悩み
観念を知り尽くす(2)・・真の悩み解決は、必ず意識成長が伴う 2009/06/09
「自分自身を知る」、この言葉は本当に奥が深いので簡単な説明では終わりません。
「自分自身を知る」の裏側には、「観念を知り尽くす」という意味も隠れています。
これは「逆もまた真なり」的なところがあります。
結局、上(悟り)と下(無知)をつなげているものは、観念という意識になります。
上に行くか下に向かうかは、観念意識に浸透する真理の量次第となります。
このような言葉で説明すると大変難しく感じるかもしれませんが、一つ一つの観念が観念として成り立っている仕組みを知っていけば、自動的に「自分自身を知る」につながるのです。
どんな意識向上の勉強も、この観念というものを知り尽くさなければ、いつも自分の心の中はモヤモヤ、ギクシャクして、「何かがわからない!」といった感じで重くなるのです。
「観念を知り尽くす」と「自分自身を知る」は同時進行させて行くものです。
「どちらでもいいから早く全部知ってしまいたい」、これははっきり言って無理です。
そんな偏ったことをしようとするから、結局何もわからないで終わってしまうのです。
もう一度はっきり言いますが、「早く知りたい!」はどんな人でも無理です。
でも、しっかり時間をかけてやれば、どんな人も理解納得出来ると思います。
では、これらのことを知った結果はどうなるでしょうか。
こんな話はあまり聞かないと思いますが、これもポイントだけ出してみたいと思います。
その到達意識状態は、「あるがまま」です。
誰かさんが言っている、「今の自分のままでいいんだよ、あるがままでいいんだよ。」、それとは「月とスッポン」レベルが違うということを知ってください。
それは最高の感じですが、「自分を知る」ことで、何とかして欲しい自分を苦しめるネガティブもどんどん減っていくので、当然悩みも無くなって行きます。
ここで言う「減る」の真の意味は、ネガティブに影響されない自分になって行くという意味で、もっとわかり易く言うと「強い意識になった自分がいる」ということです。
この世は意識ですから、強い意識になった自分がどう生きて行けるかは分ると思います。
「自分自身を知る」「観念を知り尽くす」には、真剣な取り組みが必要になります。
その取り組む相手は、本質であり、さらに真理という絶対を理解する方向です。
最後は、すべてがそれによって創られた自分の潜在意識によって何事も自分で判断するのです。
これが自動的に真の潜在意識、潜在能力の開発の土台になるのです。
このような大事なことが、どうして都合よく天から降ってくるのでしょうか。
暗示、あいまい、一時的解放、ポジティブ思考、これを何回も繰り返していることにいつ気づくのでしょうか。
まず「観念を知り尽くす」これが解れば、絶対このようなものには頼らなくなるのです。
何故でしょうか。
その結果が何であるかが、すでに解っているからです。
これはとても大事なことです。
「その結果がすでに解っている」これは何を意味するのでしょうか。
結論から言いますと、「観念を知り尽くす」そして「自分自身を知る」になれば、自分の意識で捉える範囲、要は意識で把握する範囲が一般では解らないレベルまで広がるということです。
それは、本などの知識をいくら集めても無理なことなんです。
それは、「コツ」とか「自然にこうなる」とか「意識的感覚」とかいうもので、それ全体をまとめて「自分の智恵」となっているものです。
何のための精神世界か。 何かを求めるために精神世界があるのではありません。
自分の意識をあげ、智恵でなる自分を作っていくために精神世界があるのです。
下(無知)から上(悟り)の間にあるのは意識です。
上へと上昇するには、いろいろと理解しなければなりません。
では、何故いろいろなことを理解する必要があるのでしょうか。
その答えは、「疑う」からです。
もっとわかりやすく言えば「信じない」からです。
ここでまた冷静に考えてみましょう。
何故「信じない」、しかし簡単に信じこんではダメ鵜呑みにしてはダメと言われます。
現代の精神世界では、これは本当に必要なことです。
では、「どうすればいいの?」となりますよね。
ここで、人は「どうにも出来ない自分がいる」ということに気づいて欲しいのです。
それが、「無知」というものです。
この言葉は、けっしてバカにした意味ではなく「知らないために苦しむ自分がいる」ということを言いたいだけです。
これを自覚するには、子供の頃の自分と今の自分を比較してみればよくわかるはずです。
子供の頃に比べ、今のあなたは意識で把握する範囲はかなり拡大しているのは解ると思います。
たくさんの知識とそれを土台とした経験の積み重ね、その集積が今のあなたの観念です。
長い間、重いモノ(自分が真に認めたモノ)から潜在意識に積もって固まって行きます。
これで、あなたという固定観念の出来上がりです。
それが、本当の自分ですか?
