精神世界・自己変革

【1】【2】

クリシュナムルティ(3)~本質に触れる、真の「純粋意識」 2009/12/13

「何故、純粋意識にはなれないのか!」
もちろん、これは成ろうとしてなれるものではありませんが。
いくつかの理由が挙げられます。
純粋意識ではこの世は生きられない、何のために純粋にならなければならないのか、子供じゃあるまいし、その他いろいろ出て来ると思います。

今の考えはすべてこの世的観念重視から出て来るもので、そう思うのも当然かもしれません。
では、本当の純粋とはどういうものでしょうか。
私たちは、普段の生活や仕事でいつも純粋であるということはかなり難しいでしょう。

また、純粋になれたとしても、はたして社会生活のなかで物事が円滑に運ぶかも疑問です。
こう考えると、自分の子供を純粋に育てるということもかなり不安になります。
そうなると、「純粋」はあまり大事なものでないように思われるかもしれません。

しかし、今言ってきた「純粋」は、この世界で通じる意味にしか過ぎません。
「この世界で通じる言葉の意味、その言葉はすべて正しい、という考えから抜け出しなさい」
これが、クリシュナムルティの基本的教えの一つです。
「自我の終焉」は、この世界で通じる言葉の意味で「あるがまま」の意識に到達出来るように、言葉の意味を変化させる過程を教えています。

これ自体すごいことなんですが、しかし、この世界の知識重視の人には通じないことです。
絶対通じないということではなく、おそらく理解納得するまではかなりの時間がかかると思いますし、また苦痛も伴うでしょう。
何故、この本1冊理解するのにそういうことが起こるのかと、疑問に思うかも知れません。

それは、この本を完全に理解するには、「純粋」とか「純粋意識」を知る必要があるからです。
言葉を変えれば、「本質」も同時に知っていかなければ、この本を真に理解納得したとはならないのです。
クリシュナムルティは、当然本質はすべて知り尽くしている上で言っているのです。

ただ、本の中にはその説明は一切ありません。
ですから、私たちは本質レベルのことはこの本ではなく、他のものから勉強して自分を準備しなければならないのです。
本質は、純粋であり真理です。
私が言いたい「純粋」は、本質を目指すという意識でもあります。

この世界においては、この純粋の完全性を知ることは出来ないもので、ただ神の部分として受け入れるしかありません。
「自我の終焉」の理解の前に、この意識的勉強や訓練をしておくことが、優先順位として効率のいい方法になります。
ある人が、哲学や精神世界、また宗教でも長年勉強していながら、なかなか思い通り前進出来ないという理由の一つに、勉強の焦点の当て方にも問題があるからです。

その焦点は、本質の理解一点に絞ればいいのです。
おそらく、「そんなことはやっているよ」という人もいるかもしれません。
しかし、今の自分自身がその結果であるという、その答えまで偽ろうとしない自分がいるかどうかを見て欲しいと思います。
「自我の終焉」この本1冊あれば、心理学から哲学、精神世界、宗教まで、全体的理解のための話は進められるものです。

この本の内容は、それらの勉強で得たすべての知識的理解を、整理し、自己意識を確認をするために使ってもいいものだと思います。
すべては一つの意識世界にいるのですから、すべてがつながるように理解納得すべきです。
このような意識が純粋意識の道なんです。

この純粋意識は、そのままを全部表現しながらこの世界で生きて行くことは出来ません。
何故でしょうか、それは自分が困るからでしょうか。
違います。
それは、人に対する愛、親切な思いからです。

純粋意識は自分の意識の中でとことんレベルアップして行かなければなりません。
その意識をそのまま出さずに、また外部のネガティブに触れさせないためにも、それまで勉強して来た本質レベルの智恵で守らなければなりません。
そして私たちは、自由な自分の意識の下で自由にそして自在に自分を動かしていくのです。

人の影響を受けているように見えるのは、見かけ上のこの世界に生きる自分ということです。
それをしっかり見つめることの出来る意識。
それは、自分を救い、自分を守り、自分を高める智恵です。
それが「ポジティブ意識の智恵」ということです。

私は最初からこの意識を知って欲しく、ブログにこのタイトルを付けたのです。
ですから、「自我の終焉」の理解納得も、基本的に知っておくべきことに過ぎないのです。
あなたは、この世は自由だと思いますか、それとも不自由な世界だと思いますか。

そんなことより、自由も不自由もすべてお金次第ですか。
物的考えの中で、とりあえずせっかく生まれて来たんだから、という目先の幸せ人生が第一では、また同じ輪廻の繰り返しです。
幸せが悪いという意味ではなく、物的幸福のみにしがみつくことが問題ということです。

今、ここに自分の意識があるように、来世も今そこにある意識に気づくだけです。
「何でどうして私はこうなの!」
けっして自分のやって来た過去の反省などはほとんどないし、考えようともしないでしょう。

「だって、過去世なんかわからないじゃないの、どうやってわかればいいの?」
簡単です!
今の自分の何も知らない意識、意識的によくなろうともしない意識、それが過去世の自分です。
こうして、人は長い輪廻転生を繰り返し、絶えず平面でのいい未来を夢見て生きて来ました。

過去の歴史から見ればそれは仕方ないでもいいでしょうが、それを今でもやるの・・
クリシュナムルティは、根底意識に関係するそのことにも触れ、早くそれを理解してこの曖昧な世界から離れるようにと、いろいろな角度から説いているのです。

つまづく原因は、何も知らないのにこの世が絶対だと思っていることにあります。
そう言うと、そうでない証拠を見せろ!となります。
はっきり言って、証拠を見せてもどこにそれを理解する能力があるのでしょうか。

また、違った文句を言うのか、「ああでもないこうでもない」と。
そんなことを焦点に考えているからいつまでも足踏み状態なんです。
認めなくてもいい、今答を出さなくてもいい、でも人の話もいったん受け入れるくらいは。
頑固、ただ否定では、何回の生まれ変わりをしても何も成長もない。

いずれ、かなりの苦しみを味わなければ、目が開かないのか、やはりいつかは苦しむ運命に。
長い歴史の中で受け継がれてきた凝り固まった観念を絶対正しいとする考え、クリシュナムルティはそれをもう一度よく見つめ考え検証してみたら、ということを言っているのです。

この今まで信じてきた観念の価値をどんどん変えて行くには、もっと柔軟にいろいろ取り入れ考え抜いてみないと納得できる自分なんか出来るわけもないのです。
たとえば、時代を一気に戻して江戸時代の人達の意識を考えてみましょう。
一部の高いレベルの意識は置いて、一般レベルを見てみます。

