パノラマ意識

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パノラマ意識(7)~ 潜在意識について理解を深める(Ⅰ) 2017/02/19 

あなたは、潜在意識のことをどのくらい理解しているだろうか。
潜在意識をある段階まで知り尽くさないと、次の意識段階には入れないのである。
次の意識段階というのは、無意識レベルであるか輪廻転生に終止符を打てるかのどちらかになる。

当然、無意識を知り尽くさなければ霊意識に触れる準備もできないのである。
今言ったことは、大雑把な意識世界を上っていく内容になるが、それを実現するために霊的修行があるのである。
それは単なる宗教的なものではなく、真理に基づいた高級意識世界の修行であるので、その世界については宗教や精神世界を勉強している人でもほとんど知らないだろう。

ましてや、世界トップレベルの心理学でも、まだ潜在意識が何であるかは知らない。
一般的に知られている潜在意識の知識など、私はほとんど無視しているとこれまで何回か言ってきた。
何故かというと、自分の意識レベルが上がれば上がるほど、それが私の意識の中では真実であるということがはっきりしたからである。

潜在意識のすべてに言っているのではなく、自分の意識レベルをここまで上げてきた段階でそう確信しているのである。
「海に浮かんでいる氷山で例えると、水面から出ている部分が顕在意識、水面下に隠れている部分が潜在意識で、潜在意識の占める部分は全体の約90%を占める」

潜在意識を説明しているこのような内容は、かなり前からあるが今もあるのだろうか。
人は、その90%の潜在意識のどの程度まで知っているかという説明があるのだろうか。
心についての説明もしっかりできないのに、どうして次なる意識の潜在意識が説明できるのだろうか。

人の意識を理解するにも順番があり、やはり心が何であるかの基礎知識、それも意識としての心で理解していけば潜在意識の理解も早くなるだろう。
潜在意識が何であるかの説明は可能であるが、相当な時間が必要ということが浮かべば受け入れる準備は整っているかもしれない。
ここでは、潜在意識が何であるかまでの詳しい説明はできないが、とりあえず潜在意識についての全体像がうっすらつかめたらと思っている。

潜在意識を理解するには2つの意識を理解する必要がある。
それは、物的(観念)意識と霊的(真理)意識である。
観念は人の顕在意識、真理は霊的意識であるが、真理の理解は先であるがその意味くらいは分かっていた方が良いだろう。
氷山の例で言う、潜在意識が90%というのは間違いで、顕在意識と潜在意識は一つ意識の中での分離であるから潜在意識は100%であり、顕在意識も100%である。

潜在意識というのは、顕在意識のすべて入っているのである。
その中で、自分が一番必要とするものや性格や感情といったいつも使うものが前面に出ているだけである。
ほとんど使わないものは、奥の方に順番に置かれていると考えていい。
これは、意識的なことで言っているので拡大思考を使って考えてもらいたい。

生きているすべての時間の自己存在(経験)が、過ぎ去っていく過去の記憶として潜在意識に残っていくのである。
自分の気にいらないものは捨て、自分にとって良いものだけを潜在意識に入れるということができる人がいるのだろうか。
願望実現やポジティブ思考で躓くのは、この意味を知らないためである。

ここでは詳しく触れないが、潜在意識に関係している意識は観念や真理以外にも、過去世からの意識や霊性もあるのである。
もっと厳密に言えば、潜在意識は自分のすべての意識に関係しているのであるが、それは今すべてをというのは無理なので順番に理解していけばいいのである。

一番先に理解を進めるのは観念を徹底分析研究していくことである。
観念の理解は、私がこれまで何度も言ってきたことであるが、それは潜在意識の理解につながる準備にもなるからという理由だった。
その前に完全に理解しなければならないのは、心の部分に関係するポジティブネガティブの意味である。

このように、意識の基本的土台が確立しなければ、いたるところで躓き迷い、足踏みするだろう。
潜在意識をしっかり理解していくには、今言ってきた内容の意識勉強と経験と時間経過が必要である。
この時間経過というのは、すべてに関係する潜在意識の調整が絶えず行われるためである。

すぐに潜在意識が分かったといったことは起こらないのである。
ある期間の経過、いつの間にか分かっている自分に気づければ潜在意識は変化していることになる。
自分の潜在意識の変化がすぐ分かるという人は一人もいないのであるから、焦ることなく努力していくしかないのである。

時間がかかることがイヤな人は、ずっとこの世の流れに任せた状態で潜在意識が変わっていくのを待つしかないのである。
ただし、良くなるか悪くなるかは本人次第となる。
これからどのように潜在意識の説明をしていくかであるが、一般的なレベルで潜在意識についての勘違いや間違いを少しずつ分析説明していこうと考えている。

いろいろ検索して見つけたことを分析の例題として取り上げていこうと思う。
例えば、
・「潜在意識能力は誰にでもある。それを意識するとき潜在能力は最高に発揮される」
潜在意識能力は誰にでもあるのは間違いはないが、どうやって意識するのか、テクニックでもそれを意識すれば、誰でもすぐに潜在能力を発揮できるのだろうか。

このブログを読んでいる人は、こんな言葉に引っかかるレベルではないと思うが、知らないとその方法を探し始めるのである。
絶対無理に、お金と時間をかけるのが知らないといったレベルの人で、これも物事を都合良く実現させようとするネガティブ意識なのである。
潜在意識の理解は、当然の意識成長の道であり本当の自己形成の道である。

ニセモノに時間をかけている暇はないのであり、これからの時代を考えてもしっかりした自分を創っていかなければならないのである。
潜在意識の理解を目指さなくても、その勉強は最高の自己形成の勉強になるはずである。
次回も、曖昧な潜在意識の言葉を分析して、意識を目覚めさせていけるようにしたい。


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コメント

はい、理解したいです (T.M.)
2017-02-21 14:09:31
先生が良く言われる「潜在意識を自分にする」がどういう事かを考えていたところです。
それは奥の方に置かれていたネガティブに気づき「いつの間にか分かっている自分」を積み重ね、反応がポジティブになる事を目指せば近づけるのでしょうか?
潜在意識のテクニックは私も以前は信じてました…がそれは利己的であり、もし悪用に繋がれば神側と正反対のネガティブ意識な訳ですね!。利己的な欲求を追う人が増えれば、世の中の調和は難しいと思います。
でもポジティブ意識を高めて行けば、物事を都合良く実現したい意識からは遠く離れ、したくても出来なくなり、更にはその様な考え自体起きなくなるのではと想像します。ポジティブ意識を高める事が大切な理由はここにもあると思いました。
いつもこちらに合わせて色々な角度から説明してくださり、ありがとうございます。

T.Mさん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2017-02-21 19:20:01
思考や心については、テクニック的なことはありますが、潜在意識はそのようなものは一切通用しません。
ポジティブもネガティブも、それが潜在意識であれば今の本当の自分ということになります。
顕在意識がポジティブでも潜在意識はネガティブという人がいます。
このような人は、根はネガティブですが、表向きはポジティブを装っている人です。
意識の成長は今の心を変えていくことで、それもポジティブに、そして真理に変えていくことです。
そうなれば、当然潜在意識も本物になっていくのです。
それが、本当の自分です。
がんばってください。

