幻の心・悩む心

幻の心・悩む心~手強い「心」だが、それも時間の問題だ! 2014/05/25 

前回まで、心のことを随分ひどい表現をして来た。
しかし、心というものの大部分はその通りのものだから仕方が無い。
では、心にはほとんど善い面が無いのか、となるとそんなことはない。
この世は相対の世界だから、どんなことにも善い面と悪い面の両方がある。
ただ、人はこの善い面と悪い面を分ける基準をどこに置いているかとなる。

それは様々な考えによって判断していると思うが、その考えも心でやっているはずだ。
人の心は相対の場、観念の場といってもいいだろう。
観念の世界に心があって、また心は観念の世界を創り出すだけのものである。
どっぷり観念の世界に浸かっている心が、どうして善い面と悪い面の間に境界線を引けるのだろうか、引ける訳がないのである。

この基準、境界線は、人の考え方見方思い次第でどうにでもなることである。
要するに、すべては曖昧にならざるを得ないのだから、しっかりした答えを出すことは不可能なのである。
これは私にも言えることである。
私は別なところでしっかりと境界線を引いていて、この世的なことは曖昧を使っているというしかないが、だからといってその曖昧はデタラメということではない。

本物が解らない心には、この曖昧段階の答えでレベルアップしか出来ないからである。
それが言葉になると、より鮮明になってくるのである。
このことが良く分かるのが、政治家の使う言葉である。
曖昧、解釈次第でどうにでも取れるような言葉使いで話を巧妙に進めて行くので、本当に注意しなければならない。

こんな言葉使いは当然誠意が感じられないので、今の政治は本当に曖昧の勉強にもなる。
曖昧の原因は、この相対に線を引けないことによって起こるが、これが混乱に繋がってさらに人の心を迷わすことになる。
もし、相対に線を引こうとするなら、人口の数だけ心を統一しなければならなくなる。

これは到底無理だが、さらに言葉の意味や知識なども絡んでくるので、そうなるとさらに大混乱してくるだろう。
これがいつまでも統一、相互理解が実現しない一体感など超理想としか思えない人間心なのである。
この先も、この地上心では、相互理解による平和実現は無理だと、私は読んでいる。

分離に分離を重ね、それが曖昧でこねられ、それで出来上がったのが心の矛盾・・
これも、私が心をボロクソに言いたくなる理由の一つなのである。
この今の心が、必ずいつの日かどんな人にも大きな壁となって自分の前に立ちはだかる時が来るのである。

人それぞれ、それはいつかはわからない。
将来か、来世か、イヤもっと後か・・、当然これは苦痛である。
これについても、私は意識の法則、神の法則から言っているだけである。
このいつか直面する苦痛から逃れる方法は、イエス、シャカ、また聖者方も言っている。

ただ、多くの人がそれを無視しているだけで、その時は必ず、絶対来るのである。
この世には絶対ということはないと思っている人に、また言わなければならない。
もう目を覚ました方がいいと思うが、「神の法則は絶対」だ。

この宇宙も神の法則によって存在しているのだが、これを無視出来る人がいるだろうか。
「罪」という言葉の意味は、神の法則を無視する行為で、「罰」はその結果自分が受ける神の愛の欠如の度合いを表現していると考えていい。
罪深い人は、それだけ神意識から離れているとなる。

私は、そういう心の持ち主をネガティブで表現している。
ネガティブな心というのは、その度合いの分だけ神の愛からも遠ざかっているのである。
だから、ネガティブは愛が分からない、心からの愛の表現も少なくなるのは当然だ。

ただ、人との関係上それではまずいので、表面上愛情表現をつくろうことをするし、またそのために使える言葉は便利なものだ。
表面さえうまく取り繕うことが出来れば、心は隠せるものと思っているのが人間だ。
人は騙せても、自分の神(魂)にはすべて知られていることも知らないのだろうか。

寂しい限りだが、しかしこのような未熟な心でも、いつでも抜け出すことは可能だ。
ただ、すぐにとはいかない。
何故なら、人には、長い輪廻転生の間にこびり付いているネガティブがあるので、その掃除をしなければならないからだ。