現代に生きる私たちから見れば、本当に何も知らない狭い意識の中で一生を終えて行くということがわかると思います。
現代から見れば、この時代の人は知らないことばかりです。
知るということはどんなに楽か、こういう見方でもつくづく感じます。
まるで平面意識、2次元的意識の世界です。

私も人を見る場合、人の意識全体を意識座標におきます。
普通なら、平面のたて軸よこ軸の4分割のどこかに意識を代表させて点をおきます。
私は人の意識をみる場合、空間にその人の意識の点をおきます。
何故なら、いろいろな意識を見て感じているからです。

人の意識は、簡単に平面なんかでは表現出来るものではありません。
空間に置く点はいくつかあるのが普通です。
それがその人の総合的意識レベルです。
その点の間隔が離れるほど、その人はこの世界を大きく見られる、把握しているとなります。

それがどんどん高くなれば達観する状態で、「あるがまま」の意識世界に入っていくのです。
必要なことは、こうなるためだけの努力です。
ここに達すれば、あとは何を努力しなければならないでしょうか。
「努力は要らない」というなら、もしこう言いたいなら自分でお手本を示せばいいだけです。

魂の入っていない言葉を聞くくらい、時間の浪費はないと私は思っています。
言葉も、その文面にあるだけの意味で解釈しようとしてもだめです。
言葉は、意味、価値、それに新たな命まで吹きこむことが出来るものだということを知ってください。
意識を勉強するには、読書ではなく、その意味の探求に入らないとだめなんです。

そろそろ精神という言葉から抜け、心、意識、潜在意識という言葉を使う訓練をしましょう。
これが本物を伝える、本当のヒント、気づきになるものです。
生命の入っていない知識集合体にどれほどの魅力を感じるでしょうか。
波動振動は言葉にも入るのです。

理解納得確信、絶対意識の順に言葉に命、力が入るのです。
「言霊」は、もうこの世には無いのです。
「愛」もこの世には無いのです。
「言霊の入った愛」は、本当に純粋な意識を通ってくる神の表現です。
それは、それが意識にある(無意識でも)人間だけを通して表現されるものです。

それを動物やものから感じる人は、自分の中にある愛に触れそれを確認しているのです。
[愛」はどんな人の意識にもあるのです。
なぜなら、すべての人はイヤでも神意識とつながっているからです。
神意識とつながっていない人がいるならば、それは人間と言わないのです。

イエスも釈迦も聖者方も、クリシュナムルティも、まずこんな意識に気づくことを説いているのです。
何か出来る、超能力がどうのこうの、神秘体験がどうのこうの、の前にです。
神が創った意識の法則の順番を無視してまでやろうとする努力のほうが、そんな努力は要らないとなるのです。

クリシュナムルティ(2)~「あるがまま」の意識に向けて 2009/12/03/

クリシュナムルティの「自我の終焉」は、かなり難解な本ですのでじっくり理解を進めて欲しいと思います。
この「自我の終焉」を読むときの注意点は、言葉の意味、その奥深くに隠れている本当の意味を探ることです。
この本の内容を理解するにも、説明している言葉の一つひとつの意味を知ることが大事です。

それを繰り返して行けば、最終的にこの本を理解した、自我の終焉に至ったとなります。
この言葉の意味とは、これまで自分が勉強し経験で得たすべての知識で考えたとき、それをどの程度解るかということです。
この本で使われている言葉の意味をどう解釈するか、それでその人の意識レベル、神秘霊的レベルまで大体検討が付くのです。

この本を理解納得するには、心から始まって、意識、潜在意識、無意識、霊意識まで、すべての意識が関わって来ます。
それは、心理学から始まって、哲学、精神世界、宗教、神秘などの理解も含まれます。
見方を変えれば、「自我の終焉」は、初歩の人にとっては非常に混乱を招く困った本です。

しかし、意識向上という点から見れば、脳、意識が鍛えられるとてもすばらしい本なのです。
脳、意識が鍛えられるとは、思考回路、意識回路が広がっていくという意味です。
この本の内容に関して、どんな質問にも答えられるようになると精神世界は完全卒業です。

こう考えると、この本の内容は相当レベルが高い、そして難解だということも理解出来ると思います。
「到達」「達観」は、この本の内容をどんな質問からでも、またどのテーマからでも全体像を説明が出来るということが要求されると思います。
この本1冊で、必要な意識の通る道や途中の段階まで説明出来るのです。

その途中段階である通過点の意識が、その時の自分を創る言葉の意味ということです。
前回も書きましたが、私は本当にこの本を意識向上のためのテキストにしたいくらいです。
とにかく、この本1冊で「自我の終焉」という、かなりの自己革新、そして自己確信まで高めて行けます。

逆に、この内容を浅い理解で納得してしまうと、おそらく本来の自分が進む道からだんだん離れて行くでしょう。
何故なら、間違った言葉の意味で物事を考え判断するからです。
もう一度言いますと、この本を理解納得するポイントは、意識段階における言葉の意味をしっかり意識化することです。

意識化、それは新しく絶対的に自信を持った自分にすることで、最終的にはそれが自分の潜在意識にさせることです。
それまでのあなたとは違う、自分自身が完全納得する新しい自分になるということです。
この本は、その基本、枠を説明していると考えてください。

けっして、そうなるためのすべてを説明しているわけではありません。 
まだ、枠です。
蜂の巣の中にまだ幼虫が見えないスカスカの状態で、これから働き蜂が幼虫を成長させて行かなければなりません。
その働き蜂が自分で、言葉の意味の理解納得によって、いずれは巣全体を生命で充たすのです。

この本の説明にない、すべてを把握するものは何か、を知ることが意識の勉強ということです。
一部の精神世界で何とかなると思ってはいけません。
最初の全体把握、それは深い部分まで知るということではありません。
枠組みを知ること、基礎的土台を創ること、要するにとりあえずでもすべての全体像、仕組みを知ることです。

行き先も知らず、目標もなく進むくらい、不安なものはないでしょう。
基本を見つめ、よく考えて見てください。
ただ本を読んでいれば何とかなる、精神世界に触れていれば何とかなる、誰かさんを信じてそこにいれば何とかなる、こんなことは絶対ないのです。
これはあくまで、真の自立を目標として自己意識成長に対して言っています。

本の言葉の意味だけでなく、同時に自己変革、自己意識成長の意味、そして今ある精神世界の意味まで見つめることが出来たらと思います。
たとえば、本の中でクリシュナムルティは「努力は要らない」というようなことも書いています。
しかし、こういうレベルの本ですから、表面的ではなく当然それにも深い意味があるのです。

「努力は要らない」は、その意味が解ったとき、その意識にあって初めて解るものです。
「自我の終焉」イコール、「あるがまま」の意識ということです。
この本は、このレベルになることを目標に、誰にも通じる言葉のみで説明しています。