話を進めます。
まず観念というものに敏感に気づき、そしてそれから離れて見ることに少しずつ慣れていくことです。
当然、その前には「今の自分自身に気づく」ことも必要です。
自分自身が成長するには、どうしても意識向上が伴わなければ真の成長はありえません。
知識集積だけでは記憶の倉庫となる自分が作られるだけです。
それを応用し、十分に活用する能力、それが意識力につながって行きます。
脳活性より意識活性を重点に置いた自己成長です。
観念の仕組みとは、観念と人間心、観念と意識、観念と潜在意識など、もっと大きく分けると、観念と感情、観念と顕在意識、観念と潜在意識、もっと大きくまとめると、観念、人間、真理、この関係をしっかり知り尽くすということです。
そうすれば、霊界(4次元)、この世(3次元)、そこを意識で動く人間の魂の関係がよく理解出来るようになります。
「今の自分自身に気づく」とは、この基礎知識を知りそれを理解する段階が何であるかを知り、それと自分の意識レベルに真に気づくことです。
そして、その段階を理解納得で進むことが「自分自身を知る」の道を歩くことであり、そのゴールを目指す生き方になります。
これが人間として、人生で一番大切なことなんです。
もちろんこの世で生きるには仕事も大切ですが、少なくてもその比率は半々であるべきです。
人の悩みのほとんどの原因は、これで理解出来るものです。
悩み解決は、この土台となる理解無くしては、内からすっきりさせることは難しいでしょう。
一時的解決か自分の本当の力になる解決かは、すべて自分次第ということになります。
大変だ、難しいでは、いつまでも輪廻転生を繰り返すだけです。
なぜなら、悩みは自分のネガティブが解消されていないために起こることですから。
魂の浄化、カルマ解消、アセンション、これらすべては自分のネガティブ解放が条件です。
個人のネガティブは誰も取ることはできません。
自分がやって来たことの結果は、善いことも悪いことも全部自分に返って来るのです。
こんなことは今では誰でも知っているかも知れませんが、本当に意識化して出来ている人はどのくらいいるでしょうか。
「その気で、アセンション」こんな霊的法則、神の法則などはありません。
その関わりを知ること、一部ではなく全体的関わりを知ること、それが自由で広い意識です。
それは、「本当の自分を知る」という、これまでの自己観念の自己検証の始まりなんです。
社会のため、人のためなんて言わないでください。
それは自己意識があるレベル完成している人の言葉です。
何故なら、その意識には「自分を知らない」はないからです。
少し語弊があるかもしれませんが、もっと低いレベルで自分自身を見ていいのです。
まず、精神から自分を自由に幸福に、そしてしっかりさせるということです。
宗教、哲学、精神世界、その他何でも、これらは自分自身を知ってその先のゴールが見えた者には必要のないものなんです。
よく、私たちの本質は、「大いなる存在と一体、神の子、潜在的には神、真の魂」だと、そういう人もいます。
それはそれで、真実だと私は確信していますが。
しかし、あなたは本当にそう信じられますか。
人には弱点があります。
それは本当は信じたいけど、やっぱり素直に信じられないというところです。
真の魂の正体、創造、美しさを忘れてるだけだと、こういうことも言う人もいます。
あなたは、正直どう思いますか。
あなたはこの忘れていることを思いだせますか。
また、「あなたはこの世で気づくため今の両親を選んで生まれてきたのです」ということも聞きます。
誰が、虐待する親を喜んで選ぶでしょうか。
それが修行ですか?
