生命の分岐点

生命の分岐点~神性記憶喪失から復活へ! 2012/11/07 

この内容は大変難しいかもしれませんが、今回は本当に深い意識段階の話しです。
本質意識のことで言えば、私たちの意識に付け足さなくてはならないものは何も無いということです。
私たちすべての人間は、本当は元からすべて揃っていると言われています。

この世の意識とはまったく違う、この意識状態に気づくことが大悟の段階です。
しかし、それがどういうことを意味しているか、それを想像出来る人は少ないでしょう。
この大悟の段階は、意識進化の究極の世界ですので今は関係ないことかもしれません。

ただ、意識向上を望む人は、いずれこの意識段階も視野に入って来るかもしれません。
その時、新たな意識成長を阻む壁を強く感じるようになるでしょう。
それは、深遠な真理的意味を伝えるにもこの世の言葉では限界があるということです。

この話の内容自体も、聖者方が言っている究極の意識段階の準備に過ぎません。
この内容は大変難しいことですが、あなたの意識に少しでも印象が残ればと思っています。
前回、執着のことに触れましたが、この内容は執着意識にも密接に関係しているのです。

執着は、簡単に言えば、何かにとらわれる、すがりつく、という意味になります。
しかし、自分が大嫌いなものは、すぐにでも離れたくなるというのが普通です。
それでも、矛盾するようですが、自分の思いとは反対に、結局はすがり付いているのです。

この部分を解明できれば、この潜在的すがりつきを緩めることも可能になるのです。
前々回、執着は意識レベルを進化させる段階において最後まで障害となるといいました。
それはどういうことか、少し突き詰めてみましょう。

執着、実際それがどんなものかをもっと深く理解すると意識成長も早くなるでしょう。
執着はモノだけでなく、感情、信念、理想など、無形の意識まで影響を及ぼしてきます。
自分の意識には付け足すものは何も無いのですから、逆に意識を軽くしなければなりません。

実際、私たちは付け足すどころか、どんどん捨てることをしなければならないのです。
今の自分からも、どんどん削っていかなければならないということです。
削って捨てて行くことを考えた場合、執着は障害、ということが理解出来ると思います。
ここでもう一つ考えてみなければならない大事なことがあります。
それは、どうして一生懸命意識の勉強をしなければならないのか、ということです。
本当は私たちの真の意識にはすべて揃っているのですから、何も付け足す必要は無いのに・・、どうして意識の勉強をしなければならないのか? 

それは、理解を高めて早く執着を捨てるためなんです。
人は本来無智で貪欲ですから、捨てるということはほとんど考えられないことかもしれません。
今言ったことは、執着を捨てるイコールネガティブを捨てるということになります。

人間意識を考えると、究極的理解の段階になりますが、最後はポジティブも執着になるのです。
ポジティブ執着も、神意識からみるとネガティブになるということです。
大変難しい段階に入って来ていますが、いずれ役に立つと思いますので知っておいてください。

これは大悟の世界ですので、一生の、それも最後に到達出来るかどうかの話です。
とにかく今回の内容は、「生命の分岐点」の最後の話になります。
いろいろ勉強して霊的知識や智慧を付け足しているのは、すべてを捨てるためなんです。

このレベルに入るのは、当然ネガティブを超えてからの段階になります。
何も無く高級意識を保っていられる自分であって、初めて真我の段階に入って行けるのです。
真理に近づけば近づくほど、自我意識は薄くなって行くものなんです。
ここまでの説明を読むと、精神世界とは大きな違いを感じる人もいるでしょう。

一般的なレベルの精神世界でいう真我、それは私の意識にはまったくありません。
そんなところでウロウロしていると、意識進化が止まってしまいます。
本当の意味の真我、その真我が自分ですのでそのこともしっかり理解する必要があります。
何も知らない、方向も分からない、何を意味しているかも分からない、では進めないのです。
あいまいなモノを見ているから悪いのではないのです。
それを許して受け入れている自分が間違っているだけなんです。
難しい、のではないのです。