宗教や精神世界、神秘霊的なことの説明は抜きにです。
ただクリシュナムルティ自身はすべて知っているという観点から説明していますので、何も知らない人にとっては深い意識に入って行きたくてもその接点が見つけられないと思います。
ですから、この本を十分に理解するためにも、まず偏らない、そして全体的な基本的知識が必要になるのです。

「あるがまま」の感じもいろいろあります。
ただ、この「あるがまま」の感じを一度でも感じたことのある人は、目指すべき方向の大きな証拠を得たと感じています。
私もそうでしたが、最初の「あるがまま」を感じたのは、この勉強を始めてからすぐでした。

たくさん勉強しなければ、こういう感じは味わえないということもありません。
このような人もけっこういますし、また知っています。
しかし、その感じが何回も来るかというと、それっきりという人も多いと思います。
その感じに触れさせてくれたのも、未来の自分の方向を示唆する魂の援助の一つだと思います。

「あるがまま」の感じは、何かを一生懸命努力しなくても来ることがあるのです。
だからといって、それが即、意識が向上したということにはならないのです。
意識向上とは、自分の意志で自分自身を支配するまでに意識を高めることにあります。

その本当に高いレベルに自分があるとき、「あるがまま」の意識とか「努力は要らない」という本当の意味が自動的に解るのです。
これは「悟った」というのではなく、「悟りの高い段階に至った」となるのです。
本質レベルから言うと、私たちは何の努力も無しに「あるがまま」に入れると思います。

では、どうしたら?
それは、自分の意識を純粋にすることです。
純粋ですよ、出来ますか?
それ以外の方法では、「あるがまま」の意識を知ることは無理だと思います。
これは、「あるがまま」を感じるというのではなく、その意識になるという意味で。

紀元前から現代まで、世界中に哲学、宗教を通して求道者達が捜し求めて来た、追い求めてきた絶対的意識、神。
神に近づくには、「あるがまま」の意識は当然で、それが無意識で触れる世界です。
私たちが知らなくても、長い歴史の中でそれに達した者もたくさんいたに違いありません。

しかし、その方法は残されていますか? 
簡単な方法でも何でもいいのですが。
今の精神世界を見渡せば、子羊の群れそのものではないでしょうか。
これまで、イエスでも、釈迦でも、その他の聖者方でも、その方法を分りやすく説いた人がいたでしょうか。

聖者方は、まず「愛」「慈愛」を自分の意識にすることを言います。
純粋意識はこれです。
でも、現代人はなかなかこの意識にはなれないのです。
何故、なれないのか?
続きは、次回!

クリシュナムルティ(1)~本質に触れる「あるがまま」の意識 2009/11/27

今回から3回くらい、クリシュナムルティの著書である「自我の終焉」について話してみたいと思います。
まだ、この本を読んだことがない人もいると思いますが、そんな人も含めて一から説明していこうと思います。
おそらく今回は、この本、「自我の終焉」の内容を大まかに把握するだけになると思います。

私の意識勉強のセッションにおいても、この「自我の終焉」の内容を詳しく説明しています。
ただ、この説明は誰にでもしているわけではなく、一応私が説明する意識の勉強を何回か受けた人だけに限定しています。
そうしなければ、本当の理解納得で、意識的に潜在意識まで踏み込むということが難しくなるからです。

このような説明だけでも何となく気づけると思いますが、この「自我の終焉」は大変難解なものです。
クリシュナムルティの本は10冊くらい出版されていると思いますが、その中で私はこの「自我の終焉」しか読んでいません。
ですから、それ以外の本の内容については何も知りません。

最初にズバリ言いますと、この本1冊を完全に自分の意識に出来れば、この世、人間世界は達観出来ます。
私はこの本と他に進めている2冊を完全理解納得、そして自己意識化出来れば、この世界のことはかなり楽に見られると思っています。
思っているというより、それは事実です。

自分の意識成長の基本として、私はこの「自我の終焉」という本を意識の勉強の教科書にしたいくらいです。
実際には、直接この本の内容には触れませんが、いずれこの本が理解出来るような話の進め方をしています。
この本だけでなく意識の段階を上げて行くためには、まずやらなければならない、また知らなければならない基本というものがあります。

それを知らずして本を読むだけでは、どのような理解が来るのかという疑問が出て来ます。
遠回りしてつまづき、結局は何も打開出来ないままあきらめるか。
そうでなければ、どこか都合のいい解釈で落としどころをみつけて自己欺瞞で良しとするか。

私は効率のいい近道を選択させたいと思っているだけです。
それにはどうしても努力が要求されます。
「自我の終焉」を読むと分りますが、クリシュナムルティは「努力は要らない」とも言っています。
あなたに、この言葉を理解出来るまで説明するには、かなりの時間がかかるでしょう。

それだけこの本の内容は深いのです。
この本は、一般的な読書というスタイルでは何も理解出来ないのです。
読書でなく、クリシュナムルティの意識を知ろうとする探究読書にしなければ理解納得は無理です。
最初は頭で考える、これは本を1~3回くらい読むときだけです。

しかし、これでこの本を完全に理解出来るということは絶対無理です。
前回も書きましたが、「この世には絶対は無い」なんて言わないでください。
外側なら思考で理解もありますが、内側の理解は意識です。
これを誤ると、真の理解への方向性にズレが生じるのです。
クリシュナムルティの言わんとすることは、かなりの範囲、というより物事を全体意識で秩序立て理解するという意識構成です。

それは意識の道を進む順序を知悉するということでもあり、かなりの努力が必要になります。
いずれ、「努力なし」についても説明したいと思いますが、今はその準備が出来ていません。
準備が出来ていないというのは、私のことではありません。

この本をまだ読んでいない人は、今でなくてもいいですが、いずれ早いうちに買っておくといと思います。
「自我の終焉」を完全理解しようと思えば時間がかかりますので、書店で手にとって何かを感じれば買っておいたほうがいいでしょう。
「自我の終焉」は、私は神秘哲学といった感じで捉えています。

こんな学問はないかもしれませんが、内容からそう思います。
もう一度、一からこの「自我の終焉」に挑戦しようとする人のために角度を変えて、この本に向きやすいように説明したいと思います。
この本は、宗教や神秘体験的なものは書いていません。
しかし、クリシュナムルティが一番伝えたいと思うことは、「あるがままの意識」とか「あるがままの自分」ということです。

そういう意識の自分があって始めて、本にもある「あるがままのものを、あるがままに見よ」という言葉が出て来るのです。
では、この「あるがまま」ということはどういうことかが分りますか。
どういうことかというより、厳密にはどういう意識かがわかりますか。
こう言うと、「それを知るためにこの本を読むんだろう」と言いたくなるでしょう。

ここでまた、はっきり言っておきます。
この「あるがまま」の説明など、本当の説明など、この本にはどこにも書いていません。
それでありながら、「あるがまま」の意識を目指せと言っているのです。
さて、どうしますか?

