観念の限界・解脱

観念の限界・解脱(2)~「我」も「観念」も同じようなものである! 2019/2/15 

観念というものがはっきり分からないという人は、自分という人格を作り上げて
いる「我」と考えてもいいだろう。
「我」は、個人個人の思いや考えや感情などが集まったもので、これも様々な経
験が積み重なって形成してきたものである。
また、この世的意識で考えれば、善もポジティブも愛もすべて「我」の範囲である。

我自体の意識レベルを分類すれば、低級意識から高級意識まで分けられるのであ
るが、高級意識であっても「我」の範囲に入るのである。
ただ、意識はすべての段階ごとにはっきりと線を引くことはできない。
我意識から真理意識に入っていく段階になると、意識的には物的霊的という分離
意識の感じがはっきり出てくるものである。

そこまで自分の意識を高めれば、今言った内容は自然に分かるものである。
国語辞書では、「我」と「観念」の意味は当然違うが、意識段階を上げていくこ
とからすると、「我」も「観念」も根本は同じようなものである。
言葉の意味にこだわる人は、この説明には抵抗を感じるかもしれないが、潜在意
識まで入って理解できればなるほどと思うだろう。

私は、「我」も「観念」も、意識的に見れば全く同じものとして考えている。
意識探求が深くなっていくと、いずれこのような見方になってくるので、今から
そのように考えていた方がネガティブ意識の本質も理解しやすいかもしれない。
また、こう言うとさらに抵抗を感じるかもしれないが、「我」と「観念」はネガ
ティブ意識なのである。

もちろん、「我」と「観念」の中にもポジティブが含んでいるのは当然である。
しかし、実際に意識探求が進んでくると、いずれはそのポジティブもネガティブ
として扱う段階に入ってくるのである。
だから、ネガティブとしての「我」と「観念」を知り理解することが、早く自己
意識向上につながっていくのである。

自己意識の成長を考えると同時に、自身の「我」と「観念」にも意識を向けて見
ていくと、いろいろなことに気づくようになっていくだろう。
こうして、「我」と「観念」のことを深く理解していければ、周りの人間からだ
んだん拡大して人間意識が何であるかまで分かってくるだろう。
「我」と「観念」は、人間の物的意識であるから、それを理解するには意識の基
本的構造を知っておいたほうがいいのである。

人間の意識の段階を大きく分けると、心、意識、潜在意識、無意識、神秘意識、
霊意識となる。
心から離れどんどん霊意識に近づいていくと、当然自分の意識レベルも向上して
いく。
ただ、「我」と「観念」というのは、心、意識、潜在意識までの範囲である。

潜在意識が3次元の限界、観念の限界である。
この潜在意識の限界近くまで理解が進めば、一般的に言われている潜在意識に関
係する特殊能力や願望実現などの本当のことが分かるだろう。
これまで何回か書いてきたが、私は潜在意識自体には特別な力があるとは思った
ことがないのである。

それどころか、観念的な潜在意識は使いものにならないので、逆に自分の理想と
する潜在意識に変えてきたくらいである。
ここで取り上げる観念レベルというのは、心、意識、潜在意識までの範囲で、そ
れ以上の意識世界についてはなるべく触れないつもりである。
基本として、観念がどういうものか、何であるかをしっかり知っていくことが、
意識成長を早めるためにとても大事なのである。

自分の意識が、他人の意識よりどんなに高くなったとしても、次の段階を目指す
にはいずれ必ず躓きが来るのである。
それは、真理ではなく、観念を十分に知らないために直面する壁である。
ほとんどの人の知らないことは向上の壁で、それが今言ったことなのである。
人の思い考え感情は、潜在意識まで深く浸透し自分が関係するほとんどのことに
強い影響を及ぼしているのである。

深い意識で見る世界、深い意識で読む世界は、それがどうなっているかをよりは
っきりと説明できるものである。
聞きたくない、見たくない、考えたくない、触れたくもない、そして今のまま
で、何とか楽しく生きいけられればそれでいい、と思う人も多いだろう。
しかし、今生で終わればそれでいいかもしれないが、意識は来世もその先もずっ
と続くのである。

