導きの一本道

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導きの一本道~ 「小悟」 「中悟」 「大悟」 2013/10/25 

「導きの一本道」は今回で終了し、次回からはまた新しいタイトルで始めたい。
今回の「小悟」「中悟」「大悟」の説明も難しいが、私のこれまでの経験から話したい。
どんな人も一気に悟りに達するということはない。
悟って行くにも段階があるが、それがこの「小悟」「中悟」「大悟」の順となる。

これは意識だからその間に明確な線を引ける訳はないが、その段階は意識の違いである。
「小悟」は第一の意識の死、「中悟」は第二の意識の死、「大悟」は第三の意識の死。
「小悟」は第一宇宙意識、「中悟」は第二宇宙意識、「大悟」第三宇宙意識となる。

「小悟」は神意識に目覚めること、「中悟」は霊的法則の中に生きること、「大悟」は神(魂)との一体化に入ること。
大まかな目安としては、「小悟」はP4前後、「中悟」はP5~6、「大悟」はP6以上。
ポジティブ度で見るのは、顕在意識ではなく潜在意識や根本意識でみる。

自分の意識の段階を知れば、自分の意識の位置も大体分かるようになる。
「大悟」に入れば、仏教や聖書や聖者の教えなども低く感じるようになる。
これは、イエスやシャカや聖者方の意識が低く見えるというのではない。
イエスやシャカや聖者方は、こんな低いレベルのことを教えに来たのかと感じるだけで、やはり神意識レベルは想像を絶する。

「小悟」「中悟」「大悟」というレベルから見ると、何も気づいていない一般人の意識は、どういうものかが少しは想像出来ると思う。
本当に拡大した意識から見ると、私は宗教とか霊というものはまったく違う角度から見たり、捉え方を変えたりした方がいいと思っている。
何かに対する信仰というよりは、まず心や意識の理解が先だろうと言いたい。

心や意識の理解もなく、神も霊も天使もないだろう。
いつまでも分からないといった思いや考えから早く抜け出すことが一番大事である。
意識が分かれば、他のことも転がるように分かっていくものだ。
つまづきや足踏みが続くこともあるが、それからも必ず抜け出せるのである。

人間意識構造は皆同じであるから、ネガティブからポジティブへの変換は全員が可能だ。
この意識の変換段階が、「意識の死」というものである。
「意識の死」というのは、簡単に言うと、この世の観念意識からの段階的死である。

大きく分けて3回の意識の死があるが、その段階とは何を意味するか知ってもらいたい。
人は、いつか必ず死ぬが、それは肉体の死である。
しかし、人の三次元意識である魂、根本意識は、来世で生まれ変わった肉体に入る。

何の変化もなかった観念的意識は、単純にネガティブポジティブの引き継ぎをするのみ。
ほとんど人は、このような感じで相当数の輪廻転生を繰り返して来たが、まだ続く。
しかし、「意識の死」は単純な観念意識の死(肉体の死)とはまったく違う、深い意味がある。

「意識の死」を通る者は、それなりの意識の勉強や経験をしている者である。
一回の「意識の死」は、普通に死を迎える人生と比較すると、普通の人生の数回から数十回経験したといった価値になる。
肉体の死を通らず生きながらにして、このような悟りの段階を上がって行けるのである。

これが本来の悟りの段階、意識向上進化の段階なのである。
だからといって、「中悟」「大悟」まで進まなければならないということはない。
しかし、生まれ変わりストップするための「小悟」までは、頑張るべきだと思っている。

今の世界を見ると、これもほとんどの人には遠いことのように感じる。
修行者であっても、この深い意味まで理解している人は少ないだろう。
この世の観念レベルから大聖者方の説く言葉の意味を考えても、分かるわけはない。
せいぜい道徳とか違う世界のことにして、自分の無知を傷つけず擁護することだろう。

それでも、いつか何かいいものが現れてくるという期待を死ぬまで持ち続けて行くだけ。
安易で遠回りさせるもの、一時的幸福感で満足させるものはこれからも多くなるだろう。
人間意識には限界がある。もちろんこの世的観念意識にはである。

みんな騙されている。
誰に騙されているのだろうか? 自分に、そしてこの世の見かけの「正常」に・・
それを抜け出せれば「小悟」。
霊的法則を知り、それを守って生きようとすれば、いずれ「中悟」に入る。

これだけだ、早くこの世の、本当に異常で間違っている観念の正体を知るだけだ。
意識進化にとって、使いものにならない観念を支配し、それを真理の智恵で置き換える。
これが基本で、難解な哲学や真の意識成長をもたらさない宗教なども要らない。

必要なものは、イエスやシャカや大聖者方の言葉、その本当の意味だけだ。
それで、精神的無知や苦しみから脱出出来るのである。
もし、これで脱出出来ないとしたらその理由はただ一つだ。
それは、自分の間違った見方、考え方、捉え方にまだ、本当に気づいていないだけだ。

しかし、この基本的なことにしても、素直に受け取れない人もいるかもしれない。
結局、それ自体が間違っているということに気づけない意識が問題なのかもしれない。
聖書にもあるように「新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない」という気づきだ。

人間意識の混乱は、思った以上に酷いものだ。
元々、無知で混乱している意識であるから、初期の意識成長には混乱はつきものである。
どんな人も、この混乱時期は避けられないのであるが、ほとんどの人はここで止まる。

せっかく成長するために必要なことに出会ったのに、ここで意識成長を止めるのである。
一見これは矛盾と思えることだが、観念人生を考えれば実に当然といったことになる。
長い間の輪廻転生で積もり積もったネガティブ自体が混乱しているから仕方ない。

ネガティブの正体やこの世の観念を理解するだけで、人はガラッと変化する。
しかし、ほとんどの人は、変化したすばらしい自分などにはそれほど興味が無いらしい。
自分を良くすることに何故飛びつかないのだろうか? 
不思議だ。

何故、苦痛で「身を以て知る」を待つのだろうか。
私は30年を超える意識の勉強で本当に気づいたことはたくさんある。
その中でも、自分を含め今の人類意識のレベルをはっきり知れたことは大収穫だった。
この世にある霊的教えでは、イエスやシャカや大聖者方は最高レベルである。

しかし、その教えの仏教や聖書や聖者の教えなども低く感じたときは唖然とした。
私は自分にあるこの世の観念すべてを、全体重をかけて足の裏で踏みつぶしたくなった。
こんなつまらないことを相手に悩み、戦い、苦しんで来た自分に情けなくなったからだ。
これがこの世の答えだ。
この観念人生にどんな価値があるのか、これは「人はパンのみに生くるに非ず」の逆だ。

観念から抜け出すための勉強、それがイエスやシャカや大聖者方の教えの意味である。
それが、この世のおける最高の自分を高める意識の勉強である。
イエスやシャカや大聖者方は、人類の意識向上を援助する以外に、他に何か目的があったのだろうか。