修行であればしっかりとした修行の出来るところを選んでくればいいのです。
しかし、その真実をいつまでも、また一生信じられないとか、知らなかったでは、本当の自己成長にも自己存在の価値付けも出来ないまま人生が終わってしまいます。
そういう自分は、「もう一人のネガティブな自分」とか「満たされたことのない自分」とか「ゆがんだままの影の自分」とか、要するに本質を知らない自分というものです。
その自分という観念、自分という見せ掛けを自分として信じ込ませる観念が問題なんです。
結局、私たちが意識を向上させなければならないのは、自分のために判断できる自分を作るためで、それが自分を信じる力になって行くだけです。
誰でもいつかは自分の足で歩かなければならないのです。
それは今ですか、それとも来世があるからいいですか。
そうやって、ここまで輪廻を繰り返して来たわけです。
いい言葉はたくさんあります。
同じ言葉でも、聖者方がいっている意味と、ちょっと知っているレベルの人がいう意味を分けていないと、おろかな自分を作ることにもなりかねません。
どんな言葉にも、本来は生命を持った意味があるのです。
ただの観念で通じる言葉は、生命の抜けた言葉なんです。
観念を知り尽くす(1)・・真の悩み解決は、必ず意識成長が伴う 2009/04/10
人は自分というものを形成するため、子供の頃からこの世を去るまで、自分なりに信じ認めて来た真実を積み重ねて行きます。
その積み重ねて来た知識と経験の集合が、自己観念の基本となります。
それがあなたの固定観念として自分自身になるまで、自分の意識の奥深くに何度も書き換えながら定着させて来たのです。
そして、今がその結果で、自分イコール自己観念ということになります。
それは、これから先も書き換えて行かなければならない一時的に定着している固定観念に過ぎません。
その自分としている観念によって、人はいろいろな物事を識別判断し、そして自分の行為行動を決定しているのです。
しかし、その自分としている観念が本当に正しいのか、またしっかりとした根拠に裏打ちされたものなのか、ということは、おそらくほとんどの人は考えたこともないでしょう。
よほど自分が何かに迫られない限り、ここまで考えようと思わないのが普通です。
非常に不安定なこの時代、精神世界が広まった現在でも年々ウツで悩む人が増えています。
こんな時代の真っ只中、人間そして自分の存在価値まで考えさせられる今、こんな時こそ人は本質にしっかり目を向けるチャンスなのかもしれません。
悩みも、心の問題も、うつ病も、このような苦痛から解放されるには、まずこの観念というものの真の意味を知ることが何よりも大事です。
観念が作られるのは、この世の知識、人の言葉、個人的な経験、などが中心ですが、これらの中には世間の一般常識や伝統的文化や歴史的事実というものも大きく影響しています。
その他には、人の根本意識として無意識レベルの前世意識の引継ぎも大きく関わっています。
一般的に「観念」というと、今言った前世のことまではあまり重要視されてはいないでしょう。
しかし、今まで自分が受け入れて来た観念の中身を知るということは、前世意識まで深く見つめ自分自身を理解して行くことも重要なのです。 (これは退行催眠で知ることとは違います)
私たちが迷い、悩み、苦しむのは、内的奥深くにあるネガティブという変化しない心に原因があるのですが、それはいったいどうなっているのでしょうか。
心の問題となる原因を探り、またそれを早く解決させるためには、その人の固定観念というものに焦点を当てなければなりません。
心理療法、心の問題解決のための療法の基本は、すべてここから見つめた方が早いのです。
おそらくほとんどの療法は何らかの形でこうしているはずです。
ネガティブ観念、それも間違った観念、勝手に信じていた自分を苦しめるだけの観念といったものを手放すことが出来れば、少なくても自分の悩みから解放されて行くのです。
悩み問題から解放される度合いも、当然問題の深さ重さによっても異なります。
その違いは、自分を支配している固定観念がどのくらい潜在意識に浸透しているかになります。
私たちは、この潜在意識にこびりついている自分が信じたものを再検証し、その間違いを理解納得で超えない限り本当の解放は得られないのです。
それを無視した方法が、暗示、単なるポジティブ思考、何か他に気持ちをそらせるテクニック、また何かに依存させることで救われるといったことなんです。
これらは根本的解決や自分に力を付ける方法とは違いますから、いずれ今悩んでいるような問題に直面すれば、また以前より重い苦痛を味わうことになるのです。
こういうことにも気づいていない人は多いのです。
