聖なる自己破壊

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聖なる自己破壊(10)~ 意識成長を目指す上で、一番難しく大事なこと! 2016/10/31 

「聖なる自己破壊」は、次の段階に入るまでしばらく間を空けることになるので、今回は特に大事なことを話してみたい。
大事なことというのは、私がこれまで35年間意識の勉強をしてきて絶対確信を持っていることである。
私はこれまで多くの意識的訓練とそれに伴う経験をしてきた。

その土台となったものは、真理関係の知識と不思議神秘体験であった。
その目指す先は神方向であるが、その段階において努力してきた意識の勉強や訓練したことは、自分の自由になる時間の限界までやってきたと思っている。
その結果、これまでの努力の成果や反省や気づきをまとめることができ、それは確信につながり自信を持って言えるまでになった。

ここから大事な話になるので、よく考えながら読んでほしい。
その内容は、人によって否定や反論したくなることもあるだろう。
「そんなことはない」「やってみないと分からないよ」「人それぞれ能力も違うから・・・」
「この世には絶対などないよ」「決め付けられた道などないよ」「それは思い込みなの・・・」

もっといろいろな意見はあるだろう。
また、「偉そうに・・・」「おまえレベルで何が分かっているんだよ」「そこまで言うなら証拠をみせろ」まだこれ以上に酷い言葉を浴びせてくるかも知れない。
こんなレベルの内容では、反論というより自分のレベルを暴露しているようなもので、ここの読者ならその意識がどういうものかが判断できるだろう。

自分の意識反応にも、十分に注意を向けることも意識成長のカギである。
まず、意識成長に必要なことは何かである。
意識成長を言う前に、もしできればということでもいいが、人は何らかの形で自分を良くしたい楽になりたいと望んでいる。
それを満たす条件は、大きく分けて2つしかない。

それは、物的か精神的かである。
深い部分でいえば、そのどちらも内的意識の問題になるが、一般的に考えれば物的か精神的かといった分け方になるだろう。
物的というのはお金になるので、お金の量から変化する自分の気持ちや展開する将来像は、これは誰でも簡単に想像がつくだろう。

お金に関しては様々な判断があるが、その判断内容は意識レベルの差、要するに意識の理解段階によって違ってくるので、物的なことの理解についてはどこかで話すだろう。
精神的というのは、基本的には心と意識の関係するものすべてと考えていいだろう。

それをまとめて意識として話を進めている。
とりあえずの一時的な方法と、しっかり意識成長を目指すこととは全く違うことになる。

「自分の悩みから解放される」「分析力や判断力を高める」「自分の能力向上を目指す」
「悟りの段階を上げていく」「特殊能力を高める」「神秘・霊的を理解できるようになる」
これらのことは、意識成長を抜きには実現不可能である。

逆に、これらのことを高めながら進んでいくことが、意識成長していることになる。
どんな形でも、意識するしないに関係なく、意識成長は神方向に近づいていることになるのである。
悪い方向に頭を使って悪智恵を磨くことは、意識成長とは無関係である。

大変頭のいい人であっても、本当は意識の低い人がいるのである。
一般の人はこの違いがわからないので、大変頭の良い人は当然人格も優れていると思い込んでいる人がたくさんいるだろう。
ここに気づけば、この社会もまともな判断が認められるようになるだろう。
どんなに物的面が満たされようと、精神面が弱いと心配不安から逃れることはできないのであるが、それでも多くの人は物的を望むのである。

すべての真の自己満足は、自分の意識成長が関係してくる。
何かを成すことも、自分の悩みや苦しみから抜け出すことも、すべては意識成長を考え、努力しなければならない。
真の自己満足による幸せが実現することは理想である。
ただ、この理想は夢で終わらせるものではなく、自己成長の成果として実現可能な目指す理想であるが、それは結果としての副産物になる。

いつまで、それを目指して努力するのか。
・・・それは死ぬまで。
もし実現できなかったら・・・。
そう思うこと自体、すでに失敗しているのだろう。
自分の未来を決定付ける人は誰だろうか。