見方、考え方を根こそぎ変えなければ、人は自分の深いところから変えられないのです。
「唯一、これしかないのです」
あなたは、このような思いになることを素直に受け入れられますか。
もう一度書いてみます。

「本質的なことで言えば、私たちに付け足すものは何もありません。私たち人間には、本当は元からすべて揃っていると言われています」
少しつながってきましたか。
私たち人間は、記憶喪失状態ですから、この神性意識を思い出せるようにするだけなんです。

今言ったことは私の言葉ではありません。
聖者方が私たちに説いている言葉です。
私たち人間には、聖者と同じように元々すべてが揃っているということです。
本当にすべてが揃っているなら、何を付け足さなくてはならないのでしょうか。
もし、真理に触れ直線的に神方向に向かって行ける意識であれば即完成になります。

これが出来ないから意識の勉強をするしかないのです。
そのためには順番があるのです。
何が一番邪魔しているか、それは何かのネガティブなのか、それとも執着なのか。
いやもっと、これ以外に自分の進化を強く邪魔しているものが何かあるのでしょうか。

もしあるとしたら、あとは「疑い」だけだと思います。
疑いは、不安恐怖につながります。
その不安恐怖は、次に人の意識をどう混乱させていくのでしょうか。
それは、何かを失うか奪い取られてしまうという潜在的動揺なのか。
その何かという、無意識的に執着しているものはなんでしょうか。

いつか人は、自分自身について、自ら正しい分析をしなければならないのです。
順序よく、しっかりと段階を踏みながら向かって行くことが、何よりも近道なのです。
「唯一、これしかない」のです。
この内容も、「自分を知る」または「人間意識を知る」基準、参考にしてほしいと思います。

人間、自分の真の意識は美。
人は、自分の意識の美に酔いしれる時がいつ来るのか。

生命の分岐点~3大意識 …「悟り」 「愛」 「やさしさ」 2012/05/13

イエス、釈迦、マリアのアカシックレコードリーディング(ARR)を始めてから約2ヶ月弱経ちました。
4月から、毎日この3大聖者の意識に同調集中を続けていますが、時間を追って気づくことがけっこうあります。
今回は、その中の一つ、人間の3大意識について説明してみたいと思います。

この3大意識というのは、今回の集中で明確になった人間意識の到達点という意味です。
要するに、ポジティブ方向の意識は、感情も含め、すべてこの3つの意識の言葉、その属性のどれかに入るということです。
これは、あくまで私が3大聖者の意識に集中した結果、その霊的エネルギーや振動の精妙な分類分けによる現時点の結論になります。

イエス、釈迦、マリアの意識から得た内容は、どうしても難しく感じるかもしれません。
しかし、その質を維持するためには、なるべくそのままの感じで伝えることが新鮮で、それは仕方ないと思っています。
「悟り」と「愛」は、これまで悟り系癒し系の説明でも使って来ました。

それまでは、私もこの2つの言葉で、人間意識を説明出来ると思っていたからです。
しかし、今回その「悟り」と「愛」以外に、「やさしさ」という意識があることを発見しました。
「やさしさ」という意識を発見したというと、驚くかもしれません。

何故なら、その言葉は、だれもがごくごく普通に使っているからです。
当然、その程度の発見でしたら、私の頭がどうかしていると思われても仕方ありませんが。
私が発見した「やさしさ」は、ほとんどの人の知らない「やさしさ」の振動です。
ほとんどの人の知らない「やさしさ」の振動、これも奇妙な言葉に感じるかもしれません。

では、こう言うとどう思うでしょうか。
これまでたくさんの人物の波動測定をして来ましたが、その「やさしさ」の振動を持っている人物は、ひとりもいませんでした。
益々、分からなくなって来たかもしれません。
では、どこでその「やさしさ」の振動に気づいたかを話してみたいと思います。

それは、ARRによる釈迦のリーディングがきっかけでした。
リーディングを始めた時は、リーディング自体まだ始めたばかりで、それも釈迦、イエス、マリアと最初から最高レベルでしたので、冷静に分析するまではいかなかったのです。
私は、釈迦の「やさしさ」の振動は、その時すでに感じていました。