今持っている根拠のない観念を、自分を解放する力で変えるには、今知らない智恵で塗り替えなくてはならないのです。
それは基本であると同時に、さらに自分を大きく成長させるものであるべきです。
これは誰もが知っておくことで、本当はもっと子供の頃から教えてもらうべきものなんです。
しかし、残念ながらそのような教育は学校も親もほとんどしてくれません。
あなたが自分の観念として受け入れて来たものは、本当はそれでよかったんでしょうか。
観念イコール自分と考えた場合、それがどういうことか今の自分を見つめればよくわかります。
いろいろな知識やあるまとまった観念の中から、どのように選択し認め信じて今の自分になったんでしょうか。
確かに、今このようなことを言われても、子供の頃から何かを考えて観念を選択して来たという人は誰もいないと思いますが。
人は、出来るなら自分の好きなものを集めたい、それに取り囲まれて生きていたいのです。
もしあなたが、知らなかったとはいえ、間違った根拠ない観念を受け入れて来たとしたら。
もしあなたがその事実に気づき、よく考え、新しい方向に目を向けることが出来るとしたら。
もしあなたが今、このことの意味が解りかけているなら、これからの自分の人生はいつも光が当たるような生き方に持って行けるでしょう。
もちろん、その内容は段階を追ってだんだん奥の深いものになって行きます。
人によっては意識というものが何であるか、はっきり理解していない人もいます。
意識を理解するということは観念を理解するということであり、それがさらに潜在意識の理解へとつながって行くのです。
知らないで生きるか、それともその事実を知って、それから新しく自分の潜在意識に上書きしていくか、まだまだ誰にもいつでもチャンスがあるのです。
よく、自分の中に答えがあるとか、あなたは本来神なんだから答えを知っているとか、神に合わせればすぐつながるとか、神と一体のあなたはいらない観念はすぐ捨てられるとか、本当にいろいろ都合のいいことを言っている人が多くいます。
一体この意味は何なのか、本当のことはどうなっているのか、それに対して説明できない、答えられもしないでは、ただの曖昧なその場限りの慰めをやっているに過ぎません。
確かに、それでもよしとする人もいますから、それはそれで必要なのかもしれませんが。
簡単に「観念」といっても、それは大変奥が深く複雑なものなんです。
「観念」について、本当に深く掘り下げて理解していくには、心の拡大が必要になります。
もし、私があなたに「観念」について5時間話をしたなら、あなたはほとんどの人が聞いたこともないことを知るかもしれませんが、同時に今の思考に限界を感じるかも知れません。
「観念」を深く理解しようとすると、心から意識へ、当然心の拡大まで伴って来るのです。
悩み、心の問題解決・・無智と意識成長の関係 2008/07/28
今回は、「無智」について理解してもらえればいいと思います。
「無智」は、悩みや心の問題の原因となるネガティブ要素です。
今このブログを読んでいる人は、ひどく「無智」という人は少ないと思っています。
宗教や哲学や精神世界の勉強をしている人でも、本質を理解するポイントを知らないままでは「無智」よりはいいのですが、自分の人生に役立てることも少ないでしょう。
それ以上に、本質的なことや霊的なことの勉強に無縁でただ流されて生きている人は、潜在意識、真理面では「無智」そのものとなります。
私は、何もそのような人をバカにしたり人間として価値が無いと言っているのではありません。
それだけ、ほとんどの人は真実や本質を知ることより楽に生きることに重点を置いています。
「それは大して意味のないもの」「今の生活に関係ないもの」「それを知ったから何になるの」
そして、それより「生活が第一」などと考えている人が多いのです。
生活も大事ですが、その生活人生をよくしていく意識も同じくらい大事なんです。
それを無視した考え生き方が、「無智」であり「ネガティブ」だということなんです。
本当は自分の人生を大事にしているようですが、結果的には何も変化なく「無智」なまま、苦しい大変といった同じ繰り返しの生き方をしているのです。
物欲の世界、限定観念の固定した考えの中からどう抜け出すかにかかってきます。
何も生まない「無智」から、自分の存在価値をどうやって高めて行くのでしょうか。
この数十年の間、科学技術はどんどん進んでいます。
反面、人間の精神は年を追うごとに混乱して行っているように感じます。
もうすぐ、他人のことなど考える余裕がない人が多くなる世の中になるかもしれません。
自然も人間も狂って行っているのに、人間意識はこのままで大丈夫なんでしょうか。
先の予測がつかない時代、たくさんの悩みを抱えた人もどんどん多くなって行くでしょう。