これに気づけば、だれでも自分を今より良くすることも、変わることも出来る。
それはいつでも可能だ。
以前にも書いたが、自分のネガティブからは絶対逃げ通すことは出来ないのである。
いずれ、どんな人もきつい自分のネガティブに必ず直面するときが来る。

自分でも自分の意識が分からないと言っている人に、どんなネガティブが潜んでいるか。
これらのことは、私は霊的法則(神の法則)から言っているのである。
もし、今言ったことを笑えば、それも一緒にいつか自分に返って来るだろう。
最後に一言。

一度でいいので、「神の法則」から逃れる方法を真剣に考えてみてはどうだろうか・・

導きの一本道~神の法則(霊的法則)と人間の根本意識 2013/10/02

より高い意識を目指す人にとって、最大の障壁は3次元と4次元の間にある壁である。
これは何も霊的世界に入る時にぶつかる壁ということだけでは無い。
3次元と4次元の間にある見えも気づきもしない壁とはどういうものなのか。
この壁は、人間と霊を分離させるために神が創ったものなのか。

3次元と4次元の間にある障壁を壊すには、どんな能力が必要なのか。
この3次元と4次元の間にある障壁を理解出来るだけでも、意識向上の成果だ。
では、その障壁を壊せるものは何か、その方法かまたはその能力とはどんなものか。
その方法は、「空海」も使った。

それは方法と言っていいのか、それとも能力というべきか。
そして、空海は、3次元と4次元の間の壁を越えることに成功した。
しかし、どのくらいの修行者が、これに挑戦出来るような意識になっているだろうか。
実はこの挑戦は大変なことなのである。

今回は、この挑戦というより、これを理解出来るまでのあなたの意識を確認するといい。
霊的なことを考える上で、絶対的土台として理解しておかなければならないことがある。
それは、神の法則とか霊的法則というものである。

これに従った考えが出来れば、早くこの挑戦ができるようになるだろう。
逆に、これに反する者は、いつまでも真の意識成長はないと思っていい。
これも霊的法則で決まっていることである。
ここまで簡単に言えることはないし、これが分かれば霊的成長も加速するだろう。

どんなに反発しても、あがいても、すべてのことは神の法則には従うしかないのである。
霊界も宇宙も、人間もその他すべては神が創ったものだ。
しかし、好き勝手し放題で、いつまでも今の世が存続すると思っているのが人間だ。

「神」を分からないのは仕方ないことだが、それにしてもいつまでも眠りの意識過ぎる。
「神自体が顕現することは無い」ことを知ったネガティブ科学者は、おごりの極みだ。
物質界全体が、霊的法則で成り立っていることすら知らない。

霊的法則の一部を取り上げた話になるが、これから説明していこうと思う。
それで、霊的法則というものがある程度わかっていくだろう。
まず冒頭に書いた「3次元と4次元の間にある障壁」とは何か、これから入っていこう。
障壁の正体とは何なのか?

「3次元と4次元の間にある障壁」は、元々神の世界には無いのだ。
その障壁というものは、人間意識の中にあるものに過ぎない。
あなたの意識宇宙は、どのくらい透き通っているだろうか。
では、あなたの意識宇宙を不透明にしているものは何か。
この意識を不透明にしているものの正体が、いつも言っている自分のネガティブである。

これしかない、人間の意識の中にしかネガティブの障壁は無いのである。
意識宇宙という言葉が出たので、少し空海の意識訓練とつなげて話をしてみたい。
私は、空海の教えの詳しいことは知らないので、すべて霊的法則からみた判断になる。

空海というと、ちょっと馴染みの薄い仏教のことになるが「虚空蔵求聞持法」が有名だ。
「虚空蔵菩薩の真言を百万遍唱えるとあらゆる教えの意義を理解できる」
これが、「虚空蔵求聞持法」の意味らしい。
10日間の修行で、1日10万遍唱えて10日で百万遍唱えるということだ。

空海はこの修行で悟った、となっているが、超インスピレーションを得たのだろう。
このときの空海は19歳だから、これから進むべき道がはっきりしたのだろう。
空海が唱えたのは真言といって、マントラムと考えると分かりやすい。
私が想像するには、空海は本当に真言を百万遍唱えたのかということである。

空海なら、ここに隠れている意味は分かるだろうと、私は思っている。
それは百万遍唱えて行く課程で分かる、もし百万遍唱えるまで行けば逆に失敗だ。
その言葉に含まれている振動は何か、どれほど神(仏)に近い振動かに気づけばいい。

このような真剣に行う集中は、何か最高の御利益を得るためにやることではない。
そんな気持ちがある自体、すでに失敗だ。魂(神)は知っている。
ここまで到達しないと、「3次元と4次元の間にある障壁」は壊れない。
初めから神にはない障壁だから、自分が変わればそれは自動的に消滅するだけだ。

低級意識レベルであっても、高級意識レベルと相互に関連し合っているのである。
「虚空蔵求聞持法」を解説している本やサイトもたくさんあるだろう。
そこに解説しているような事は、私はやらない、また意味が分かれば真言も要らない。

この世にある真理のすべての教えは、ヒントにすぎない。
それは、言葉に出来ないものを、その意識に入りやすく表現しているだけだ。
それを完全に理解するのは教えを聞くことではなく、多くの経験の中の意識だ。
「ここまでは自分には必要がない」と、あなたはそう思うかもしれない。
しかし、大事なことがある。

何もこれと同じことをしなければならないということではない。
大事なこととは、いろいろな話から自分の意識に関わる霊的法則を知ることにある。
冷静に、霊的法則から自分を監視出来れば、一喜一憂している自分も支配出来るだろう。

では、もう少し分かりやすい霊的法則の話である。
聖書にも似たような話が載っていると思うが、このようなことである。
「人を憎み恨めば、それは自分にしていること。人をいじめれば、それは自分にしていること。
人を傷つければ、それは自分にしていること。人を殺せば、それは自分を殺すこと」

これはネガティブなことを言っているが、この逆のポジティブでも同じことになる。
これが霊的法則ということである。
いい意味でいつも自分のためだが、この深い意味が分かるだろうか。
今生のいつか、または来世にこの報いは自分が受け取るということである。

「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」これと同じ意味である。
気づいただろうか、予測がつくだろうか。
これまでの世界の歴史を振り返ってみて、今の人間意識の現状をみて、何を感じるか。
これが人間というものか、これが人間だと済ませていいのか。

それで何十年後は?
「歴史は繰り返す」のは、もちろんこの霊的法則の分からない人たちだ。
では、この分からないという人の意識の根本にあるのは何だろうか?
それが「霊的無知」とか「霊的性質の欠如」いうことになる。
「神様!仏様!」と祈っても、このネガティブ意識と神意識のどこに接点があるのか。