パノラマ意識(6)~ 祈りとは、本当の祈り方を知って実践しよう!(Ⅱ) 2017/02/07

人はどこに向けて、また何に向かって祈るのだろうか。
神か、潜在意識か、それとも自分が信じる特定のものか。
心から望むことが、祈ることで早く実現することが人々の祈る目的には違いないだろう。
大聖者方が何かを祈ることでそれが奇跡的にすぐに実現するように、自分の祈りもそうなることを心のどこかで強く思っているかもしれない。

潜在意識は祈りを実現させる力を持っているのだろうか、自分が信じる特定のものが祈りを実現させる力をもっているのだろうか。
本当のことを何も知らずに祈り続けているだけで、その祈り方は果たして自分の願いを実現させる力になるのだろうか。
偶然と必然、消極と積極、真の祈りのポイントはこの言葉が祈りとどのように関係しているか、その意味を理解することが祈り方を知ることにつながるのではないだろうか。

人類の歴史を振り返って人々の祈りについて分析しても、人々の祈りはほとんど神に聞かれていない届いていないと判断するしかない。
それは何故かを考えると、偶然と消極の心で祈るからだと私は結論付けている。
偶然と消極はネガティブであり、真理とは相反する意識である。
このネガティブを抱えて、実現の法則(神の法則)の中に入っていこうとしている、ここまでの意識がほとんどの人の祈りの心ではないのだろうか。

真の祈りのポイントとなる偶然と必然、消極と積極の意味や実現の法則(神の法則)の話をすると、相当な量になる。
しかし、その内容は祈りが何であるかを理解するには十分なものだと思っている。
今回は、少し長くなるができる限りポイントとなるところを話していきたい。

いろいろ説明をする前に、私がこれまで行ってきた祈りについて話してみたい。
私は一般的な祈り方は信じていなかったので、どんな祈り方や願望実現法などは一切やったことはなかった。
代わりに、自分が信じている祈り方を、ずっとこれまで、そして今も行っているのである。

その祈り方があなたにとって正しいかどうかは関係なく、私自身の祈り方である。
その祈り方が参考になるなら、という思いで自分の祈りについて話しているのである。
この祈り方は、私がこの意識の勉強を始めてしばらく経った頃から、真の祈り方までは知らなかったが、それでもけっこう早くから行っていたのである。

結果的にいうと、今の自分が本当にすべてにおいて満足できるくらい、自分の祈りは実現してきたと思っているのである。
実現も、意識的なことは当然だが、物的なことについても言えるのである。
誰かの祈り方ではない、本当の自分だけの祈りをしたければ、自分の祈りはこの先もずっと通していくべきものである。

本当は、私は特別な祈り方などはないと思っている。
ポイントは自分の真剣さ、求めるものの正しさ、その思い(祈り)が神の法則の中で認められたなら、その祈りはいずれ必ず実現するだけである。
その祈りが、いつ実現するかではない。
その祈りが実現するまでずっと祈り続けていくことができるかどうかだ。

物的な目先のことを言っているのではなく、自分の全人生に関係することである。
目先の願望が2,3回実現したからといって、祈ればずっと叶えられていくということを信じるのは空想の世界に生きているようなものだ。
それでも人は、心のどこかでこのようなことをしているのである。

私は本当に信じられるものを、その実現のみに焦点を当ててきただけである。
私のやって来た祈り方は、何も特殊なことではなく実にシンプルである。
その祈り方というか私の祈りを実現させてくれるのは、当然霊的神で神の法則である。
これまで何度も言ってきたが、私はその神や神の法則を魂として意識を向けてきた。

祈る対象を神にすると余りに遠すぎるので、身近な自分の神である魂に祈ってきたのである。
私の祈り方は、とてもシンプルであると言った。
どういうことかと言うと、私の祈りは魂に向けて「自分でやるからその方法のヒントだけをください」ということである。

決して、魂に対していつの間にかそれがうまくいくことや勝手に実現することなどは、一度も望んだことはないのである。
何も知らないで困って苦しい自分がいるから、せめてヒントだけ欲しいということを祈ってきたのである。
結果は、すぐにヒントをもらえたこともあるが、時間がかかったこともあった。

しかし、必ずそのヒントは得られたのである。
その結果が今の自分で、誰が何と言おうと今の自分がつくづく感じている大満足が自分自身にとっての大きな証拠である。
この祈りの延長が「魂に訊く」といったことにつながって、困ったときに早くヒントをもらえるようになっているのである。

これも、長い間実践してきた祈りの成果だと思っている。
祈りによる魂から来るヒントは、自分にとって意識の成長であり、意識の進化である。
この意識の流れで生きていれば、他のことがうまくいかない訳がないのである。
そうできないのは、そのチャンスを生かせないのは、超未熟な自分が原因と考えるしかないだろう。

そういう自分がいるなら、未熟な部分を補ない高めていくだけである。
大多数の祈りは、この自分の未熟な部分まで無視して、自分の思い通りになることを、それこそ因果法則である神の法則を無視して偶然に期待しているのである。
消極というのは、自分自身や因果法則や実現の法則を信じないで祈る行為でしかない。

本当に信じられるというのは、本当のことをしっかり理解しているからできることである。
信じ切ってどこまでも通していける意志を養うのも時間がかかるかもしれないが、それは自分の「信じる力」があるかどうかで、それも自分次第でいくらでも短縮できるものである。

消極的な祈りとは、祈りながら心のどこかでその実現を疑っていたり自分のウソを打ち消すような緊張した祈り方をしたりすることである。
長い間、このような祈り方をしていると、それこそ消極偶然を求める心が固定し、それが潜在意識に入り込み、この潜在意識が祈りのブレーキになってしまうのである。

この祈り方には、大事なことがもう一つある。
それは、神意識との同調である。
この同調が、いつもの意識勉強と振動同調訓練であるから、これが分かれば祈りの時何か特別な意識になるということも考えなくていいのである。
私は、いつでもしっかり祈りができるために、この同調というものを大事に訓練してきた。

瞑想や振動同調訓練は、意識レベルを上げるための準備だけではなく、大事な祈りの準備としての同調にも役立つのである。
かなり神秘的になってきたが、誰も知らないことであるが、意識とか神の法則というものにも分かりやすく言えば仕組みというものがある。
その仕組みの理解もなく、ただいろいろな訓練をしていても内的意識には、霊的意識関係の拡大構築のイメージも創られないのである。

難しいのではない、かといってすぐに理解できる人は誰もいない、結局は基本的土台をしっかり積み重ねていくしかないのである。
祈りも自分も神も、分離感を外してすべては一つの中で一体意識で集中することである。
霊的振動との同調レベルこそが、祈りの準備である。

一般に祈りの言葉(文)というのを、どこかで目にしたことがあるだろう。
しかし、その祈りの言葉は、願いを実現させる力のある魔法の言葉ではない。
その言葉の意味するところは、それを読むことによって、また唱えることによって、その高い振動に同調できるということである。
それは基本的準備である。