自分の理想の未来を築くのはそう簡単ではないが、それでも努力なしでは何も実
現させることはできないのである。
「我」と「観念」は、自分の意識を物的世界に閉じ込め、真の自由を奪うネガテ
ィブ意識なのである。
「我」と「観念」は、真理を見せなくするネガティブ意識フィルターである。

多くの人は、真理、霊的な勉強や修行を一生懸命やっていれば、いずれはその域
に到達するだろうと思っているのである。
しかし、どんなに真理、霊的な勉強や修行を一生懸命やっても、自分の意識にネ
ガティブがあってはずっと目の前の壁とにらめっこ状態が続くだけである。
だから、ネガティブである「我」や「観念」をよく知った方がいいのである。

どんなに真理や霊的なことに深く入ったとしても、最後の詰めがどういうことか
を知らない限り、何も起こらないだろう。
神側から援助が来るというのは、そのために自分の意識を準備するということで
あるが、それがどういうことかその中身を知らない人が多いのである。
この世は、曖昧や騙しが多すぎるので、この大混乱の中で気づくのも大変である。

本当に自分が求める気づきや意識成長の道を歩くには、今回書いたことをどのく
らい理解し、それに集中できるかにかかっているのである。
答えはある、それは簡単に言えば「観念をしっかり理解すること」であるが、こ
れは真理を理解することに匹敵するくらい努力が必要なことでもある。
しかし、その一歩一歩は、確実に自分の知恵となって返ってくるだろう。



観念の限界・解脱(1)~解脱の道は、観念をよく理解していくこと! 2019/1/15 

今回から、新しいカテゴリー「観念の限界・解脱」で、観念に関係するこ
とをいろいろな角度から理解しやすいように説明していこうと考えている。
観念の限界と言っても、観念については範囲が広いだけでなく簡単に説明できる
ものでもないので、かなり長く続くと考えてもらいたい。
これまでも、このブログでは観念について本当にたくさん説明してきた。

そろそろそのまとめとして、今の自分の意識をしっかり確認するためにも、もう
一度観念の理解に向き合っていくといいだろう。
最終段階に向けて「今、ここから...」新しいスタートを切ってもらいたい。
真理を説いている聖者方が人が真理を理解する前に準備しなければならないこと
は、まず観念を知り尽くし、自分と観念を分離することだと言っているのである。

これから観念の説明が続いていくが、大変厳しい言葉が出てくるかもしれない。
そうしなければならないのは、いつまでも幻のぬるま湯にのんびりつかっている
ことから脱出するためである。
この世の流れにまかせていると、意識がマヒしていくだけである。
観念が何であるか、本当のことに気づかないかぎり、観念の限界なども分かるは
ずもないのである。

そんなことは関係ないと思っている人は、この世の未来に向かって生きる人であ
る。
自分、または人間の未来とは何か、それをじっくり考えたことのある人は少ない
だろう。
一般的に未来と言っているのは、観念世界に関係することに限定されるものであ
る。

観念の限界を知ると一言でいっても、それを理解するには相当な時間がかかるも
のである。
しかし、それを知って自分から分離できるようになっていけば楽しいだろう。
楽しいだけでなく、自分の世界が大きく広がることに喜びを感じるだろう。
それだけ、観念という世界は狭く低級なのである。

ほとんどの人は、その観念にすべてを支配されているということも知らずに生き
ているのである。
聖者意識から見れば、観念レベルは本当に無に等しいくらいの幻にしか感じてい
ないだろうと思う。
観念の限界を知って、初めてそこからが真の魂(神)意識の勉強のスタート点に
立てると思った方がいい。

これについても、観念の限界というものを意識できるようになっていくと気づい
ていけるだろう。
真理の言葉やきれいな言葉を並べても、観念意識が入っていればそれは絵に描い
たもちと言われるような程度のものに過ぎないのである。
どんなポジティブ的なことであっても、それは観念である以上、それには限界が
ある。