神、神と言うけれど、また一心に手を合わせて神や仏に祈ることも出来るが・・
それで神に触れられるのか、何かしてくれるのか。
人は、一生に一度でも、神について何かを知ることが出来るだろうか。
神は一つであるので「真の神」というものはない。
真の神は根源神だ。
その神を知るとか、触れるというのは、絶対無理なことだ。

その前に、自分の神である魂に触れることが先、それが順序というものだ。
自分の魂に近づく前にやることとは何か、それは自分のネガティブを何とかすることだ。
ネガティブを自分から外しながら、真理を理解していく、この逆でもいい。
これを一言でまとめると「霊的法則・神の法則」を意識化するということになる。

これ以外の方法で、意識を進化させることなどあるはずがない。
神が創った法則の中に存在している人間が、神以外の何かでどうして神と一体化できるのか。
「みんな仲間、みんなで手をつないで一緒に楽しくどこまでも」で、ハルマゲドン行きは悲しい。

「みんな仲間、みんなで手をつないで一緒に楽しくどこまでも」で、最後の地球が魂の望み。
損得ではない、すべての行為が必ず自分に返って来る。
嫌なものを見たくない、それについて話すことも自分をどう思われるかが心配で黙る。

気持ちは分かるが・・
真実を無視してポジティブに生きる・・、それはウソで生きると言うことだ。
今がよければ、次はいいか・・。すごい余裕だ!
自分の魂が喜ぶことを確信してやって行ければ、すべて余裕となる。
ネガティブ意識は、このような大事なことを簡単に否定する。

このようなネガティブだけでなく、人が気づいていないネガティブもたくさんある。
霊的法則の知恵は、あなたのネガティブを照らす光になる。
自分のネガティブに気づき、それをポジティブに変えない限り神の援助は来ない。

本当は魂の援助はどんな人にも来ているのだが、それをほとんど無視しているだけだ。
「自分のネガティブを外すなんてとんでもない、それじゃ自分がいなくなってしまう」
このようなことを本当に信じている人もいる。

自分のネガティブを外した分、本当のこと本物意識を補充すればいいだけなのに。
「今の自分のネガティブを残したまま、良いレベルに達したい」
このように思っている人はがほとんどだろう。
これも、なかなか気づけない意識向上の障害の一つだ。

これまで話したことを、一つ一つよく考えてみると、いろいろなことが分かると思う。
人は、自分のネガティブからも、また霊的法則からも逃れることは出来ないのである。
先送りすればするほど、心身の苦痛が上積みされていくだけである。

こう言っても、今で無いから大して役に立たないということも分かっているのだが・・

導きの一本道~死せる意識と永遠生命意識 2013/09/10 

「死せる意識と永遠生命意識」は、「死せる物的意識と永遠生命の魂意識」といったほうがわかりやすいかもしれない。
人が死ぬと肉体はこの世に残され、意識は旅立つ。
その行き先は、死後の世界だ。
死後の世界は、「冥土」とか「黄泉の国」と呼ばれている。

死後の世界は、霊界ではない。
また、人が死んだら「仏」になるのでもない。
死んだ人を指していうのが仏で、その仏の意味はキリストと同レベルの仏陀ではない。
死後の世界でしばらく過ごした3次元魂意識は、また旅立つ。

次の行き先はどこだ。
旅立ちの時、目の前に3本の道がそれぞれまったく違う方向に向かって延びている。
完成の方向は霊界、次の道は宇宙意識向上の段階、そして残りは地球でやり直しの道。

どの道を選ぶか、それを決めるのは3次元魂の自分ではない。
その3次元魂のすべての人生(輪廻転生)のデータは、すでに霊界の神に知られている。
その神は、一般に知られている閻魔大王であるが、それはあくまで方便だ。
閻魔大王の真の正体は、誰もが知っているものとは大きく違うので、それは忘れていい。

閻魔大王は、人が死んでからその人の人生全体を裁く役目として、人々に霊的法則を教えるために方便として創られたものである。
閻魔大王の真の正体である霊界の神は、地球人全員の魂が入る体の誕生と死を司っている。
地球上の一日における何万人か何十万人かの死と誕生を、原初から休むことなくまた微塵の間違いもなくさばいているのである。

霊界の地球担当の神々、人の誕生と死を司っている神は個人のすべてを把握している。
3次元魂(個人)が進化の過程でやって来たことのすべては知られている。
それは、地球人生のことである。
このことを信じられれば、これからの自分も変わっていけるだろう。

この智慧が、「因果法則」に繋がっているということがすぐ浮かんで来ないと・・
もう少し閻魔大王の話をしてみたい。
「うそをつくと閻魔様に舌を抜かれる」、こんな迷信はカワイイものだ。
たとえ、舌を2枚持っている人でも隠し切れないので・・

人は自分であっても知らない自分のすべてを、霊界の神には少しの漏れもなく、完全に知られているということである。
この霊的法則を知らないで、平気で自分の金儲けや権力やその他の我欲のためだけで人を苦しめている人がいる。
今の世界を見てもそのような人は本当に多い。

単なる欲の金集めのために、私たち人間にとって生きてく上でもっとも大事なものを、この先の長い未来にかけてダメにされてしまった。
空気、川の水、田畑、海・・・、結局、空も、海も、川も、大地も・・動物、虫、植物までも。
法則を知らない人をみると、本当に気の毒でならない。

単なる目先の欲だけで、自分の魂を取り返しのつかないくらい、それこそ完全に汚染してしまうのだから。
「閻魔様に舌を抜かれる」そんな程度で許されるものではない。
ここでは詳しい説明は省くが、意識の構造から判断してそのような大罪を反省しない者は必ずハルマゲドンの世界に生きる。

ハルマゲドンの深い意味はほとんどの人は知らないと思うが、甘く考えない方がいい。
ハルマゲドンの時代は、地球の歴史上もっとも厳しい神の法則に直面するときである。
苦痛を超えた地獄の日々、それは人が知っているレベルの地獄をはるかに越える想像を絶するものだ。

超ネガティブ人、彼らがこの地上で人々を苦しめることによって自分だけいつもヌクヌクとした中で生きて来た。
輪廻転生の間、人々に与えてきた悲哀、心身の苦痛、そして霊的法則を蔑ろにしてきた罪を、超ネガティブ人はその全てをこのハルマゲドンでまとめて受けなければならない。

これだけでも、ハルマゲドンの地獄は想像できると思うが、それより自分の意識向上だ。
ああだこうだと考えることも必要ないくらい、神は全ての人に平等公平である。
これが人にとって一番分かりやすい、霊的法則というものだ。
今の人生だけで判断しても神の法則や仕組みはわからないだろう。

観念レベルの世界だけでものを考えても、本当の答えなど出る訳もないし時間のムダだ。
この先の未来が良くなるなら、私もそのような喜びにあふれたことをたくさん書きたい。
しかし、人類の全意識と今の世界の指導者とその国の国民意識を総合的に判断すると、私には一つの読み、結果が出てくる。