それでも、まだ。
「簡単に早く楽になれる」「ハッピーハッピーが一番」「すぐハイヤーセルフとつながれる」「引き寄せの法則で願望実現だ」を信じている人も多いのです。
信じているというより、都合のいい期待かもしれません。
誰もが特効薬を欲しがっているんです。
簡単な方法で満たされることを。
そういうこと、単なる期待に、多くの人がお金も時間もかけるんです。
しかし、そんなものはありません。
もうずっと前、私は30年くらい前からそのような願望実現や簡単な方法というものを見聞きして知っています。
まだ同じことを繰り返しているんですね。
何か、きっと魔法のノウハウがあるかもしれないという期待にかけているんです。
他のことは簡単に無視しますが、こういうことには「あきらめ」がないみたいです。
努力もしないで、どうして本物の「智恵」が付くんでしょうか。
本質的なことは、どんなものでも簡単に得られるということはないんです。
努力することは、少しの犠牲を払わなければならないことですからほとんどの人は嫌がります。
「自分の好きなこと楽しいことは絶対外したくない」、でも自分の思い通りになって欲しい。
誰かがうまくやっている、成功した人に焦点を合わせ自分もそうなりたい!と思っています。
でも、その人もそうなるまで、見えないところで大変努力したかもしれないのに。
人は、いつの間にかあまりにも意識が弱くなりすぎてしまったのです。
この意識が弱くなりすぎてしまったのが、「無智」を助長しているのです。
根本部分を考えれば、自分の「無智」がよく見えて来ます。
「自分とは、生きるとは、人生とは、生きがいとは、本当の幸せとは、本当の自由とは、心から理解しあうとは、本当の自分はこうだと言える自分とは、素直に喜べることとは」
まだまだありますが、結局人はいつかは死ぬのです。
そしてまたこのような思いを繰り返すために生まれてくるのはどうしてだと思いますか?
「私はそのようなことはない、同じ繰り返しはしていない」という人もいるでしょう。
しかし、今の自分の意識レベルがその証拠なんです。
よく「ありのままに、自分らしく生きればいい」という言葉も聞きますが。
我のままに、ただ流されて生きることが自分らしくではないのです。
これは、「無智のままで生きよ」と言っているだけで、本当の意味で理解しないと、ただ無智を美化しているだけの言葉になってしまいます。
人間は本質に触れなければ真の成長はありません。
すべてとは言いませんが、曖昧や慰めや理解抜きの方法では、無智を助長しているに過ぎないのです。
自分の悩みを解決できない、成長の糧にして行けないのは、ただ「意識力」が無いだけです。
「意識力」とは本質を知っていくことでついて来ます。
「意識力」が自分の意識そのものになって成長していくことで「無智」から離れられるのです。
根本的な基本をしっかり押さえていれば、グラつくことなく自分を成長させて行けます。
自分の悩みは、本質を理解し意識力をつけるための教材に過ぎないのです。
心理学など、他人の例で意識力をつけようとしても、本当に自分のものにならないでしょう。
誰にでも、せっかくネガティブ意識があるのだから、そしてそれが悩みの根本原因の一つでもあるのですから、また、それらの意識は前世から引き継いだものでもありますから、これを使わない利用しない手はないでしょう。
私たちが生まれかわる目的は、科学文明を発達させ幸せな人生を送るためではないのです。
逆です。
科学文明の発達を優先させるのではないのです。
私たちの意識、それも潜在意識レベルで完全に進化させることが目的なんです。
「意識を進化させて一体何が出来るんだ」という人は、それこそ「無智」そのものの意識です。
進化した意識は生まれ変わりで地球には戻って来ません。
強いネガティブ意識で残された人々、濃いネガティブの世界がどういうものか想像出来ますか。
人が悩んでいることは、すべて答があるのです。
意識力をつけるというのは、悩みを解決するということだけではありません。
悩み解決は当然のことです。
意識力(ポジティブ力)をつける本当の意味は、自分を根本部分から満たすことが出来る力、智恵をつけ自由を知るということです。
そんなことがどうして天から降ってくるんですか、都合よく簡単に棚ボタを期待するんですか。
今の時代、そしてこれからの時代は生きること自体が大変苦労も多くなると思います。
経済社会が政治が悪いのではありません。
一人一人の「無智」が結果的に表現されているのです。
アセンションのことも言われていますが、人はアセンションで何を期待しているのでしょうか。
「何年後に地球が?人類のために?気づいたものは集められて救われる?」期待?妄想?夢?