しかし、その心の掃除がイヤだという人がほとんどなのである。
どんなに表の自分を飾ってみても、心の中はたくさんのゴミ、ホコリが溜まっているのにどうするつもりなのだろうか。
家(自分)ごと、ゲヘナ(地獄)に捨てられていいのだろうか。
まさか、そのうち神が何とかしてくれるといった甘い考えは持っていないと思うのだが。

知っているだろうか? 
神には、慈悲も非情も無いということを。
慈悲があるのは、人類を救いに来ている聖者だ。
これまでみんなと同じで普通と思っていた心というものに、いつまでもはまっていると大変なことになる。

心の未熟さ、無知さは、ここまで酷い表現をして来たので少しは理解出来たと思う。
これからは、この自分の心の善い面と心の変革に関して、ポジティブネガティブの波に揺られながら理解していける話をしようと考えている。
心が未熟、無知だから、苦しむ自分になるだけなのである。

もっと簡単に言うと、無知を脱して心の成長を目指すことが、自動的に神に向かうことになるのであって、特別なことをすることでも無いのである。
心を知るということは、本当にいろいろな角度から分析する話を聞くことが大事である。
だから、先ず最低な心の話からと思って進めて来たがまだ足りないといった感じである。

この世の人は、心が未熟、無知によって、何から何まで一番大事なことを後回しにして、結局自分の人生にブレーキをかけているのである。
自分の心の未熟さや無知を、過ぎ去った過去のものに出来るのも自分で、これは自分がやるしかないのである。
すばらしく成長した自分を見たくないのだろうか。

それは少しずつの成長を継続することで出来上がるのである。
心には限界があるということは何度も言って来た。
だから心のままではダメだということも、いずれはっきりと自覚出来るだろう。
もう一つ、無知未熟さの中には、やさしさと愛の欠如も含まれる。
頭が悪くてもやさしい愛のある人もいる、反対にとても頭が良くても無知そのものといった人もいるのである。

心も、どん底の無知は、愚かの頂点である。

幻の心・悩む心~これが自分という心の正体なのか! 2014/05/15

人は、心を自分自身そのものだと思っている。
それは違う、心は様々な人生経験に直面する時々で思考し想像するだけのものである。
だからしっかりと意志すれば、心はいつでも変えることが出来るのである。
しかし、変えた自分の心を、また自分自身だと思ってしまう。

良くも悪くもそう思ってしまうのだから、それに支配されていることになる。
深い部分は分からなくてもいいが、せめて心に振り回されなくなりたいものだ。
言葉上は難しく感じるかもしれないが、今の自分を正直に良しとするかどうかだ。
今のままの自分で充分満足と言う人は、辛いことに直面するまで何も気づかないだろう。

もう一つ、自分の意識をもっともっと成長させたいと思う人は心を知ることは大事だ。
人類の意識が成長しないのは、意識の底辺である心に関することを知らないからだ。
心を変えるには? 心の言いなりから抜け出すためには? 自分の心を支配するには?

そして、理想の意識としての自分を目指すには?これが自分と認めるまでになるには?
そのためにも、次のことはしっかり頭に叩き込んでおいた方がいいだろう。
心が独立して自由を持つということはなく、心はあくまで意識によって監視され、その本当の自分によって使われるべきものなのである。

心について2回書いて来たが、今回は心を知るということについて話していくが、それも印象付け的なものになると思う。
前回まで書いて来た内容は、この勉強をする前までの自分がいかに無知そのものであったかに気づいたことで、それを変えるためにやったことを書いてみた。
それが、自分の心の攻撃、それは徹底した自分の心をバカにすることだった。

自分の心をバカにするということは、その時の自分をバカにすることだ。
完全なる自己否定と二度と私を邪魔しなくなるように低級な心を潰すことだった。
そうは言っても、自分が満足出来る結果が得られるまで25年はかかったのである。

一人でやるということは、こういうことでそれなりの覚悟も必要だ。
私はこの意識の勉強を始めてすぐに、バカ、未熟、無知が自分、その自分で一生生きて行くことはまったく意味も価値もない、と覚悟して勉強して来たのである。
気の毒だが、ほとんど人はバカ、未熟、無知そのものだ。