もしこの先良い未来を期待するなら、まず個人個人の意識から変えてほしいと思う。
それが出来ないなら、あとは自分でその結果の世界に生きるしかないだろう。
私が多くの人に意識向上を勧めている目的の一つ、それは生まれ変わりストップである。

霊的に向上した意識は、どんどん次の宇宙意識の段階に入っている。
いったん宇宙意識に入れば、二度と物質世界に戻ることはないだろう。
ネガティブな意識は、霊界の誕生と死を司る神によって地球に戻される。
この先の地球の未来は、宇宙意識の段階に入っていく人は少なくなり、地上はネガティブ人の色が濃くなっていくだろう。

神の時間からいうと、この先3次元の世界はそれほど長くは続かない。
いずれ3次元世界に幕は降ろされる。
超楽観か平和ボケかマヒかは分からないが、このままのんびりかまえていては、気づいたときは焦りと動揺の真っ只中に放り込まれているだろう。
このような言い方は、ネガティブなことを言っているとなるのだろうか。

私は今回話していることは単なる心配不安で言っていることではなく、全てのデータをまとめ人類意識を霊的法則と照らし合わせて読んだ結果で話しているだけである。
このように、人類の未来を注意して読むことも間違っていると言われるのだろうか。

だったら、良くなるきっかけ、要素、個人個人の未来変革の意思でも見せてもらいたいものだ。
神に対して何もしない人間を、それでも神は助けてくれると思っているとしたら、それこそオメデタイ人だ。
神が人を援助するかしないか、それには神自体は関わらない。

これはいったいどういうことなのか、これはとても大事な事なので知っておいてほしい。
先ほど出てきた、ハルマゲドン時代に生きる人間を例にとってみたい。
ハルマゲドン時代に生きる超ネガティブ人であっても、神の赦しを受けられるのである。

その方法はただ一つあるのみ。
「神に自分の赦しを請う」これだけ。
簡単ですか、いつでも出来ると思いますか、これで救われるなら今のうちに好き勝手なことをしておきたいですか。
しかし、その前に霊的法則を忘れてはすべてが無になるので注意。

これもシンプル、真剣に自分の罪を反省し赦しを請うだけ、ということである。
本当にこれだけであって、他に何かを必要ともしないし、また神も要求しないはずだ。
では、さらに核心に入ろう。
今言った簡単なことを本当に出来るだろうか、ということだ。

人が思う真剣は、本当に真剣だろうか。
あなたが思う真剣は本当に真剣だろうか、真剣とはどういうことか知っているだろうか。
心から自分を反省し、神に赦しを真剣に請う、こんなのは普通だ。
普段から神に向かって自分の全てで真剣に触れているだろうか。

神に対する真剣って、本当にどこまで知っているのか自分自身に問うてみればいい。
神に赦しを請い、真剣な思いで祈って祈って、祈り疲れるまで・・・
それでも聞かれなかったなら、その時どのような思いや意識になるだろうか。
やはり、「神なんかいないんだ!」「ここまで祈っても何もしない神なんて・・」と思うのか。

ここをどう超えるのか。そんなことまでする必要があるのか・・
すばり、祈り方ではなく、もっともっと深く、神を信じるという本当の愛(意識)を知ることだ。
特に超ネガティブ人は、神から赦されるにも相当な時間がかかるだろう。
それでも、真剣に神に向かっていけるだろうか。

霊的法則に関わる意識構造、この意味が分かるだろうか。
本当の祈りの方法は誰も知らない。
霊界の人の誕生と死を司っている神は、人が気づきもしない根本意識を見るのである。
神はシンプル、しかし人間意識は混乱。

この混乱をどうやってシンプルにしていくのか、すぐに出来るのだろうか。
どこまでも人は、自分勝手で神を考えている。
しかし、神は怒ることも無視もしない。
一人ひとりに、霊的法則の自由を与えている。
すべては、霊的法則の中でやるだけでいい、それだけで解脱できる。

人が生まれ変わる目的はただ一つのみ。
「今のあなたの意識が、死せる幻の意識に気づくと同時に、真の魂意識に気づくこと」
これだけである。

導きの一本道~観念の川と真理の岸 2013/08/23

いま人が生きているこの世界と真理の世界、それに人類という人間意識の進化がどのようにして絡んでいるか、その関係を見える形で説明してみたい。
この話は、意識を相当なレベルで拡大した形になるので、思考を使うというよりは絵的にイメージしたほうがわかりやすいかもしれない。
話の内容はすべて比喩で進めていくので、二度読むと理解出来ると思う。

・・・・・

いま生きている人、人類のほとんどは、とてつもない広大な観念の川の流れの中にいる。
川の中にいるのであるが、もちろんしっかりと巨大な物的観念船に乗っているのである。
その観念の川の流れは、原初から始まっている人類の長い歴史の川そのものである。

その間ずっと巨大物的観念船に乗っているのであるから、観念の川に流されて生きていることになる。
人類意識である観念に流されて生きているのであるが、一般にはそれはどうでもいいことなのかもしれない。
この巨大な物的観念船に乗っている人類の一人一人にボートがあてがわれている。

それは、その人のためだけの一人乗りボートである。
物的観念船に乗っているほとんどの人は、そのボートの名前も意味も使用目的も知らない。
ボートの名前は「アセンションボート」という。
そのボートに乗ることはいつでも自由であり、巨大物的観念船のそばで楽しんでいる人も少ないがいる。

このアセンションボートを、人々はいつ使うか、それは巨大物的観念船の運命に気づいたときなのか。
行き先不明の巨大物的観念船の中で人々は、様々な人生を繰り返している。
巨大なこの船の中で、人は生まれ変わるたびに、目にする景色は新鮮なものに感じている。

しかし、それも幻想で物的なもので何一つ新鮮なものなどはないのである。
本当は、回転イスに坐り正面だけを見つめた状態で、イスが回る360度の視界を楽しんでいるだけなんだが。
角度が変わることで新鮮に映るこの仕組みは、まるで暗示の輪廻転生の世界そのものだ。

この巨大物的観念船は、一体どこに向かって進んでいるのだろうか。
最高のもてなしで大歓迎してくれるだろう見知らぬどこかの地を期待しているのか。
それとも、進んでいる川の途中に、巨大な滝つぼが待っているのか。
そのどちらかか、それとも何か他にあるのか、しかしその答えは誰も知らない。

それより、いま自分が生きている世界が、観念の川に流されている巨大物的観念船の中だということにも気づいていないはずだ。
この広大な観念の川にも、岸がある。
この岸も、巨大物的観念船が行き着くところまで観念の川とともにある。
嵐が静まった平安な日は、ボートで船から遠いこの岸近くまで寄って来る者もいる。

しかし、岸まで上がってくる者は少ない。
数は少ないが、それでもボートを降りて岸に上がってくる者もいる。
でも、ボートはしっかり岸につながれている。
ボートが無ければ、当然自分の世界だと信じている巨大物的観念船には二度と戻れない。