一般的に解釈されている「あるがまま」、それは本質レベルの「あるがまま」ではありません。
それは。真の「あるがまま」の抜け殻としての単なる誰にも通じる言葉にすぎません。
この本に書いてあるすべての言葉を、誰にも通じる言葉の意味として受け取らないでください。

相手は誰ですか?
どんなレベルの人が言っているかをまず頭に入れてから読んでください。
クリシュナムルティですよ。
聖者といってもいい方です。
クリシュナムルティはこの中で、宗教や神秘霊的なことにはほとんど触れていません。

しかし、クリシュナムルティはすべてを知っているのです。
すべて知った上で言っているということです。
それを何も知らない人が読んで、何をすぐ理解出来るというのでしょうか。
最後は心理を超えたところまで入って行かなければ、深い理解など出来るはずは無いのです。

この本は、「あるがまま」や「自我の終焉」を知っていく段階で、ストーリー性を持って話を進めている訳でもありません。
読んだ後、すべての内容を一にまとめることが出来て、始めて一つの意識が浮かび上がってくるのです。
この難しい内容の翻訳も大変だったと思いますが、ニュアンスがどこまで通じるかということも考えないと、「クリシュナムルティはおかしい」と批判する人も出てくるかもしれません。

正しいか、それとも異質な思想か、そのどちらにしても、この本の内容と同等レベルくらいにならなければ、しっかりと説明付きの批評は出来ないはずです。
クリシュナムルティは、「あるがまま」の意識まで説明していませんが、その「あるがまま」の世界は一つに限定されたものでもありません。
その世界の意識は、その意識レベルにおいて、この世界と同じように多様な「あるがまま」の振動があるのです。

クリシュナムルティの願いはただ一つです。
この世界の限界を知って、それは「観念」の説明でも理解出来ますが、まず「あるがまま」の意識を体験して欲しい、ということだと思います。
千のどんなすばらしい言葉より、一つの体験です。
宗教でも、精神世界でも、まずそこを知ることです。

宗教、精神世界で目指す一段階目は、ここです。
それがスタート点で、その先には広大な意識の世界が待っているのです。
ただ、宗教や精神世界の勉強をしても、目的意識がしっかりしていなければ、また新しく作った観念を「真理」として妄信するようになるだけです。
心との分離へ・・意識成長のための実践、それは意識を動かすこと!

心との分離へ・・意識成長のための実践、それは意識を動かすこと! 2009 06/24

私が精神世界の勉強を始めた頃から今までを振り返って、いろいろ辿って来たことを思い出してみると、その時々に大事なポイントがあったことに気づきます。
一番のポイントは、本を読むときの思いにありました。
最初の勉強は本から入る、これは誰でも共通していることだと思いますが、その内容をどう理解していくかでゴールに到達する早さもレベルも違って来ます。

心理から霊的真理まで、その基本である精神世界や宗教そして神秘などをまず本を読んで勉強するのですが、最初私は本の内容を大体頭に入れていく読み方をします。
次は、その本に書かれてある大事なポイントだけに焦点を合わせて考えて行きます。

私にとって、その本に書かれてあるストーリー性などどうでもいいのです。
ただ私は、それ以上にその本を書いた人(高い意識レベルの方)の意識に集中し、深く入り、何とかその意識が解らないものか、というだけに集中して行くのです。
もちろんこんなこと、かなりレベルの高い意識に合わせるなどすぐできるものではありません。

しかし、この方法は最初からずっと続けていて、今でもやっているのです。
すでに最初から、意識の波動振動同調の訓練までしていたことになります。
この方法は、思考ではなく、感覚的に言えば、意識の触覚といったものを出しながら、高い意識の何かを、また少しのヒントでも感じようとする意識を動かしていることになるんです。

誰にもその方法を聞いた訳でもありませんから、失敗か成功かもわからずただ真剣にやり通していただけで、それがいつの間にか私の霊的探究方法になっていたのです。
私はこれまで27年間の勉強で読んだ本は30冊くらいで、真剣に読んだ本は10冊くらいしかありません。

この10冊も、まだ全部完全に終わっていませんので、また最後の仕上げをするつもりです。
私にとっては余計な本は読むヒマがないので、この世的には無知なレベルかも知れません。
私はこの勉強に入るまでにも、本当にたくさんの不思議体験をしていましたので、もう一人の自分という意識を動かすことは、けっこう普通の感じになっていたと思います。

この勉強で意識向上が進むにつれて、潜在意識や無意識的な感覚や霊界に近い振動など、高次のレベルから様々な種類の不思議体験で誘導されたことも、人間意識全体を知る大きなヒントになりました。
これも、日常から潜在意識を意識した訓練をして来た結果だと思っています。
潜在意識を開発、潜在意識活性化に一番いい方法は、日常、仕事の中で訓練させることです。

私は生きていること自体、睡眠時を抜かした全時間の中にいることを潜在意識に関連させるように生きて来ました。
ですから、「あの時こうやっていればよかった」などという後悔は、一回もないのです。
今回は、私が今までやって来た中で気づいたことを短くまとめてみました。

当然なこと、もう知っていること、何を今さら、といったものも多くあると思います。
基本の確認という意味でも、これから意識を高めようとする人のために書きたいと思います。
「実際やってみるとこういうものです!」を早く気づけると、レベルアップも早くなります。

短くまとめていますので、その中には深い意味があるものもあります。
そういう文があれば、自分の意識の触覚を伸ばして、見えない智恵の何かに触れてみたいという感じになってみてください。

・本を読んでいるだけでは、また何十冊読んでも、実践に移さなければ何も解らない。
・頭で解る、解っているということがそれほど重要なことか、どうせいつか迷い出すだけ。
・自分の意識を高めて行く過程には、キレイごとなんかない。何故なら、意識を高めるという ことは自分のネガティブを相手にすることだから。

・「誰でも簡単に出来る」、勉強、スポーツ、芸術、仕事、・・、そんなものあるのか。
・すぐ簡単とは行かないが、誰でも間違いなく今の自分より180度以上良く変われる。
・ほとんどの人が知らない、意識の深い見方探求の方法はあります。それは本当は楽しいものなんです。

・意識の勉強が難しいと敬遠する人は、真剣に自分を良くしたいという気持ちがない人かも。
・自分の意識を変えるために、何で心理学を勉強しなくてはならないのか、順番が違うのでは。
・私たちは生きている、意識は生命で自由だから、生きた意識の勉強でなくては意味がない。