もし、人に君は努力しても実現できないよ、と言われれば誰でもムカッとくるだろう。
しかし、一番自分を迷わせているのは他人の意見ではなく、自分自身である。
要するに、本当のすばらしい自分を創るために生まれてきた人生を、そのチャンスの足を引っ張るものに従順しているのである。

それが自分の一部であるネガティブであり、意識成長を忘れさせいつか苦しみ直面させるしかないネガティブである。
一番大事な勉強は、この自分のネガティブを徹底的に知り、その自分を知ることである。
意識成長とは、自分のネガティブから少しずつ影響されなくなることで、そのネガティブ支配から自由になることである。

そのためだけに、意識勉強をしているのである。
特殊能力を付けるための勉強などないのである。
そういうものがあったとしても、一時的で必ず突破できない壁にぶち当たるだろう。
そこからどこへ向かうのか、さらに都合の良い方法探しでネガティブに陥っていくのか。

レベルアップというのは、神方向に向かう以外にないということをしっかり知るべきだ。
そうすれば、間違いと遠回りは回避できるだろう。
人は焦りすぎる、急ぎすぎるから、早くに挫折を味わう。
焦っても、急いでもできる人はいないのだから、しっかり基本を固めるべきである。

基本とは、知らないことをしっかり調べ分析し、全体的に底上げできる自分を創ることである。
意識の勉強するための本は、読書ではだめで、その中の言葉の意識に入ることが大事だ。
聖者方の言葉が載ってる本は、ある程度理解できるまで10年以上かかると考えた方がいい。

これでも早い方かも知れない。
長い間、私が勉強をしてきて分かったことは、急いで理解、またはレベルアップできる者は一人もいないということである。
それより、意識化しながらしっかり基本となる心、意識、潜在意識といった順を理解していくことが、早く意識レベルを上げていくだろう。

無理なものは無理なのである。
そこを挑戦してみようとしても、私は無理だというのである。 絶対に!
こう言うと、先ほど書いた反論が来るかもしれない。
どんな反論も、私は受けられるが、ただ言いたいことは、どのレベルの意識状態を用意して言うのかを問いたい。

今回の内容は、私にとって一番確信している大事なことを言っているのである。
他の意識レベルアップの持って行き方では無理だと言っているのである。
無理というのは、壁に当たって挫折するか相当時間がかかるということである。
それは、ほとんど人がギブアップするレベルだからである。
神方向に歩いて行く道を、途中で足踏みしたり引き返したりすることのないように、がんばって善い人生にしていくことを心から願っている。

聖なる自己破壊(9)~輝く自分を目指して、自分を磨く基本とは!(Ⅱ) 2016/10/15 

自分にあるネガティブ性を克服していくことは、同時自己破壊をしていることになる。
この自己破壊は、自分の良さを表に出すことを阻止する何層にも重なっている偽善の鎧を破壊していくことでしかない。
この偽物の偽善を見破ることなくして、どうして自分を本物に気づき向けていけるだろうか。

このネガティブ破壊は、実際はシンプルだが難しくも感じると思う。
ネガティブとは何かと問われると、それは大きく言うと観念だとなる。
観念イコールこの世、この世イコール自我、自我イコールネガティブとなる。
この大雑把な捉え方を、細かくかみ砕いて理解していくことが、本来の精神世界である。

それをさらにレベルアップしていくことが、「悟り」の段階という道になる。
「悟り」の段階の道は、聖者や霊界方向で神との一体化の方向である。
その道を歩くには簡単ではないと誰もが感じているはずだ。
しかし、神の道に入るのは、簡単とか難しいということは全く関係ないのである。

ほとんどの人がこのあたりでつまずくが、それは何故か。
それは、すべては順序があり、それを通っていく段階を一つ一つ上げていくことしかないのである。
その段階を上げていくために絶対必要なことは、自分を知るということである。
自分を知る、それは自分のネガティブを知るということやその他意識としての自己形成の特性を知るということになる。

自分にあるネガティブやマイナス意識を知って意識向上していくことが、そのまま悟りの段階を上がっていくことになる。
本格的な霊的修行の世界のことは誰も知らないと思うが、そこにいる人はこのようなことをしているのではないかと私は思っている。
それ以外に何があるのか、形式を重んじるのは過去に生きることではないだろうか。

