり苦悩するということである。
自分をしっかり変えようと意識向上を目指している人は、自分の行為によって自
らその壁に直面しているのである。

意識向上の壁というのは、次の世界の段階を知らないとかまだ真理を理解できて
いないというのが一番の原因んではないのである。
また、この壁は大変苦痛に感じるかもしれないが、魂レベルから見るとその人を
援助する回路ができることになるのである。
意識の壁はずっと続いていくのであるが、その分得るものも大きいのであるから
真っすぐ向かっていくことである。

このことを理解することによって、意識向上はさらに加速するはずである。
意識向上だけではなく、人は潜在能力開発や超能力や願望実現といったことで、
神の世界を少しでも理解し使えるようにと目指している人もいるだろう。
しかし、そのことにおいてもすべてに壁があるのである。
その壁を乗り越えるために難行苦行をやっている修行僧もいるが、そのほとんど
は失敗しているだろう。

また、その壁を乗り越えるための方法やヒントを得るために、たくさんの本を読
み漁っている人もいるだろう。
しかし、このどの方法をとってもうまく壁を乗り越えることはできないだろう。
要は、神が作った壁などはないのだということをどのように理解していくかが、
自分の壁を乗り越える大きな鍵である。

ハッキリ言って、聖者方の教えを説いている本はいろいろあるが、その中にも答
えが書いてあるのである。
聖者方は、大事なことや秘密を隠している訳ではないのである。
それを、説明しても理解できないことを考えると、まず理解できることを説くこ
とが先決になるはずである。

それができたものから次の段階へと向上していくのである。
その意識向上も考えずに、目先の能力だけを望んでも決して手に入ることはない
のである。
何故そう言えるかと言うと、そこには神の法則があるからである。
神の法則は、誰もそれを破ることはできないのである。

もし、このことをしっかりと理解できたなら、無駄なことは誰もしなくなるだろ
う。
わざわざ無駄なことをやらなくても事前に分かるのが神の法則であり、その真実
を教えてくれているのである。