・問題は「観念」、固定観念イコールプライド、信念。大したプライドではないと思うが。
・人の観念や潜在意識の本当のことが解れば、未熟な自分の心なんかいらなくなる。
・ほとんどの人は、心や意識が何であるかはっきり解らないと思うが、もし心の正体が解ると、今までの自分が情けなくなるかも。

・年々、精神世界がかなり受け入れられて来たけど、まだまだ本当のことが解っていない。
・精神世界とは何か、その意味を言えるか。その本当の意味も知らないでこのまま行くといずれこの世界も混乱して来るかも。
・精神世界も、まだ一部分しか見ていないから「その気」になっているのも仕方ないか。

・瞑想はとても大事です。瞑想しなければ意識的成長は遅れるでしょう。
・瞑想は何で大事か。それは、心から離れて意識の中に入って行くためと、深い意識の世界につながるための回路を創るためだからです。
・瞑想は何で大事か。それは、あらゆる自己コントロールのための基本的要素があるからです。

・瞑想は目的をもって進めるべきです。ただ、目を閉じて気持ちよくなるだけでは・・それでもいいけど、でもそれは瞑想ではなくリラックスなんです。
・瞑想の最後の到達点は、霊界です。
・言霊って何でしょうか。真理を含んだ言葉、言葉に真理、愛、生命が含まれているということです。残念ですが、ほとんどの人が使っている言葉は、その抜け殻です。

・あなたの意識が高まれば、言葉に生命・真理が入ります。自動的です。それが悟りの段階。
・心理療法のマジックです。難しい意識の勉強は大変、だから簡単な方法で・・。これで自分が幸せになれると思う大きな勘違い。
・本当は意識の勉強に難しいも簡単もないのです。

・自分の意識を知る勉強は、人の心を難しく考えるような学問ではないのです。要は本当のこと、真実を十分に理解納得できるかどうかで、本質を知ることです。
・人はどうして本当のことを知ろうと真剣にならないのか。どうして、ある程度でいいと思うのか。
どうしていつも苦しんでいる自分をそのままでいいにしているのか。

・知らないで苦しんでいる。目先のことで良しとする。
そうして一生同じことを繰り返す。
・少しの間真剣に勉強すれば、その先どれだけ楽になっていくか、そういうことがあること自体ほとんどの人は知らない。
・何もしようとしないで期待する。そのような人には、霊的法則と因果法則を教えてあげたい。

・霊的法則(神の法則)は一から全体まで浸透している。
・これを全体的に理解して自分の意識になれば、とても楽になると思うけど。
・本当の楽はどこから来るんだろうか。不安定な物や金も必要だけど、やっぱり尽きることのない世界とつながるしかないでしょう。
・意識のことが頭で考えてすべて解るんだったら、だれも苦労しなくていいでしょう。

・行動、実践は意識を動かすことにつながります。意識の回路を開くいい方法は、真剣な場面で自分が訓練した意識を試すことです。
・のんびり、ゆったり、だけでは、意識成長は出来ません。
・高い意識レベルの方々は、いつもヘラヘラ、ニコニコしている人はいません。そんなヒマもありません。

聖者クラスの方を勘違いしている人が多いかも。 
・今の人は真の喜びを知らないでしょう。何か可愛そう、さびしい。
真の喜びはあります。
・みんなのんびりしすぎる!このような世の中で何を期待しているのだろうか、これからも。

・闇の勢力はどんどん進んでいるといっても、自分には関係ないって言われるかも。
・因果法則、いずれ自分がネガティブ世界の一員になるといっても・・、関係ないと思えること自体、すごい。
それともそれを信じないことがポジティブとでも思っているのか。
・ごく一般的なレベルで人を見分ける簡単な方法。

ネガティブにマヒしている人は、人の心を傷つけることも平気なんです。
ここまで書いてきたことは、実に当然なことかもしれません。
この当然なことができない自分がいました。
でも、今はこれらのことから完全に抜け出した自分がいます。
何も知らずに苦しんでいた頃の自分を思えば、今はどれほど楽に生きているか。

過ぎてしまえば、つらかった過去は思い出す必要もありません。
すべては、自分の意識次第です。

瞑想法・・・潜在能力開発と潜在意識回路を開く、「探究瞑想」とは 2009/03/26

以前にも瞑想のことは書きました。(カテゴリーは「精神世界・自己変革」)
今回は、さらに高いレベルの瞑想法で、「探究瞑想」について説明したいと思います。
この「探究瞑想」というのは、私の瞑想法の一つで勝手に造語したものです。
瞑想については、私は誰からも一度も習ったことはなく、また瞑想の本なども読んだことはありません。

最初の頃は、神経の敏感さと過剰な意識反応で、目を閉じるのも恐く慣れるまで大変でした。
今教えている瞑想法は深い気づきの中でもたらされた方法で、それまで7,8年はかかっていますので、その間やっていたことは瞑想かどうかもわからないレベルでした。

今教えている瞑想法はあくまで大基本で、それ以上の瞑想法が「探究瞑想」というものです。
あくまで大基本といっても、ポジティブ意識とサハスラーラ集中を一つにした他にはない瞑想法です。
これが出来て、次の段階の「探究瞑想」に入ることが出来ます。

「探究瞑想」は、私が潜在意識から無意識に集中する訓練で覚えたものです。
私が自分の望んだ納得するレベルまで来れたのも、この「探究瞑想」を知ったからです。
ヒント、答え、インスピレーション、その他波動振動の無意識判別、意識回路拡大、霊的映像など、その他の意識力やエネルギーはすべてこの「探究瞑想」からもたらされています。

心から気持ちよくなる、また感動ものの瞑想などは当たり前で、今はこの「探究瞑想」以外何も必要としません。
初歩の人にとって、瞑想は慣れるまで大変です。
この「探究瞑想」に入って行くにも、大基本である私の瞑想法が出来なくては無理です。

その内容については、このブログでも「意識の通る道」として説明して来ました。
私はそのとおり行なっているだけですので、これからも今を延長するだけです。
瞑想は目的を持って行なうもので、その到達点を意識的に瞑想を通して目指すのです。

難しいかもしれませんが、この瞑想法を簡単に説明したいと思います。
この瞑想は、深い意識の中でじっとしていることではありません。
深い意識に集中して自分の意識を固定させるまでは一緒ですが、そこで自分の目的となる答えを得ることに集中します。
この集中は、深い意識の中で行なう探究思考ですが、一般的なただ考えるという行為とは少し違います。

解放意識、見えない霊とか何も感じられない意識に触れさせながら、無限的解放意識の中で思考とか推測して行くのです。
そして、ある時間これに集中したあと、自分を無意識方向にまた解放させるのです。
そしてそこで、ヒント、気づき、インスピレーションなどを静かに待つのです。