どうしてそうなるか、いずれその意味を分からないとならない。
このような内容は、当然一般的なことではないが、だからといってとんでもなく
高いレベルの話でもないので、知らなくてもいいと片付けられるものではない。
順序よく理解していけば、誰でもこのような深い内容でも分かっていけるのであ
る。

真理ということも、高いレベルという考えや見方を外さなければならない時代に
入って来ているのである。
高いレベルではない、低すぎる人間意識から抜け出す意識を持つべきである。
この世にどっぷり浸かってきた意識は、観念は正しい、間違いがないとなるかも
しれない。

しかし、これ自体が間違いなのであるから、観念世界のどこを見ても本当は正し
いものなどあるわけがないのである。
この世を中心に生きていれば、それは正しいになるかもしれないが、魂意識とし
てはずっとこの世に生きてはいけないとなっているのである。
地の果てに向かって生きないように、一人一人に永遠の死が実現するようにと、
聖者方は祈っているのである。

一般から見れば、このような言葉はとんでもないことに感じるだろう。
「視れども見えず、聴けども聞こえず」、聞く耳も見る目も無いのがほとんどの
人であると言われている。
誰にでも振りかかって来る神の法則から、逃げ切れる者は一人もいないのである。

それでも、「そんなことないよ」といって何の根拠ない自分の考えを信じている
人は本当に多いのである。
このことを早く受け入れることができれば、どれほど自分の意識向上が加速する
か、私は本当にこれだけは早く知ってほしいという思いである。
「視れども見えず、聴けども聞こえず」と自分に言われたなら、ほとんどの人は
自分の生き方を否定されたような感じになり、感情的な反応をするかもしれない。

しかし、これにしても本当のことを知らないために起こる反応でしかないのであ
る。
すべてが冷静的でない、理性的でない反応は、周りの人を見るとそれがほとんど
だから自分もそれで間違いではないと思い込んでいるだけである。
このような人は、神の世界をどう思っているのだろうか、またどこまで知ってい
るのだろうかと思いたくなるが、ほとんど何も知らないだろう。

神意識を無視して、人類は素晴らしいというくらい滑稽なことはない。
これらすべて観念の中だけの世界である。
観念には意識の進化などはないのである。
いつまでも変わらない意識の停滞があるのみで、長い人間の歴史はこの意識停滞
の歴史である。

だから、この観念意識の停滞から抜け出すしかないのである。
これ以外の方法で、この世の低級観念から抜け出す方法があっただろうか。
観念が自分の意識になっている限り、この世に縛られて身動きもできなくなるく
らい、自由意識も遠くなっていくのである。
地球という大きなネガティブな籠の中に幽閉された意識ということを、いつ気づ
くのだろうか。

この大きな籠の中は、暗示とか催眠といったもので、それが潜在意識まで浸透し
ている。
このようなことは、意識の勉強をしている人にも、まだ観念の影として進む道を
邪魔するものなのである。
だから、どこまでも自分の意識レベルを高めていくには、観念の徹底した理解が
とても大事なのである。

これでも、私は自分のこれまでの意識勉強の中の経験から、人の意識向上のため
に一番早い進め方を言っているつもりである。
今回は、これから進めていく新しいカテゴリー「観念の限界・解脱」の内容説明
になったが、観念についてはこのカテゴリーで最後の説明にしたいと考えている。

  • 今回浮かんで来たのは、先生のブログに時々出てくる[自分に素直]と[純粋]という言葉です。[自分に素直]は自分のネガティブを素直に認め外す努力が出来るか。[純粋]はプライドや損得など物的には何の得にならなくても自分の向上を第一に出来るか。…なんだと思いました。この世の観念的な意味と視点の違いを感じることが出来ました。ありがとうございました。 -- T.M. 2019-01-15 (火) 22:16:39
  • T.M.さん、ありがとうございました。この世はネガティブです。観念を知り尽くせば、このことがよく理解できます。自分の間違いを認めていくことが自分を素直にすることです。それを通して、自己意識の純粋性に近づいていきます。これは、誰も関係ない自分の世界です。これを目指してがんばっていきましょう。 -- F・H・S 2019-01-20 (日) 09:11:07