真精神世界

【1】 【2】 【3】

真精神世界(18)~自己意識完成の道!!2018/12/15 

「真精神世界」で説明したいことはまだまだあるが、真理の内容がさらに深くな
ると非常に理解しにくいと考え、「真精神世界」は今回で終了することに決めた。
次回から、また新しいカテゴリーでネガティブをポジティブに変換する内容を説
明していこうと考えている。
このブログで説明することは、ほとんどネガティブ観念の話しである。

何故そこまでネガティブのことにこだわるのか、と思う人もいるかもしれない。
また、ネガティブやポジティブについて、まだはっきり分からないという人もい
るかもしれない。
今回は、何故ネガティブの徹底した理解が必要なのか、その全体を知るためにま
とめとしてもう一度説明してみたい。

当然だが、ネガティブの反対はポジティブである。
神の方向に向かうための意識向上は、ポジティブ意識を通って真理方向に理解を
進めていくことで意識は上がっていく。
ポジティブや真理の理解は当然でとても大事だが、それ以上にネガティブ観念を
知っていくと、意識のレベルアップは加速するのである。

ネガティブにたくさん気づいていた方が、より早くネガティブの仕組みや人を惑
わす巧妙な誘導など、そのようなネガティブのワナを知っていけるのである。
ネガティブといっても、自分を支配している種類が多いので、そのネガティブが
大きな力を持っていると思い込んでいる人もいるかもしれない。
また、ネガティブに苦しめられている人にとっては、ネガティブは暗黒の帝王と
言ってもいいくらい強力に感じているかもしれない。

そのネガティブ意識は、多くの輪廻転生の過去世人生において自分が付けたもの
であるが、それは自分の意識ではないのである。
どんな人にもネガティブはあるが、それは本来の自分意識ではないのである。
それは、長い輪廻転生の過去世人生において、無智な自分が自ら呼び込んだもの
である。

だから、どんな人もネガティブをポジティブに変換でき、克服できるのである。
では、どうやってネガティブをポジティブ変換または克服できるのだろうか。
今の内容をよく考えて見れば気づくと思うが、ネガティブになったのは無智な自
分が原因であるから、その自分の無智を消せばいいのである。
無智を消す方法はたった一つで、それは智恵を付けることで可能になる。

その知恵とは、私がこれまで書いてきた内容であり、真理である。
これが意識向上の近い道であるが、それ以外の方法があると思っている人の何と
多いことか。
人はいつも苦しむようになっているのである。
そんなことはないと思う人もいるかもしれないが、それはまだ大きなネガティブ
に直面していないだけのことである。

ネガティブは一つではなく、段階があるのである。
まだ出てこない自分の中に隠れているネガティブ性は誰にもあるが、その最高の
ものは恐怖である。
恐怖が平気だという人は、果たしてどのくらいいるだろうか。
それでも、自分にはネガティブがないと言えるのだろうか。

ネガティブ解消の大事な点は、そのネガティブ性をあなたの中からいかに消し去
るかである。
この段階になると、とても難しいことに感じるだろう。
あなたの中にあるから、それが意識で感じ、見えてくるのである。
もし、それがあなたの中になければ感じることも見えることもないのであるが、
それを可能にさせるのが智恵の勉強と努力である。

智恵の勉強というのは分かると思うが、では努力とはどういうことをするかがは
っきりしないだろう
長い間しつこく自分の中にこびりついたネガティブは、智恵だけで消していける
ものではない。
智恵の勉強に沿って段階ごとにネガティブ克服してきた自分を、ちょっとしたネ
ガティブのワナで元に引き戻されないように自己監視していくのも努力である。

これによって少しずつ消えていくネガティブは、あなたの潜在意識にこびりつい
ていた固定観念からもいつの間にか外されていくのである。
このような過程をしっかりやっていかなければ、本当に多くのネガティブから解
放されることはないだろう。
私が多くのネガティブを克服できたのは、曖昧なテクニックなど一切無視してこ
のことを長い間しっかりやってきたからである。

ネガティブを知るということは、「自分を知る」ということにつながってくるの
である。
このことがだんだんはっきりと自覚できるようになってくると、どんなネガティ
ブからもポジティブを見つけ出しやすくなるのである。
そうなれば、もうネガティブのワナに引っかからない自分ができているだろう。