しかし、自分の意識が高いレベルでないと、祈りが実現しないということではない。
そこには、その人の意識の中の神性が、どこかで同調の役目をして魂に通じる回路を開くこともあるのである。
ただ、そのようなことが起こるのは、本当に少ないと思った方がいいだろう。

祈りの仕方にも、神の法則が働いているのである。
何かを望む前に、神の法則を知るべきだ。
その方が、すべてが早くなるのである。
私は今言ってきたことを、祈りという形ではないが自然にずっとやって来た。
この私の祈りの意識は、今は無意識まで浸透しているので、私が思い望んでいることは特に祈ることをしなくても、魂が準備してくれているのである。

これまで私が祈りによって得てきたものは、相当な数になる。
その中には、奇跡的なことや誰もが信じられないことなど、科学では絶対解明できないこともけっこうある。
科学で証明されないことは全否定するという人も、私の神秘霊的体験を全部並べて聞かせると、絶対何も反論できないだろう。

神の法則を信じられないというのは、意識停滞、時間が経てば意識退化となることは当然すぎることだと言うしかないのである。
もう少し、祈りについて必要なことを補足しておきたい。
この暗示から早く抜け出してほしいと思っていることがある。
それは、何度も言ってきたが、潜在意識は願望を実現させる能力があるということである。

そうではなく、これからはこのように考えて潜在意識の理解を深めるといいだろう。
潜在意識の働きを十分に知った者は、願望実現に向けての潜在意識を準備できるようになるのである。
それが分かれば、祈るための道具や心などは、何一つ要らないことも分かるはずである。

知らないとはいえ、願望実現を夢のように期待している人は、いつまでも気の毒というしかない夢の中に生きているのかもしれない。
自分の望みを実現させるためには、本当は祈りだけではなくそれに見合う努力が必要ということが理解できれば、どれだけ自分の意識も成長するだろうか。
一生懸命願ったり祈ったりした結果の見返りがネガティブな思いに変わるということもある。

ここまでは、誰も想像すらしないことだろう。
そのネガティブな見返りにしても、その原因は自分しかないのである。
一般的な形式的な祈り方や宗教的な祈り方などは、誰もが散々目にしてあなた自身も行って来たかもしれない。
このような祈り方をどうのこうのと言うつもりはないが、でもよく考えてみてほしい。

本当に信じているならそれでもいいかもしれないが、もし心から信じていないなら何故無理に祈る必要があるのだろうか。
これから少しずつ、誰もいない自分の中で、一生続けていける真剣の祈りを内的自分(魂)と相談しながら創り上げていってはどうだろうか。
それは、とても大事な自分の宝である。

パノラマ意識(5)~ 祈りとは、本当の祈り方を知って実践しよう!(Ⅰ) 2017/01/26

今回は、祈りについて話してみたい。
祈りといっても、様々な種類の祈りを取り上げるだけでも相当な量になるので、大事なポイントだけを説明していきたい。
祈り、その言葉からすぐに頭に浮かんでくるのは、願望実現とか大願成就のために何かに向けて祈願するということだろう。

その大事なポイントというのは、私が35年間続けてきた祈り方に関することで、それも十分に効果が得られたことを話していこうと思っている。
願望実現法や今も流行っているかは分からないが、引き寄せの方法というものもあった。
神社やお寺にお参り行って、さい銭箱に小銭入れて手を合わすことや様々な宗教による祈りなど、その他にも祈りとは言えなくてもそれに近いものはたくさんあるだろう。

人間意識を考えれば、どんな願いごとも祈りも同じようなものである。
真の祈りという言葉の意味を知らない限りは、根本的にその行為はどれも都合の良いただのお願い事となる。
私は、今述べたようなお願い事や一時的な祈り方は、これまで一度もやったことがない。

当然である、そのようなものでお願い事が叶ったり願望が実現したりするということはないと確信しているからである。
私がこれまで実践してきた祈りの成果と比較しても、たくさんの人がやっているお願い事や祈りは、時間の無駄とまで思っている。
中には、強く祈ったり願ったりして、願い事が叶った願望が実現したという人もいると思うが、私が言いたいのは人生で1、2回のちょっとした実現でいいのかということである。

一生継続していく願望実現の仕組み、それが祈りである。
私は今回、特に祈り方とその意味の重要性について話したいと思っている。
それによって、これまで私がどれだけすばらしいものを得られたか、また実現してきたかを知ったら、誰もがビックリするだろうと思っている。
祈り方を理解するには、その背後で働く個人的意識というものを知る必要がある。

その理解は、それがどのように祈りの実現に関係するかを知ることであって、とても重要な要素でもある。
要は、祈る対象に向ける思いとか心の姿勢といったものを知らなければならないということである。
この祈りの重要な要素を、一般の人は無視しているというより、全く知らないのである。

周りの人がやっている祈りや宗教的な祈り方は、ただ祈り方のマネをしているだけだと、私の目にはそう映っている。
それで祈りが叶えられないというだけなら、まだしょうがないとなるが、それを疑わずいつまでも繰り返していることに、そろそろ気づいた方がいいのではないだろうか。

とりあえず、祈らないよりは祈っておいた方が良い、これで少しは安心なのだろうか。
自分の祈りがダメなら、何か別な方法で、物で・・・、と思う人も多いだろう。
それが嘘かもしれないと思いつつ、もしかしたら実現するかも・・・、といったかすかな期待の方向に願いがすり替わっていることに気づかない人もいる。

人と祈り、そして願望実現の切なる思いは、ずっと未来まで決して人の心から切り離されることはないだろう。
人生は願望実現に生きる、といっても過言ではないだろう。
その願望実現の方法、手段としての行為が、祈りだと勘違いしているのかもしれない。

祈りでも実現のための何かの方法でも、自分が描いている理想を実現してほしいといった集中に過ぎないのである。
この世の祈り方は観念レベルの祈り方で、私は焦点のない祈り方だと思っている。
真の祈り方は、観念のない意識の中であって、その焦点もはっきりしているのである。

それが祈りの回路であって、どこまでも実現のレベルが上がっていく方向である。
祈りというものは、実現や成就の仕組みの法則をどのくらい満たしている意識であるかが大きく左右するのである。
私はこれまで、いろいろな意識の回路創りのことを言って来たが、それをどこまで気づいてる人がいるだろうか。

この祈りにしても、何かの実現やまた漠然と願望を向けるものではなく、しっかりと自分の人生と意識進化を見つめた道創りの中で行うことなのである。
当然、その道は良くなっていくこと、満足が得られるものでなければ祈りの意味もない。
自己意識成長も祈りも同じことである。

また、その祈りはこの世のことにおいても発揮されなければ意味がない。
祈りも神の法則である。
意識成長向上も、神の法則に沿って行えばスムーズだ。
よそ見、回り道をしていても、これに早く気づくかどうかである。
神の法則、霊的法則は絶対なのだから、どうして他のやり方でその道を歩けるのだろうか。

この世の祈り方など、すべて忘れた方がいいのでは・・・、というと言い過ぎだろうか。
私は、この世の祈り方など始めから信じていなかったし、一度もやったこともない。
今、自分の内面に意識を向けて、次のことを問うてみてほしい。