それでもほんの一握りの人は、自分のボートを岸につなげず観念の川に流してしまった。
この巨大物的観念船に二度と戻れなくするため、覚悟の上でそうしたのである。
物的観念船との最後の執着となっていたさびた鎖を、自ら切り離した者である。
この岸は、気づいた者から「真理の岸」と呼ばれている。

真理の岸を上がって進んで行くと、その先には無限永遠に拡大している真理の世界がハッキリと意識の中で実感できるのである。
しかし、この真理の岸に上がった者の中には、まだボートを手放せない者もいる。
巨大物的観念船がまだ自分の世界だと思っているのか、それとも今立っている地をまだ疑っているのか。

人の意識に深く浸透している観念の川のネガティブ暗示はかなり強烈だ。
自分がこの観念船に執着しているのか、それともその逆にこの観念船に自分が執着させられているのか、どちらも暗黒からのネガティブのワナ、強力な混乱暗示にすぎない。

想像もできないくらい巨大物的観念船で過ごして来た数多くの人生、自分の無意識にこびりついているこの記憶をどうしたら払拭できるのか・・。
真理の岸に上がった者は、それからさらに高みを目指す。
その高みに上ると次の高みが見える、またその高みに到達するとさらに次の高みが見える。

真理はズッとこの繰り返しで、喜びに満たされながら進化して行く。
そして、ついに広大な観念の川の全容が見えるところに立つ。
巨大物的観念船が通る観念の川が、原初からズッと遠くの未来までくっきりと見える。
ここから見える時間空間の世界は、今あるように存在する過去と未来だ。

巨大物的観念船が向かっていくズッと遠い先まで・・、それは観念の川の未来になる。
この観念船に乗っている全人類の集合意識が創る因果応報の未来は確実にある。
広大な観念の川といっても、それは霊的法則によって創られた川である。
それは神なる霊的法則の支配下にあることを知っている者は、どのくらいいるだろうか。

この先、どんどん未来に向かっていく巨大物的観念船は、どこまで神の法則との分離で進んで行くのだろうか。
しかし、誰も神の法則からは逃れられない。
すべての人々に神の法則、平等、公平は与えられている。
どんな人も、いずれ因果応報という神の平等法則を受けることになる。
総決算のときは必ず来るのである。

導きの一本道~「悟り」の真の意味を知って、その中を生きる! 2013/08/10

意識向上を目指して勉強している人には、いつも迷いがつきまとっているのである。
何を、どこまで勉強すれば、一段落出来るのか、また少しはホッと出来るのか。
このような思いだけではないが、勉強すればするほど何かが遠のいて行く感じだろう。

ずっと勉強していると、必ずこういった気持ちになるものである。
「悟り」なんてほど遠い、それより自分がふらつかない、つかまれるものが何か欲しい。
これが本心だと思う。
それを探して、何十冊、何百冊という本を読んでいる人もいるかもしれない。

結果、膨大な知識だけは誰にも負けないくらい蓄積されているかもしれない。
日本だけでも精神世界、宗教、神秘霊的な本は、一生かかっても読めないくらいある。
仮に、これらの本をすべて読んだとしても、逆に混乱するかもしれない。
何故なら、本来疑問解消のためのことが、かえって疑問を増やすことになるからである。

疑問が解消されないまま、次を目指すくらい大変なことはない。
どんなことにも言えるが、掲げた目標を達成するには段階というものがある。
当然、意識の世界を知るための勉強にも言えることである。
しかし、どうもほとんどの人は、この基本的なことを知らないようだ。
知識や思考では解決しないことがある、それは特に知ってもらいたいことである。

まず、霊的段階というものがあるが、それは神の理解、同調のレベルをいう。
誰がこの霊的段階のどの辺にいるかは、その人をよく知らなければ判断出来ない。
それが「悟りの段階」でもある。
「悟りの段階」も、「悟り」の真の意味を知ることで、意識することはなくなると思う。

これについては、後で説明したい。
霊的段階に入ったという一つの目安は、この世の観念レベルを脱皮していくと同時である。
この判断の仕方というか、一つの決まりというか、はっきりとした線引きがある。

それは、知識的な面からの判断か、真理的理解による判断かによる分け方である。
私がその人の霊的レベルを判断するときは、ここを見るのである。
何故なら、霊的段階を進む人は、自分を表現する言葉が違うからである。
では、霊的段階の前、今自分がやらなければならない勉強について説明してみたい。

これは、このブログで何度も書いて来たことだが、もう少し説明を加えてみたい。
この意識向上の勉強は、霊的、神方向を知る勉強に他ならない。
だから、どうしてもイエスやシャカが大きな支えとなる。
また、その他の聖者方が残してくれた真理、霊的智慧が必要となる。

イエス、シャカというと、すぐ宗教、「何だ宗教か」と思う人がほとんどかもしれない。
もちろん、宗教です。
ただそういう人は、宗教という狭い範囲でしか見れず、それ以上のことを知らないはずだ。

私はイエスとシャカを一つとしてみている。
それは、キリスト教と仏教、そのどちらも不可欠で一つの真理を構成するものとみている。
イエスやシャカは、何もこの世に宗教を広めに来たのではない。
簡単に言えば、イエスは個人の真我(魂)とその真我が生きる世界を教えに来た。

シャカは、そこに行くための準備、そのためにすることを教えに来たのである。
そして、今私たちが読んでいる聖者方の教え(本)は、その解説だと思ってほしい。
それでも難しい、だから私はそれをもっと分かりやすく説明したいと思っているのである。

私は何度も意識の勉強には、順序があると書いて来た。
それは、向上の段階でもあり、神意識に触れる段階でもある。
これは、誰がなんといっても、絶対間違いのないことである。
これは間違っても無いことだが、あなたが運良く聖者に会って・・・を想像してみよう。

あなたが、聖者から直接奇跡的能力について教わったとしたらどうなるだろうか。
これは、とてもムダな話だと思っているが、本当のことを理解するために考えてほしい。
超能力は教わっても使えない、何故なら奇跡的なことは神意識ですることだからである。

では、どうしてあなたが奇跡的なことを教わっても、それを行使出来ないかを説明しよう。
それは単純に、神意識があなたの中に入って来られないからである。
聖者方は、自分の意識を通して神の意識(奇跡的力)を使っているのである。
神意識と同調出来る真我が、聖者ということである。

それ以外は、聖者ではない、インドの○○の聖者ツアーなど、ある訳がないのである。
少しはこの識別方法を理解出来たと思う。
では、どうしてあなたの中に神意識が入って来られないのだろうか。
「入って来ない」ではなく「入って来られない」という言葉に注目してもらいたい。

「神意識が入って来られるように、しっかりあなた自身を準備すれば・・」だけである。
この準備を簡単にしたり、うそをついたりは、絶対出来ない。
このことも長い間書いて来たので、これについてはもう完全に理解出来ていると思う。