そのような世界があってもそれはそれ、人は自分の信じる道を行くしかない。
神法則や聖者方の教えを全体的に理解することができれば、自ずと答えは見えてくる。
霊的修行というのは、何も特殊な修行でその道の段位を上げることや、超能力を目指すことではないのである。

全(神)に向けて一つ一つ知っていく、要は自分の知らない真理を知っていくことが全に向かっていくことになるのである。
だからといって、霊的修行に入るようにということではない。
霊的修行も意識の勉強も自分のネガティブを知ることも、すべては神の道の中にすぎないのである。

宗教的や難行苦行的な特殊な行法など、わざわざ通る必要もないと言いたい。
とことん人間意識と神の法則を知っていけば、シンプルに到達する。
この神性シンプルは誰でも知っていることだが、段階を踏まないと完全理解はできない。
その方法として、自分のネガティブ性をポジティブ性に変えていく、その延長が真理の方向に自動的に入っていくことになるのである。

これが一番の近道であって、これ以外、何かすることがあるのだろうか。
私は、これ以外何もないと確信している。
そのための意識の勉強は必要なのは当然なことであるが。
自分のネガティブ性を自分から取り除いていくことが、意識成長に一番効率の良い方法で、それ以外の余計なことは単なる回り道にしかない。

回り道をしている時間など本当は誰にもないはずだ。
いつも言うことは決まっている。
人は、今の自分を、変えたくないくらいすばらしいと思っているのだろうか。
それとも、ほとんどの人はどうにもできないとあきらめているのだろうか。
どうして自分に向けてくる、魂のため息が聞こえてこないのだろうか。

人が無理と思ってしまうのは、努力以上の夢を見るからである。
自分の望む夢の大きさに逆に潰される人が多いのではないだろうか。
これも、ポジティブがネガティブのワナにはまってしまうことになる。
一般的なことからネガティブが何であるか話すと、それは今の自分となる。
もちろん、誰にもネガティブだけでなくポジティブもあるが、それは力のないポジティブにすぎないのであって、いつでも崩れやすくこれでいいのかと疑ってしまうものだろう。

だから、人の心はほとんどネガティブだと思った方がいいのである。
いつも言っているが、このネガティブは犯罪的な悪や強いネガティブ感情のことを言っているのではない。
ネガティブについて、まずそのワナの一つとして、人は「知らない」というところから自分の力を奪われているのである。

知らず知らずのうちに、そこに入り込む意識がネガティブである。
知らないために悩み苦しむのであって、この部分のネガティブのワナを熟知していれば、悩み苦しむことは変化するか少なくなっていくのである。
ネガティブがどう変化するかは、実際に自分で経験してみれば言葉で説明するよりはっきり分かるだろう。

なぜその説明もしないで結論だけを言うかというと、説明よりは実践だからである。
自分のネガティブ性からの解放は、どうやって分かるのか。
これを自分で実感するしか、本当にネガティブを超えたことも内的強さも分からないだろう。

この経験がない限り、また分からない限り、ネガティブ性からの解放は無理である。
次に、ほとんどの人がするだろう頭の中のネガティブ対処法を話してみたい。
参考にして、この対処法は卒業してもらいたいと思っている。
人のネガティブというのは、ほとんどは何かの形で人間関係にあると考えている。

その他のネガティブもあるが、あなたがする自分のネガティブ克服は、人間関係の中で生じるネガティブに焦点を当てるといいだろう。
それが少しでも理解できるようになれば、他のネガティブ対処もしやすくなるだろう。
まず知っておくべきことは、頭の中で考えることは想像(イメージ)でしかないということを、しっかりと自分の意識に印象付けるといいだろう。

それは思考であって、意識ではないのである。
逆に、意識は思考ではないのである。
思考は考えなければならなく、意識は反応である。
思考は考える時間が必要で、意識は反応だから時間がかからない。
あなたは、ある人のことで問題を抱えているとする。