いつもネガティブの中に埋もれている自分は消え、反対に気づく力が芽生え、ど
んなことからもポジティブを引き出す意識に変わっているだろう。
そうなると幸せとは何か、自由とは何か、神世界とは何かが、それはもう考える
のではなくあなたの意識の中で自然に感じてくるようになるのである。
このような意識になってくれば、もうすぐ「あるがまま意識」である。

ここに近づくと、もうネガティブのことなどをいちいち考えることはうんざりし
てくるだろう。
あなたの中に、自然に湧いてくるもうすべて分かっているといった余裕の意識が
、さらに高い真理の世界に意識を向けさせていくだろう。
ネガティブ意識の分離ができたなら、今度はポジティブの卒業に向けて進むだけ
である。

こうして、真理の世界に意識を向けていくのである。
その世界がはっきり見えてくれば、それは「あるがまま意識」に触れたと同じこ
とだと思っていいだろう。
この意識の段階は、誰でも通ることが可能な道である。
そのための意識の勉強と努力は必要だが、その道を真剣に進む者は自分の魂もい
つも横についているだろう。

真剣に向かう者には、必ず魂(神)の援助がある。
それが神の法則であるから、それはいつ来るかというものではないし、いつまで
やればそうなるかというものでもない。
いつまでやるかを考える人や、またいつそうなるかを求める人は、その道ははる
か遠いところにあって見えもしないだろう。

この自己意識完成の道に入ることは、立派な祭壇もその他何も必要としない、自
分の意識の理解だけで可能である。

  • 本当にその通りですね!言葉の要らない世界ですね!この2ヶ月余り、気づきの嵐で凄まじい事になっておりました。魂がそのきっかけをくれました。気づきが多すぎてパンクしそうになったので考えるのをやめました。やっとまとまってきたように思います。3ヶ月前にはネガティブにはまり、「今年は殆んど変われなかったと言うことになりそうだ。」と思っていましたが。まだまだ油断は出来ませんが、ポジティブの卒業に向かって行く道が見えてきました!先生、本当にありがとうございます! -- 万喜 2018-12-15 (土) 17:46:32
  • 万喜さん、ありがとうございました。自分が納得できるくらいにネガティブから解放されたと分かるまでは、山あり谷ありで鍛えられていきます。だれでもその状態を繰り返すのは大変で辛く感じますが、この道を通るしか他に方法はありません。そのこともしっかり自分に刻みつけておかなければなりません。「そんなことないよ!」という他から来るネガティブな言葉に翻弄されず、まっすぐ自分が目指す方向へ向かってがんばってください。 -- F・H・S 2018-12-17 (月) 17:11:16
  • 原子レベルの存在から宇宙のように大きい存在一つの世界に二元性が存在している中国の陰陽道の曼荼羅がこの世界の全てを表していることに気がつきました。全ての存在は神の一部であること神はエネルギーであり意識であり情報そのもの神は絶えず流れている -- 金内 2023-10-28 (土) 16:20:37


真精神世界(17)~意識向上の壁を抜ける知恵!2018/11/15 

今回は、長い間意識の勉強をしてきた人なら、おそらく何度も直面したことがあ
るだろう意識向上の壁について考えてみたい。
それは、意識向上もいい段階まで進んできたが、さらに上の段階を目指そうとがんばっていても、どうしても思うように先に進めないということである。
それを意識向上の壁と言ってしまえばそれまでだが、壁となるには何か気づけない理由があるに違いない。

本当は、真の意識向上の段階は、ここから始まると言ってもいいかもしれない。
それまでの意識の勉強は、本の内容を理解しようとすることから始めるので、それは見える範囲のことだから意識の勉強といってもやりやすいのである。
ある程度レベルの高い本でも、数年読んでいけば大体は理解できるだろう。
その内容を完全に理解することは無理だが、意識や霊的といったことを理解するための基本的土台はこれで付くはずである。

これまで読んできた本の中にも、理解できていないところはまだまだたくさんあると思うが、今後それをどう理解していくかが、また悩むことだと思う。
理解を助ける本もない、次に進む方向も勉強の仕方も分からないというのは、どんな人も必ず直面することなのである。
こう言っている私も、当然ここを通ってきたのである。

今このようなことを感じている人、これからこれに直面する人、またこれ以上はもういいとあきらめる人、人それぞれである。
今回説明することは、今このような状態で考え悩んでいる人には少し光が射すかもしれないと思っている。
これは躓きであるが、その躓きは大きな意識向上へとつながる躓きであり、それが援助の壁であると思えない限り、これから先は乗り越えていけないだろう。