「じゃ、どうすればいいの・・・、何をすればいいの・・・」
これも、うんざりするくらい書いて来たし、これがこのブログで一番言いたいことになる。
あなたのネガティブ性に関係するものを、時間をかけて外していけばいいだけである。

ネガティブ性に関係するものだから、たくさんあるはずである。
これがあるから、神があなたの中に「入って来られない」のである。
これがある限り、何百回生まれ変わりをしても何も変わらず、またずっとこの延長だ。
どちらがいいか、それでも努力なんか・・、と思えるだろうか。

いつまでも平和で生きていられる、来世も、ずっと自分だけは幸せに生きられる?
私も同じ、これまでずっと無視続けて来たせいで、こんな世の中に生きるはめに・・・
だから今、ネガティブを完全に終わらせようと一所懸命やっているだけ。

意識レベルが高くなるとすごい、そんなことは全く関係ないのである。
ネガティブでなければ、まずそれだけでもいい。
悟りも、このことを理解して進んでいけば当然のことになる。
修行者や悟った僧侶がどうのこうの・・、それは好きでやっているだけ。
私も好きでやっているだけだ。

大事なことは、「悟り」という言葉なんか気にせず、
ただ一所懸命自分のため、身近にいる人のためにがんばればいいだけである。
これなら、がんばれるはずだが・・。

導きの一本道~早く、「悟り」の感じを知るために!2013/07/27

「悟り」とは何か!
まず、国語辞書を引いた意味である。
(1) 物事の真の意味を知ること。理解。また、感づくこと。察知。
(2) 仏語。迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること。
「―の境地に達する」

(1)の意味は、この世的に通用する意味で、真の悟りの意味にはほど遠い。
(2)は仏語の意味であるから、意識向上の順序通りに説明してある。
初めてこの意味を知った人には、何のことかさっぱり分からないだろう。
「悟り」の意味以外に、「悟り」の感じというものがある。
いきなり「悟った!」ということは起こらない。

何となく「悟り」というものに触れながら、「悟り」の感じを知っていくのである。
本当は、「悟り」という言葉や意味は、かなり勉強したときから意識するものである。
少しくらいの勉強で、「悟り」を意識するのは、私はあまり良いことではないと思っている。

「悟り」は良い言葉であるが、意味自体もかなり広く深いので、意識するにも注意が必要だ。
ここまで考えている人も少ないと思うが、とりあえず「悟り」の全体像を知っていこう。
自分の意識勉強を考えた上で、「悟り」という目標を大きく掲げてみよう。

まず、どうしたら悟れるのか。
いきなり「悟る」では、ちょっとハードルが高すぎるので少し落としてみよう。
では、どうしたら順調に意識成長や向上ができるのか。
このことにしても、何かポイントがはっきりしないだけでなく範囲も広すぎる。
では、ポイントとなる気づきやきっかけは、何かあるだろうか。

意識向上を目標にする、自分の意思を固められるものは何だろうか、それが必要だ。
はっきり言って、何が自分にブレーキをかけるのか、躊躇させるのか。
疑いか、それとも向上の仕方を知らないからか、または目標設定が出来ないからか。
それ以外には、自分が良くなることをイメージ出来ないということもあるかもしれない。
「悟り」とは、単なる意識勉強の象徴としか見えないのだろうか。
絶対的真実を言うなら、「悟り」に達したら・・どうなるか、などは考える必要は無い。

その経過の中でも、現世感覚では想像も出来ないようなことが次々に実感出来るのである。
このことに関して知らない人は、口出し出来るものは何もない。
どんなに最高の地位に就いている人でも、一流大学の立派な名誉教授であってもだ。

こういう捉え方でもいい、「悟り」は知識ではなく智恵だ、または意識的コツだ。
今の私は、ほとんどの人が知らない霊的意識というものを知っている。
知っているのではなく、それに生きているといったほうが正しいかもしれない。
それ以下のこと、要はここまで勉強して来たことは、今はそれを整理して言えるのである。

それが道、意識向上の順序、神に一歩ずつ近づく準備、意識段階の理解などである。
ここに入る前には、当然通らなければならない道もある。
疑いの払拭、躊躇からの決断、混乱の理性的整理、目標の自覚、自己コントロール力など。

確実性を考えるなら、もっとこの手前の段階から知らなければならないこともある。
それは、考え方、見方、捉え方、分析の仕方、そして判断予測まで意識を向けることである。
これが理解出来てはじめて、正しい焦点の当て方や読みにつながっていく。

ただ、これは一つの意識向上の流れであって、スムーズにこの通りにいくことはない。
何故なら、このような自分になるためには、まだまだ知ることがたくさんあるからである。
それがこの世と神との違いの理解である。

何もとんでもないことを言っている訳ではなく、それは基本から知るべきことに過ぎない。
この世とはこの世の意識である観念のことで、分かりやすく言うと今の世界の人間意識。
神とは、まったく信じがたい霊界や創造神のことではなく、とりあえず真理のことである。

観念というのは、この世の人間意識だから自分自身の意識も当然含まれる。
自分の意識を含め全人間意識である観念は、ポジティブネガティブ意識の中である。
それから脱出した神方向の先が真理ということになるが、このことはすでに解説した。

まず、大きく全体像として捉えることだ、そこから進めた方がやりやすいだろう。
人類のほとんどは、ポジティブネガティブ意識の中に生きている。
真理に目覚め、その意識の中に生きている人は、全人類の1パーセントいるだろうか。

ほとんどは、ポジティブネガティブ意識の中、限定的観念の中に生きているのである。
神、真理以下、一応私たちが真理と言っている段階であっても、限定観念の中にある。
限定観念である以上、人は真理の本質を今は絶対分かることはないということになる。

これが人間意識の真の正体であるが、少しは想像出来るだろうか。
だからといって、あなたの意識が一生真理には触れられないということではない。
逆だ。
すべての人間には、真理を理解し神意識に触れる能力、能力というよりはその意識がある。

どんな人も、魂意識である以上、もともと神意識を受け継いでいるのである。

肉体的遺伝子どころか、神性DNAがあなたの意識そのものなのである。
私はこの意識勉強を始めたとき、すぐにこのことに気づいた。
私は神性DNAの意識的記憶を失っていると。
だから、この意識復活のためだけに、自分の人生をすべてかけて来た。

この世的に言えば、運良く寄り道や迷うこともなく真っ直ぐ、真理の道を歩いて来られた。
結果、絶対確信で言えることは「大満足の結果を得た」、これだけ。
話がまた別なことに飛んでしまったが、今回の内容はこれだけでは終わらない。
基本的な意思固めがしっかりしてなければ、気持ちよく自分を高めていくことは難しい。

しっかり、あなたの中で大事な何かを信じられ確信まで持てたらこの先は違うだろう。
このことは意思固めにも繋がる、本当に大事なことだ。
いや、こういう思いが普通になったなら、すべてに違いを感じるはずだ。
このような意識になって、はじめて「悟りの感じ」という言葉の意味も分かるのである。