「宇宙人が人類を救いに来る?」
どうやってその宇宙人を信頼したらいいのでしょうか。
もし、これを神がやるのならば、私は神に聞いてみたいです。
「何でいまさら?」と。
仮にですが、もし私が神ならばこのように言います。
私自身そのようにして来ました。
個人が、人類が善くなりたいのなら、自身の「無智」「ネガティブ」を取りなさいとね。
あなたが無智だからネガティブだから、人類が善くならないのです。
こういう人たちがたくさんいるのが、今の人類です。
本当の神は、個人や人類が善くなるためにすばらしい気づきのプレゼントを与えてくれます。
結局、それは個人が作ったものですが、神(魂)経由で個人に渡されます。
それが、苦しみやネガティブなあらゆるものです。
私(神ならば)は言います。
「あなたをいつも幸せにしていれば、絶対私(神側)の方向を見ないからね。もし幸せだけがあなたの意識を成長させるんなら、はじめからやっているよ。」
宗教も哲学も精神世界も、もっと大きく全体から見つめなければ本質が見えないのです。
また、宗教や哲学や精神世界などは、気づきのためのステップに過ぎないのです。
それは、いろいろな方向から真理に向かう人のために用意されたものです。
たくさん勉強して、最終的に自分の意識で動くことです。
先祖の霊・自称霊能者の言葉・・ただ怖がって真に受けていいのか! 2007/08/04
お盆も近づいてきたので、今回は先祖供養とか霊的な障害について考えてみましょう。
先祖供養に関するすべての行為については、各人各家それぞれの思い入れがありますので、私自身それ自体は何も否定することもトヤカク言うこともありません。
ただ、先祖供養をしないから、先祖の悪い霊との因縁を断ち切ることをしないから、不運な死や無念な思いを残して死んだ先祖の霊を成仏させていないから、などといった理由で、いろいろな霊的な障害を受けるといったことをテレビ、その他でよく見聞きしますよね。
こうなると、私としては「何言ってるの!」という疑念と、納得出来る答えの追求の思いが・・
「本当のとこ一体どうなってるの!」と、またいろいろ分析して真実を探りたくなって来ます。
このようなことを何も知らない人相手に、商売や霊能力者として惑わしている人もいますが、もっとひどいのになれば、今だ相変わらず霊感商法的なことに使っているところもあるんです。
まだこんなことに引っかかる人もいるのかと思うんですが、その人の事情を考えれば・・ですね。
代表的な例をいくつか挙げますと、
「先祖の供養をきちんとしないと不幸になる」「先祖の供養をしっかりすれば運がよくなる」
「先祖の悪い霊との因縁を断ち切らないと、あなたの人生は決して良くならない」
「あなたの先祖の霊魂を成仏させてあげないと、あなたの家族によくないことが続く」
「あなたの先祖が自分の事を大切にして欲しいと、あなたに助けを求めています」
あの手、この手、まだまだあると思うけど、この後が問題!・・
「先祖の悪い霊の因縁を断ち切るのに50万。お払いするのに7万円。
先祖の新しい位牌必要だから5万円。その他お守りなどで、全部で・・・」
時間が経って、「あなたの先祖の霊は意外に憎しみ執着が強いので、もう少し時間がかかります。あと、○○十万必要です。これで止めると今までのことがすべて無駄になります」
あぁ!先祖の霊より怖い!