「自分は、本当の祈り方を知っているのだろうか」と。
もし、その返事が「ノー」だとすると、これまで祈ってきたのは何だったのだろうか。
それについて、細かいところをああだこうだと考えても何も得るところがないので、それより本当の祈りとはどういうものかに触れてみたい。

私は、これまで意識の勉強を通して35年間、ずっと自分が信じる祈りをしてきた。
私が祈りということを考え始めた時、一番先に浮かんできた祈り方というのはこういうことであった。
それは、本当に真剣に祈りの中に入っていけるのだろうか、ということである。

祈り(思い)が叶うかどうかという不安もあったが、それ以上にそんなことに囚われている時間もなかった。
私が本当の祈り方を知ったのは、いつも勉強で切羽詰まった苦しい状態で行っていたからである。
とにかく、真剣に祈るのみ、結果など待っている余裕もない、そんな時間もない。

結局、こんな感じで長い期間が過ぎていったのである。
その経過の中で、いろいろな援助があったのである。
それは、後になって気がつけば、祈りの実現であって意識進化の段階の満足であった。
この世でいう、物やお金など一時的な物的満足の実現とは違うが、その祈りの実現は将来につながる祈り方まで分かっていくものだった。

祈り方で重要なことは、始めの方でその背後で働く個人的意識と焦点といったが、その背後で働く個人的意識は集中の場で、焦点は神ではなく魂である。
次回、この続きをもう少し詳しく話していきたい。


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コメント

感じて仕方ないこと (Osaki)
2017-02-04 17:57:05
自分の思うようにいっている時
それが快感で、自分が強くなったような気がしている時
人は特別に神を、魂を意識することがありません。
自分の思うようにいかない時
それが何よりも悔しくて、苦しくて
自分だけが不幸になったような気がしている時
人は特別に神を、魂を意識するのかもしれません。
自分が今どんな目にあっていても
魂は黙っているように感じますが
それは私を見捨てたということではありません。
私が昇っていくことを
黙って見てくれているのではないかと感じます。
すごく、すごくそう感じます。
祈っても、そのための形を大事にしていても、
虚無感を味わうのは、的が外れているから・・。
私は絶対に「神はいるのか?」「なぜ神は何もしないのか?」などと言いたくありません。
それは嘘だから。
黙してなどいないから、そうとても感じるからです。
こんなにも愛されているのに
人と人とは争ってばかりですね。
自分の思うようにならないと、報復したり、憎しみを育ててばかりですね。
そんなもの、何の役にも立たないのに。
ただ、ただ邪魔なだけなのに。
魂の愛を、これ以上遮断したくありません。
そう、とても感じます。
本当に、先生の一語一句が救いとなります。
ありがとうございます。

Osakiさん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2017-02-05 19:59:25
そうですね。
祈りは、自然の自分からすることです。
そう言うと、難しいと思います。
何でも難しく感じるのは、それだけ人は神から離れているからです。
真実を探すより、間違いに気づいた方が早いです。
ほとんど間違いだと、また迷ってしまうかもしれませんね。

パノラマ意識(4)~ 拡大意識は観念脱出訓練で慣れていく! 2017/01/07 

自分自身の意識成長を考えるヒントになるように、本当に基本的なことを見つめ、話してみたい。
私たちは、今生きている。
どんな人もそうだが、一生に一度でも真剣にこの生きているということ、そしてその意味をよく考えてみなければならない。

ずっと過去から「人が生きる」という意味は、哲学や宗教であらゆる角度からたくさん語られてきた。
このテーマは、答えが出せない観念世界においては、永遠のテーマになってしまうものである。
今回、どうしてこのテーマを出したかというと。

それは、何を書こうかと思った時にふと出てきただけで、私の中の自然である。
しかし、この時の私を見つめてみると、自分の中の自然に焦点を当てたとき、何か時が止まっている感じがした。
それで、こんな時代だから、この先のことや未来を考えると、今一度しっかりと「自分が生きる意味」を見つめる話がしたくなってきた。

構えて何かを言いたい訳でもないし、流れに沿った文を考えている訳でもない。
それで、自然に浮かんでくることを書いていこうと思っているが、あくまでそのような文と取って、乱れた文を自分なりに整理して考えてもらいたいと思っている。
生きる意味、ということをただ考えているだけでも、何か大きな気づきが出てくるかもしれない。

この言葉だけでも辛いと感じる人もいるかもしれないが、人は生きる、又はまた生まれ生きていくということから逃れられないのである。
「生きる」に意味があれば、「死ぬ」ことにも、当然意味がある。
生きるか死ぬかなど考えても大して意味のあることではない。
人は、いずれ死んでまた生まれてくるだけであるから、問題は「何故そうなるのか」だけをしっかり理解するしかないはずだ。

これを少し大きく見ると、輪廻転生が何故あるのかにつながる。
「輪廻転生」、この何故が分かれば、人生の意味がほとんど分かったことになる。
「輪廻転生」に意味がほぼ完全に理解できれば、生きる意味と死ぬ意味がほとんど理解できたことになる。

「輪廻転生」という言葉を知っていても深く理解できない人は、「輪廻転生」という法則を支える仕組みを知らないからである。
「輪廻転生」は神の法則である。
神の法則をほぼ完全に知れば、自分の生き方も変わるだろう。
当然、といっていいくらい自分の意識もガラッと変わるはずだ。

もっと分かることは、「輪廻転生」「神の法則」というと、次に来るのは「因果法則」である。
これらの法則を理解、そして納得できるまで自分の意識で高まったなら、ものの見方考え方も大きく変わっていくだろう。
そうは簡単にはいかない、そう簡単に自分を変えることはできないと思うかもしれない。

確かに、その通りだと私も思う。
すぐに自分の意識を変えられる人など、誰もいるはずがないというのも私の考えだ。
しかし、この神の法則を熟知すれば、何よりも早く自分を変えていける智恵であることは間違いない。

この中を見ず、まだ外に何を求めるのだろうか。
いつまでそうすれば納得するのだろうか。
いくらキョロキョロして外を見回しても、どんなすばらしい聖者の言葉に出会っても、基本的準備もしていない人に、その何を分かるというのだろうか。
だから簡単ではないし、簡単にはいかない。

言葉は悪いが、理解など無理、間違いなく絶対無理だ。
気分で喜んでいられるかもしれないが、いずれきれいに忘れ去るのみだろう。
言い方がきついと思うが、今の時代だからはっきり言うしかないと思っている。
こんな混乱した時代に、無駄な時間など使っているヒマなどないし、そんな回り道をしている余裕などもないということに気づいている人は少ない。

真剣に分かろう、理解しようとすれば、誰でも絶対自分のものにしていけることだ。
それを当然という言葉にすればいい。
余計なことを考えていれば、それだけ遅くなるということも知るべきだ。
まず、自分のためだけにしなければ遅くなるだけだ。

誰かのために自分を準備したければ、まず自分を良くすること、完成に近づけることだ。
私は誰かのために勉強したこと、そう思ったことは一度もない。
自分を完成に近づければ、それは誰かの役に立てられると思っていただけだ。
自分がそうならなければ、どんなかっこいい思いも敗北のむなしい思い出として心のシミになるだけだ。