導きの一本道~「意識の中の天」から見た人間世界 2013/07/12

今回は、いつも私が触れている「意識の中の天」から見た人間世界の話しである。
「意識の中の天」だから、それは本当の天ではない、ということにはならない。
人の意識、本来の根本意識というものは、それ自体が天なのであるから。
天というのは宇宙のことではなく、4次元界のことである。

または、四次元界の境界線でも入り口でもいいと思っている。
とにかく、私自身のすべての意識の最高点から見た人間意識界のことである。
この内容が、正しいかそれとも単なる想像の産物に過ぎないのかは、それぞれの判断だ。
しかし、それは絶対的感じから来る内容であり、魂(神)からの示唆でもある。

神の臨在感、相当な数と種類の絶対感を体験して来た私に、内的な映しが見えてくる。
これらの内容が、私にとって絶対と思えるのは、当然というしかない。
「意識の中の天」から見たと言っても、たくさんある。
もちろん、すばらしいことばかりだが、その下の階層である人間意識もよく見える。

そのほとんどは説明しても伝わらないものだが、人間意識の未来は分かるかもしれない。
どうすれば、何かが分かるだろうか、どう説明すれば何をつかめるだろうか・・
受け取り方は様々であっても、とにかく話を進めるしかないだろう。
とんでもなく飛躍した内容で、何か大切なことに気づける人もいるかもしれない。

今回は、きつい言葉や差別的な言葉の連続になるかもしれない。
しかし、本当の目覚めのためと思って読んでほしい。
まず最初に、「この世は幻の世界」ということについて。
この言葉は、精神世界では必ずといっていいくらい出て来る言葉である。
誰も本当の意味は知らないと思うが、少し解説してみたい。

「この世は幻の世界」というのは、私はそれでも存在の世界であると以前説明した。
「この世は幻の世界」ということの、本当の意味を知る前に知っておくことがある。
それは、この世は何一つ本当のことの無い、デタラメな世界だということである。

これは人間意識のことだが、いきなりこんなことを言って、驚いてしまったかもしれない。
この内容のすべてについては、今説明することは出来ないがこれは本当のことである。
この世は、神から意識的距離を置かれた暗示的ネガティブ世界である。

本当らしく見える、真実そうに見える、「らしくとそうに」で出来上がっている世界だ。
何を悩む?「らしくとそうに」が分からないからか、それに合わせられないからか・・
人の意識は、本当に狭いそして窮屈な囲いの中でただうごめいているだけだ。

人間意識として何が未熟か、簡単な例はこういうことである。
規則法律、これがあらゆる分野、そして細部に渡って多くなればなるほど未熟となる。
規則法律を作る側の指導者の能力不足とその他の人間意識の未熟性のどちらかか両方だ。

ずばり、真理に向かっていけばこのようなものなど、考えにも無くなる。
そうはいっても、これがこの世だ、人間意識の世界だ、で自分は終わらせられるのか。
どうすればいいのか・・。
大事な人生、人がこう信じて生きてはいるが、どこに真実を見い出しているのだろうか。

人間の全歴史を、根本意識から分析してみれば答えは出るはずだ。
歴史から学習する教訓を得る、知恵を得るということは、こういうことだ。
どうして平和が来ないか、どうすれば平和な世界が来るかなど考えても大して意味が無い。
焦点がボケているか、真剣でないだけだ。

現代は、これまでの歴史を振り返ってみても、本当にすべて揃っている。
ここまですばらしい教えが揃っているにも関わらず、どうして本物に気づかないのか。
書籍、インターネットにある知識は、膨大な量になっている。
過去の霊的修行者が少ない巻物で勉強したことを考えれば、今は天国だ、ありがたいものだ。

識別力はどこに行ったのか、脳の使い方は、意識の動かし方は、心はどこにあるのか・・
誰にも素直で純粋な意識はあるはずだ、少なくても超ネガティブ意識以外の人には。
それは、とてもきれいな本当に大事な自分の宝物、魂と触れる唯一の意識である。

それを、他人の意見やこの世の根拠の無い正しさなどで変えてはいけないのである。
人は、無意識のうちにお互いに監視し合っているので、心が休まるヒマもないだろう。
これが、「幻」で「らしくとそうに」の鎧を着けてお互いを欺き合っているのである。

そんなことはない! 本当にそう言い切れるだろうか?
真の自分というのは何か?
この答えを追い求めるのが人生の目的で、それに気づくまで生まれ変わりは続く。
そんなことは関係ないと思う人もいっぱいいるだろうが、神の法則はその人を見逃さない。

神の法則に勝てるものは、大聖者であってもだが、誰もいない。
この3次元界も、本当は純粋な神の世界だ。
宇宙は、地上とは違う別な振動、宇宙振動と呼んでいるがすばらしい振動だ。
ただ、宇宙と大気で分離している地上は、異常な低級波動になっているのが寂しい。

すべてのネガティブ波動の原因、その根源は人間だ。
これだけでも、この地上は嘘の世界だ。
原初、本来の私たち人間、その一人一人はネガティブなどは持っていなかった。
元々、3次元界も神の世界の一つとして作られたのだから、すべての人間は魂意識だった。

難しいと思うが、ネガティブは神以外の混沌から入ってきたものだ。
これも以前説明したと思うが、ピンと来ないかもしれない。
この世とか人生というのは、神意識とは違う混沌から発生した意識に過ぎないのである。
神とは別な意識の中を、私たちはずっと輪廻転生でここまで来てしまった。

神意識以外の意識に、どこに本物があるというのか。
私はこのことを、神の臨在感や「意識の中の天」から見て知っている。
本当は、もっと細かいことまで知っているのであるが、それは伝えられない。
このことをしっかり理解さえ出来れば、私ははっきりこう断言できるのである。
悟りも癒しも、そのような勉強も要らない、と。

ただ、本当に素直に、また純粋に神を信じられるか、一点だけを思えるか。
神はこの世にはいない、聖者も助けてはくれない、何もしない人間には・・
もう行き着くところに向かうしかないだろう。
目先のお金を求めて、この世界はいずれ放射能まみれで逃げ場が無くなるだろう。

ハルマゲドンまで残る人間は、低級意識のみだけだ。
その時代、どのくらいの地獄がその低級意識たちに押し寄せて来るか、想像出来ないだろう。
今の時代でも、私は意識測定でどのレベル(誰が)がハルマゲドンまで行くかは分かる。

今はその気になって「我」を通しているが、気の毒なものである。
その地獄を目の前で見せてあげたとしても、低級意識は絶対信じないだろう。
仕方ない。
私がこれまで言ってきたことは、あなたはネガティブだと思うかもしれない。
しかし、人間のネガティブ性を言わせてもらえば、まだ数パーセントに過ぎない。