冷静さが必要だけど、弱い不安怖い、これには勝てない!
これとは別ですが、これに似たもので悩み相談や病気の原因などの透視、霊視といったことでも、私のところに来た人から、このようなことを受けたとの話をいろいろな聞かせもらっています。
「あなたにはネガティブな霊が二百体憑いています。先祖にも成仏できない霊が二十体、これを取り除いていけば良くなって行きます」という具合です。
中には、六百体憑いているというのも聞きましたよ。
オーオー、よく数えたな、どうやって数えたのよ!
ネガティブの強弱の程度はどうなの?
その霊はどこの霊? いつからその人に憑いているの? 全部が一変に憑いたの?
疑問の数々、質問していくと嫌がられるよ、治療断られるよ。
あなたの心は汚れてるとかで。
この世界はいいよね、説明責任が無いんだから、大臣待遇か!
こう言われた人に憑いているというネガティブな霊、あまり気にしていると言ってあげるよ。
その霊、全部私に渡していいよ、私が全部引き受けるから今無理ならいつでも送っていいよと。
この手の類は、みんなこんな程度だよ。
そんなに怖がることはないよ。
お経、お払い、私はそんなものは使わない。
お経はマントラム、そこに入っている霊的波動でネガティブ波動を取り除くか跳ね返すだけ。
私はお経の代わりに、霊的振動を使うだけ、あとは何もいらない。
この自分の意識から出る振動は高級マントラム!
低級波動や低級霊は、ポジティブ振動や霊的振動には勝てないんです。
これが霊的法則。
霊的法則が私たちを守ってくれるんですが、そのためにはポジティブ意識に。
先祖の霊ね、自分の両親から考えて、お互いの両親からそしてその両親へ、またまた、その父母というふうに十代くらい遡って数えていくと、その先祖だけで千人以上なるよ。
その子供達まで考えると相当な数、前世での関係も前世リーディングでなくても何とも言える?
先祖の困った霊、悪い霊、成仏できない霊、千人というだけでもいろいろな先祖がいたでしょう。
要するに、自分たちは意識的に満たされなかったから、子孫に何とかしてくれということだよ。
「何言ってるの!」だよ。
誰のせいなの、満たされなかったのは自己責任だろ。
そんな適当な言葉なんか真に受けてないで、このくらいの強い気持ちを持って欲しいよ。
「あなたたちのようにいつまでも子孫に迷惑をかけないように、そうならないために今自分は、意識向上の勉強に忙しいんだよ。
私が死んだら、あなたのところに行って本当の満たされることを教えてあげるから、それまでおとなしく待ってなよ。私の足を引っ張ると、あなたの損だよ。
それでも私の邪魔をするなら、あなたは私の先祖じゃないよ。私から縁を切るよ!いい迷惑だ!
そんなものを何で自分の先祖と認めなければならないのか。どうせネガティブのワナだろ」てね。
自分が死んで、あの世とやらで自分を苦しめた霊と対面したとき、そのときどうするんでしょ?
死んだ人すべてが成仏できないのは当たり前。
成仏にしてもしっかり意味を考えないとね。
ネガティブ意識を持っていて、何が成仏なの、死んだら仏になって霊界に入れると思ってるの!
ネガティブな憎しみ、嫉妬、恨みなどに縛られた強い霊が悪さをするから怖い、と思うよね。
なんてこと無いよ、所詮無智な駄々っ子だよ、こんなの、醜いネガティブで不満の塊じゃないの。
何で、こんな程度のものに負けなければならないのか、何で大切な自分の人生をこんな低級性によって狂わされなければならないのか、冗談じゃない!
でも、何も知らない一般の人は、またワラにもすがりたいくらい本当に切羽詰っている人なら、お金で解決するなら、それで病気が治るなら、可愛い子供の不登校が直るなら、悪いことが続いていたのが止まるなら・・・・、やっぱり、ついつい頼ってしまうか。
でも、それで変わるのは全体の何パーセントなの、あくまでうまく行けばの話なんですよ!
先祖の霊のことが異常に気になる人は、その人自体がそのときの満たされなかった自分という、先祖の生まれ変わりかも!?