こんなシミなど、誰も作らなくすることは出来る、それは当然ではないだろうか。
自分には能力がないと思っている人もいるだろう。
能力と本当のことは関係ない。
意識が良ければいい。

頭の働きが弱くて意識の高い人もいるが、この世的には意識がどんなに良くても頭の働きが悪いとレベルが低い人間と見られることが多いだろう。
頭が良いといっても、どの程度のレベルだろうか。
意識が良ければ、そんな程度のことは神の世界でひっくり返せる程度のものだ。
いつまでも観念レベルで考え判断しているから、輪廻転生を繰り返えさなければならないということは本当のことだ。

人の意識の成長で大変難しく感じるのは、観念全体をどう理解できるかにかかっているといってもいいだろう。
そんなに大変なら、まだ今のままの方が楽だ、と思いたくなるのも仕方ない?
この繰り返しだから、だから、ネガティブが寄って来て印象付いてしまうのだ。
少しずつでもやっていけばいいのである。

何を?
自分の生と死、そしていつまでも同じ繰り返しの輪廻転生を、本当に真剣に見つめてみればいい。
真剣、自分に真剣、それもポジティブ性の自分に真剣。
一度でもやったことがありますか。

死ぬまでに一度やった方がいいと思うが。
なるべく早くに。
「自分に真剣」これが本当に芯から分かった人は、良くならない方が不思議だ。


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コメント

意味 (yumi)
2017-01-08 07:17:26
おはようございます。
実は病気療養中だった父が、12月30日に他界しました。
まさに今、生と死について向き合い、家族や周りの人々の思いの渦中にいます。
この世の観念、そして真理を見つめる貴重な機会と充分な時間をいただいたような気持ちです。
更に、この世の観念と向き合うことの難しさも感じています。
まずは自分が成長し良くなっていくことが大切だと言う基本を忘れないよう再度確認できました。
ありがとうございます。

yumiさん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2017-01-08 19:34:11
お父様の来世が、人生の完成になる環境の下に生まれ変わることをお祈りしています。
誰もが経験することです。
いつか、自分の番が回ってきます。
自分の来世を今から目的達成のために努力するか、それとも生まれ変わりを今生でストップさせるか。
全て自分次第です。

1パーセントの希望 (moon)
2017-01-10 22:41:07
昨年12月初め現場から届いた一報は心肺停止で会社の男の子が救急搬送され、もう駄目だ という報告でした。
私は納得できず すぐに金子先生にヒーリングお願いし、心肺停止30分で奇跡の復活でした!!
その後の回復は薄皮をはぐように少しずつではありますが快方に向かっているのを感じます。
ずっと先生のHPの最初の言葉 
「1%の希望があるなら、私はそこに最大の集中をする」
が頭に浮かんでいました。
一昨年亡くなった父の時はガンの痛みに苦しむ姿を見ていられず 亡くなった時の開放感は父のものなのか自分のものなのかわかりませんでした、その瞬間の雲一つ無い真っ青な夜明けの空が印象的でした。
しかし 今回はまだ生きていろんな経験をして欲しいと強く思いました。東日本大震災の時の気持ちに似ています。
その事故に関するいろんな問題が起こり 何かネガティブに負けそうになりながらも この訓練は凄いなという気がしています。
死を身近に感じるとこんなにも真剣になれますね
何かチャンスを逃しそうな気分になります。

まさに! (Osaki)
2017-01-11 12:16:15
「自分に真剣」
はい!
まさに、まさにです!
ものすごく力強い言葉で嬉しくなります。
ありがとうございます

moonさん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2017-01-12 19:22:57
moonさん、ありがとうございます。
大事な人の死は、残された側にとっては大変な心痛が残ります。
しかし、いつか残された側にいた自分がそうすることになるのです。
これを拡大して見たとき、今どのような意識になっているでしょうか。
moonさんは分かると思います。

Osakiさん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2017-01-12 19:23:26
少しでも良くしようと決意した時、そのスタート点はここからですよね。

執着心ですね (moon)
2017-01-13 00:27:23
自分が去る側なら手放して欲しいと思いました。
それに 今回の事は自分が辛いから受け入れられない気持ちが強かったです、人の生死が自分の思い通りになるはずがないですね。
この 自分の思い通りにしようとする 事の克服が私の一生のテーマですね、いつもいろんな顔をして現れます。
そういう気持ちを捨て、応援する気持ちでヒーリング続けていこうと思います。
いつもありがとうございます、今度のセッションまでにもっと考えておきます。

生きる意味 (Kamiide)
2017-01-14 22:40:51
お世話になっております。
この世は仮想現実、と思う時がよくあります。
生まれてから亡くなるまでの、限られた時間の内で、少しでも神に近づくためには、具体的な舞台が与えられていたほうが良いのだと思います。
与えられた役を通して、いろいろな状況を体験して、そこから神へ近づく道を辿っていく、亡くなる時は、この世から一旦、卒業、ということです。
うまく表現できていないと思いますが、生きると言うことは、そのような気がします。

Kamiideさん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2017-01-15 17:48:39
人の生死をしっかり見つめてみると、いろいろなことが浮かんでくると思います。
生死と一緒に考えてほしいのは、自分そして人類の未来です。
どこまで見えるでしょうか。
「千里眼」の世界までなると、それは拡大意識の中です。
生死、未来のことが分かってくれば、本当の自分創りをしたくなるでしょう。
Kamiideさんは、このまま神に近づいていってください。

真剣さ (mitzuno)
2017-01-17 21:48:16
いつもとても興味深い記事をありがとうございます!
わたしはここ一ヶ月くらい丁度”生”について意識を向けさせられる状況にありました。
ひとつは、友人の知り合いが臨月を過ぎ、胎児が4キロをオーバーしているのに一向に産気づかず医師から帝王切開を勧められている、そんな緊急の相談でした。
ご本人と直接電話で話を伺ってみたところ、[そのうち自然と出てくるだろう]と、のんびり待っているとのことでした。
それで、子供が産まれてくるところを具体的に話してみました。
するとその方は、[全然想像していなかった!]と驚いていました。
その時の私は、本当に真剣そのものでした。
自分も経産婦だったから、その時のことを思い出しながら話したからです。
病院があり、産婦や赤ん坊がなくなることは少なくなったとはいえ、お産は死と隣り合わせであるとしみじみ思います。
といってもそこには真剣さとそれから必ず喜びがあるものなのです。
深刻さからは離れていくべきだとも思います。
そんな中、自分自身も生理が来なかったりして、いよいよ自分も妊娠したのかと思いました。
そうであったから、その、
<私と赤ちゃんでひとつの出口に向かって進んでいく>
ことについて意識を向け、想いと決意を固めているところでした。
まあ、でも生理は来てしまったんですが^^;
真剣じゃないと直接命に触れること、ここではお産ですが、成就しないんですよね。
生命に関することは本当に奥が深く、故に学びも深いのです。
肉体レベルの先にも触れていくことができたので、これからも生命意識の道を通って、新しい自分に生まれていけるよう準備していきます。
いやぁ、本当にこうなってくると全てに感謝です!