何故なら、最初の躓きは大きなため息が出るようなものではなく、これから続いていく意識向上の絶対的土台となる有り難いものなのである。
では、躓きとなる原因を少しずつ説明していきたい。
まず、高い意識レベルのことや真理を理解できないということは、躓きの原因ではないということを知っておいてほしい。

躓きの一番の原因は、この世(社会)である。
この世と言うことは、この世にあるすべてのことにつながるのであって、それを一つ一つ説明していくことはできない。
大ざっぱに説明していくことになるが、その内容は広いのであるから簡単に分かるということでもない。

意識向上のためには、この世を知るということは絶対に必要なことである。
普通は、真理を目指してそれにどっぷり漬かっていくことが一番良い方法で最短の道だと思うかもしれない。
真理を目指すにも、自分の脚を引っ張るものを振りほどきながら、果たしてどこまで突き進んでいけるのだろうか。

意識向上を目指すには、真理の理解は当然だが、同時にこの世も同じくらい理解しなければならないのである。
このような内容は、これまでもたくさん様々な形で説明をしてきた。
この内容は真理に比べそれほど大事なことではないと考えやすいので、おそらく真剣に理解している人は少ないのかもしれない。

それが、いつか自分の道の躓きになるとは・・・、どうしていいか分からない壁になって目の前に立ちはだかるとは誰も想像しないことである。
これについては、特に新しく教えることではなく誰でも知っていることである。
それを、もう一度しっかり見つめてほしいと思う。
それは何かと言うと、「観念」である。

この言葉は、イヤというくらい聞いて知っていると思う。
しかし、こう聞くとどう答えるだろうか。
「観念」とは何か、それが人の意識にどのくらい影響を与え支配する力を持っているか説明できますか。
これを説明できなければ、観念から抜け出すことはかなり厳しくなるのである。

だから、意識向上の道で躓くのは、観念に躓いているということになるのである。
これ自体を理解するのは難しいかもしれないが、私は一番大事なポイントだと言いたいのである。
この世界を勉強している人は、意識向上、そして神の世界を目指しているので、それなりの神の世界を抱いていると思う。

これは私自身の勝手な思いかもしれないが、精神世界や宗教などで意識している神世界と私が意識している神世界は、かなり違うだろうと思っている。
何故そう思うかというと、人は観念から抜け出せない限り、神世界はどうしても観念の延長上で意識することになるからである。
これは、どんなに深く考えても分からないくらい、人の意識のすべてに浸透している障害といってもいいものである。

観念を知り尽くすことが、潜在意識を抜け無意識の世界に入っていく条件である。
観念はこの世で、今生きている人間意識そのものである。
このことをしっかり理解していかなければ、神世界に向かっていくことは厳しくなるだろう。
神世界から見て、観念はネガティブだということをいかに早く気づくかである。

シンプルな神の法則を知って、そのとおり実行することで意識向上は早くなるのだが、それを邪魔するのは何かである。
それを邪魔するのは観念、それしかないのである。
これが、長い歴史の中で解脱を目指して修行をして来た者を苦しめていた正体なのである。

こう書いたからと言っても、その中身がはっきりする訳でもないが、それでも何か気づけると道が開けるかもしれない。
そのためにも、まず意識がどのような構造になっているかを理解することである。
もう一つ、自分の中に誰かの意識が入っていること自体も障害だと知ってほしい。

意識については、私はいろいろな分野に分けて説明している。
心から意識へ、そして潜在意識、さらに無意識に入っていく。
もう一つは、ネガティブからポジティブへ、そして真理の理解に入っていく。
また、波動から振動レベルへと意識を上げていくなどである。
振動レベルというのは、P4から5、6、7、8、9といった感じで意識レベルは向上していくのである。

意識レベルが向上することは、同時に振動レベルが上がるということである。
それは神の方向へとつながっていくことであって、神の方向というのは霊界方向である。
その霊界方向というのは、先ほど言った無意識から霊意識の方向である。
その方向は、振動レベルで言うと軽くなっていくのであるから、意識も軽く楽になっていくのである。

これは相当高いレベルであるので、すぐにどうにかなるものではない。
すべては神の法則であるから、その神の法則に従って初歩的基本からじっくり進めていくだけなのである。
どんな理由があっても、そうしないことは自分の問題であって、それだけ遅くなるというだけである。