その問題のことに関係することを、あなたはその人に会う前にたくさんのパターンを考えているかもしれない。
これまで、誰にでもこのようなケースは何度があったと思う。
考えていたことがどのくらい通用しただろうか、考えた通り事が運んだだろうか。

自分が用意していないことや全く違う角度から切り込まれたときは、内心焦ってしまったことはないだろうか。
そのときの反応が意識である。
考えた通りに運んでいくのは、自分が勝手に思っている幻想である。
仮に、誰だって戦いの中で、自分が用意した武器が一切使い物にならないと知ったときは、動揺と焦りで混乱するだろう。

説明すると長くなるので、今の話は大ざっぱな一つの例であるが、ほとんど人はこのようなことを無意識にやっているはずである。
自分のネガティブを変えていく、レベルアップしていくことは、今言った例の心理状態も克服していくことになる。
ネガティブ克服は、自分の意識を高めることであって、同時に思考や心の古い反応パターからの脱出でもある。

このように、聖なる自己破壊は死ぬまで続いていくのである。

聖なる自己破壊(8)~輝く自分を目指して、自分を磨く基本とは!(Ⅰ) 2016/10/03

シンプルに、人が意識成長するには自分のネガティブ性を外すことにある。
しかし、これがなかなか思うようにならないためにいつまでも苦しんでしまう。
ネガティブを外し、そこから自由になれない理由は何かあるのだろうか。
ネガティブ対処も大事だが、その前に知っておかなければならないことがある。
今回は、自分を不自由に縛り付けるネガティブについて、基本的に理解しておくべきことをいろいろと話してみたい。

実際、ネガティブの正体からその仕組みや外し方まで話すと、相当な時間が必要になる。
ネガティブは、自分の意識すべてに浸透し一生大きな影響を与え続けるものである。
ネガティブの種類やそれが自分の内的意識に浸透している度合いも人それぞれで違う。

現時点のネガティブを超えていくことで、次のネガティブが出てくるようになっている。
その段階が、ネガティブの質の変化であり、意識の霊的到達まで続いていく。
簡単に言うと、人は一生ネガティブに直面していくしかないのである。
人はそのネガティブに直面するたびに悩み考え、苦しむということである。

そのたびに、それから解放してくれるだろう本を読んだり、心理療法に頼ったりして、絶えずその解放手段を探し回る人もいるだろう。
そこまでするかどうかは別としても、ほとんどの人はネガティブから解放される方法を真に知ることはないだろう。
このネガティブ解放だけでなく、人が人生でつまずき苦しむのは何かを知らないからだということに気づいていない。

私の中では答えははっきりしているのだが、それに対して大事なことを自信を持って言いたいだけである。
知らない、何も知らないというのは、特に大事な点を挙げれば、この世の観念と人間意識と神の法則である。
相当数の輪廻を繰り返してここ(今生)まで来てしまった。

私にも言えるが、ここまで来てしまったということは今言ったことを理解していなかったということになる。
神が人間に求める条件を、その最低条件でも満たしていたなら自動的に生まれ変わりに終止符が打たれ神の世界に移行していくだけである。
これが満たされなければ、今のネガティブとともに来世も同じようなネガティブで苦しむことになる。

これが真実がどうかではなく、実際に今の自分をみればその通りではないだろうか。
結局、人生というのは自分のネガティブ性との闘いであり、そのネガティブ性からの支配を超えるまでは輪廻転生を繰り返すということである。
これまで、もう時間が少ないということも何度か言ってきたが、それはある意味もうのんびりと生まれ変わりをしている人生でなくなるという意味なのである。

ハルマゲドンに近づいていく、これは黙示録の内容だけでなくあらゆる霊的推測によっても確実なことである。
それは、誰も信じたくないだろう。
しかし、信じたくない、そんなバカなと思っている人と、私のこれまですべての研究で知ったことを土台に考えた場合、どんな角度から判断しても私の言うことは間違いないだろう。

私がこの内容を神の法則と一緒に突きつけたら、誰がそれに反論できるのだろうか。
これは、ただの興味本位ではなく、神対人間の真理霊的な分野になるのである。
人を無智のままにし、この世の物的性やここまで進化した人間が一番と信じ込ませるのは、霊性の欠如しかないのである。