mitzunoさん、ありがとうございます。 (F・H・S)
2017-01-18 18:08:17
「生」を見つめる内容としては、女性ならではの視点ですね。
「生命意識の誕生」です。
動物と違って、人間として何か大きな目的に向かうために生まれて来るのです。
すべて神の中で、神とつながっている意識に目覚めると、あとは「生命と愛」を
知って行く道を歩き出すでしょう。
この道を、どんどん進んでいきましょう。

いつもお世話になっています (mitzuno)
2017-03-19 17:34:38
金子先生、こんにちは。
お返事下さったのに、私からなんのお返事も出さず大変失礼いたしました。
書き込みをした次の日、件のお母さんからメッセージが届きました。
陣痛が来ずに最終的には緊急の帝王切開となったそうです。
理想とはかけ離れた出産となったそうですが、母乳が出始める頃には赤ちゃんがとても可愛く見えてきて安心したとのことでした。
出産前に話をしたことで大変励まされて、そのことにとても感謝していますとメッセージに添えられていたので、なんだか気恥ずかしいような、ちょっぴり情けないような気がしていました。
とにかく無事に赤ちゃんを抱いて子育てしていることに、それが一番で何よりだと思います。
そのあとで先生からの返信に気づきまして、そのときは返す言葉を失ってしまいました。
「女性ならではの視点ですね」のコメントで実はなにかが爆発しそうになってしまいました。
何故なら全くそのとうりだからです。
そしてこれが自分にとっての生のリアリティでもあり、今生私が通ることのできる道だったのでしょう。
詳しくは書くことができませんが、だからこそ死を通り抜けるように奥深くまで無心のうちに見つめる・3ことができたんだと思います。
正直言ってそこまでは私個人の計画ではありませんでした。
それは決して忘れることのないよう、大きなものが私に経験させたことだと思っています。
誰にも理解されないことなのかもしれません。
しかしながら、真剣にやったことが時には人を勇気づけることもあると思うと、やはり嬉しいですね。
先生に出会って本当に良かったと心から思います。
私にとってはこの 道の先を進むのに、どうしても先生からのものが必要です。
死の先を、死が終わった先の世界をはっきりと照らしてくれる人がどこにもいないからです。
言葉足らずかもしれず申し訳なくも思うのですが、これからも頑張りますのでどうぞよろしくお願いいたします!

パノラマ意識(3)~ 確かな意識成長に対しての一考として 2016/12/12

霊的な成長を目指すなら宗教の門を叩けばいい、人間や人生を深く探究したければ哲学を学び探究すればいい、人間心を知りたければ心理学を学べばいい。
大きな分け方でみると、これらの内容に結びつくことは、こんな感じで誰もが思いつくことだと思っている。
間違ってはいないが、これで本当にいいのかとなると、私としてはお勧めできない。

ただ、基本的知識を得るという点や思考の訓練や意識を目覚めさせるという点では、基本的段階として勉強することはいいことである。
この基本的勉強にしても、やはり最低でも5年以上の努力は必要だと思っている。
心理学も、哲学も、宗教も、しっかり勉強し探究していけば、それなりの理解段階には達するだろうが、それでもこれらの一つだけを勉強しても限界は見えている。

精神に関係する勉強は、何のためにするのだろうか。
何を目標に、また目的に理解を進めていこうとするのだろうか。
目標も目的意識もなく、ただ興味があるからという人もいるだろう。
そう思ってはいるが、実際その興味の背後にはどんな願望や野心が隠れているのだろうか。

存在のすべての疑問に答えを出せるのは、精神に関係する勉強の探求である。
その探求は、どんな学問より上に位置し、またすべてを包含している。
その結果は到達の域で明確になり、その到達に終止符を打つことで神(霊)の中となる。
答えはある。

答えを知りたければ、この世にその答えを探すな、となる。
この探求、この中を到達まで進んでいくことが意識の勉強である。
その意識の勉強は、すべての意識、精神に関係することすべて、そしてこの世と観念、人間と神に関係すること、要はすべてを知っていく勉強にしていかなければならない。

大変? これが大変でないと誰が言えるのだろうか。
ただ、この目的意識を持って、できるところまで自分のペースで進めていけばいいだけだ。
この世はこの世だが、自分の意識の中にすばらしい道がありそこを歩いている自分がいるということは最高に価値あることだと思えないだろうか。

精神に関係するすべてのことは、自分の生き方そして人生そのものに影響を与えるものである。
心理学や哲学や宗教は、基本的であっても、結果として自分の生き方を左右するようになり、良くも悪くも自分の意識を固定させていくものである。
これらのことから将来を見越して考えてみると、個としての自分、その自分という意識形成に智恵ある計画性を寄り添わせていけるかどうか、それはとても大切なことである。

どんな分野の学問であろうと、その時点での到達段階は自分の理解度の度合いである。
意識の完成度合いで言うと、それがどういうことか分かる人は少ないと思うが、分かりやすく言えば高いレベルの悟りの段階となる。
精神分野の学問はいろいろあるが、そのすべての勉強は自分の意識の理解から始まって自分の意識の完成で終わると思っている。

意識の完成という言葉を使っているが、それは自分が心底満足するレベルと考えていい。
心理学や哲学や宗教、また精神世界といったものをいきなり勉強するよりは、本当は自分の意識を知ることに関連した勉強していく方が、後々必要な勉強の理解度が全く違ってくる。

物事を理解する根本となる自分の意識が何であるか分からずに、何をどう分かっていこうとするのだろうか。
自分を知って意識成長していくことは拡大意識につながるが、それとは別に知識の蓄積による限界的観念意識を目指すのか、そのどちらで進めるかである。
この世的か、それとも霊的かという方向付けや選択があるが、拡大意識を目指す人はこのどちらでもなく両方を熟知していかなければならないのである。

意識レベルが上がる段階で必ず出てくるのが、また本当の意味を知っているかどうかだが、大体どこでも言うのが観念から自由になれということである。
意識レベルを高めていくということは、この世である観念から離れる、距離を取れる意識が要求されるのは当然なことである。
観念から離れることは、この世を無視したりこの世とは関係のない生き方をしたりすることではない。

その意味は、ほとんどの人が悩んでいる人間関係やこの世のあらゆるネガティブから自由になるということである。
それに反応するのは自分の意識であるから、そのネガティブに反応する意識を救うこと、そして守ること、さらにもっともっと自分を高めていこうとすることである。

その経過において、意識成長に今必要なことを勉強して強化していけばいいのである。
ただ、その必要なことが、心理学や哲学や宗教、また精神世界と思っている人がほとんどだが、私はそれとは別な勉強をした方がいいと思っているのである。
何故なら、たとえこれらの一つを勉強し高めても、いずれ自分の意識が息苦しさを感じるようになるだろう。

基本的からさらにレベルを上げるということは、どんなレベルになるかを知ればその答えは自然に出てくるからである。
心理学は物足りない、哲学はもっともだと思うけどどこか腑に落ちない、宗教はどう理解納得していけばいいか分からない。
精神世界になると、これって非真理による新しい観念世界なのかと迷わせるものもある。