ただ私自身も、この「やさしさ」の振動についてはまだ何も知らなかったため、それはマリアの「愛のエネルギー」と同種のものだろうと、思い込んでいたのです。
それが、本当に最近になって、この「やさしさ」の振動のすばらしさが、マリアの「愛のエネルギー」とは全く別ものだということに気づいて来たのです。

私が知っている中で、このすばらしい、そして強い「やさしさ」の振動を持っている人物は釈迦のみです。
もちろん、それに近い人もいますが、釈迦には到底及びません。
ですから、まだ誰も、この本当の「やさしさ」の振動を知らないということになります。

難行苦行の釈迦が、最高の「やさしさ」の意識を持っていた人物とは、ちょっとギャップがありすぎ、そんな感じです。
この「やさしさ」の振動は、「愛のエネルギー」とも違って、それとは質自体が違います。
私も最初、釈迦のリーディングをした時には、この「やさしさ」の振動を感じていました。

それはとても不思議な感じで、深く印象に残っていたのですが、その表現が何と言っていいか、また何と比較していいか、正直つまづいていたのです。
他のリーディング内容だけでいっぱいな状態のため、とりあえずそれをマリアの「愛」と一緒にしていたという訳です。
その表現の足掻きは、その時の文章にも表れていますが、やはり何かを感じていたのです。

その時の釈迦のARR文章を一部引用してみます。
「私のリーディングから来る感じでは、釈迦の意識は「慈悲」というより「愛」を感じます。
柔らかい、やさしいといった大きく包みこむ愛の意識振動を感じたのです。
それは4つの振動が大調和の中で、絶対的なやさしさというより柔らかな何とも言えない振動です。」

「それが、このリーディングの中では、何とやさしい、また言葉ではとても表現出来ないやさしい愛の強さを感じたのです。
本当に悟った人から出る愛は、誰もが望む心地よさであり安心感であり、超一体ゆだねられる、それこそ本当にどう表現していいか分からない感じです。」

【 釈迦・イエス・マリアのリーディング総括から 】
「釈迦は、その生命力を癒し、救いの愛とやさしさのエネルギーとして表現しています。
釈迦は、悟り意識を根本的土台として絶対的な愛、それもやさしさ、思いやりで包み込むエネルギーで表現しています。」

この時は、これが精一杯の表現でした。
しかし、時間が経つにつれ、リーディング内容もはっきりしてくれば、このような形でまた新しい内容で説明出来ますので、これはこれでいいかと考えています。
では、釈迦の「やさしさ」の振動はどういうものかを説明したいと思います。

もし、この振動が分かれば、本当に意識で受け止めることが出来れば、信じられないと思いますが、心身共に溶ける感じがするでしょう。
「心身が溶ける感じ」、こんな感じをこの世で感じられること自体不思議体験でしょう。
これは、「愛」とは全く違うものなんです。

この「やさしさ」の真の振動を感じたことで、私は「愛」のこともはっきりして来ました。
「愛」が分かれば当然「悟り」の意味も分かって来ます。
何度も言いますが、これは私が釈迦、イエス、マリアのARRで分かったことですので、相当な確信はありますが、無理にこうだと主張する気はありません。

「悟り」と「愛」の説明です。
まず、「愛」ですが、この「愛」の霊的エネルギーが一番強いのはマリアです。
イエスは、「悟り」的エネルギーです。
難しいですが、この世的に「悟り」に関するすべてをまとめたものを一応知識智恵とします。

それに霊的観念も含めたものを、いまそのすべてを「悟り」という意識から取り除いたとすると、そこには「愛」だけが残ります。
ということは、まず「愛」がすべての根本的土台をなしているということです。
それに、真理、霊的法則の秩序的説明が付加したものが、「悟り」です。
そして、この「愛」と「悟り」から生じたものが、「やさしさ」の意識です。

この世のすべての感情、意識は、この「愛」「悟り」「やさしさ」のどれかに含まれます。
このことが真に理解出来れば、この世のことも本当に理解しやすくなるでしょう。
この内容については、相当な説明を要することは当然です。