私と同じようなもので、みんなそうだ、と今ははっきり言える。
私が人をバカ、未熟、無知だと思っているのは、その人の本性のことではない。
それは心だ、ネガティブに騙され続けている心を言っているのだ。
みんな、今の心は本当の自分ではないのだ、低級な心が自分ではないのだ、それだけだ。

ただ、それは偽物の自分で本物の自分を取り戻そうとしていないだけなのである。
気づいていない、まったく見えていない、本物の幸せも愛も。
大変すばらしい自分に気づける力と意識を持っているのに、いつまでも心に騙されて流され続けている人は本当に気の毒だ。

心、イコールこの世、イコール物的観念、イコールネガティブ、イコール輪廻転生。
この世の心なんて、ろくなものではない。
心で唯一価値があるのは、真の自分に目覚める心だ。
真理に目覚め、真理を目指し、さらに永遠意識を目指す以外に真の人生の価値はどこにあるのか、あるなら聞きたいくらいだ。

真理に入れば、心も、これまでお役目ご苦労さんになるだけだ。
これが私の人生。
本当に勝手なことを書いて来たので、相当反発したくなっている人もいるかもしれない。
それは真理に対する反発なのか、それとも心のまま自由に生きることに反対されたと思うことへの反発なのか・・

どちらにしても、心の手に乗らないように真剣に見つめてみれば分かると思うが。
心は、未熟で無知でネガティブだと思って、ほとんど間違いない。
最大の暗示を作る三位一体か、これが人間というのか、と思うと本当に情けなくなる。

そのせいで、いつも小さい争いから、果ては大きな戦争も絶えないのだ。
そのせいで、いつまでも悩まなければならない自分がいるのだ。
そのせいで、いつまでも人と仲良く出来ないのだ。
すべて心のせいで、心の未熟で無知でネガティブのせいなのだ。
これが、「幻の心」だ。

人がなかなか解けない暗示をかけ続けているのが、この「幻の心」なのだ。
人はいつ気づくのか、どこで気づくのか、どう言えば気づくのか。
この心が解らないと、人はずっと自分を変えられないのだ。
しばらくは、人の心をボロクソに書いていくことになるが、これが私が今出来ることだ。

結果は分からないが、内容は絶対的自信を持って説明していくことになる。
本当は心なんて、と思っているくらいだから、自信ではない、余裕でもない、こんなの相手にしたくない考える価値もないと思っていると言っていい。
誰よりもバカで未熟で無知な自分が、努力を通してこう思えるようになったのである。

一からやって、かなりの年月をかけて、このバカで未熟で無知な心を完全に潰した。
当然、ネガティブもだ。
神の意識の流れを邪魔するモノは、絶対許してはいけないのだ。
あなたの神意識の流れを邪魔するのも、心だ。

「幻の心」は、こんな程度の心を大事な自分の心として執着させるのである。
とりあえず、こんなネガティブ心を自分から分離させていくことからやることだ。
「ネガティブ心を自分から分離させていく」こう言うと、もうお手上げだろう。
このことが完全に理解出来るように、少しずつ心のことを知っていこう。

心を知る、理解するにも、さまざまな角度から心に関係することを知っていかなければならないのである。
私は「心とは何か」ということを説明するつもりはない。
それは私には無理だからである。
早く心を知りたい人は、そういうことを言ってくれる人を見つけることだ。

すべてに絡んでいるのが心で、それは当然潜在意識にも言えることだ。
真に心を知り理解するのは、意識、そして潜在意識まで関わってくると考えていい。
私は心に関すること、心と密接に関連していることを書いて行こうと考えているだけだ。

そのために、心の正体についてこれまで書いて来たのである。
心をここまでボロクソに書いてあるものもないだろう。
また言うが「心なんてこんな程度ものだ」
こんな程度のものに、何で大事な自分の人生を振り回されなければならないのか。
こう思うだけで、当時の覚悟が甦って来て集中力も増してくる。

私はほとんどのエネルギーをこのことに注ぎ込んで来たのである。
だから、すべて知っていて当たり前、それだけではない。
心のコントロールレベルが上がるにつれ、神(魂)との回路もどんどん開くようになって来た。
神からの援助が来るようになってからは、加速的に心、意識、潜在意識のこともよく分かって行った。