少し、意識レベルアップについて話をしてみたい。
どのようにやったらいいかどうすればいいか、これがわからなく勉強の進め方に躓き意識レベルアップが思うように進めていけない人も多いだろう。
また、意識レベルは、ちょっとした気づきですぐに高くなるとか、何かのきっかけでいきなり高いレベルに到達するといったことはないのである。

また、何かの不思議体験で一気に上昇するということも一切ないのである。
この世には、何かを飛ばしていきなり高いレベルに到達するということは一切ないのである。
そのように見えるのは、その段階を通っていくことが早いからだけなのである。
必ずその道は通る、そして通っていかなければ、その到達点には達しないのである。

この点を勘違いして、何かの方法をすればすぐにある程度のところに達すると思っている人もいるかもしれないが、それはあり得ないことなのである。
このことがはっきり分かれば、地道だが一つ一つしっかり理解納得を通して上がっていくしかないことが分かるだろう。
いい意識レベルになるには、はっきり言って、何かの方法でとかまた一心に実現を祈っても無理なのである。

それが意識勉強であり、そしてそれを意識勉強の段階で始める最初のことが、いつも言っている自分のネガティブを知っていくことである。
自分を知るということは、私は自分のネガティブを知るということにすぎないと思っている。
だから、意識勉強の基本は、自分のネガティブをポジティブに変えていくことを知る、ということから始めるのである。

ネガティブからポジティブに入ることも意識向上になるが、私は真理に向かっていく段階から霊的意識向上という言葉に変えたいのである。
自分の目立ったネガティブをどんどん減らし、そしてこれまで苦しめられてきたネガティブから解放されていく。
そして、その影響受けなくなった時から、人は自分がレベルアップしたということを自覚するのである。

ポジティブがネガティブを上回っていくことが、それで観念から離れていくという段階に入るのである。
観念は、どこまでもこの世のものである。
人の意識に、この世というものがどれほど多く残っているかで、意識向上の早さも違うのである。

現実に自分が生きているこの世から、どのようにして観念を分離処理していくかなどは、誰も考えたことはないだろう。
考えるといっても、その集中分析にしても、それ自体どうやっていけばいいか、またこれも大きな壁になるだろう。
これが潜在意識と無意識の境界線であるから、その準備として潜在意識の徹底した理解が必要ということになるのである。

大いなる意識向上は簡単ではないが、それを可能とする鍵はこの世を真に理解することである。
すべてのネガティブはこの世であり、観念である。
人は相当数の輪廻転生を繰り返して来たのだから、意識のすべてにこの世と人間観念が浸透しているのである。

これが意識向上の障害であるが、本当は霊的進化、神との一体化の障害と言いたいくらいである。
このことを理解し少しずつ抜けていければ、大満足と真の楽に向かって意識向上が進んでいくだろう。

真精神世界(16)~意識向上(悟りの段階)の成果は、楽の実感!2018/10/15 

観念から離れ真理方向に向かってその理解を深め体得していく段階を悟りというが、またそれは意識向上でもある。
自分の意識を混乱させる迷いから離れるためには、必ず意識向上が必要である。
しかし、多くの人は難しい言葉が出てくると、その言葉に特別難しいものが含んでいると勘違いしているところがある。

特に、悟りという言葉になるが、その言葉を使わなくてもその意味は意識レベル向上ということと同じだと考えていいのである。
悟っていく段階は、特別な修行や何かの覚醒技法などを行うだけでは、到達の道が遠くなるだけである。
また、悟ったという言い方にしても、それがどの程度かをはっきりと示すことができないので大変曖昧で難しい言葉に感じてしまうのである。

「悟る、悟った」という言葉を使うことなく、それを意識レベルの段階で示した方がよりはっきりと分かりやすいものである。
そうすると、自分自身の意識レベル向上の目安にもなり、さらに意識レベルアップのために何が足りないか、また何が必要かまで気づきやすくなるのである。
しかし、意識レベル向上にしても、どのように進めていけばいいかは誰もはっきりと分からないために、長い間迷うことになる。

当然だが、意識向上で向かう方向は真理、神方向になるのは間違いない。
では、真理をどうやって理解していけばいいのか、また神とは何か、神を理解していくには神の何を分かっていけばいいのか・・・
これは、意識向上、悟りの段階の根底になくてはならない基本的なことである。
こう考えると、実際に分かっていないことだらけとなるはずである。