この世をのんびり生きるのはいいが、自分自身にのんびりは、また来世だ。
この先の時代、私は確実に起こるだろうということは、因果法則で予測がついている。
それでも人は、この世に生きていなければならないのである。
その間、憎しみや恨みなどのネガティブに、絶対引っかからないことだ。

もう二度と戻ってくることがない、この地球。
戻ってこなければならないのは、低級意識のみ。
地球を抜け出す最後の勉強をするために・・
ゆっくりしている時間などない、幸せな時代などこの先いつ来るのだろうか。
実に単純明快なことだらけ。

ポジティブ意識は、個人的アセンションで生まれ変わりストップ、進化の宇宙意識段階へ。
最後にこの地球を支配するのは、世界中の超ネガティブ意識たちである。
そんな地上でも、超ネガティブ意識たちと一緒に生きていたいのだろうか。
あなたの真の意識、真のあなた自身は、「意識の中の天」にある。

導きの一本道~一歩抜け出し、そして一段上がるためには・・ 2013/06/27

人は何故思い通りに意識成長が出来ないのか。
人は、どうして意識成長が必要なのか。
意識成長に何の目的があるのか。
意識成長を無視している人は、何か特別なことが起こるのだろうか。
意識成長は、必ず悟りに達しないと意味が無いのか。

今幸せであれば、無理に意識成長を求める必要はないのか。
こう考えていくと、この他にも様々な疑問が湧き上がってくるだろう。
しかし、そのすべての疑問に対して答えはあるのだろうか。
答えがあるかどうかは別にしても、実際答えられるものだろうか。
ここで一つの区切りとして、この疑問に応えるとするなら私はこう言える。

このすべての疑問に答えることは出来る、しかも説明付きで。
この答え、または説明は、すぐに理解出来ないこともあるかもしれない。
この答えを理解出来るようになるのが、意識の勉強といってもいいだろう。
では、意識の勉強とはどういうことなのか・・、簡単に言うとこうである。
人間(自分)に関係するすべてのこと。

すべては意識である。
言葉での表現なら簡単なことである。
人間と神の関係を知れば、神はすべてであるからその分身の人間を知れば・・
このような話、内容の質が深くなると、人はまったく理解出来なくなってしまう。

宗教も真理に入っていけば、大多数の人はお手上げだ。
大多数万歳! これが人間世界、一般人間意識、真理からかけ離れた観念意識だ。
もう少し分かりやすく言うと。
人間と神、宇宙と霊界、真理と観念となり、さらに人間レベルに落としていくと。

心と意識、善と悪、人生と生まれ変わり、これを見つめることになる。
この中の無知と知恵から無智と智慧を知り、ポジティブとネガティブの分離が始まる。
そこから、人間意識を構成している心、意識、潜在意識を完全知悉出来るようになる。

これを知るための勉強材料となるものは、現在は書物としてすべて揃っている。
ただどうやってこの勉強を進めて行くか、それだけだ。
意識の勉強の仕方といっても、誰にもその入り口は持っている。
意識は最終的には一つであるから、どんな分野から入ってもいいのである。
しかし、ほとんどの人は知識の勉強しか知らない。

大事なのは意識の勉強だ。
意識の勉強は、何かを覚えるだけのことではない。
もし、本の内容をすべて覚えてしまったら、もうその本のことなどは忘れることだ。
そこから、本当の意識の勉強が始まる。

あなたの意識の勉強は、本離れした時から自分自身、そしてこの世になる。
人はどのような理由でこのような精神の世界に入ってくるのだろうか。
大きく分けてみると次のようになると思う。
1)精神世界や神秘霊的世界に興味があるから。
2)自分自身を向上させたいから。
3)どうにもならない悩みから解放されたいから。

大体、このどれかに当てはまるはずだ。
不純な理由からこの世界を覗く程度の人もいるが、それは通りすがりの人だ。
また、潜在能力や超能力だけに惹かれてくる人もいるが、それも気の毒な人だ。
甘い誘い文句、むなしい夢をちらつかせられてその気になって、という人もいる。

最悪なのは、黒魔術的なものや暗示的なものとは気づかずに・・、という人だ。
3つのうち、人によっては全部、または1つだけという人もいるだろう。
1)は、もし興味や何か惹かれるところが無ければ、本を読むこと自体地獄だろう。
2)と3)は、どちらも勉強の相乗効果として自動的に作用し合うものである。

自分の悩みが解決するということは、自動的に意識成長をしていることになる。
この逆も同様で、意識成長することはその成長分、自分の悩みは解決している。
何故か、意識成長も悩み解決も、根本的には同じところに辿りつくからである。
その勉強対象になるものは、自分のネガティブ、最終的にもそれ以外は無いのである。

なかなか意識の勉強が進まないという人は、目指すポイントを掴めないからだ。
基本的なことを知らないから、次に向かえない。
知ったかぶりの多い精神世界に、次の次の次が見えているのだろうか。
基本的といっても、意識の世界の中では何が基本かも分からない人は多い。
この基本を分かるだけでも、やる気はどんどん出てくるだろう。

何も分からない、どこに向かえばいいか、その先も分からないでは苦痛だけだ。
それでもがんばって進めていく人は大したものだ。
でもきつい、何かが分からない、いつまでもわからない、私もずっとそうだった。
知識の世界から意識の世界へ、どうシフトしていくか。

しばらくは単なる思い込みでもいい。
この世にいる人間は、私もそうだが、すべて思い込みで創られている。
この世は、思い込みで創られている世界だということをどう理解するか。
これが分かれば、もっともっと、さらに意識は進化していくだろう。
人間はこの進むべき道の逆を生きている。

何も知らないために、混乱しながら、地を這いずりながら平面を進んでいるだけだ。
意識の世界は、もっと真剣に取り組まないと何も知ることなくして終わるだろう。
日本もこの2年で大きく変化してしまった。

原因の結果がどっと出て来た感じだが、これで済まないだろう。
今の一部の日本人を、何に例えたらわかりやすいだろうか。
「朝三暮四」のサルか、それとも消極的「見ざる聞かざる言わざる」か。
いやそれ以上に、「新観念的地上天国」の暗示に完全洗脳されているのか。
「国破れて山河あり」、日本は「夢破れて田畑も無し」まで読めるか。

やり直しの道は、「いばらの道」以外は何も無いことに気づいてほしいのだが。
あなたにとっては、こんなことはそれほど大事なことではないだろう。
ズバリ言うと、あなたがどんな意識の勉強をしていても、通る道があるということだ。
それは、自分のネガティブ解消の勉強、それを避けては通れない一本の道である。

重要ポイントはこのネガティブを知って、その上、上へと上昇していくことだ。
いつも言っているネガティブだが、また出て来た、しかしこれしかないのだ。
あなたは幸せそうな、そうな・・人を見ると、どう感じるだろうか。
私はかわいそうに・・、その人に涙が見えて来る。
あなたは喜びに満ち溢れている人を見ると、どう感じるだろうか。

私は幸せを感じる。
ただ残念だが、このような人はほとんどいない。