心を制すれば、潜在意識が心の代わりになり、それが意識の中継点となると書いた。
私の意識の中継点は、今は潜在意識から無意識に引越し中である。
意識というレベルから見ると、所詮心は、限界の中でしか生きられない、限界に縛られた、物的肉体的執着にしか全力を注げない未熟で無知なものに過ぎない。

最終的に、心は私たちの意志に従うものなのである。
心も自分の意識の一部には違いない。
その可哀想な心を、早く「幻の心」という地獄から自由にさせて、本物の自分(意識)で包んであげよう。

幻の心・悩む心~もっと深く「心」の仕組みに気づいていこう! 2014/05/05

「心」の探究は古く、哲学や宗教では紀元前の時代から、そして近年では心理学や精神世界などで「心」に重点が置かれるようになった。
犯罪や心の病が多くなったこともあるが、一方では経済に関係する心理作用、また現代の複雑な人間関係に対応するためにも、「心」の研究が必要な時代に入ったのだろう。

長い歴史を通して、多くの人が「心とは何か」を探究して来たのであるが、今をその結果として判断した場合、「心」のことがどれだけ解ったと言えるであろうか。
このような事実を踏まえて、「心」についてよく考えた場合、「心」というものがすぐ理 解出来るという考えは変えた方がいいのである。

しかし、「心」というものについては、ほとんど理解、知悉することも可能であると言っておきたい。
前回も書いたが、「心」は限界のあるもの、「心」も意識であるが高級意識の最下部層の部分であるから、意識の勉強を通していずれは知られるものなのである。

「心」のことを、この世の観念で染まった「心」で考えるからいつまでたっても解らないのだ、と私は言いたい。
真に、「心」のことを「解った!」となるには、「心」の上の意識階層から見られる自分になることが必要なのである。
この世意識であっても「心」の一部分は理解出来るかもしれないが、それではいつまでも迷いと疑いのネガティブ渦の中でもがくことになってしまうだろう。

「心」について考えるのも、「心」の中である。
この違いをどう気づくか・・。
人が一般的にいう「心」は、いずれすべて捨て去ることで解脱が成就するのである。
「心」を美化したくなる人もいるが、それも「心」の中から出て来る低級な美に過ぎない。

「心」の美に執着する人は、いつまでも「心」に縛られ続けるしかないのである。
「心」を捨て去るとか、解脱の成就ということについては、一般的には必要のないことであるが、本当に「心」について知るには充分な裏づけとしてここまで広げる必要がある。
少し難しくなっている感じがするので、分かりやすい話で進めていきたい。

この世には、美しい言葉、要するに心を打つ言葉というものがある。
それは、真理の言葉や聖者方の残した言葉、また感動するような名言でもいい。
しかし、人は真摯な態度でそのような言葉をたくさん並べる人に欺されることもある。
美しい言葉や感動させる言葉が悪い訳ではなく、注意出来なかった自分の判断力と心にも原因がある。

当然、欺す人間が一番悪いのは言うまでも無い。
どう見るか、どう捉えるか、どう思うか、 どう決めつけるかは、自分の心次第である。
心も脳も、自分の意志によって自由に使えるようにしなければならない。
ほとんどの人の「心」は、自分の意思に反して勝手に好きなように動き回るだろう。

人は自分の「心」や「感情」の動きも支配出来るのであって、しかしそれはある方法によるものではない。
人はすぐにある方法を求め、それによって理想通りうまくいく自分の姿に期待する。
「心」の願望実現法では、出来た自分を描けというが、「心」においては100%無理だ。

「心」ではなく潜在意識の願望実現なのかもしれないが、「心」も知らないでとうして潜在意識を活用出来るのか?
願望実現法が可能になれば、切実な問題である「悩み」も描くだけで解決するのだろうか。
人の悩みは、無知、無智の「心」の仕組みを知り尽くすレベルによって解決の段階となる。