ただ、今回はそのさわりということだけでも、この内容は伝える意味があると思ったのです。
人が悩み苦しむのは、ひとえに「やさしさ」が足りないからです。
私はそのような結論に達しました。
ただこれだけでは言葉足らずで、勘違いの元になります。

あなたの中、人の中には「やさしさ」が無いということではありません。
あまりにも、この「やさしさ」の意識振動が人類に少ないということが問題なんです。
本来、誰にもこの「やさしさ」の意識はあるはずで、それが出されずに深いところに眠っているのかもしれません。

何故、出されないのか。
警戒心や自己防衛心やネガティブ意識のせいで、自分の意識の深いところへ追いやられてしまったのかもしれません。

「愛」は、霊的法則で神の守護で、すべてを一体として結びつける力です。
「悟り」も霊的法則で、人の進化の意識の道、ゴールです。
「やさしさ」は、人間の罪からのすべての救いと赦しです。
霊界にあるのは、「愛」のみです。
霊界には、「悟り」も「やさしさ」もありません。

この「やさしさ」については、まだまだ説明したいことがたくさんあります。
これは「愛」と「悟り」につぐ、究極的内容で非常に難解で、理解しにくいものかもしれません。
この現代に、「やさしさ」の感じが3分の1でもあったら・・・
絶対的な「愛」と「悟り」の強さに守られた「やさしさ」に触れられたら・・・

この内容は、また機会をみて少しづつ説明していきたいと思います。

生命の分岐点~アカシックレコードリーディング~霊的エネルギー 2012/05/06

今回は、私が最近始めたアカシックレコードリーディングについての話です。
アカシックレコードリーディングは、波動振動測定の延長上にあって、リーディング内容もその人物の振動点(チャクラ)などに対応させて説明出来るものです。
アカシックレコードリーディングと波動振動測定の違いは、知りたい人物の振動が入っているモノがあるかどうかだけです。

本人の手に触れているものや写真がない場合は、アカシックレコードリーディング(ARR)でその人物の意識を知るしかありません。
ただ、ARRが出来るようになれば、反対にその人物に関するモノは必要なくなります。
それは、過去の人物だけでなく、今生きている外国の誰々さんでも名前が分かればその人の感じが分かるということになります。

ARRは、意識の勉強や意識段階についても、かなりその証明になるものだと思っています。
私がARRを始めてから約1ヶ月くらい経ちますが、その間に気づいたことやこれからのことについて簡単に説明したいと思います。
意識を合わせて考えるには少し難しい内容ですが、それでも何か新しいものを感じてもらえるかもしれません。

まず、私がARRで最初に始めた人物が、空海、釈迦、イエス、マリアでした。
このARRを始めたきっかけはありますが、それは大した理由ではありません。
私はARRを訓練していたということも、本当は出来るとも思っていなかったのです。
それは、いつかもっと意識レベルが上がったなら可能だ、正直まだまだと思っていたのです。

それが、空海入定の奥の院や釈迦の仏塔などの測定をしていた流れで、たまたま出来るのではと思って集中してみたことがきっかけで、その程度に過ぎなかったのです。
そのきっかけとなる測定は、空海入定の奥の院の振動が、これまでの測定で出ているサハスラーラの強さとは違うので、「ARRではどうかな?」ということでした。

やり方というより、そんな練習もしたこともなく、いきなり自分流でやってみたのです。
それが、1回目で空海の感じが出て来たのでビックリです。
それで2回3回とやるうち、もしかしたら・・・ですね。
それは、釈迦はどうかな、イエスは・・、でもイエスはとても無理だろう・・

こんな思いでしたが、真剣にやってみるとその内容を載せたとおり驚きの連続、超感動!
今も不思議に思うのは、どうして釈迦、イエスをやってみようと思ったのかです。
何故、もっと分かりやすい人を選ばなかったのか、何故かこうなってしまったのです。