この全部をどう触れて理解していくか、そしてすべてを自分の意識の中に立体的に配置するためにはどうするか。
これが意識の勉強である。
自分の意識をポジティブ、真理、霊意識方向に向けて拡大させていく。
ポジティブや真理を理解しながら自己意識を高めていく間、同時にこの世の観念をほとんど熟知していくのである。

すべてを含んで、それいてこの世レベルから意識の解脱を計っていく。
意識レベルが上がれば上がるほど、この世レベルから離れ神意識を自覚するようになる。
一つではなく全を把握するように成長していく。
この世は一つ、すべては霊である。

全が意識できるようになれば、個はよく見えてくる。
すべては段階によって分かれているのであるから、それを理解していくしかない。
とにかく、一つ一つ、基本を知って段階を上げていくしかない。
これが、最高の近道なのだが、遠回りが好きな人はけっこう多いかもしれない。

そういう人をフォローしてあげれば、知らないから仕方ないとなるかもしれない。
しかし、それを知ったとしても、それがいかに大事かに反応しない人も多いだろう。
こう考えると、真の意識の勉強はこのあたりから、その世界の大きさを知る全体像に触れることから始めた方がいいかもしれない。

パノラマ意識(2)~ 心・意識・潜在意識は、必ず理解納得できるようになる 2016/11/28 

見出しの「心・意識・潜在意識は、必ず理解納得できるようになる」は、本当のことである。
これについては、誤解や安易な思いがよぎらないようにしっかり説明しなければならない。
必ず全理解できるというのは、真剣さとやる気は当然必要なことである。

一生で、これだけをしっかりやっていくだけでも、これは誰にも普通に可能なことである。
もちろん、理解の早い遅いは、様々な条件によっても違ってくる。
意識の成長だけでなく、ふだんの自分においても判断や決定に戸惑ったりするのを減らすことができれば、どんなに気持ちが楽になるかは誰でも分かると思う。

このような自分に近づくことは、とんでもない理想ではなく可能なことなのである。
そのためには、どれだけ物事を広く深く考えることが出きるかだが、それ以外にも必要な準備というものがある。
こうなるには、特殊な意識力を訓練することでも、千里眼を目指すことでもない。

密教的宗教や精神世界では、すぐそのようなことを考えてしまうようだが、そんな訳の分からないことはもう忘れた方がいい。
このような自分になるための準備は、私はしっかり全説明できると思っている。
何故なら、それは心と意識の技術で何とかなるものだからである。
見えない心と意識、それに潜在意識まで理解するには、この目には見えない意識を少しでも見える形で印象付けていくしかないのである。

この理由は長くなるので省くが、これも技術である。
心、意識、潜在意識は、物的世界のことであるから、理解も技術で何とかなるのである。
しっかりその理解ができれば、あとはそのすべてを意識化するのみで、それが千里眼の基礎となるのである。

これを霊的と考えてはならない。
このことはこの世の観念レベルであるから、霊的とはそれほど大きく関係することではないのである。
今ある宗教も、私から言えば霊的とは全く関係ないところで考えた方がいいだろう。

これらのことは、すべて心と意識の技術に関係することであると知れば、少しは理解も深めていけると思えるだろう。
この内容は、今言った戸惑いが減って気持ちが楽になるだけではなく、人間意識のすべての関係にもつながるものである。
このような、すべてにつながる意識の基本を身に付けることは、当然その量も膨大になり、その分の理解する時間も多くなることは、これも当然である。
これをすぐに簡単にと言えること自体、また思うこと自体、大きな躓きである。

これまで、このような内容は特別な意識力が必要とか、霊的とか、特殊な世界に意識を向け集中しなければならない、といった一部の教えもある。
この内容を学ぶことは、悟りの段階の上レベルまで高めることが可能であると言える。
心、意識、潜在意識とその仕組み、それによる間違った自分の反応をしっかり気づくことである。

私が説明しているポジティブとネガティブ、それとその段階をある程度理解している人は、精神世界においては上位にいると私は思っている。
何が大事か、何を基本にして心、意識、潜在意識を理解していこうとするのか。
もう、寄り道や回り道をしている時代ではない。
もう他の何かではなく、しっかり自分の意識を強くしていかなければならない。

このような内容を、この「パノラマ意識」で細かく説明するのではないが、ここでは拡大思考ができる前に必要な準備になることをいろいろ話していこうと考えている
それは、この世的だが智恵ある見方考え方であり、判断を間違わないとらえ方であり、視点焦点の当て方を学ぶ準備だと思ってほしい。

あくまで心の技術、それが分かって次は意識の技術、そして潜在意識の技術まで到達すれば、今絶対想像すらできない自分が実現するだろう。
そのために時間をかけて、最初は初歩的、基本的なことを話すことになっていくが、それはあくまで私の勝手な考え方であり思いである。
といっても、それは適当なことではなく、これまで私が35年間勉強し体験して覚えたことを土台にした判断である。

人それぞれ、物事の見方考え方捉え方は様々であるから、ここで話すことをあなたがどう捉えようがこれも自由である。
しかし、奥深い判断のポイントは間違えないようにしてほしいとは思っている。
人それぞれすべてが違い問題とする対象もいろいろだが、このブログでは意識成長を目的としているので、その内容が中心であると思ってほしい。

人の心、意識、潜在意識が理解できればできるほど、この世のほとんどのことが分かるようになっていくだろう。
意識成長で理解していかなくてはならないことは、大きく分けて2つである。
それは、この世のことと見えない世界のことである。
重点は、この世の心、意識、潜在意識になるが、たとえ内容が分からなくても今後のために真理霊的な知識にも触れておくといいだろう。

その比率は、心と意識の勉強が8とすると真理霊的な勉強は2くらいでいいだろう。
何も知らないでは、当然思考の拡大もしようがない。
まず私が言いたいことは、それは当然これまでの勉強を通して分かったとではあるが、この世のことに関してはほとんど答えは出せるということである。

人が気にする善か悪か、または正しいか間違いかでもいいが、誰がどう思おうが私は自分が苦しむことのない答えを出せるのである。
これは、もちろん自分が納得する答えになっているのである。

これが本当かどうかということも、こだわること自体おかしいといったことも答えになる。
要は、人に迷惑をかけず、自分が悩まず苦しまず、それでいてネガティブな感じが少しも残らない意識になれるということである。
これは、非真理による勝手に自分が作ったフワッ~とした新しい観念世界に入ることではないのである。

すべてしかりとした基本的土台を積み重ねてきた結果、自然に出来上がる意識である。
出来上がるというのは正しくはなく、本当な真理に意識が馴染んでいくといった方が良いのかもしれない。
こうなって始めて、この世のことはほとんど卒業していると言えると思っている。

これも相当勝手な大満足になるだろうが、しかしそれは魂の望んでいることでもある。
当然、あなたの魂もあなたがこうなることを望んでいるのである。
もし、間違った自分ができていれば、それなりの魂からの反発が来るのでこの答えは間違うことはないだろう。