スタートからこの分からない世界をどうやって知り、また目指していけばいいのだろうか。
一般的意識から見れば、このような世界は全く見当もつかない何のことか少しも分からない世界に違いないのである。
意識向上の道は、絶対意識の勉強が必要な道でもある。

意識の勉強と言っても、何を指して言っているのか、また何をしていけばいいのかも、ほとんどの人が分かっていないといっていいかもしれない。
宗教は、神を知る道に入るのかもしれないが、実際はどの程度理解しているのだろうかと思う。
精神世界になると、今は意識向上など関係ないといったものもあるので、精神世界もいずれその中で分離が始まるかもしれない。

仏教そしてキリスト教、それ以外の宗教や教えは歴史を通してたくさんあった。
しかし、宗教離れという言葉があるように、時代が進むにつれそれは加速しているように感じる。
また、精神世界も、今は何か行き先を失ってきている感がある。
意識向上しても、それが何になるのかと思っている人もたくさんいるだろう。

こうなると、人は意識向上とか悟りとか言う前に、意識というものを全く理解していないということになるのである。
こんなことは今さら言うことでもないが、本当に心、意識というものが何であるか知らないという人は本当に多いのである。
心、意識が何であるかを知らずに、意識の勉強などできるはずもないのである。

ここまで随分長い前置きになってしまったが、今回から基本的なことに戻って、意識の世界を捉えやすく説明していきたいと考えている。
心、意識といってもその範囲は広いので、順序よくまとめながらの説明はできないと思うので、自分なりに整理しながら理解してもらいたい。
私自身も、この意識の勉強をする前は、本当に何をすればいいか分からなかった。

これから説明していくことは、たくさんの意識の勉強をしてきたことで私自身が確信していることである。
その内容が合わないという人は、それはそれでいいと思っている。
これからいろいろと話を進めていこうと思うが、その前に結論を先に言っておきたい。
その結論というのは、私の絶対的確信である。

それはどういうことかというと、意識向上や悟りという言葉に変えてその成果、または結果を一言で表現するなら、「楽」という言葉になる。
これからあなたは、絶対的「楽」を目指してはどうかと思う。
「楽」といっても、怠惰な気持ちや堕落していく意識状態ではない。
また、物的快楽を追い、その中で生きていくことでもない。

「楽」とは、この世の迷い、苦悩、不安など、要は自分を自由にさせないものから解放された意識状態である。
意識向上や悟っていく段階が上がると、この「楽」の域に入っていくのである。
これ以上の段階になっていくと、次は「楽」を土台に「解脱」という到達点が見えてくるのである。

ここで、どういう意識状態を示すか分からない「解脱」という言葉が出てきた。
「解脱」という、誰もが理解できない難しい言葉であっても、その前の意識はすべて「楽」になるということで少しはその感じが理解できるかもしれない。
余計な言葉や考えなどは横に置き、ただ「楽」を目指せばいいのである。
もちろん分かると思うが、ただ「楽」を目指せばいいと言っても、それは簡単なことではないということである。

だから、その道のずっと手前の初歩基本的勉強が必要ということで、いつも言っている簡単すぐにはないということも理解できるはずである。
ここで言う「楽」というのも、適当なものではなく「真の楽」でなければならないのである。
「真の楽」など、真理意識のことだから誰も分からないと思うが、分かりやすく真を極みとでも考えると、「真の楽」は「極楽」になるのだろうか。

どうも極みという言葉は、この世的限界を感じてしまうので、やはり真という言葉がいいようだ。
それは宗教でいう、どこかの地でも、どこかにある場所でもないのである。
その場は、人の意識の中にしかないのである。
意識の勉強を通して、悟りの段階や意識向上の道の到達点が解脱、そのあたりの意識になれば「楽」が内から湧いてきたり降ってきたりするのが分かるだろう。

だから「楽」は、自分が努力してきた結果であり答えである。
「真の楽」は、自分が努力しないで得られるものでも運次第で得られるものでも、絶対そのどちらでもないのである。
これも神の法則である。
今回は、「真の楽」を目指そうといった話になった。

私は長年、意識到達へ向け徹底して意識の勉強をしてきた。
そして、ずっと意識の勉強は良い意味での緊張や厳しさが必要で、それが解脱するまで続くと思っていた。
しかし、それは違うとはっきり実感し、確信した。
「真の解放、真の楽」を意識化でならない限り、どんな意識向上の勉強も未熟の中なのである。