意識的に、自分を意識しているかどうか、それさえもわからない感じの中で待つのです。
そして、そこで何かのヒントや感じや映像などが見えたなら、今度はその深い意識の中でまた先ほどと同じことをやっていくのです。
そのときは、一回目より意識振動は上がっています。

ですから、さらに高い意識振動の中で解放状態を保ちます。
内的な世界から、新しいものを得るにはこの世の感じのままではダメなんです。
この説明だけでは難しいと思います。
瞑想自体も大変ですが、自分の潜在能力を高めるということはこういうことが必要なんです。

だから、自分の求めるものを引き寄せることが出来るんです。
一般レベルの引き寄せ方とはまるで違います。
真の潜在意識の理解も無い引き寄せの法則には、私はまったく見向きもしませんし無視です。
何も知らない初歩から始めて一人でやって納得して進めるには、あらゆる失敗もしてみなければなりません。

間違いをはっきり知らなければ、いつまでたっても堂々巡りでそのうち終わってしまいます。
また、精神世界の本だけをたくさん読むだけでは、その知識は増えますが大事なことが解らないでしょう。
それを解決させるのが意識的感じというもので、その感じにもかなりの段階があるのです。

みなさんがたまに感じる直感的なものもそのひとつです。
繊細、精妙な感じというのは瞑想をしなければ気づくことはないでしょう。
また、その段階が霊的意識へと高めてくれるのです。
自分の内的感じに敏感になることが自己意識成長にとっては大変大事なことです。

私はこの「探究瞑想」を、自分の魂との同調や回路をよりスムーズに開くために行います。
形も色もイメージも何もない、本当にどこに焦点を合わせることもなく、ただ内に集中です。
その集中の仕方は、サハスラーラの中に入り無意識方向にそれも無限大の無意識方向にです。

すべて、全体、無限永遠が私の魂ですから、私も自分の意識を飛ばした無意識集中をやります。
これは、これといった何も焦点も方向などもないやり方ですが、それでもしっかりした意識的方向と焦点に向けた集中なのです。
意識に残るのは超漠然とした無意識的集中の印象です。

この世ではない、またどこだとも言えない超感覚だけが残ります。
私はそんなことを今までずっとやって来たのです。
その段階を積み重ねて来たのです。
何を言っているのかイメージも出来ないかも知れませんが、これが私の「探究瞑想」です。

この結果、何が本物か偽物かなど、もう何も迷うこともなく自然にしていられます。
私は、魂の援助という言葉をよく使いますが本当にそれがどういうものかがよく解るのです。
神の愛というものがどういうことかが意識で理解し、その段階を上がって行けると思います。

この瞑想は、他には不思議な体験もときどき味わうこともあります。
悟りとは思考を通して得られるものではなく、深い意識の感じの中で感じ取るものです。
私はここまで援助してくれた自分の魂に素直に感謝の思いを表しています。
それは言葉などでは言いません。それは祈りの言葉でもありません。

自分の前世から今までの罪を赦してもらうために、そのための祈りもしません。
感謝の思いは、自分の魂が喜ぶをことをするだけです。
そのための「探究瞑想」でもあるのです。
すべては、この「探究瞑想」で間に合うものです。
また、私は神にも魂にも誓うこともしません。

内的に、自分の真実、本当の純粋を示すだけです。
そのような意識になることを、自己証明としてやるだけです。
その答えは、そのまま返って来ますから強く求めることなどもしません。
信じるということはどういうことかを自分の本当の意識でやっているだけです。
私の「探究瞑想」は、すべてと一つ、その方向に向かって行く瞑想法です。

瞑想は本当に深いもの。
そして何よりも価値のあるもの。
この「探究瞑想」は、意識的な質は違っても、過去の偉人たちが自分の目的を実現させた集中と共通するものがあると思っています。
自分の望んだものを完全に得た偉人たちは、何もそれを潜在意識にインプットしたから実現出来たのではありません。

ただ、真剣に自分の認めるもの目指すものに向かって努力しただけです。
自分の求めることを強く思い意識するのは、誰でも当たり前なことでしょう。
それがどうして、願望実現とか引き寄せの法則のポイントになるのでしょうか。
訳のわからないところでは、これと少し共通したところがあるかもしれません。
今度は、近いうちに私の先祖供養についての考えを書きたいと考えています。

超意識の世界へ・・願望実現・超意識開発の準備として 2008/01/24

短い文章の中でこのテーマについて説明することはかなり無理がありますが、それでも、知らないよりは知っていたほうが今後の参考になることもあります。
それが信じられるものかどうかは、それも私にとってはどうすることも出来ないことです。
本当のことを知るには自分でやってみるのが一番なんですが、それは大変なことです。

人はどうしても簡単に出来るという言葉を信じ、また簡単なことから始めたがります。
また、比較の上で正しいという感じがしても、正しいのは解るけどと思っても、決してその正しいものに向かって行こうともしません。
それより、もっと解りやすいものを求めます。

このような世界を目の前にしたときの、ほとんどの人の気持ちです。
そして、正しい、解りやすい、誰でも簡単、を選んでおきながら、長い時間をかけても、決してそれを通して大きく成長している人はほとんどいないのです。
もちろん、少数でも真剣に自分を高めている人もいます。
趣味の精神世界、楽しくハッピーになる精神世界、それでいい人もいますからそれはそれで?

そういう人がそのレベルで、それ以上のことを求めるから苦しくなるのです。
簡単と言っていながら、私にとってはそれが出来るようになるのはとても難しいだろう、というものに多くの人が集まるようです。
本質の世界は趣味やお遊びの世界ではないし、またその延長で何とかなるものでもないんです。

今回のテーマの願望実現や超意識開発の準備といっても、そのテクニックの話ではありません。
そんなテクニックなどはありません。本質を知っていくだけです。
どんないい方法を知ったとしても、それを使えなければ宝の持ち腐れになります。

特に、神秘的なことを何でも簡単に出来ると思える人には、何から話せばいいのでしょうか。
どうも霊的世界のことを、非常に自分に都合よく考え過ぎているようです。
この無智を根本から変えなければ、いつまでたっても何も出来ないでしょう。
特に、精神世界に初めて足を踏み入れた人は、それも願望実現や超能力系に最初に触れたなら、おそらくその人の気持ちもいきなり変わってしまうでしょう。

簡単早くのお誘いに、それこそ無意味な信頼と真剣さでお金と時間の浪費です。
気の毒ですね。
本来、自分の観念から離れて行くことによって願望実現や超能力などに近づけるのに、逆に、観念にしがみついて行く方向に持って行かれるのです。
私は声かけてあげたいですよ。「どこ行くの!そっちは逆方向だよ」とね。