悩むことが少なくなるのは、当然「心」というものから離れられた結果になる。
どんな人も、いきなり「心」というものを理解出来るということはないが、時間をかけて意識全体を知っていけば、間違いなく悩むことも減っていくのである。
人は「心」に生きる限りは、悩み続けると言ってもいいだろう。
あなた自身が「心」にいなければ、悩みから解放されるだけでなく、意識レベルもどんどん上がっていくことになる。

悩みから解放されない、いつまでも「心」にいるというのは、何かの「執着」が関係していることなのであって、本当はそれ以外の原因はほとんどないのである。
「心」と「執着」は、相思相愛の仲と言ってもいいほど、切り離すのも大変である。

今は、「心」の解脱に向けていろいろなことが絡んでいることや、その複雑な構造に気づいてもらうために必要なことを並べているだけである。
「心」を自分から切り離し、そして支配するまで、私は無知なレベルの一から一人でやって来たのであるから、それがどういうことであるかはすべて知っている。

以前にも書いたが、私には「心が無い」、ということにも意味があるのである。
人間、この世にいる限り実際に意識から「心」が無くなるということはあり得ない。
どんなことにも、その裏には意味があるのであって、それを理解することに焦点を当てると意識向上も早くなるだろう。

「その裏の意味を理解することに焦点を当てる」というのが、意識の智恵でありコツである。
それはあるのだが、それに素直に意識を向けずに他のことに気を取られると、いつの間にかその道から離れて行くのである。
いつの間にか、そのようになってしまうのが、今のあなたの「心」ということである。

自分を良くするための大事なことからうまく目を反らすように誘導するのが、ネガティブと結託した「心」なのである。
だから、そんな「心」は「ぶっ潰せ!」と言いたいのである。
自分を良くしてくれるならいいが・・、私がやって来た経験からいうと、容赦なくこんな「心」をぶっ潰して正解、成功となる。

「心とは・・」、なんてことをいつまでも考えているより、自分のネガティブと結託した「心」をポジティブ力で支配していく方が、まだ早く「心」のことが解るようになる。
「心」のことを説明するのは、順序良くスムーズに説明することは難しい。
私も、素直にそれは出来ないといった方がいいかもしれない。

こんな感じだが、これから少しずつ「心」を理解するための厳しいところを突いていこうと思っている。
「心」を美しいものと考えている人にとっては、抵抗のある内容になるかもしれない。
しかし、私は真理から話そうと思っているだけで、また結果を知っているからそうしたいだけなのである。

はっきり言って「心」は使いものにならないものと見ているが、これにも意味がある。
「心」のことは、私はいつも意識の上から目線で見て、また見下ろしている。
本物は、この世の「心」ではなく神意識にあるのだから、こうなるのも当然と思っている。

幻の心・悩む心~心の意味?心の価値?・・心の限界! 2014/04/25

このカテゴリーでは、幻の心について理解出来るようにしていきたいと考えている。
幻の心は、悩む心であり、また悩む心は、幻の心と言ってもいいだろう。
ほとんどの人は、心の世界に生きている。
心の世界と関連している世界は意識の世界であるが、その本質までは知らない。

意識の世界というのは、意識、潜在意識、無意識、霊意識といったものである。
心といっても、それも本当は意識である。
では何故、私は心を意識して扱わないで分離させて考えているのかとなる。
その答えを簡単に言うと、心と意識は、その働き自体がまったく違うからである。

一般的に考えられている「心とは」に触れても、まったく興味も湧かないだろう。
また、「心とは何か」という表面的なことを知っても大した知恵もつかない。
「心とは何か」ではなく、心のことはほとんど知ってしまうべきもの、と私は思っている。

そうは言っても、心のことをただ説明するだけでは理解することも出来ないだろう。
意識的なことは思考したり、知識的に覚えたりすることで分かるものではない。
心はこの世だから、とりあえずこの世の観念としてまとめて整理していくしかない。

それを一段高いレベルの真理から、あらゆる角度を通して見るしか心は理解出来ない。
今回は、心に関係することをいろいろ説明するだけだが、これからは心をひっくり返すことを書いて行こうと考えている。
心をひっくり返すというのは、多くの人が正しいと信じ込んでいる心というものを違う観点から見るということである。