そのすべてを邪魔をするのが、ネガティブ性だと言いたいのである。
このネガティブ性を少しでも超えていくことが、私が扱っている意識成長につながる。
これから大変な時代になることは分かるが、それに流されていくのはもっと大変な自分にしていくことになる。

自分のための意識成長が大変でやりたくないという人もいるが、その大変はいつか誰にもドンと大きく降りかかるのである。
これが神の法則で、それから逃れられる人は1人もいない。
「それは来てみないとわからないよ!」と思う人もいるかも知れない。
ただ、その時は手遅れになるだろう。

犯罪系の悪とか復讐目的の強いネガティブ感情を持っている人は、意識成長など頭の片隅にもないだろう。
当然、このブログを読んでいる人は、このようなネガティブは持っていないはずだ。
私がネガティブと言っているのは、このような意識ではなく、自分の意識成長を邪魔する、足を引っ張る、自信をなくさせるものなのである。

これは、ネガティブ性やこの世の観念、そして人間意識の理解でかなり解放される。
当然、自分自身の意識も上がり、思考、心、意識の拡大ということも分かるようになる。
これだけでも時間はかかるが、もしこれが簡単にできる方法があるのなら教えてもらいたいし、あるなら私は土下座して謝りたいと思えるくらい、私はないと絶対確信している。

その順番としては、まず自分のネガティブだけを相手にするだけで、他人やこの世のネガティブはそれからでいい、まず自分を良くすることである。
結局、人が意識成長できるのは自分のネガティブ量を減らすだけである。
逆に、ネガティブが少なくなれば意識レベルも上がっていく。
意識レベルというのは、単純にネガティブの量であり、知識の量ではない。

それに霊的性質のレベルが加わって、根本意識レベルの一応の目安が出てくる。
霊的レベルとは何か、これもほとんどの人は知らないだろう。
先ほども触れたが、霊的性質のない人はこのような世界には触れないのである。
ただ、精神世界やヒーラーや宗教関係の中にも、ネガティブ3、4、5の人はいる。

このような人は、ある程度の霊性(霊的性質)を持っているが、ある段階で堕落したか、悪魔に魂を売ったか、一時的にネガティブに入ったという人である。
このことに関しては、意識の波動測定や魂に訊いてみないと答えが出ないことなので、今度機会があったときに話したい。
覚えておくといいので、ここで霊的性質について説明しておきたい。

霊性はすぐに自分の意識に定着するものではない。
過去世で何らかの意識の気づきや目覚め、又はそのような仕事や修行などにどのくらい関わっていたかで、その霊性レベルは決まる。
今、霊性がほとんどない人であっても、これからできる範囲で意識の勉強や本に触れていくことで、来世の自分はその方向に興味を惹かれるようになるだろう。

人の意識成長は、このようなことを通して、どんどん良い方向に導かれるのである。
すぐに、良いレベルになれる人は、私は1人もいないと思っている。
よく考えてみれば分かることだが、それはどうしてかも全部説明できることである。

霊性を上げる努力は、同時にネガティブ性を超えていくことでもある。
すべては神方向に向けて進むだけで、人生の目的はこれしかないのである。
結局、生まれ変わりに終止符を打って神の世界に入る、それは元いた自分の世界に戻るという意味になる。
それは意識の世界で、この世は物的ネガティブの世界である。

このネガティブ世界がすばらしいと思っている人は、間違いなく来世があるだろう。
いろいろな人の過去世を1つ2つ3つ前まで見ていくと、今自分があるのはその前の人生意識の引き継ぎだというのがよく分かるのである。
自分について、いろいろなことが分かっていくと自分のネガティブ性もはっきり自覚できるようになる。

自分を知るということがなければ、ネガティブ性にも気づけないだろう。
このように拡大していくことによって、見えない世界も広がり見えてくるようになる。
これを難しいとか大変だと思っているから、自分の中にある能力や宝ものを発見できないのである。

このネガティブ性の話は、今回だけでまとめることはできない、またあなたが知ることのできないポイントも話せないので、しばらく続けていきたい。