「真の解放、真の楽」の段階はあるが、自己意識が高まっていくに従って自分が楽にならなければ、そしてそれで良しとするのは一時的な自己欺瞞なのである。
このことも頭に入れておくと、自己意識向上の枠も拡大するだろう。

真精神世界(15)~人間の初歩的躓き~ネガティブ反応癖とは!2018/08/15 

今回は、人間の悪い癖について話してみたい。
人が、全く疑うこともなく普段からやっていることだが、よく考えてみるとそれ
は人生を左右する大きなマイナスにつながることなのである。
これからそれについて説明するが、それを癖と言っていいかどうかだ。
しかし、私はそれを人間の一番悪い癖だと思っている。

その一番悪い癖というのは、何か自分に関係することがあると、すぐにネガティ
ブな方向に結びつけて考えてしまうことである。
ほとんどの人の無意識的な反応を考えると、いつの間にかこうなっているといっ
た人は多いはずである。
これは、前回説明した心配不安の心配部分に当たるかもしれない。

このような反応は、悪い癖となって定着していると考えてもいいだろう。
あなたは、人間の一番悪い癖は何かと聞かれると何を思い浮かべるだろうか。
「人間の一番悪い癖?」
このようなことは、考えることも、また聞かれることもないかもしれない。
しかし、自然にネガティブなことを考えてしまうというのは、誰にとっても当た
り前になっているのかもしれない。

確かに、ポジティブに考えるというのは難しいと思うが、せめてネガティブに考
えないということもできないのである。
全般的に、人の考えというのは、マイナス、ネガティブ的であることは間違いな
いのであるが、それを問題視する人もほとんどいないだろう。
この傾向は、人間であれば全くの普通で、疑うこともなく人間とはこういうもの
だと信じ切っているレベルである。

意識に関係することをたくさん理解することが前提であるが、このネガティブ反
応は止められるのである。
要するに、どんなことにおいてもネガティブ反応、思考は、冷静な自己支配によ
ってその動きを止められるのである。
しかし、意識の知識も知恵もないこの世の思考レベルで考えると、深く見つめる
こともなく、可能なこともできない、無理といって片付けられてしまうのである。

良く変化させていくことが可能なのは人間意識で、その変化の到達点がどういう
ところなのかもはっきりしているのである。
しかし、何も見ない、また見えなければ、気づくこともなければ良くなっていく
こともないのである。
そうなれば、良くなる可能性もネガティブ的に否定したくなるだろう。

これが、普通でまともな人間だと信じている人の心というものである。
普段の生活において、また近い将来を考える場合にも、いつもネガティブな思考
癖は自分のそばから離れないだろう。
だからといって、これからすぐにポジティブに考えていくということは難しい
し、またどうしてもポジティブに考えられないこともあるだろう。

私は、どうにも変えられないようなことまで無理にポジティブに考えるようにと
言っているのではないのである。
それより、ネガティブに考えなくてもいいものを自然にネガティブに考えている
自分がいることに、まず気づくことが大事だと思っているのである。
とりあえず大きなことを探すより、小さなネガティブ思考癖に気づいた方が分か
りやすいかもしれない。

毎回、同じことを繰り返している自分の思考パターンは、癖以外に何と言えばい
いのだろうか。
この癖は、よく自分自身を見つめてみると、意外に多いことに気づくだろう。
その間違いは、人々の間で何一つ気づかずごく当然な人間行為として、それが本
当に普通として根付いてきてしまったのである。

この内容をしっかり知るまでには、意識の深い勉強と智恵が必要なのだが、それ
にしてもこの基本的に大事なことをあまりにも長い間置き去りにされてきた。
子供の頃から、ネガティブ思考パターンがいかに間違っているかを少しずつでも
聞かされていたなら、人間意識も大きく変化していたはずである。
今からでも遅くないし、また本当のことを知ることはいつでも遅いということは
ないのである。

この内容は、細かい話からした方が分かりやすいのか、それとも大きな観点から
話した方が分かりやすいのか。
その理解も、人それぞれだと思うので、今回は大ざっぱな全体像の話をしている。
実現の法則ではないが、どんなことも人間の行為は潜在意識に関係しないで顕現
することはないのである。