要は、心のウソを暴きたいということだ。
何故、人にとって大事と思っている心をボロボロにしたいのか?
スバリ! 心なんて、その程度のものだからである。
こんなことを言うと、あなたはどう思うか分からないが・・
私は、自分の心を踏みつぶして来たのである。

その結果、過去の自分とは350度以上変わった今の自分を創ることが出来たのである。
誰にとっても、今回の話はまったく何を言っているのか、その意味も分からないと思う。
そこまで、人は今の自分、心というものを疑うこともなく受け入れているということになる。

今の自分というのは、ほとんどの人に言えるが心の占める割合が大部分であるはずだ。
心が自分という人がほとんどだろう。
心の真の正体が分かったら、これが自分なのかとがっかりするだろう、と思うが・・

以前にも書いたと思うが、私はかなり心というものを低く見ているのである。
本当は、かなりというレベルではなく無視しているくらいといってもいい。
だから、意識の中でも心だけは特別に攻撃の対象にして来た。
これは、この意識の勉強を始めてから早めにそうして来たことである。
何故そうして来たかというと、心はネガティブだからである。

きれい事を言ってもムダだ! 
ほとんどの人は実際にそうだからである。
私はこの自分の心を潰すために、意識の勉強を全力でやって来ただけだ。
この自分の心に支配されている限り、この心を潰さない限り本当の人生を生きられない。

誰が何と言おうと、私はこうして心のことを全部知ることが出来たのである。
はっきり言うと、心を大事にしている者は高級意識進化などは望めないだろう。
今回は、私の心に対する思いをたくさん言っておきたい。
かなりビックリするかもしれないが、本当のことだから仕方ない。
あくまで私がやって来たことで、これは早くから気づいていたことでもある。

だから「幻の心・悩む心」というカテゴリーで、心を破壊したいのである。
今後書いていくことは、すべて私が本当に思っていることであるから、私の意識としてとってかまわない。
大体、心なんて何も答えを出せない、デタラメでいつもふらついているものだ。
こんなものに、長い間自分が支配されていたことを思い出すと、本当に不愉快になる。

随分ムダな時間を使って、この無知な心に翻弄されて泣いて来たものだ。
この勉強を始めた早い頃に気づき、このいい加減な心を何とか滅ぼそうと努力して来て、今は本当に良かったと思っている。
この幻の心を破壊し、滅ぼすことに成功したから今の自分がある。
これが出来なかったら、いつまでもグズグズしている自分と闘っていただろう。

こんな無知でつまらない心に自分という支配権を奪われていたが、今は意識としての自分が心を完全支配している。
本当に、何で心というネガティブを大事にしなくてはならないのか・・、私は意識だ!
このネガティブがあるから、本当の自由が分からない、また思い通りの意識成長も出来ないのだ。

ネガティブだから、何とか理由をつけてうまく引っ掛けてくる。
自分の心を壊そうとすると、自分自身が完全に失ってしまうような感覚にさせて来る。
さすがネガティブのワナ、心のすべて見破ってついでにネガティブにも勝って来た。

心の中で変えられる勝手な都合のよさ、正当化、自己擁護、自己顕示・・
心のことを言うとキリが無いくらいむなしいことが多い。
人々の心の反映がこの社会、この世だ。
意識成長が置き去りにされた、科学進歩を賛美している人たちの心も哀れだ。
「心と心の触れ合い」、どこかウソっぽい、真の意識と意識が感じ合えば自然そのもの。

本当はきれいな心なんていうものはなく、きれいな意識があるのみだ。
心から出て来る言葉なんて、ほとんどあやふやで大した意味も無い。
心自体があやふやなのに、どうして言葉の意味がしっかりしたものになるのか。
心のあいまい、いい加減さはすべて知り尽くした。
心のウソで成り立つ人生を生きることが無くなったことは、本当に幸運だった。

カラカラの心を隠れ蓑にした人生、わざわざこんなものに栄養を与える必要もない。
魂には心は無い。
心は、人間が輪廻転生の流れに入ったときに創られた。
それこそ、心は生まれ変わりストップするまでの幻の意識だ。
輪廻転生の流れは、この世というものだ。

気づけば、幻の川がよく見えるよ。