冷静に考えても、絶対イエスなどは思いもしないので、本当に幸運というしかありません。
まだ、ARRを初めて1ヶ月くらいですから、まだまだ訓練中です。
といっても、すでに釈迦、イエス、マリアは終わっているのですから、何かピンと来ません。

でも、これから先のARRでは違うことも視野に入れ目指していますので、まだまだ訓練です。
波動振動測定はだんだん少なくなって行きますが、その分野はこれからその測定の訓練して行きたい人にアドバイスをしていこうと考えています。
意識と波動振動の世界を組み合わせて勉強していけば、理解度も増し自己意識成長を早めるのにかなり役立つということもはっきりして来ました。

振動の感じがだんだん潜在意識に入り、次第に調整されて行きます。
このブログが始めての方は、私のサイトの「無限振動パワーの世界」で訓練してください。
波動振動の世界、そして霊的エネルギーの世界は、本当に新しい分野、意識の世界を感じます。

私の中では、もう精神世界はなく、意識の世界、波動振動の世界になっています。
では次に、ARRで得たもので、今私が始めている意識集中について話してみたいと思います。
これは自分でもどうなるか、本当にとんでもないことを始めていると思っています。

それは、今回のARRの無意識の中で感じた霊的エネルギーの集中です。
その霊的エネルギーは何かと言いますと、釈迦、イエス、マリアの意識です。
すでに始めて1ヶ月経ちます。
釈迦、イエス、マリアの意識は、これまでのような振動ではありません。
無意識で感じる霊的エネルギーで、それは霊的振動といってもいいかもしれません。

何回リーディングしても、その霊的エネルギーは覚えておくことは出来ません。
この集中には、これまで私がやって来た集中も、まったく使いものになりません。
一からスタートですが、イエスのエネルギーは強すぎるので慎重に時間をかけています。
この3大聖者の霊的意識エネルギーを自分の意識と交換するべく、毎日集中訓練です。
あと2ヶ月、そのくらいで基本、あくまで基本となる意識状態に同調出来ると思っています。
そのあとは、一生かけて完全同調を目指して行くだけです。

これで充分です。
釈迦、イエス、マリア以上は、この世にはありませんので。
そして、この3大聖者の霊的エネルギーを私の意識内で振動化します。
その振動とマリアのエネルギーを、これからいろいろなモノに封じ込めていきます。

さっそく、自分の魂にそのエネルギーを入れていいか、お伺いをしてみました。
すぐに返事(反応)がありました。
イエスと釈迦のエネルギーを入れることには、許可がおりませんでした。
しかし、マリアの愛のエネルギーを入れることは、どんどんやって良いという感じでした。

マリアのエネルギーは、愛のエネルギーだからです。
今の世に必要なのは、愛、やさしさのエネルギーということです。
イエスと釈迦のエネルギーは、まだ無理のようです。
ただ、これから私がこの3大聖者の意識、霊的エネルギーに集中していきますので、それが自分の意識と同調出来て来ると、間接的ですが自然にそのような振動が入ります。

今の時点でも感じていますが、これまでの振動は要らなくなると思っています。
ただ、この世の分野にもいろいろな種類がありますので、これまでの最高の振動レベルはそのまま使い、さらに今回知ったすばらしい「聖母マリアの愛のエネルギー」を集中して行こうと考えています。
これからいろいろやって行きますが、またとても魅力的な何かが出て来るかもしれません。

大体、ARRで得たことを書いて来ましたが、何がなんだか分からない人もいるでしょう。
この内容は、この世的ではないので、とんでもない世界のことに映るかもしれません。
しかし、理解は別にして知っているだけでもかなり違います。

いつの日か、そう思える時が来るような気がします。
いつまでも古い意識レベル、観念に固執せず、それらを早く脱ぎ捨ててしまいましょう。
意識の拡大があるのみです。
意識の拡大をしなければ、いつまでもこの世的波動の世界につかまって抜けだせません。

意識拡大が、波動レベルから振動の世界に入る条件になります。
それが同時に意識向上で、ポジティブ意識です。
そういう自分になって初めて、低級性から自由になれるのです。