だからといって、勘違いしないでほしいのは実現させる力が潜在意識にあるとい
うことではない。
潜在意識のことを良く知っていかない限り、実現の力が何であるかも気づくこと
はないだろうし、またいつまでも幻を追いかけるようになってしまうだろう。
物事を深く知りたいと思うなら、潜在意識を徹底して研究するというのは当然な
ことである。

人は、無意識に潜在意識からの反応に従っていると考えた方が物事の理解は早い
だろう。
人は自分の潜在意識に入っているもので自らを縛り、反応し、思考し、行為に移
るのである。
知っても知らなくても、すべての潜在意識からの反応は癖、それは良い癖、悪い
癖に分かれるだけである。

それが大多数に受け入れられたなら、悪い癖も普通になるかもしれない。
他人や社会の評価に関係なく、自分がしっかり良くなっていく癖を付けることが
一番大事なことではないだろうか。
その大事な根本部分をネガティブ思考癖で支配されていては、正常な判断という
ものをどうやって導き出していけるのだろうか。

ネガティブ思考癖が普通になっている人は、今反応している自分の考えが果たし
てどうなっているのかも分からない状態なのである。
そして、何の見極めもないまま、過去に入れた潜在意識の反応のまま未来に向か
って進んでいくのである。
そのようなネガティブ思考癖が長く続くということは、結果的にそのすべての自
分がより強く潜在意識に定着していくのである。

年を取って、無意味な頑固性が身につかないようにするためには、普段から自分
をよく見つめ、よく考えることをしていかなければならない。
冷静に自分を見つめ考えることができれば、実際はネガティブに考えなくていい
ものまでそのように考えていることに気づけるかもしれないのである。
では、どうやってネガティブ思考癖を止めることができるか、またどうやってそ
のネガティブ思考癖を変えていけるかである。

このことで私が一番気づいてもらいたいと思っているのは、何でもネガティブに
結びつけて考える必要もないということに気づけるかどうかである。
何故なら、それがネガティブとして実現する確率はとても低いからである。
だから、まずその反応から、どうやって向け出すきっかけを作るかである。
それができない、のではない。

少しずつでも、できるようにしていかなければ、いつまでも同じということだ。
こんなことは基本的なことであるが、何故そうできないかは自分自身にそのよう
な知識や知恵がないからである。
ネガティブ性が実現するかどうかなどは自分の心配の中にしかないのであるか
ら、それを止められるかどうかは少しずつ訓練していくしかないだろう。

また、ネガティブ思考を止めるために無理にポジティブ思考などをすることは、私は逆にマイナスになることが多いと考えている。
何もしなくても、ネガティブ思考癖が止まるだけで、ポジティブが大きくなって
いるのである。
一般的なポジティブ思考などするより、ポジティブの知識や知恵を取り入れ、そ
れを少しずつ実践していけばいいのである。

何かのテクニックを覚え、その意味もしっかり考えず、また自分のものにしない
でただ頭の中で空回りさせてその気になっても、あとでむなしさが残るだろう。
それより、本当のことを一つ、二つ、三つという感じで知って自分のものにする
だけで、いずれそれはあなたの大きな支えとなるはずである。
そのようなものでなければ、またそのようにしなければ、本当に自分を変えると
いうことはできないものである。

潜在意識の真の意味と智恵を知ることで、自分をコントロールできるようになる
のである。
人の意識は一つである。
潜在意識も無意識もポジティブネガティブも、全部関連しているのである。
それを適当な解釈で、全く独立した力があるように思い込むのは大きな間違いで、その間違いが潜在意識に入ってしまえば、一生その奴隷になるだけである。

大事なことだから、小さなことでもしっかり理解して自分のものにするように実
践を通してやるべきである。
それができれば、たとえ小さなことでも一つできれば、そこから大きなヒントを
得たり、思っていた以上に大きな力を感じたりすることもあるのである。
このようなことが分からないため、いつも同じことを繰り返している人が多いの
は残念である。

すごいことが分かればすごいことができる、そんなことはないのである。
自分の意識の中で、基本的小さなことから大きなことを気づける意識を養うこと
が自分の道を開くコツなのである。
ネガティブ思考癖は、この小さなことの中にある大きなことに気づける力を、目
隠しさせて遠ざける最大の障害の一つと言ってもいいだろう。

現時点の苦しさから早く逃れたいために、そのネガティブ思考癖は安易な道へと
目を向けさせようとするのである。