たとえ私の声を聞いても、おそらくそういう人は見向きもしないでしょうね。
不思議ですね、それでも信じられる自分がいるのですから。
そこでちょっと止まって、自分の何を信じているかを見つめられればけっこう成長するのですが。
私が声をかけるというのは、それについて十分に納得出来るような説明をするという意味です。

聖書にもあるように「目で見てはいるが本当に見る目を持ってない、耳で聞いているが本当に聞く耳を持ってない」
これは、目や耳の機能が良いかどうかではなく、判断理解納得のことをだと思いますよ。
この世のことでも言えると思いますが、「簡単」をクセをつけてしまうとどうなるでしょうか。

「簡単」をクセをつけてしまう人は、あまり伸びません、成長しません。
例外はほんの一部です。
簡単に出来るという「出来る」クセをつけさせなければならないのは、子供のころだけです。
大人になれば、思考力、推測力を発達させなければならないのです。

脳の回路、意識の回路をどんどん延ばして広げていく訓練が必要なのです。
簡単なことばかりを望む人と、今は難しいけどそれでも挑戦する人との違いは何でしょうか。
この両者を考えてみればわかると思います。
もちろん両者とも正しい方向の道にいます。

考える、考え抜くという力は、何も思考や心だけを訓練するのではないのです。
毎日を、そのような思いで物事を見つめ気づこうとする意識の訓練にもつながるのです。
意識的に、毎日が紙一枚づつ積み重ねて行くように潜在意識も調整されていくのです。

簡単なことばかり、何も考えずコピー的にその教えを模倣するだけで納得する人。
長い間のことを考えれば、どちらがはるかにレベルが高くなるか、はっきりしています。
目先で動くか、一生の自分創りをするか、私は前からこのようなことを書いて来ました。

ウサギと亀じゃないけど、用意ドン!では、当然簡単に覚えられる程度のものは早いです。
でも、それが廃っていくと、次のレベルアップが求められると、さぁ!大変、基本がない!!
これは、占いでも言えます。

どんなに当るからといっても、いつかは外れるかもしれません。
いつも当るからといって何年もその占断のとおりに信じ動こうとする人がいたとします。
それとは別に、占いに頼らず何年も苦労して頑張っている人がいるとします。
10年後でもいいです、占いが外れたとき両者はどのような差が出来るでしょうか。

1人はど慮臆したそれまでの経験があり、もう1人は依存で何も使えるものはありません。
私たちは、何でも積み重ね、その上にまた積み重ねる、といった経験を持つべきです。
単発的な方法ではなく、すべてを関連させた意識という内的ネットワークを意識すべきです。

いつも自分を鋭敏にさせて、なるべくボッーとしたクセは無くしていったほうがいいでしょう。
すべては、訓練です。
将来の自分のためにです。
将来の自分が努力なし、簡単に早くこなせる、それほど考えなくても、という自分になるため。

こういう自分になるために、始めのうちは真剣に努力しておいたほうがいいのです。
いつまでも努力する人じゃ、寂しいと思いませんか。
努力の意味が変わってくるのです。 
そして簡単早くの意味が変わってくるのです。

願望実現、超能力の秘密というのは、いずれそれぞれの個人にあった方法が解ってくるのです。
つまらない目先の願望実現で自分の創造力を詰まらせないでください。
たまたまそれが1回、または2回成功したからといって、一生続くと思いますか。

お粗末な考えにだまされずその考えも捨てて、大きな自分を目指して欲しいと思います。

自己意識改革・・自分の意識レベルを上げるには「理論と実践」で! 2007/09/03 

理論と言うと、どうしても科学的なことをイメージしてしまいますよね。
でも、それは見えない世界、神秘の世界にもあるんです。
まぁ、どの分野でも先ず理論的に進めて行かなければ、前に進めないかもしれませんよね。
そうするためには豊富な知識が必要です。

そして考えて考え抜くことも必要です。
人間意識、神秘、霊的世界を探求して行くにも、まず理論的にそして論理的に考えるクセを。
ただ精神世界系の本を何十冊読んでも、大体書いてあることは似ています。
何を読んでも内容が同じ感じがして、そのうち壁にぶつかったような気がしてイヤになる人も。

結論から言うと、答えが書いてある本はありませんよ。
答えは、自分の内から出てくるもんですよ。 
だから、私達の勉強方法も決まっているんです。
それが、意識の道、その順番に従って高いレベルに近づいていくしかないということです。

そこを通るには、必ず実践といったことが必要となります。
理論上、頭の中では解っているということは、意識の中では通用しません。
通用しないというより、頭では解っているというのは解っていないと思ったほうが正しいんです。
では、意識とは何でしょうか。 

非常に答えるのに難しい問いです。
人間で言えば、意識とは人それぞれ、自分自身ということです。
あなたの意識があなたです。 
単純すぎて答えになっていませんか。
だったら、あなたがある観念を絶対的に認めて信じていたとします。

それはあなたを支配していませんか。
それによってあなたは反応、思考、判断、決断しませんか。
もし、その観念に変わるもっと絶対的なものが見つかれば、あなたは前の観念を捨てるでしょう。
そのとき、あなたは古い観念から脱出して新しい自分にそして強くなった気がするでしょう。

新しい観念を持った自分、それが新しいあなたという意識ですよね。
では、人は古い観念を捨てて、簡単に新しい観念を持つことが出来るのでしょうか。
本当は、人がこのようなことをするということは大変なことなんです。
慣れ親しんだ自分、自分の反応考え、そして自分とぴったりくっついているネガティブ、これを捨て、新しい観念を受け入れるということは、断然前の観念よりいいものでなくてはです。

これが出来ない、自分を変えることが怖い、このままでいい、自分が少しくらい変わっても、こうさせるのが、頑固であったり、ネガティブのワナであったり、執着心であったりなんです。
このような人は実践しないから解らないんです。
今よりいい意識、今より力ある意識、いつまでも安心できる意識、さらに前進できる意識、このような意識が解ったり、その意識になったり、要するに自分のすべてが納得するには、実際に体験してみないと解らないんです。

体験は実践してみないとですよね。 
それがいろいろな経験として証拠になって出てくれば、それが誰よりも、どんな人の言葉よりも、一番認められる自分だけの証拠、絶対となるでしょう。
そのような証拠で固められた意識が、あなたです。
あなたは自分が何であるか言えますか。

自分の意識は自分ですから、あなたの意識は何ですか。
これに答えられたときが、あなたは潜在意識であるとなるんですね。
この世の心というか意識でもいいですが、本当の意識の世界とは全く違うんです。
人間は本当の意識を知らない世界に住んでいる、それも本当の意識とつながっていながら!