内的なことはどんなことも、他の人とは一切関係ない自分だけのことになるとしっかり意識してもらいたい。
はっきりしていることは、こういう風に自分が納得できる答えを出せるというのは、いい加減でも曖昧でもない自分でなければならない。
また、その気になることでも嫌なことに蓋をすることでも、また見て見ぬふりをすることでも、すべて関係ないとそっちのけにすることでもない。

すべてをしっかりと見つめ考え分析判断した結果、答えを出せるということである。
こうなれば、この世のことに余計な時間を使うこともなく、さらに意識進化の次なる世界に向けて真剣に集中できるようになるのである。
これから、このパノラマ意識の中で、このような内容のことを私自身の全体的な考え思いを通して話していこうと思っている。

パノラマ意識(1)~ 基本的意識創りから拡大意識の道へ! 2016/11/14

意識成長をするには必ず通る道がある。
それは意識段階といって、それを何段階も飛ばして高い意識状態になることはできない。
悟りの段階となる意識は、真理霊的方向の振動数の違いと考えてもいいだろう。
分かりやすく表現すれば、高い意識になっていくと振動数は軽く繊細で清明になっていく。

逆に、これとは反対にレベルが下がっていくと、波動は濁り混乱し重くなっていく。
この高い意識の道を順調に歩いていければいいのだが、山も谷もない平たんで歩きやすい道を通っていける者はだれ一人いない。
スピリチュアルの中で生きている人は、まずこの段階を上がっていくことを目的に勉強していかなければならない。

当然、そのために努力している人はたくさんいるだろう。
しかし、意識成長の道には、様々なつまずき、壁、障害が待っているだけでなく、そのたびに精神的に苦しむ時期が何度もやって来る。
曖昧系で楽天的な心理状態になることを望むスピリチュアルではなく、本格的、本物、真理霊的方向を目指している人には、この道で出会う精神的苦痛は当然と思った方がいい。

何故なら、これまで触れたことのない世界、誰も教えてくれなかった意識の世界を進んでいくのであるから、簡単であるはずがない。
これから先目指す世界は、この世の知識などほとんど役に立たない意識の世界である。
意識の勉強とは、その世界を目指すためにするのだが、それは意識の切り替えの勉強でもあるので、そのことにも早く気づいた方がいいだろう。

PN意識や真理霊的な勉強を進めていく間には、様々なつまずき、壁、障害がある。
このことは、誰でも体験し分かっていると思うが、これからもずっとその中かもしれない。
しかし、意識成長のブレーキになっている様々なつまずき、壁、障害について、私は別な角度から見て、もっと知っておいた方がいいと思っていることがある。

ただ、意識成長のブレーキになっているものに、困り果て振り回されていないだろうか。
これに前を塞がれるたびに、そのとき何を思い考えているのだろうか。
自分の見方考え方捉え方、そして気づき方自体に自らブレーキをかけていないだろうか。

すべては、あなたの魂が意識成長のために教えてくれていることに、また気づかせようとしていることに、あなたはそれに意識を向けているだろうか。
すべてのネガティブや不快な反応は、本当はあなたにとって魂からの親切な刺激である。
君はこういうところが分かっていない、できていない、というあなたの弱点や未熟な点を指摘してくれているのである。

意識勉強と同時進行でいいが、どこかで自分が感じるつまずき、壁、障害に、一度真剣に自己分析してみるといいだろう。
そうすると、これまでのいろいろな見方、考え方、捉え方が、いかに狭い自分であったか気づけるかもしれない。
こういうことを気づき、積み重ねて創られる意識が拡大意識につながるのである。

拡大意識が創られる順を言うと、拡大思考、拡大心、そして拡大意識という流れになる。
まず、拡大思考創りから始めていくことになるが、私はその前にもう一つの準備を置いて慣らすのも大事だと考えた。
その準備として、「パノラマ意識」を入れた。

これは私の造語であるが、何となくこの言葉の感じは分かるのではないかと思っている。
このカテゴリーの前置きが長くなってしまったが、この内容は大事なことなのでもう少し説明をしてみたい。
これまでも意識的、潜在意識的な見方考え方や分析などは、けっこう説明してきたつもりだが、ただ未消化の部分もけっこう溜まっているのではないかと感じていた。

それらの未消化のことが、より理解が進むようにこれまで以上に見方、考え方、捉え方が広がり工夫できるようになればと考えている。
要は、「パノラマ意識」というカテゴリーで、少しずつ意識の仕組みに気づいていける内容にしたいと考えている。
意識の仕組みといっても、基本的レベルと思ってほしい。

内容のポイントは、基本であるから思考、心、一般的観念のことになる。
これまでの内容からすると、ずっと下界まで降りていく感じである。
「何で」「どうして」を、自分を満たしていく基本的土台意識とする。
それを「どのように考える」を知っていく。
次に「それがどのように展開していく」を見る。

「知らない」「分からない」と言って片づけてしまう、自分の中に根付いている間違った決めつけから抜け出すという気持ちになってもらいたい。
「知ろうとする」「分かろうとする」思いの積極性を意識化すべきだ。
少しでも良い、一歩でもいい、考えよう、見よう、調べようとするべきだ。
前進あるのみ、それがポジティブだ。

後退などどうでもいい、停滞はネガティブにするべきだ。
「考え方」をマスターすることだ。
思い、意識に動きなければ、次第によどんでいくのみだ。
必ず良くなっていく自分創りを無視して、どんな良いものを期待するのだろうか。

とにかく最終的な目的は、使える智恵ある自分にすることだ。
よく考えて、基本的な準備をしっかりしていくことである。
それが一番の目的達成の近道になる。
「パノラマ意識」の内容は、何かを説明することではない。
何かの話を取り上げて、私が感じたことを様々な角度から話していくことになる。


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コメント

基本 (yumi)
2016-11-16 16:18:12
おそらく最初に意識成長の道の入り口に立った時
ゴールは遠すぎて見えませんでしたが
光に照らされたまっすぐできれいな一本道が、
私の前からゴール方向へ伸びているように感じていたのに
少し進むたびに、その道には様々なネガティブが石ころや壁があり、
近づくまでそれらが全く見えなかった自分に気づかされます。
生活の一コマ一コマ
その中でいろんな行動をとり、感情が動き、反応・判断しているなかで
目の前の事が重いものであればあるほど、ちゃんと自分の反応やその元について見ていないことがあると気づかされました。
最近 「今を生きる」とは?と毎日自問自答していますが
まだ明確な答えが出てきません。
ともかくも、一瞬一瞬を大事に取り組んでいきたいと思います。
ありがとうございます。

yumiさん、ありがとうございます (F・H・S)
2016-11-17 18:35:38
「一瞬一瞬を大事に」「今を生きる」というのは、しっかり自分の分からないことに気づく、自分の未熟さに気づく、ということにとっていいと思います。
気づいたことを分かる努力をするか、分かるときが来るまで他の智恵を積み重ねていくかです。
いつか、十分に満たされた意識力を発揮できる自分を目指して、毎日この基本を積み重ねることでそれは実現します。
私もたくさんの勉強と実践を積み重ねて来ましたが、今もこれ以外の良い方法を見つけることはできません。