日本人はアイマイが好き、精神世界のアイマイも許せる、でも自分の意識までアイマイではね。
ある外人が面白いことを言ってたの聞いたよ。
「ズバリ、日本人旅行者をその気にさせる術!」
どこか、何かのキャッチコピーに使えそうだけど。

それは、「みんなやってるよ!」「ときどき有名人が・・・」「・・・したら、○○の仲間入りだよ!」
結局自分の判断は関係ないんですね。
自分が、大多数が認める仲間の中に入っていれば、その一部であれば満足ってこと?

やはり、長い間に洗脳されてきた観念、みんなが同じであれば安全という無意識的感覚かなぁ。
最後は、自分の意識は自分で理解し納得して変えなければならないんですよ。
もちろん、アセンションでも自己意識改革でも、最後は自分のためにやるべきものですから。

私がつくづく思うことは、よくこの世界は、地球はもっているなぁ!です。
予言を待たなくてもです。
いつ異常なことが起きてもおかしくない原因は揃っているんですよ。
自分を高める勉強をするなら、平和なうちです、幸せなうちです。
普通に生活できるうちです。

危機感!何もネガティブなことを言いたいわけじゃないけれど、物質世界はもろいですよ。
「理論と実践」、私はこの両方でここまでやって来ました。 
理論的には、潜在意識レベルでは、超意識拡大で、霊的レベルでは霊的推測を使って、そして実践は、この世では人の意識との関わりで、あとは意識段階の中で動きながら。

「人間意識、神秘、霊的世界」における「理論と実践」の説明は、今回のブログだけでは無理!
これからいろいろな例で説明していくと思いますが、意識説明では文字という限界が苦痛ですね。
今回は、今思いついたまま書いたので、ちょっと支離滅裂かも。 
今回は脳の体操くらいに! 

神が私たちに望む唯一のこと・・それは意識成長だけ! 2007/08/15 

今回はちょっと難しすぎるかも知れませんが、これも全体の一部なので考えてみてください。
脳の回路を開き回転をよくするには、何事もよく考え、考え抜くことです。(ここは心です)
意識の回路を開いて潜在意識に近づくには、思考で得たことを意識化して反応させることです。

潜在意識の訓練としては、必ず、思考から離れて意識で見るということに慣れておきます。
潜在意識の回路が出来上がれば、今度は無意識の回路を開く方法に入ります。
瞑想の中で、心の思考を止め、潜在意識で思考を支配している意識の静謐状態になります。

その意識状態で、時間と観念という意識の影を外しながら、無意識の回路を開いて行くんです。
始めのうちは、意識の中で数センチ進むという、わずかな前進でその感じを意識に印象付けます。
それが完全に慣れるまで、無意識の中に自分の純粋意識がかすかに感じるまでやるんですね。

HPでもブログでも、私が一貫して話しているのは、意識についてです。
それがすべてなんです。
神を感じるのも意識です。 
それは無意識の中の意識で感じる、「それらしきもの」です。
「それらしきもの」というと、あやふやでいい加減な感じがするかも知れませんが、よく考えてみればわかるはずです。

それは誰もが感じられる世界のことではないということを!
先ず、大きな意識で神という概念を拡大し把握してみましょう。
神といっても、イエスとか釈迦とか、この世の人が名前を付けて拝んでいるような神ではなく、霊界、宇宙、その他の全次元を創った創造神、すべてのすべてを含んだ神ということですよ。

ちっぽけな我々人間から見れば創造神は無限永遠の完全です。
これが私たちの神の概念です。
でも、超、超越意識からすると、神は完全ではないんですね。
すべてを創った、すべてを包含した神の中に、私たち人間もいるんです。
人間は完全でしょうか、この不完全な部分の人間がいる以上、神は完全ではないということです。

この世での意味とその程度はどうか知りませんが、真の完全は絶対完全と同じですよね。
この世の知識考えだけでは、絶対に本当の答えが得られないというのは事実です。
それを、何とか答えを出そうと無理をするから、思考も心も意識も混乱マヒしてしまうんです。

いつまでも、この世の知識思考に頼っていても、決して納得いく意識には到達できないんです。
人は、出来るなら完全に近づきたいでしょう。
神だって、この瞬間完全に向かっているんです。
神の完全性を阻止している原因はなんでしょう。

それが人間です! 人間のネガティブです!!
ネガティブは不完全なものだということは、誰でもわかるでしょう。 
それが解かれば、神の心に適う人間はどういう意識なのかもわかるでしょう。
それが神の心を知るということです。
人間のネガティブが宇宙から完全に無くなれば、神も完成で、完全そのものということです。

じゃ、ネガティブが無くなれば神が完全になるなら早く人間からネガティブを取ってしまえば?
誰もがそう思うはずです。 
アセンションが近づいているから、人間のネガティブが消される?
一気に人類の次元上昇する時が近づいている、誰かが発想するような、そんな単純なことか!

神が人間のネガティブを取るくらいは、人間的に言えば居眠りをしていてもできるでしょう。
だったら、何で今さらでしょう。 
ここに神の心と重大な秘密が隠れているとは思いませんか。
しかし、ほとんどの人は、神の心を無視して生きています。

少なくても、ここまで人類がネガティブの中で輪廻転生してきた以上、答えは見えています。
一人一人のネガティブは、神の心に適うために自分自身で取り除くしかないということです。
誰か、人の意識を勝手に変えることが出来る人がいるでしょうか。

人間の魂は、神意識とつながっているんです。
だから、一人一人が自分を変えられるんです。
イエスも釈迦も、他の聖者方も、勝手に人の意識を変える、そんなことはしなかったでしょう。
何故、しなかったのでしょうか。  

それは、神の心を知っていたからではないでしょうか。
神の心とは何! これが霊的法則というものです。 
意識の道とは、単純な霊的法則なんです。
あなたは、また人は、神の法則を破れるんでしょうか、いつまで無視して行けるんでしょうか。

宇宙の高等知性からのメッセージや予言が必要ですか、誰かの、天からの言葉が必要ですか。
やるべきことが解っているのに、いつまでそんなものに振り回されて時間を無駄にするんですか。
気の毒な人はこの世に多いんです。

それは、体が不自由とか、食べることや生活が大変とか、病気とか、世界を見渡しても、このような人は多いんですが、それ以上に気の毒な人は日本にもいっぱいいるんですね。
こんなに満たされた日本に生きていながらです。
「我」という海に翻弄されている人達です。

無意識の回路、ちょっと難しいけれど意識の界は広くて深い。
これが、人間一人一人に潜在している意識だと思うと、真剣に求めるべきものは何なんだ!です。
みんなが納得できる答えはあるんです。
でも、その答えを受け入れられる意識創りが先ですが。

それが解って行けば、自分の悩みも問題も「そんなものにかまっているヒマなんかないよ!」となるかも。